79話
一週間という休養を経て、攻略を再開する。
装備は改善と完璧な再調整が行われ、少し見た目が変わっている者もいた。
カトリーナとユキを含め、全員で65層からのスタートとなる。
残ったのはオレ、アリス、アクア、ココア、ノラと随分と寂しくなってしまった。前回はアリスも居たが、バニラが居るなら良いだろうという判断のようだ。
五人で見送ると、こちらの少なさにカトリーナが心配そうな顔をして居たが、アリスとアクアが居るから心配するなと言っておいた。アクアもしっかり鍛えられているからな。
二泊三日の日程を変えるか、という事も検討したが、今回はそのままでという事になる。次回も同じ日程になるだろうが、その先は変わるかもしれないな。
「防犯トラップも仕込んであるから大丈夫だけど、いざという時はなんとかするわ。アクアが。」
「えぇっ!?」
「私、対人戦闘は得意じゃないから…援護はするわよ?」
「あ、あたしは戦闘そのものが…」
青い顔で震え出すアクアだが、アリスがその肩をポンポンと叩く。
「まあ、最悪、立ってるだけでも良いから。時間稼ぎしてくれれば何とかするわ。」
「はい…」
あまり納得していない様子のアクアだが、前で戦えるのはアクアだけなので頑張ってもらいたい。
「建物の周囲にしか仕掛けてないけど、ノラは引っ掛からないように気を付けてね。」
「はーい。」
注意喚起が済むと、客人がやって来た。
フェルナンドさんの所の兵と…
「あの子は…生きてたんですね。良かった。」
「ああ、同胞か。」
奴隷落ちした召喚仲間のようだ。
手錠と足輪、ボロ布を纏い、全く手入れされていない髪にあちこち傷だらけと悲惨な状態だ。
扱いが悪いのは分かるが、どうも反抗的で労働力と見られていなかったようである。まともなら、相応の待遇が与えられる職場だったという話なのだが。
アリスが兵に手間賃を渡すと、恐縮した様子で帰っていった。
「…穂苅 楓さん、ですね。」
ココアがそう言うと、顔を誰もいない方へと向ける。拗らせてしまったのか、これはなかなか手強そうだ。
「なんで知ってるの?私はあんたなんて」
「有名バーチャルアイドルであるメイプルの中の人。」
「えっ!?」
「どうしてそれを…」
驚くアクアと穂苅 楓。アリスたちはピンと来ないようだ。当然ながら、オレも分からない。
「まあ、縁があって知ることがあったのです。
あなたの歌と踊りは好きでしたよ。真似したこともありました。」
「…っ。」
顔をしかめ、何かをグッと堪えるような表情になる。
「中でもプレアデスは大好きでした。プレイリストに必ず入ってましたから。」
「…そう。」
俯きながら照れるような、懐かしむようなそんな顔になる。
「中に入りましょう。ここでこの人を晒し者にするのも良くないわ。」
「はい。」
「わかりました…」
アリスに促される3人だが、事前に先導する役に決まっていたアクアを見ると、目をキラキラさせて居るの気付き、肘で脇腹を突く。
「おぅふっ!?…あっ、わかりました。」
アクアも筋金入りのファンだったようだ。
誘導先は訓練場。オレもアリスに引かれて付いて行く。
「…ただの噂話だと思ってたけど、本当に英雄さんはポンコツになってたのね。」
「メイプルさん、旦那様を貶すと首が飛びますよ。物理的に。」
「…ごめんなさい。もう言わない。」
流石に釘を刺しておかないとダメだと思ったのか、アクアが忠告する。
「オレは言われ慣れてるから気にしてないんだが…まあ、気を付けて欲しい。」
「私たちの旦那様は寛容だけど、娘に一人ヤバいのが居てね。過去に一人地下室で処分されたのがいるわ。」
「ひぃっ…」
笑顔のアリスによる物騒な脅しに青ざめて震えだす。
「なんでも…なんでもしますから…命だけは…」
堪らず地べたに体を綺麗に畳み込むように頭を下げてしまった。
「刻印はアクアと同じ四部位。魔法は封印されているけどスキルは…あら。多くないわね。」
看破で見たのだろう。アリスが情報を伝えてくれる。
「前に処分されたのはうちの旦那様を害そうとしたからよ。平穏に暮らすだけなら、ここは良い職場になるわ。」
「多少、戦えるようになる事を求められますけどね。」
「た、戦うのですか…?」
怯えた様子でオレを見る。怖がり方が異常すぎる。
「あからさまに怖がってるわね。何をされたのかしら?」
アリスが尋ねると、恐る恐るといった様子で口を開いた。
「遠くから神下と戦っている姿を見ました…
一番強かったあいつが圧倒的され、全く歯が立たなかったので…」
「ああ、あの場に居たのね。」
国境での戦いの事のようだ。
「あたしは塀の外で撃墜されて見てないんですよ…」
「あ、あなた、あの部隊に…」
「まあ、娘四人もあなたと同じ身の上よ。」
「じゃあ、女王様が常に仰ってた裏切り者とは…」
「そうらしいわね。でも、もう女王も国も無いわよ。あるのは魔物の巣だけ。」
「そうですか…そうなると思ってました。」
滅亡の気配はしていたのか。
「あまりにも無頓着でしたから…何もしない、考えない、受け入れない。その様子に不安は感じていたので…」
「でも、何もできなかった。
…重度の洗脳状態じゃ仕方ないわよ。」
アリスの言葉で項垂れる。
「こんなはずじゃなかった…仕事があって、予定があって、やりたいことがあって…
何一つ出来ずに私は…私は…」
嗚咽混じりで言葉にならない。…が、妙に嘘臭い。
ココアを見ると、こちらの考えを察したのか穂苅 楓の髪を掴んで顔を上げさせる。涙なんて流していなかった。
「わたし、あなたのそういう所は嫌いです。」
そう告げて、乱暴に手を離す。
「私たちだけだから良いけど、一番偉いメイドが嘘や隠し事大嫌いでね。居たら今頃、靴の踵が頭にめり込んでいたかもしれないわよ?
死なずとも、体の自由が利かなくなって放り出されてたかも知れないわね。
私たち一家に、今更悪名の一つ二つ増えたところで変わらないから。」
「も、もうしません!お、お許しください!」
そんな事をしたら不便が勝りそうなものなのだが、この地と召喚者達とでは異なる奴隷象を利用するようだ。
嘘泣きはともかく、言ってることは本音だろう。嘘と本当を織り混ぜる厄介な相手である。
だが、アリスはこのやり取りを楽しんでいるように見えた。
「…中の人ってこんな感じだったんですね。なんだか幻滅しました。」
失望した様子のアクア。こちらは演技ではなく本気だろう。さっきまでの浮かれた様子が消えていた。
流石にこれ以上はまずいと思ったのか、表情に必死さが見えてくる。
オレからも一押ししておくか。
「そういえば、カトリーナのスカートに装甲が増えていたな。踵落としは耐えられそうにないし、躾の時はあれで腕や足の骨がどうにかなる程度に殴ったりするんだろうか?」
「…やりかねないわね。」
「ひ、ひぃ…」
青ざめてガチガチと歯まで鳴らし始めた。
「あなたに求めているのは家事と音楽の能力と多少の戦闘能力だけよ。
私たち一家の一員になるなら、大きな嘘、大きな隠し事、一家への害意、他所に迷惑を掛けることが無ければそれで良いわ。そのくらい、出来るでしょ?」
「はい…」
肩をすぼめ、項垂れながら返事をする。
「では、今日からあなたをメイプルと呼ぶわ。うちでは事情があって、ある程度まで本名で呼ばないのよ。」
「…っ!」
体を起こし、グッと口を真一文字にしたまま体を震わせ、何も言わないメイプル。
「他の名前が良いかしら?」
「い、いえ!メイプルが良いです!メイプルと呼んでください。」
打って変わって明るい表情で求めてきた。
アクアとは違う、表情のコロコロ変わるタイプである。
「歳は?」
「23です。」
「わ、わか…いや、あなたも30越えた辺りだったわね…」
歳を聞き、困惑するアリス。なかなか慣れないようだ。
「アリスさんと同じくらいかちょっと下くらいですよ。」
「…なるほど。」
「もしかして、この世界の年齢は…」
「獣人以外の亜人は長命よ。私も70越えてるし。」
「お、おお…うらやましい…」
「そ、そうなの?」
「若い時期が長いのは最高じゃないですか!
色々な事を長くやれるんですから!」
立ち上がり、長命の利点を力説する。さっきまでのしおしおは何処へ行った。
「時間が足りない、を解決できる唯一の手段を得てうらやましい…」
自分にそれがなく、再びしおしおする。
「Vはその願望の象徴。旬である限り老けませんからね!」
「そ、そう…」
また急に元気になり、言っている事がよく分からないアリスは気圧されてしまっている。
「とにかく、今日のところはまずは我が家に慣れてもらうわよ。」
アリスが指を鳴らすと手錠と足輪が外れた。
たびたび暴れる事があったのか、傷痕がとても生々しい。
「あっ、えっ?」
「アクア、ココア、綺麗にしたら呼んで。服を仕上げるから。」
『はい。』
呆気に取られるメイプルの傷をヒールで治し、浄化も掛けると、二人が腕を掴んで風呂場へと連行していった。
「身長はノラより少し高いくらいかしらね。体型は…まあ、実際に見てからにしましょうか。」
後ろ姿を見ながらメモを取る。
「あなたはノラが躍るところでも見てて。」
「お、おう。」
離れていつの間にか独特の踊りを踊っているノラ。仕方がないのでそれを眺めていることにした。
「お待たせ。新しいメイドのメイプルよ。」
ノラと向かい合って左の頬をむにむにしていると、皆が戻って来た。
髪も姿も整えられ、アクアよりはだいぶ年上だが似たような新人特有の初々しさがある。
「よ、よろしくお願いします。だ、旦那様。」
照れと緊張で顔を赤くし、上擦った声でカチカチの礼をする。
「よろしくな。」
右手を伸ばし、握手を求める。
「は、はい!」
緊張しているのか、手だけを見て握手を返される。
「メイプル。顔も見ような。
手も大事だが、それだけじゃ相手の様子が分からない。」
「あ、はい!」
元気の良い返事をし、しっかりと握手をして来る。
表情にはやる気と元気が戻っており、来た時の卑屈さは洗浄と浄化と風呂で吹き飛んでしまったようにも思えた。
「服はどうだ?」
「メイド服を現実で着るのはなんだか不思議な気持ちです…」
「髪型も変わっているな。」
「メイプルの髪型ですね。」
「んん?」
「Vの…架空の私の髪型です。」
「なるほど。」
「正直、似合ってないのは分かってますが、メイプルである以上、これは譲れません。」
「髪飾りもですね。」
髪留めも何やら特徴的なものを使っていた。
穂苅 楓ではなく、メイプルとしてこれからを生きていくという事だろう。
「それが『メイプル』なんだろう?似合う、似合わないなんて言うつもりはないよ。」
「~っ!!」
感極まった様子で表情が歪む。
「言ったでしょう?旦那様は受け入れてくださるって。」
「うん。そうですね…」
「あなたが掴み取ったセンス、私は嫌いじゃないわよ?」
「ありがとうございます!」
一家のファッションリーダーが認めるメイプルのセンス。
まあ、どんな変わったものでも、度を越えたものでない限り、己の理想を求めた結果を貶すような事はしないからな。
「外注するという話もありますよね。」
「そうですね。でも、大雑把なデザインは私が考えて、商品として整えてもらいました。本職ほど洗練されたものには出来ないから…」
「ああ、確かにそうですね…」
我が家の専属画家が遠慮なしに納得した様子で言う。
このメイド、相手によっては気を害すだろう危うい答えを、するっと出す事があって怖い…
メイプルは当然のことと思っているのか、気にもしていないようだが…
「寄せていくとしたら後は化粧の問題かしらね?実物が見たかったわ。」
「そう言うと思って描いておきました。」
紙に描いた可愛らしい絵をアクアが見せてくれた。だいぶ顔がメイプルとは掛け離れている。
「これは難しいわね…美人、には出来そうだけど。」
「ですよねー…」
「バニラなら何か手を考えてくれるかも知れないわね。まあ、今のところはこれで我慢してちょうだい。」
「いえ、もう十分…」
顔の前で両手を振り、遠慮しようとするのをアリスは力ずくで止めてしまう。
ここまで熱心なのも珍しいな。
「妥協は無しよ。とことん突き詰めましょう。あなたのセンスをもっと見せて欲しいし。」
「…分かりました。」
ぐっと握り拳を二つ作り、やる気はあると見せると、アリスも妙に乗り気な様子で笑顔を返した。
「問題は音楽の方なんだけど。」
「そっちは完全に自作です。編曲は外に頼んでましたが。」
「これは弾けるかしら?」
アリスが亜空間から何か出し、メイプルの前に置く。
無言で白、黒のスイッチを押していくと音が鳴り、首を傾げる。
「これ、音が全然合ってませんよね。」
「みたいね。誰も正しい音の導き方分からないのよ。」
「調律は?」
「出来るようならやりましょう。音はあなたが決めてね。」
「分かりました。」
オレがアクアの方を見ると、意図に気付いたのか手を差し出してくれる。
ココアも頷いて三人で食卓へと移動した。ノラは興味深そうに近くで二人の様子を眺めている。連れ出す必要もないだろう。
「…ショコラみたいな事にならなくて良かったよ。」
「認めてもらったというのが嬉しかったのでしょう。自信を喪失していた様ですから。あ、それ見せてください。」
ココアが絵の描かれた紙を、感慨深そうな面持ちで眺める。
「プレアデス、もう100年以上聴いてないんですよね…
どんな歌だったっけな…」
「あ、そうでしたね…
あたし、この元のイラストも好きなんですよ。初期の頃ので本人が描いたのか、上手くはないんですけど勢いがあったので。」
「元より凄く上手じゃないのですか?」
「…それは言ってはいけません。」
懐かしそうに色を塗られていない絵を見る。
居間からは整ってきた楽器の音が止まったと思うと、歌声、というにはあまりにも酷い声が聞こえてきたが、それも少しずつ改善されていく。
「おお…なんかすごいですね…」
「天下に手が届きそうでしたからね。そっか…あの世界はこの歌声を失ったんだ…」
「ココア、随分と入れ込むな。」
「何もかも虚像の存在でしたけど、歌は間違いなく本物でしたからね。それは『私たち』の総意ですよ。」
静かな曲が始まったかと思えば急に勢いが付く、緩急のある曲が聞こえてきた。
口を半開きにして聞く二人の目が潤むのが分かる。
この曲が心を揺さぶっているんだな。
「もう…二度と聞けないと思ってました…酷いけど。」
「私も…二度と聞けないと思ってました…酷いけど。」
「歌と無縁の生活だったんだろう。許してやれ。」
『はい…』
容赦ない二人を諌める。
酷い歌声だが、曲は確かに心踊るものがある。
「アクアの絵に負けない曲だ。」
「天下を取れそうだった物と比べられるのは恐縮です…」
「そうですね。どちらも間違いなく素晴らしいものですから。」
むず痒そうに照れ笑うアクア。
繰り返し流れてくる歌声は、少しずつ調子を戻していく。だが、完璧になるのはまだまだ先の事だろう。その日が来るのをオレたちは楽しみに待つことにしたのだった。