第9話 世界の矛盾、青ニート、目と鼻の先にあるゴール
鉄槌で鋼を打つ、軽やかな音を聞き流しながら。
念願のロザリオを眺めつつ、彼女は思う。
数珠の先端に、十字架の銀細工。
「この十字架って、何をモチーフにしてるんだろうね?」
十字架とは、言わずと知れた、イエス・キリストの 磔刑を象徴するものだ。
けれどそれは、地球の話である。
ここ、インクーン大陸やショーメア教国の歴史にイエスは存在しない。
他の誰かが十字架に磔とされた事実もない。
なのに、どうしてロザリオの、教会のシンボルは十字架なのだろうか。
好意的に解釈するのであれば、十字架には四大元素を意味する場合もあるので、イエスの居ない世界で十字架が尊ばれる文化が生まれる可能性もゼロでは無いけれど……十中八九、この世界を創ったシナリオライターはそこまで考えてはいまい。
「ほら。ご注文のものが出来ましたぜ、お嬢サマ」
粗暴な口調にはやや不釣り合いなイケメンボイスが、彼女を現実に戻した。
大柄で灰褐色の肌をした男が、カレンのエストックに最後の一打を加えて仕事を終えた。
弾けたエーテルの残滓が、しばらく宙を漂い、陽光を柔らかく反射した。
ロザリオを賜った後、カレンはひとまず、離宮に取り残された奴隷戦士の残党をジェノサイドし、復活分と初期投資を行うだけのエーテルを確保していた。
離宮の奪回も大聖堂から受けられる任意の任務であり、貢献すれば相応のエーテルが支払われる。
また、討伐の過程で、武器強化に必要な素材結晶もかなり押収出来たので、エストックを+3にまで強化したのだった。
その仕事を請け負ってくれるのが、トロル族の鍛冶屋・エリオットであった。
毛深くて醜い種族と言う出自から、少々皮肉っぽい性格になってしまったと言うが……その整った骨格の精悍な顔立ちと、ラフに伸ばした茶髪がとても様になっている。
毛深いとは言うが、逞しい腕に柔らかな毛がほどよくアクセントを与えていて、むしろ異国情緒を感じさせるセクシーさだ。
地球では無駄毛の処理に悩まされていた身として、嫌味だろうか? と僻みたくなる。
巨人のソル・デもそうなのだが、この世界における“設定上醜い”人物が本当に醜かった試しがない。
事実、このエリオットが攻略対象外であった事に対する不平不満は、発売当初の攻略wikiやレビューサイトをかなりの規模で炎上させていた。
皆が皆、細身の女男ばかりを好むと思うなよ、と言う次第である。
十字架の事と言い、この辺りのディテールの粗さは度々糾弾される所でもあった。
とにかく、新たに生まれ変わった+3エストックを受け取ると、礼を述べて立ち去る。
強化の最大値が+10である事を思えば、これだけでもかなり刃の通りが違う事だろう。
これで、大聖堂で出来る最後の支度は整った。
礼拝堂を通り、外へ出ようとした際。
まるで参拝客のように座って、しょぼくれているトリシアの姿があった。
青い僧衣を着ていて、モブキャラと間違えそうになった。
流石に、戦のプロフェッショナルである女騎士ならいざ知らず、正ヒロインの“体力”であの令嬢ドレスを着ていては、戦闘には堪えない事だったろう。
元々、輝かしい大聖堂に場違いを感じる負い目があった彼女だ。あの離宮襲撃と言う序盤で出遅れ、これと言った成功体験も積めなかった現状。
「神よ、わたしには荷が重すぎます……」
トリシアは、これまでに何度死んだのだろう。
順当に心が折れたようだった。
こうした「活躍する主人公を尻目に拠点で項垂れるだけの、青色の人」と言うのは、俗に“青ニート”と呼ばれる。
ソウルシリーズから脈々と受け継がれる、死にゲーの様式美のひとつであった。
「ご機嫌ようトリシア。これ見よがしのその態度、誰の目にも入らない場所でやって下さらない? 目障りですわ。他の方の士気に障ります」
取り敢えず、一言だけ発破をかけて、カレンは悠々と外へ出た。
象牙色の列柱廊に囲まれた、オベリスクの広場。
遠く、グドール山脈が広がっていた。
山肌には万里の長城よろしく、途方もない規模の城壁が延々と延び、とぐろを巻いている。
山頂まで視線を上げれば、ノワール・ブーケの居城を見る事が出来た。
とても近い。
目と鼻の先だ。
しかし、聖女達はこれから嫌でも思い知る事となる。
歩いても歩いても、血路を拓いても拓いても縮まらない、その距離を。
意中の相手との間にある、絶望的な距離を。