会社にて
日のよく当たるデスクで頭を抱えている笛波あかりは明日には新潟の会社を出て東京へ行かねばならなかった。
顔の前には「ヨロシク!上手いことお願いね!」と付箋された企画書と資料が置いてある。
先輩の年宮麻里の「面倒な事は私がぜーんぶ引き受けるから!あなたにしか出来ない仕事なの!」と言う言葉を聞いた時に面倒な事をするのは自分で手柄は彼女である事は悟っていたが、この無謀な企画が通り、全て手探りで自分がやらねばならないと考えるともう頭を抱えるしかなかった。
「帰ってアイスクリーム食べたい。アイスクリームが食べたい。」
基本中の基本、嫌な事があったら帰ってご褒美アイスクリームを食べたいたいう欲望である。
糖分と脂質でふかふかのソファーに沈み込む様な気分にしてくれる食べ物はアイスクリームだけである。
あの感覚を何と代えられよう、今の彼女を救ってくれるのは、恋人の抱擁でも、お洒落なブーツでも無く、口に広がる魔法の食べ物だけだ。
「帰りにプリンスマートに寄る」と彼女は独り言を言って資料をバッグに入れると席を立った。
同僚が「あれ?もう上がり?」と聞いてきたので彼女は「明日から東京なんで今日はもう…お土産の希望があればメールかなんかで欲しいの教えてください。お疲れさまでーす。」と沈みきった声で答え、バッグを前に抱え猫背気味に出ていこうとしたが、さらに「また年宮さんかい、実家は寄ってくの?」と聞かれ「時間あれば。」と振り返り答えた。
彼女がデザートに夢中になったのは子供の頃に遊園地に行った時に園内のレストランで食べた苺パフェからであった。
テレビや絵本で見たキャラクターがいる夢の様な空間で半日遊んだ後に、とても美味しいパフェを食べたものだから彼女の中で楽しい事と美味しい事が記憶の中で結びついてしまった。以来スナック菓子よりプリンやアイスクリーム、当然パフェなどを好む様になり就職も食レポの出来るライターになりたくて都内の会社を色々受けたが、どれも上手くいかず、結果的に新潟の製菓会社「日潟製菓」の広報になった。今年4年目になる。
会社は彼女の好きなチョコレート菓子も作っているので文句は無いが主力商品は当然煎餅などの米菓である。
新潟には農家の恋人もいるのだが、どうもハッキリしない男で結婚も保留中といった所だ。
恐らくは嫁に行けば田んぼや畑の手伝いもしなくてはならないので今の内は甘い思い出を追いかけて生活出来る。そういう事では今は互いにハッキリしていない方が良いと彼女は思っていた。
恋人は美味しいデザートの店を中心にデートコースを決める彼女に文句も言わずニコニコ顔で付き合ってくれている。しかし、友達同士ではラーメン屋や焼肉店を廻っているらしいのでハッキリ主張しないだけなのだろう。
仕事もまあまあ恋もまあまあで何となく生活していたが久しぶりにドカンと大きな物が仕事の方に墜ちてきた。
先輩の年宮麻里の発案で日潟製菓の人気商品「コメコメチョコラ」の都内で行われる新作発表イベントに20年以上前に同商品のCMソングを担当したロックバンド「スイート♡スイート」の復活ライブをねじ込む計画である。
だが、そのロックバンドはとうの昔に解散しており、ボーカリストは現在俳優として活躍しているものの、他のメンバーの詳細は分かっていない。
なぜわざわざ昔の有名人を引っぱり出してきたかと言うと彼らのCM提供曲を海外の人気ネット配信者が踊りながら歌って現地で大ヒット、あっという間に世界的な広がりを見せており、このチャンスを逃すものかと年宮麻里は食らいついたのだった。今ホットなこの曲を新商品のタイアップとしてイベントで披露し、世界中にネット配信する計画である。
社長も乗り気で予算がどんと出る。
そこで東京出身の彼女に白羽の矢を立て、東京のイベンターと一緒にメンバー探しと交渉に行ってもらう事になった。
事前に関係者や、かつての所属事務所に連絡をとったりはしたものの「よく分からないって、とりあえず行ってきて。」となってしまった。
イベントは今から一ヶ月後のバレンタインデー。
それまでにメンバー探しと出演交渉、CMソングのリハーサル等を済ませねばならない。それらの取材も込みの仕事である。
直前発表のサプライズ企画の為に極力外部に漏れない様に協力者以外には「社内新聞の取材です」と言って欲しいそうだ。どのみち使うので嘘にはならない。
「本当に出来るのだろうか。ってかなんで私がやるの?全部イベンターさんに任せられないの?探偵やとったら?予算があるんだし。そもそもうちの商品って外国で売ってるの?」あかりの頭は今にも爆発しそうで駐車場で車に乗った途端に「あーっ!」と大きな声が出てしまった。
暖まってきた車内で音楽をかけた。
彼女の大好きなアイドルグループYo-Yoファイブの去年末にリリースされた曲である。
以前はYo-Yoボイスと言うグループだったがメンバーが脱退した為にYo-Yoファイブに名前が変わった。
「君はクリスマスの白雪姫♪僕は君に恋するサンタクロース♪プレゼント持って北の国からやって来た♪」
「もう、クリスマスの白雪姫って何よ?サンタクロースってオヤジじゃん?」いつもはノリノリであるが今の彼女には大好きなアイドルグループの歌も響かない。
「あーっ、もうっ!去年のイブも仕事だった!」
運転しながら彼女はついつい大声で叫んでしまった。
そしてお目当てのプリンスマートが見えてきた。