75話
「差し込む月明かりに照らされる皆様が美しかった…」
鼻に布を押し込み、恍惚の表情で朝からそんな事を言い続けるアクア。初めてじゃないだろうに。
「いっそみんなでカトリーナ様やアリス様のような御召し物を…」
「アクアも着るんだよな?」
「えぇっ!?」
バニラがそう言うと、何処から出てるのか分からないような声を出す。
「わたしより様になると思うんだ。」
「いやいや地味な私にはとてもとても…」
「浴衣の方が良さそうじゃないかなー?」
「確かに…その発想はなかった。
梓、アリスに説明できるか?」
「出来ると思うよー。シュウちゃんとハルちゃんにも着せたいねー」
「いや、遥香はリナ母さんの方だろう…いや、待て、どっち着せても良さそうだな?」
「分かります。」
力強く同意した結果、真っ赤に染まった詰め物が吹き飛ぶアクア。落ち着きたまえ。
最近、カトリーナをリナと呼ぶようになってきた娘たち。本人の前ではまだ呼んでいるのは見てないが、どんな反応をするのだろう。
「でも、浴衣は素材がな…」
「綿かそれに近い素材かー…その辺はアリスおかーちゃんに聞かないとね。」
「そうだな。それが一番だ。」
寝起きの女子たちの会話はこれで終わり、左で寝てたバニラがさっさと起きていなくなる。オレも起きようとするが起き上がれない。ココアに完全に組み付かれていた。
「旦那様、ダメです。起きたら大変なことになります。」
淡々とした声でココアが警告してくる。
「なんだ?どうした?」
「あぁ…おとーちゃん、ならず者がまたやらかして…」
「あたしを抱き枕にするのが悪いんです。」
「ユキか…」
「パワーダウンしたのに離せなくて動いてたらボタンがですね…」
「ココアの方向いてるからなんとかしてくれ。」
「!!」
「どうした?」
「いえ…なんでも…」
小さなココアがオレの胸に顔を押し付ける。
どうしたら良いか分からず、頭を撫でた。
「旦那様はたらしですねー」
「梓、そういうことはだな…」
「てへっ」
そう言って、そそくさといなくなる。
「ほら、ジュリア様も起きてー」
「もう少し…」
「うおおお…旦那に触れられそうで触れられない…」
オレの後ろではノラに揺さぶられてもジュリアが起きないことで、抱き締められているユキも動けずにいた。
「別人、違う人、別人、違う人、でも…」
ココアがぶつぶつ言いながらオレの胴体に腕を回し、しっかり体を押し付ける。
「やっぱり、匠は匠だよ…」
「そうか。」
再び頭を撫で、好きにさせてやる。
「ずっとこうしていたい。」
「ダメだ!早く起きろ!朝食が片付かないじゃないか!」
メイド服に着替えてきたバニラが、入り口辺りで大きな声で言う。すっかり気に入ったようだ。
「そうしてると、どっちがココアか分からないですぜ…」
「私の方が少し色が白…ああ、日焼けしてしまったんだった…」
「ふふ。それならどっちか分からないな?」
小生意気な笑みを浮かべ、バニラを煽る。
「いや、顔付きや髪の長さが違う。バニラの方が気が強そうな雰囲気があるんだよ。」
オレがそう言うと、二人は同時に顔を赤くして、
「ちゃんと見分けて貰えるのは嬉しいな。」
「ああ、そうだな…って、お前は早く起きろ!」
ココアはレベルの高いバニラに引き剥がされると、名残惜しそうに部屋を出ていった。
「ジュリアはいつまで裸で居るつもりだ。父さんが起きれないじゃないか。」
「んー?えっ、ええっ!?」
「けしからん体型をしてるからですぜ。」
「や、やめ…」
何とも言えない声がジュリアから漏れ、とても居心地が悪い。
「ユキもそのくらいにしておけ。触りたい気持ちはよくわかるが。」
「アリスといい、この憎らしい物体が憎らしい…」
ペチンペチンと音がしていたが、白いならず者はいったい何をしていたのか。
ユキも自由になれたからか、ベッドから速やかに下りて部屋を出ていった。
「…後で直さなきゃ。」
「そのままで大丈夫か?」
「うん。押さえておけば見えないから。」
「じゃあ、着替えてこい。」
「ごめん…ちょっと力が入らなくて立てない…」
「四つはやりすぎだったな…あとで三つに減らしたの渡すよ。」
「ごめんね。」
ジュリアも起きて出ていったのか、ようやく静かになる。
「…こういうのもたまには良いな。」
「たまにで抑えておいてくれ。トラブルが多くて困る。」
「まんざらでもなさそうだったが。」
「そうでもないと、とっくに心がおかしくなってる。」
「それもそうだな。」
そう笑いながら言って左手を差し出してくれる。
「さあ、起きろ。今日も一日が始まるぞ。」
今日は頼りになる長女に手を引かれ、起き上がり、立ち上がる。
カトリーナとアリスがいない朝。だが、バニラの笑顔がとても心強く感じられた。
いつも通りやることのないオレだが、今日はフィオナ、柊、アクアと街に出ていた。
こちらに来てからの外出先は、フィオナの実家かイグドラシルくらいだと言ったら、悲しそうな顔をするフィオナに提案された。アクアも同様の理由で連れて来ていた。
「やっぱり、フィオナがいると注目されるね。」
「ヒガン様が歩いている、という事もありますわ。」
「補助器具のおかげだけどな。」
流石に背負われる訳にもいかず、杖では遅すぎるので補助器具を着けて歩いていた。
自力で、では全く無いので歩いていると思われるのは微妙な気分ではある。
「大陸中央のルエーリヴほどではありませんが、ここもイグドラシルのお膝元。信仰と交易が集中する街ですわ。」
「名前はないんだよな。」
「そうですわね。イグドラシルという分かりやすい目印がありますし、入口が四方一つずつしかございませんから。」
「信仰の象徴だから名前は烏滸がましいという事か。」
「はい。我々は恵みを享受するだけですから。
…だからと言って、魔物の巣にしておくのもどうかと思いますが。」
どうもその方面からの嫌味が来ているようだ。
信仰の対象として大事なようだが、総領府はスタンピードの種を放っておく気も無いらしい。
旧ヒュマス領で戦っているからこそだとも思うが。
「今日くらいはそういうのは無しにしましょう。あのお店の甘味はおすすめですよ。」
「おおー!旦那様、行きましょう!」
甘いものと聞き、アクアが目を輝かす。
我が家でも甘いものは出てくるが、作る知識がなくて機会が少ない。
まだ出てきたばかりだが、今日くらいは付き合ってやろうとフィオナに誘われるまま、オレたちは店の中に入っていった。
オススメというだけあって味は良く、定員の対応もとても良かった。アクアとオレは追い出される可能性も考えたが、フィオナの前もあってか流石にそれはなかった。
まあ、ニコニコ顔でべた褒めするアクアに対応してくれていたので、フィオナの前だけという事もないのだろう。
更に二軒回ってオレはもう食べられないと注文を辞退すると、フィオナがとても悲しそうな顔をしたのがとても辛い。でも、無理なのは無理なのだ…
店員にも事情を話すと、飲み物だけでも良いと言ってくれたので助かった。オレの分を含めた以上に三人で食べていたがどうなってるんだ。
というところで流石に腹がいっぱいになったのか、お茶を飲みながらの休憩となった。
食べ物や行き交う人々の衣服についての話が多かったが、ふと気になったので尋ねる。
「そう言えば、アリスとソニアも良好と言える距離感じゃなかった気がするが、フィオナとジュリアはどうなんだ?」
覚悟はしていたのか、少し遠い目で外を見る。丁度、年頃の姉妹のような二人が、興奮した様子でフィオナに手を振って通り過ぎた所だ。
フィオナも手を振っているが、明らかなな作り笑顔である。
「姉妹はどこも似たようなものですわ。必ず一つ、二つ決定的に許せない事があるもの。
まあ、私の場合はあの馬鹿力のせいで近付きたくないというのが理由ですけど。」
呆れたような、でも、少し寂しさを感じる表情だ。それさえ無ければ、という所だろう。
「パーティーメンバーとしてはどうだ?」
「正直、ついて来れず、足を引っ張っているという場面が多いです。ですが…」
そこで一度区切り、お茶を一口飲む。
「助けられた場面もとても多いのです。あのパワーは代えの利かない強みですから。」
「そうだったか。」
「でも、アクアが育ってくると、居場所が失くなるかも知れませんわね。」
「えぇ…」
聞いていたアクアが何とも言えない表情になる。
「やめなよ。アクアが本気にしちゃってるよ。」
柊の言葉にフィオナが舌を出して誤魔化す。
「最初はどうかと思っておりましたが、今では弓の腕も確かなものです。外すのは余程の理由がある時になるかと思いますわ。
例えば、フォローしきれないほど熾烈な罠とか、徹底的に遠距離攻撃を防御するとか。」
「後衛が姉さん一人じゃ足りない事がなかなか起こらないんだよ。前衛にフィオナと遥香もいるからね。」
「足も速ければカトリーナ様と並ぶ逸材となれるのですが…」
たしかに、カトリーナはパワーだけでなく、スピードも凄い。それどころか手加減したり、料理も上手かったりと万能感がある。欠点は魔法がやや苦手というところか。
「なるほど。速さも大事なんですね。」
「むしろ速さが大事なのです。速さが無いと対処できない事が多いので。
パワーは現状、武器やエンチャントで誤魔化しが効きます。
ですが、スピードは違います。スピードは己の分を越えると、途端にコントロールが出来なくなります。走り過ぎるだけなら良いですが、意図しない激突は致命的ですので。」
体勢が崩れるどころの話じゃないだろう。それが文字通り命取りにもなりそうだ。
「スピードかぁ…自信ないなぁ。」
「動く事よりも対応出来る、という事が重要なのですよ。
アクアは大剣ですので、最少の動きで対処する事を考えれば良いのです。動くのは私たちの役割ですわ。」
「この前、カトリーナとやり合った時、体は見えているのに腕が見えなくて妙な感じだった。」
「旦那様にはそう見えていたのですか…」
「それこそが求められる動きですわ。むしろあまり動かないでいただいた方が、私たちは動きやすいですので。
大剣が動く時は、必殺を確信した時です。」
そう言いながら、人差し指を振って見せる。
パワーだけでなく、スピードも乗ればそれは止められるような一撃ではないのだろう。
防げば遥香や柊にとっては大きな好機に、避ければバニラやジュリアの遠距離攻撃が飛んでいく、という感じだろうか?
「必殺を確信…」
「アクア、それはとても難しい事だよ。心技体が整わないと足を引っ張る事になるどころか、死に踏み込む事になる。」
「大剣は弾かれた時、外した時の反動が大きいですわ。ですが、慎重さと大胆さを兼ね備えた大剣使いは本当に心強いですもの。
一日も早く追い付いてくださいませ。」
「は、はい!」
笑顔でフィオナに言われ、赤い顔で感激した様子のアクア。
「今の心境は?」
「ヤバイです。フィオナ様に期待されてる事もですが、笑顔がホントにヤバイです。誰ですか氷結令嬢なんて的外れなことを言ってるのは。」
オレの問い掛けに本音を包み隠さないアクア。
言われたフィオナは困惑を隠せず、柊は苦笑いを浮かべる。
「えぇっ!?そんな風に言われてるのですか…」
「理由は色々あるよね…」
「フロストノヴァとか、厳しい時の振る舞いとかな。」
「それは…心当たりが多過ぎて否定できませんわね…」
こうして昼のお茶会は終了し、服やアクセサリーなどを冷やかしてから、お菓子をお土産に帰宅したのだった。
「フィオナ、ジュリアと寝てやらないのか?」
「もうそんな歳ではありませんわ。でも…」
「でも?」
「締め殺されないなら一度くらい良いかなと…」
「ジュリアに伝えておくよ。」
「あっ…いえ、お願いします…」
この晩、二人は仲良く同じベッドで寝ることになり、ジュリアとフィオナが手助けしたバニラはとても感謝される。
本当に幼い頃以来のようで、エルフという長命だからか数十年ぶりの事だったそうだ。
ただ、朝はやっぱりジュリアに組み付かれてしまったようで、救出されるハメになってしまったが…
「デバフ魔法も捨てたもんじゃないな。」
翌朝、一仕事終えたココアにバニラが嬉しそうに言う。
「そうですね。効かなすぎて意味がない、と思っていましたが、そんな事も無いのですね。」
「アクセサリーにしてしまえば確実に効くからな。こんなの縛りプレイにしか使わないと思っていたが、スキルと共に生きる世界での切実な問題を解決する手段になる。」
効きすぎるからと回収したネックレスをバニラとココアが眺めていた。
「魔法術式士冥利ですね。」
「そうだな。ところで…」
「ダメです。わたしの魔法は教えません。
こんな目に遭うのはわたし一人で良いんですよ。」
「…力になりたいんだがな。」
「お気持ちだけで十分です。」
何度目か分からない二人のやり取りは、いつも通りの形で終わった。
なんとかしてやりたいが、今のオレ達にはなんともならず、もどかしいのもいつも通りだった。