82話
正統イグドラシル教からの要求は止まらず、総領府も手を焼いている。
弾圧するわけにもいかず追い払うのに苦労しているようで、家の前までやって来ることはなくなったが、総領府の手を焼かせてしまっているのは心苦しい。
「結局、連中は何を要求してるんだ?」
「攻略の中止とアイテムの所有権の放棄。
聖域を暴かれるのが怖いみたいで、謎は謎のままが都合良いそうよ。」
アリスが亜空間収納から紙の束を出して言う。
今までの攻略で集めた、全ての情報が記録されているのだろう。
紙自体が高価らしく、最初は恐る恐る使っていたが、最近はよく躊躇いなく丸めて捨てていた。
「私たちにとってはただの魔物の巣ですけどね。」
と、苦々しい表情のフィオナ。
故郷の地で信仰云々よりも、往来を妨害する行いが許せないそうだ。
「知ってしまえばそんなものね。神話も、伝承も、事実はきっと退屈なものよ?」
「そうだな。でも、」
「それを暴くのが私たち、冒険者の役割でしょ?」
そう言って紙の束をしまった。
「ビフレストはもう目の前です。そろそろヒガン様の準備も必要でしょう。」
「そうね。目の前まで行ったら最後の準備期間にしましょう。」
「この分だと、80が最後になりそうです。」
「そう…長かった。とても長い二年半だったわ…」
「はい。想像を越えた二年半でした…」
リーダー二人が互いの手を握って感慨に更ける。
「…フィオナが居てくれて良かった。」
「お互い様ですわ。私はアリスほど周りは見えておりませんから。」
「それもいつまでかしらね。」
その様子を見ていたアクアがオレの近くにやって来る。
「二人の並ぶ姿も美しいですね…」
「そうですね。正に尊いを体現しているかのよう。」
メイプルまでやって来る。
面と向かって不細工と言われる事もあるアリスの角だが、二人揃って背筋を伸ばし、腕を組んで居る姿は凛々しいという言葉が相応しい。
角がどうこうなどというのは些細に感じるが、欲を言うならもう少し身長を…と思わずにいられない。
「二人とも、一人でも美しいのに、二人並んで手まで繋げばもう尊いどころでは…」
更にココアも加わる。そして、互いに目配せをして一言、
『スクショ機能が欲しい。』
三人の声が見事に重なり、話していた二人が何事かとこちらを見る。
『どうぞ続けてください。』
「え、えぇ…」
「そう言われると恥ずかしいですわ…」
流石に続けられないのか、恥ずかしそうに手を離した。
なんだかんだで息の合うメイド三人。奴隷であることを時々忘れてしまう。
何か報いてやることも考えないといけない。
「三人とも、お話があります。」
『はい。』
カトリーナの呼び出しに、三人の熱が急激に失われる。口答えすることなく、とぼとぼと部屋を出ていく辺り、何か心当たりがあるのだろうか。
「最近、ココアの表情が豊かになってきたわね。」
アリスの言葉に見ていたフィオナも頷く。
「ただ無言で控えている事も多かったですからね。良い傾向、と言うのは年上の方に失礼かもしれませんが。」
「三人でいる姿は楽しそうだからな。バニラも加わって良さそうなもんだが。」
「そのうち、加わると思うわよ?
今は楽器のバリエーション増やすのに、苦労してるらしいから。」
「風の魔法で音を出してるんだよな。」
「そうね。調整は任せてもらってるけど、本当はそこまでやりたいはずよ。」
「どう演奏するのか今から楽しみですね。」
笑顔で言うフィオナ。まさかここまで皆が気に入るとは思ってもみなかった。
「みんな一つずつできるようになっても面白そうだが、難しそうだからなぁ…」
「時間が取れないから仕方ないわ。手拍子で精一杯だもの。」
「学生の頃ならやってたかもしれませんわね。」
「そうかもしれないな。いつもの連中で集まって、フィオナが真ん中で歌ったりな。」
「わ、私ですか…?」
困惑した様子で自分を指差す。
見た目的に、中心で歌ったら見映えが良さそうだが。
「私は歌は…あの頃だと年少組の方が行動していたと思いますよ。」
「そうかも知れないわね。ソニアにも聴かせて上げたいわ…」
「ホームシックですか?」
少し意地悪そうにフィオナが言うが、アリスも分かっているようで「まさか」と笑って否定する。
「旦那様のいるここが私の家よ。でも、それじゃ埋められない寂しさはあるわね…」
「そうですわね。それは分かりますわ。
向こうにいる時は、イグドラシルが恋しく思えたこともありましたから。」
「これだけ存在感あるんだもの。恋しくなるのも分かるわ。」
窓の外を見れば嫌でも目に入るイグドラシル。
眺めているだけなら、信仰の対象になるのも分かる。
この光景からも別れる日が来るんだ、と思うと少し寂しくも感じる。
「イグドラシルから離れる時、どんな気持ちになるのかしらね。」
「その時になったら皆に聞いてみましょう。」
「ええ。楽しみね。」
アクアだけ戻って来たのを見計らい、アリスは作業室へ、フィオナは訓練場へと向かっていった。
「掃除が甘いと怒られました…」
「だと思ったよ。ご苦労さん。」
苦笑いしながら労うが、返ってくるのはタメ息だけ。
「洗浄魔法が使えれば…と思うのですが、カトリーナさんが掃除で使ってるのは外しかありませんよね。なんでだろう?」
「あー、どうも痛んだり、塗装が劣化してしまうらしい。一度、ユキが向こうでやって大変な目に遭ってた。」
「おおう…そんな理由が…って、もしかしてどれもけっこうデリケートだったりします?」
「玄関、応接室のはそうだと思う。ここは物によるだろうな。」
「旦那様の部屋のはどれもそんな感じですよね…気を付けよう…」
ぐんにょりと項垂れ、震え声で心に刻むように言う。短い時間でしっかり怒られたのがよく分かる。
「魔法も意外と万能ではないのですね…」
「調整次第だろうけどな。まあ、緻密な制御をするより、箒と雑巾の方が楽なようだし。」
「わりとよく、皆さんが体を洗浄で洗うの見てますから、感覚が狂いますね…」
「レベルが上がると気付かないようだが、あれけっこう痛いぞ。肌を容赦なく洗い尽くす感じだから。」
「ああ、最初はそんな感じでビックリしましたね…」
「だから服も冒険用と私服で分けてるみたいだな。メイド服は今は共通みたいだが。」
「ユキさんは共通みたいですけど、カトリーナさんは分けてますね。
装甲があるので特別にしないとダメだったそうです。」
アリスと梓の苦労が伺える。
「訓練の様子を見せていただきましたけど、あれだけ色々付いてあれだけ速く動いてあれだけクルクル回れる意味がわかりませんでした…」
「アクアと真逆のタイプだからな。きっと参考にしない方が良いぞ…」
「言われました…でも、対処の仕方は考えろとも。」
「たしかに」
その瞬間、強烈な衝撃が屋敷を揺らした。
アクアが一瞬でオレを守るように覆い被さりながら押し倒している。
「旦那様!」
カトリーナが真っ先に慌てた様子でやって来た。家の中も、外もかなり騒がしい。
アクアと視線だけ交わすと、大丈夫だとはんだんしたのか移動する。
「誰かに魔法を撃ち込まれたわ!攻略班、チェックして!ノラは外に出ちゃダメよ。」
アリスが戻ってきて大きな声で指示を出す。
ノラも不安そうな顔でオレたちの方へやって来た。
「ユキ、」
「行ってきやすぜ。」
全てを言い終える前にユキは影に落ちる。
『宗教連中がやったみたい。二擊目来る。』
部屋に響いてきたのは遥香の声。同時に再び衝撃。
上体を起こして様子を伺っていたアクアが、再びオレに覆い被さる。ノラも頭を守るようにしゃがむ。
声は各所に仕掛けられている、魔力を流すことで屋敷内に伝えられる装置を使っているようだ。
『訓練場側は問題ないよ。』
『庭は植木鉢が倒れた程度だ。…また入口に殺到してきたな。』
『フェルナンドさんたちが動いた。完全に武装してやって来たよ。』
他の場所からも連絡が入る。眉間を指で押さえるアリス。やられっぱなしも癪だろうが、殺戮ショーをするわけもいかず悩ましいところだろう。
「アリス。ここは私が行きますわ。この地で狼藉は許せません。」
「あなたが殺すのは無しよ。」
フィオナが頷き、武装して出ていった。
『フィオナ見えてるよ。』
「周囲のチェックも怠らないで。
…こんなつまらない事、終わりにしましょう。」
かなり頭に来ているようだ、行動してきたとなれば向こうにも対価を払ってもらわねばなるまい。
『フロストノヴァ撃ったね。衛兵たちが蹂躙していく。』
「……」
遥香の報告に眉間にシワを寄せ、口を真一文字にするアリス。
『完全に鎮圧。全員、捕縛されたよ。』
この結果は望んでいなかった形なのだろう。圧倒的な勝利だが、心情的にはそうではないようだ。
「フェルナンドさんと話してくるわね。」
そう言って、アリスは一人で家を出た。
まだ、大丈夫なのか判断がつかず、アクアは覆い被さったままで、ノラも横で不安そうにしゃがんでいる。
『っ!【アンティマジック】!!』
慌てた様子で遥香が魔法を掛けた。
無音。
何も起こらなかったようだ。
『その場で全員処理されやした。
自爆魔法を仕込んであったようです。』
「被害は?」
カトリーナが戻ってきて装置を使って尋ねる。
『道を塞いだ壁が壊された程度ですぜ。魔法は結界を破れず、負傷者もありやせん。』
「分かりました。」
ユキの報告に頷きながら返事をする。
『フィオナ、今日は総領府に行くって。色々と話をするみたい。』
「承知しました。」
『あたしも同行しやす。実家とはいえ、一人にしておけやせんので。 』
「頼みましたよ。」
まだ何か仕事があるのか、再び移動するカトリーナだが、すぐに遥香と二人で青ざめた顔のアリスを連れて戻って来た。
アクアの手を借りてなんとか立ち上がり、椅子やテーブルを伝って近寄る。
「…死んだと思った。」
「アリスさんの防御力を貫通できるとは思えないけど、他の衛兵は危なかったよ。」
本当に危なかったようで、遥香にも少し焦りの色が見えていた。
「遥香、よく止めた。アリス、」
「ダメ、何も言わないで。」
「良い指揮だった。」
「…そんなこと、ないから。」
「少し休みましょう。」
カトリーナに連れられて、アリスは部屋へと戻っていった。
アクアの手を借りて自分の席に座り、平静を装う。肌が粟立つのを感じるが、オレが取り乱してはダメだ。
「…宗教ってここまでやるんだね。」
「私たちの世界でもこういうことはありましたから。」
「そっか…」
戻って来た遥香の言葉にメイプルが応える。
手を出さなかったとはいえ、目の前で人が皆殺しという結末となったのだ。いい気分ではないだろう。
今回は堪えたのか、何も言わずともオレの股の間に腰掛けてきた。
「魔物の命を奪うのを見るのとは違うね…」
「そんなもの、慣れなくて良いからな。」
右手で強張った遥香の手を握る。
いつも、この程度しか出来ないのが口惜しい。
「…何か歌いましょうか。」
「頼む。明るいのじゃなくて良いから。」
「はい。」
ゆっくり、静かな曲が始まり、柔らかい歌声は全てを優しく包み込むかのようだった。
「歌って凄いね。聴かなかったら今晩は眠れなかったかもしれない。」
「そうか…」
歌に惹かれてか、アリスとカトリーナも戻ってくる。
「…もう一回お願い。」
「はい。何度でも歌いましょう。」
アクアに差し出されたイグドラシル水で喉を潤し、メイプルは再び歌い始める。
生者も死者も区別なく悼むかのような歌が更に二度歌われた。
皆、色々と思うところはあるだろうが、今はそれを言葉にする者は居ない。
遥香はいつの間にか眠っており、アリスも穏やかな表情になっている。
今は出来るだけ心穏やかでありたい、というのは皆の共通の思いのようだ。