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記録10 レモリアとの対話と、直後の出来事

 寝て起きて、朝が来た。

 少しだけ夢オチを期待したけど、目覚めた場所はお姫様が寝泊まりするようなロイヤルスイート。

 鏡を見れば、それは完璧に均整の取れた令嬢の姿があった。

 元々、生まれ持った自分のルックスは好きではなかったけど、だからと言って、こんなに嬉しくない変身もない。

 

 ソル・デやマイルズ、彼らの配下達と言った武闘派は、緊張状態の続くショーメア教国との国境へと出払っている。

 近頃、国境沿いでの挑発じみた軍事行動や、領内へのスパイの侵入が増えたらしい。

 シュニィは……軍としては動いていないものの、スパイを見つけ次第、片っ端から“遊んで”あげているので、似たようなものか。

 あたしには、特に何も仕事がない。

 自分だけぼーっとしているのも逆に居たたまれないのだけど、じゃあ何が出来るかと言われると……。

 既に完成された社会の中、ぽっと放り込まれた日本人の入り込む隙間なんて無かった。

 この世界にとっての“未知の知識”は腐るほど持ってるけど、そのどれ一つとして、このお城では役に立たない。

 城主エーヴェルハルトは、好き好んであれこれ雑用を引き受けているらしいから、それの手伝いでも志願しようかな。

 曰く「責任者はいざと言う時に責任を取るのが本職だから、普段は雑用係をしてるのが一番いい」らしい。

 そう言えば、あたしが東京で勤めていた会社も、そんな感じだったかな。

 下っ端は日常業務で一杯一杯だから、何かの機械が壊れたり、建物の補修が必要になった時に部長や常務が即席大工さんになっていた。

 とは言え、この途方もなく広い領内……城の中に限定しても、エーヴェルハルトがどこでその“雑用”をしているのか、わかったものではない。

 地道に探すしかないけど、コミュ障気味のあたしは、使用人とかに声を掛けられない。

 丁度いいバトラーでもいないかな、と思ったけど、こんな時に限って見つからない。

「バトラー、いますか?」

 ……。

 ……、…………。

 はい、留守のようです。

 何が、お嬢様だけのバトラーでございます、だよ。

 

 城の端にある礼拝堂を横切った時、何か重低音の……例えば蝿の大群の立てる羽音のような音がした。

 音源はすぐにわかった。

 礼拝堂前の噴水に腰掛けたレモリア、その頭上を、濃密な闇のような大群が、規則正しく並んで舞っていた。

 あたしが息を呑んで半歩後ずさったのと、レモリアの眠そうな目が合ったのは同時だった。

 彼は表情一つ変えず、掌を翻した。

 すると、蝿の奔流は幻だったかのように消え失せた。

「失礼。見苦しいモノを見せたかな」

 その声音は穏やかだが、どこか空疎だった。

「いえ、そんな、ことは」

 咄嗟に弁解するけど、歯切れの悪い言い方が本心を語ってしまっていた。

 蝿の大群と言うのは、やっぱり気持ちの良い光景ではない。

 そもそも彼は、どうしてそんなものを、わざわざ遊ばせていたのか。

 他人から見て不快だって事はわかってるようだし。

「取り繕わなくていいよ。僕の機嫌を取ろうが損ねようが、きっと君には何の損得もない」

 少しカチンときた。

 何その言い方。

 何か思いがあって蝿と触れ合っていたのは何となくわかる。

 だからあたしは、それを否定しないようにって、あたしなりに考えて答えたんじゃない。

「闇が悪で、光が善。その根拠はどこにあるんだろうね?」

 ここで言う“闇”とはノワール・ブーケで、“光”とは教国を指してるのか。

 それとも他の含みがある?

「あたしはそんな事、決めつけてませんけど」

 あたしの考えを勝手に決めつけられているような気がして、もう一段階不愉快になった。

 今のあたしの声音にも、それが出てる事だろう。

「暗闇が人を救う事もあれば、眩しい光が人を追い詰める事だってある。それは物理的な事だけじゃなくて、比喩としてもそうでしょう」

 ……今から謝っておきますよ。

 悪かったね、語彙が貧弱で、考えも陳腐でさ。

 対するレモリアは、やっぱり情動に乏しく、ゆっくりとあたしを見返した。

「腐敗はどうだい。結局、君達は“腐ったもの”を不愉快に思うのだろう」

 そして、先ほどと同じように掌を上向けて、真っ黒な群れを転移させた。

 けれどそれは、黒地に蒼色の羽を持った、モルフォ蝶の群れだった。アクセントのように、(くら)い金色の、宵闇を映したようなタイヨウモルフォも混ざっていた。

「この子達なら、綺麗だって評するのだろう?」

 事実。

 あたしは、この蝶達を綺麗だと感じてしまった。

 さっきの蝿を、不快だと感じてしまった。

「これが蛾だったら、君たちは汚いと感じるはずだ」

 レモリアは、手を振って蝶を消した。

 無数の彼ら彼女らは、どこへ還って行ったのだろうか。

「僕は、ある意味で、それらの何もかもがどうでもいいんだよ」

 ここで気付いた。

 彼は、あたしの本能的な偏見を批難しているわけではなかった。

 本当に、穏やかで空虚な声だ。

「全ては神のーー僕たちが“神”と認識する、“この世の発生要因”の定めた摂理。腐敗も含めて、ね。

 どう考えても、僕たちは、在るがままにしかなれない」

 だから、何が綺麗で何が汚いのか、区別する事に意味を感じないって事なのだろうか。

 だとしたらこの人。

 凄く優しくて、そして凄く冷たい。

「さすがは光の闇の公女、と言ったところかな? 少しだけマシな返答が聞けたよ。

 いや……“君自身”の条理が、我々常人とは根底から異なるのか。

 君の言動の端々から、この世界の位相からズレた文法が感じられる」

 ……。

 これ以上、この無自覚で悪気の無い挑発には乗るまいと、思っていた矢先だった。

 何だか、さっきまでとは別種の怒りがあたしの中に沸いてきた。

「エーヴェルハルト、閣下とか、このお城の事もどうでもいいんですか? マイルズ様の事も?」

 だから、問い詰めるような言い方になってしまった。

 完全に、自分の置かれている立場を忘れていたな、あたし。

「それは」

 レモリアは、それに対してはあくまでも冷然と、

 

 ーー次瞬、空から物凄い光が降り注いだ。

 

「セレスッ!」

 レモリアが、人が変わったような怒号と共に、あたしへ飛び付き、押し倒し、覆い被さった。

 何もかもが唐突すぎた。

 けれど、そんな急な状況下でもこれだけはわかった。

 レモリアは、自分の身体を盾に、あたしを庇ってくれている。

 急に現れた空の光から。

 仮にこれが、ミサイルとかそう言うものだったとしたら。

 あたしの生存率はいくらか上がるだろう。

 そして、ほぼ確実に、レモリアは死ぬだろう。

 けれど、その光は、ただただ眩しいだけであって、何も起こらなかった。

 やがて光量が落ち着いてきたけれど、完全に消えたわけでもない。

 冷たい、もう一つの太陽が生まれたみたいだ。

 密着するレモリアの細身からも、いくらか緊張が解けたのを感じる。

「……天体では無い。熱を伴わない、冷光。目算の座標は……ショーメア、レオナ大聖堂上空。

 まさか」

 彼は身を起こし、あたしから離れると、空に輝く光へ向けて手をかざした。

 何か、光の帯のようなものが走って、空の光に吸われていった。

「解析、完了」

 そう言う魔法か。

 蝿やモルフォ蝶、そしてあたしが出した火の玉の魔法と同じく、教国の聖水魔術とは源流の違う術なのだろう。

 レモリアは、分析の独り言を続ける。

 多分、声に出して出力し、自分の耳に入力することで、考察を補強しているんだ。

 あたしも、仕事とかでよくやる。

「半無限大のエネルギー体。無形でありながら、流動した、概念と実体の中間にあるものーー」

 

「間違いない。大エーテルだ」

 

 レモリアの言葉に、あたしの息が止まった。

 そうだ。

 ここが“あのゲームの世界”であるなら、空にあるべきものが無かった。

 太陽の光とは違う、もっと金色の濃い、冷たい白金光。

 大エーテルの降臨。

 ショーメア教国に与えられた、全能元素と不老不死。

 そこから見出だされた、聖女達。

 ……聖女達に命じられる、ノワール・ブーケ討伐の任務。

 あのゲームのあらすじは、ここから始まる。

 あたしは、無意識のうちにそれを考えないようにしていたのかもしれない。

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