84話
正統イグドラシル教への裁判が終わり、教祖と多数の幹部は死刑となる事が決まった。
同時に、総領府から40層までの情報が開示され、高ランク冒険者に限定して開放される。もうオレたちに妨害のしようがないだろう、という判断のようだ。
聖地を秘匿したまましておいては、また新たな新興宗教の発生に繋がるという事も考慮してだろう。
ただ、40層までと言っても『東部からの40層』とされているので、全てが開示されるという訳ではない。イグドラシルとは想像以上に広大なダンジョンのようである。
冒険者ギルドからも、素材の各方面への放出が始まる。貴重品として絞っていたようだが、これからはどんどん買い取ると明言してくれた。
また、冒険者の手を借りて整理をする日がやって来そうである。
「クソっ!クソおっ!どうしてお前のような不能者が恵まれ、私たちがこんな目に!お前さえ、お前さえ現れなければ!」
教祖、いや、自称教祖のディモス女性はあまりにもみっともなかった。
元々は、もっと人格者である教祖が居たようだが、持病もあり、貧困の中で命を落としている。
オレたちが切っ掛けとなったエルディーでの粛清から逃れ、ここまで落ち延びて来た所を前のエルフ教祖に拾われたようだ。
あの手この手で信者を増やし、勢力を拡大したところでオレたちが現れたらしい。
前教祖が存命の内は、宗教内でもオレたちは話題にもなっていなかったようだが、代替わりして、名を正統イグドラシル教に改めた辺りからおかしくなり始めたようだ。
元々、貧民の精神の救済を目的とした宗教。
学もなく、視野も狭い貧民層が多いので、唆すのは容易かったらしく、反抗したものは異端者として処刑。前の教祖の墓の付近から身元の分からない遺体がゴロゴロ出ている。
耳障りの良い辻説法により信者はますます増加。更に勢力を拡大したところで、窓口となるアリスと接触を始めたようだ。
「私は今の教祖は最初から信用してなかったわ。エルフの地、イグドラシルのお膝元、なのに教祖はディモスっておかしいじゃない?」
言葉通り、アリスは全く相手にする事はなく、交渉の場すら用意される事はなかった。
『全てギルドと総領府に任せております。』の一点張りだったらしい。
オレたちの目的はビフレストの向こうだが、その実態を公表される事で、信仰が瓦解する事を恐れた教祖だが、あの手この手で妨害を目論んだが全て失敗に終わったようだ。
妨害内容は冒険者の買収、ギルド、総領府への内通工作、周辺住民への圧力と様々行われた様である。
失敗の理由は簡単。オレたちの方が金払いが良かった、という事だ。
信仰を武器にされたらダメだった可能性もあるが、互いに金を武器にしているならイグドラシルで得た貴重な素材、加工品で金策が出来る一家が負ける理由はない。
あちらが工作に使った金は、担当した信者にほぼ持ち逃げされていた事実も明らかになる。足取りは掴めているようで、持ち逃げした金は追放された信者の受け入れ先の確保に使ったそうだ。これではどちらが教祖か分からないな。
ほとんど、という事は持ち逃げされなかった金があるという事で、その相手は家に押し掛けてきた冒険者達である。工作を行った者は、信頼を得るために一度だけしっかり仕事をしてから逃亡していたのだ。その強かさは見習いたい。
その後のどたばたで潰されたチームやパーティーは、全て身から出た錆びによるものだったようである。
総領府の敷地内の隅にある処刑場。
広い石畳で天井がなく、上を見ると切れ間のある雲が見えていた。
オレたちの前で処刑は淡々と進んでいく。人の命を奪う、と言うよりも置かれた肉を切り落としているくらいにしか見えない。
最後まで暴れる者、嘘っぱちの経典の内容を呟き続ける者、ただ泣き続ける者、目を閉じ黙したままの者。処刑される者の最後も色々だった。
「これで最後ですぜ。」
横に控えていたユキが囁く。
「反乱、襲撃、共謀の主犯、人身売買の主犯、組織的な窃盗、強盗の主犯…他多数の罪により死刑とされた者の刑を執行する。」
ボロ一枚を着せられ、現れた女性の教祖。
神妙に刑を受けるかと思いきや、そんな事はなく、オレの方を向いて叫ぶ。
「英雄!私は未来の貴様だ!よく見ていろ不能者!全てを失いゴミ同然に切り捨てられる貴様の姿だ!ははっ!あははは!!」
オレが黒髪だからか、白いユキとの対比で目立ってしまっているようだ。
捩じ伏せられ、それでも目はオレから離さない。
「旦那…」
「響かない。何も響かないな。ただの騒音に心が揺れるはずもない。」
聞こえたのか、忌々しげな表情になり、何か一言発そうとした瞬間、首が離れた。
哀れな女は最後まで哀れだった。
「アリスを連れてこなくて正解でしたね。」
「ああ。間違いなく、自分と重ねただろうし、あの言葉は心に刺さり続けるだろうな。」
「もしかしたら、立場が入れ替わる可能性もあったんでしょうね。」
「それはないな。」
手を出し、手伝いを促して立ち上がる。
「アリスにここまでする悪どさは無いよ。あればオレのところにいなかったはずだ。」
「…そうですねぇ。」
「まあ、オレの未来の姿である事までは否定しないがな。」
そう言うと、肘で右腕を小突かれてしまう。
「何を言いやがるんですかい。あたしらが揃えば、世界の果ての向こうでだろうが安寧を手に入れてやりやすよ。」
「そうだったな。みんなの力があれば世界だって越えられそうだ。」
「調査と分析でアリスの胃が壊れそうですが。」
「そうならないように頑張らないとな。」
10人以上の死刑に立ち会ったとは思えないノリでその場を後にする。
最後にオレたちから離れた席のギルドマスターとフェルナンドさん、一緒だったフィオナに挨拶をして帰ることにした。
フィオナは諸々の後始末も見届けるようだ。
「アリス、来てやしたか。」
敷地の外でアクアと一緒に待っていたアリスに、ユキが気付いて声を掛けた。
「来なくても良かっただろう?」
「見たくはなかったけど、近くには居たかったの。」
「アリスさん、止めても聞かなくて…」
責任感で無理やりやって来てしまったか。
「アリス、今日は旦那を貸しときやすよ。」
「あなたのじゃないでしょう?」
「はて?意味がわかりやせんね。」
「来た理由を聞かせてくれ。」
ユキとの言い合いが終わらなくなりそうなので、先に釘を刺しておく。
「同級生なのよ。総合順位はそう変わらない人だったわ。でも、私とはグループが違ったし、互いに交流する必要のある間柄でもなかった。
本当にただの同級生。資料の経歴を見て、ようやく気付くくらいの他人よ。」
その笑顔は、どうしようもなさを隠す為のものだろう。
「…声は聞こえていたわ。最後まであなたを認めなかったようね。そして、あなたしか見ていなかった。」
「そうだな。」
「行かなくて良かったわ。多分、私には受け止めきれなかったから。」
「旦那には響いてなかったそうですぜ。」
苦笑いをしながらユキが言う。
気の毒な背景があるのかもしれないが、明確な敵対者にまで同情する気持ちは湧かない。
「全く。あなたらしいわ。」
「旦那様のメンタルも、なかなかおかしい丈夫さですよ…」
「二人がオレから離れる未来が見えないからな。一緒に居てくれる限り、大丈夫だよ。」
本音を言うと、三人揃って顔を赤くする。
「ま、まあ、そうよね。一生ついていくって約束したから。」
「あ、あたしは旦那に助けられてからずっとそのつもりですからね。」
「わ、私はまだ何も恩返しできてませんから。離れる予定はないですし。」
『アクア?』
「お二人と張り合う気はございません!」
全員揃って笑い合う。
処刑の後とは思えない空気に若干戸惑いもあるが、これくらいで良いのだろう。
もうオレたちの妨害を企む者はいない。後は確実に目標に向かうだけとなった。
謹慎は翌日には解けていたが、予定通りに更に三日かけて準備を済ませ、攻略班が出発していった。
壊された通りを遮断する壁は改めて塞ぎ直してあり、少々遠回りの出発である。
イグドラシル開放は外に伝わり、高ランクの冒険者が少しずつやって来ているようだ。
「メイプル、これの着方分かる?」
「これ…浴衣じゃないですか。どうしたのですか?」
「頼まれて作ったのよ。ただ、私には着方が分からなくて…」
「そうでしたか。分かりますよ。ちゃんと自分でも着れますし。」
「じゃあ、私に着せてみてくれる?」
「分かりました。向こうへいきましょう。」
二人はアリスの部屋へ向かっていった。
「見事な染め物でしたね。どうやったんだろう?」
「魔法だろうか?」
「絞り染めとかの技法を知ってるとは思えませんし、道具もありませんからね。」
アリスの裁縫技術は謎である。ちゃんと見てないから、というのもあるが。
「きっと美しいのでしょうね。」
「だろうなぁ。」
二人でイグドラシル水を飲みながら心待ちにしていると、着替えたアリスとメイプルがやって来た。
「おおう…メイプルまでとは想像してませんでしたよ…?」
「二人ともよく似合ってるよ。」
オレたちの言葉に少し照れながら、くるっと回って見せた。
薄い赤の花柄のアリスと、淡い緑色の葉柄のメイプル。二人とも髪をしっかり結って後ろでまとめ上げていた。
「アリスさんの体型がハッキリ分かっちゃいますねー」
布を握り締めながら、デレデレ顔で言うドスケベメイド。
「そうですね。さらしのようなもので誤魔化したほうが良いですね。」
「全く私たちと異なる服装で困るわね…でも、」
楽しそうな様子でメイプルを眺める。
「新しいものを作るのも着るのも楽しいわね。心踊るもの。」
「分かります。」
力強く頷く頷くメイプル。この二人は本当に気が合いそうだ。
「帯がコルセットみたいで背筋が伸びるわね。」
「あまり動くとはだけちゃいますので気を付けてくださいね。」
「う、うん…危なかったわ…」
胸元を気にしながら深呼吸をする。
「バニラ様みたいな体型が一番似合うんですよ。というか、まあ向こうでは私くらいが標準ですので…」
「カトリーナは危険ね…」
「ゲームのアバター的なデザインならアリスさんやカトリーナさんでも似合う物もありますが、再現性の問題がありますからね…」
「面白そうね。二人とも、後で良いからデザイン見せてね。」
「おおう、挑戦するのですか?」
「色々な素材があるからね。突飛なものもやってみたいじゃない?」
『確かに。』
「ただいまー」
女子三人の意欲に火を点けた所で遥香の帰還の声。早すぎる帰宅に皆の表情に戸惑いが浮かんだ。
『お帰りなさいませ、お嬢様方。』
「お帰りなさい。早かったわね。」
「お帰り。皆、無事なようだな?」
出迎えるより先に、攻略班が揃って居間までやって来る。揃って表情が明るい。
『ビフレストまで行ってきた!』
ユキと娘たちが声を合わせて嬉しそうに言う。
「ついにこの日が来たのね…」
感慨深そうに腕を組むアリス。
メイドたちも嬉しそうにしている。
「ビフレストもだけど、その格好…」
「試作が完成したから着せてもらったのよ。」
『おおー』
全員が興味深そうにアリスとメイプルを眺めていた。
「アリスお母さんはちょっと体型が際立ちすぎて…」
「何もつけてないよね?」
「この人の前だし、流石に着てるし穿いてるわよ?」
「わ、私も着てますからね?」
皆がアクアを見るが、にこやかにしているだけなので安堵する。
「いや、私もそこまで無節操じゃないですからね!?」
抗議の声を上げるが、バニラに分かってるからと肩を叩かれるだけで、どうも納得いかないようだ。
「色々と対策が必要そうね。カトリーナもハルカと着たいでしょ?」
「え、ええ…まあ…」
「私たちもそのままはちょっとねー」
「そうだね。」
梓と柊も苦笑いしながら言う。
バニラとココアも見合い、
「わ、わたしたちもそのままは…」
「はいはい。分かってるわよ。みんな同じようにするから。」
などと微笑ましいやり取りをしながら作業室へと戻っていった。
「お父さん、いよいよだね。」
「そうだな。」
「最初にやりたいことって決めてる?」
唐突な質問をぶつけられるが、答えはもう決めてあった。
「ああ。ずっと考えてたことがある。」
「教え…ううん。その時を楽しみに待つよ。」
「そうだな。それが良い。」
頭を撫でてやると嬉しそうな、照れ臭いような笑みを浮かべた。
目標が目の前に迫ったせいか、家の中は一時的なお祭り状態となり、皆が浮かれているのが伝わってくる。
「旦那様、大丈夫です。私は浮かれていませんよ?」
カトリーナが横に立ち、左手をしっかり握ってくれる。
相変わらず何も感じないが、両手で握ってくれているのは分かった。
「もう、あの時のような失態は犯しません。その時まで、私たちの誰かはしっかり旦那様のお世話をしますから。」
「ありがとう。心強いよ。」
力は入らないが、気持ちだけでもしっかりとその手を握り返す。
「…思いは伝わってますよ。旦那様。」
そう言ってくれるカトリーナが横に居ることが、堪らなく嬉しく、心強かった。