68話
焦らず慌てず準備をし、2日が経つ。
荷物を背負うかのように遥香に背負われる事になり、その為の器具が作られた。
足が着かないよう、膝をやや立てるように座る感じだろうか。その状態で肩、胴、腰、腿に幅の広い紐で固定される。チャイルドシートみたいだとバニラに言われ、召喚組全員から気の毒そうな視線をいただくことになってしまった。
試しに背負って貰ったが、クッションと毛皮のおかげでかなり快適である。めちゃくちゃ動かれてもへばるのがオレだけなら安心である。
念のためのボウガンも用意してもらった。
素材はイグドラシル中層後半の物。メイジ・キマイラの骨がベースで、稼働部にイグドラシルの枝が使われている。わりとそこらに落ちてるので貴重ではないそうだが、装備素材としては最高品質であるのは違いないとのこと。枝がよくしなるので釣竿にもしてもらった。動けるようになったら使いたい。
ボウガンという名と形ではあるものの、実態は矢ではなく魔法が込められた魔石を利用するマジック・ボウガンと呼べる物。魔石はちょうど良い形に加工してあり、撃ち終えれば自動的に次の魔石が装填される。
弾倉はボウガンを背負い器具の指定の位置に置いてレバーを引けば交換出来る仕組みになっている。
連発、単発の切り替えも手元のスイッチで切り替え出来るが、反動が思いの外キツく素手では数発が限度。単発に至っては握っていられないという有り様だった。
その問題の解決の為に、パワー・ガントレットという補助具を装備する事になる。本来は手袋状らしいが、左右共に両腕をしっかり肩まで覆っている。これを使っても左の指が動かないのはどうにもならなかったが、物を支えるには十分だ。
この器具を使ってもロクに動かない指を見て、梓が悲しそうな表情になってしまったのが目に焼き付いている。
左腕に関してはゆっくりだが上下左右になら動かせるので、肘の上から指先まで完全に稼働しないようにしてもらった。これなら押したり、動かない指で何か引っ掛けたりも出来る。
パワーガントレットは試験的にだが、カトリーナも装備している。こちらは腕力の強化と腕の保護が目的だ。
高級メイド服の上の胸当てに加え、スカート部分的に覆うような装甲が装備されている。靴はイグドラシル産の魔物素材のブーツ。ユキも似たようなものだが、ガントレットではなくグローブ、カトリーナと比べると他も軽装となっている。
素材が揃って来て、背が伸び続ける遥香の装備も一新するそうだが、それはまだ先になるようである。
「じゃあ、行ってくる。」
「アクア、後は任せましたよ。」
留守番組に見送られながらオレたちは出発する。
「ま、任せてください!」
眠れてないのか、アクアは大きな隈が出来ていた。
「ココア、アクアを頼むぞ。」
「わかっております。」
緊張でガチガチのアクアの後ろにいるココア。アクアの事はこっちに任せれば大丈夫だろう。
出発の挨拶を終え、オレたちは急いでイグドラシルへと踏み入った。
パーティーリーダーはオレだったが、こちらも表示が壊れているのが気になり遥香に委譲した。
遠くから見るとイグドラシルは一本の樹にみえるが、間近だとそうではないことがよくわかる。
無数の樹が外枠を作り、内部は数本の大木による螺旋状のダンジョンといった様相だ。
一本一本が大通りのような幅があり、魔物が陣取って居ても通り抜けるのも容易らしい。この機動力の高い三人だからこそ、というのもあるかもしれないが。
巨大なだけあって距離感も危うくなる事がある。戦闘はなるべく回避しているが、時々攻撃が飛んでくることもあった。
「そろそろボスだけど、秒で蹴散らしておくからね。」
「いえ、私たちに少し戦わせてください。」
「…そうだね。そっちが良いかな。」
しばらく移動すると開けた場所に出てくる。
遥香が立ち止まり、体を横に向けてオレに様子が見えるようにしてくれる。
「じゃあ、お願い。」
二人は得物を手にオレたちの前に出る。
現れたのは巨大な蜘蛛だが、その大きな体躯に似合わず、音一つ立てずに静かに落ちて来た。
【インクリース・オール】
【エンチャント・ファイア】
【エンチャント・ファイア】
遥香以外の二人は同じ魔法を発動する。
カトリーナが一歩進むと、その背後に回ったユキが影に落ちた。
蜘蛛が威嚇行動をした瞬間、カトリーナの姿は向こう側にあり、蜘蛛の腕?が切り落とされている。
完全に見失っている様で、こちらに向かってこようとした瞬間、カトリーナが蜘蛛の尻?を落下しながら蹴りつけていた。
蜘蛛が方向転換し向こうを向くと、ユキが蜘蛛の尻?に短剣を突き立てている。
【バースト】
短剣を中心に爆発が起こり、ユキも衝撃で飛ばされるが蜘蛛の影へと落ちる。
再び蜘蛛がこちらを向こうと方向転換しようとするが、左足側から崩れ落ちてしまった。
オレたちの目の前にカトリーナの背中があり、移動のタイミングを狙って足を切り落としたようである。
残った右の足を使い、オレのように這いずってこちらを見ようとした瞬間、影から飛び出たユキが首を斬り飛ばしていた。
「まずまずといったところでしょうか。」
武器を洗浄と浄化でキレイにし、鞘に納めた。
この黒い風のように動ける方の仰る『まずまず』は何に対する『まずまず』なのか、恐ろしくて聞けそうにない。そのくらい一方的な戦いだった。
「うーん…お母さんの体、どうしてそんなに曲がるの…」
遥香がオレを気にせずに体を捻ったりし始める。
「旦那様が振り回されてますよ。」
「ああっと。ごめんごめん。」
慌ててやめてくれる。縦の動きを始めたらどうしようかと思ったぞ。
「日頃の鍛練の成果です。」
「こっち手伝ってくだせーい。」
少し照れ臭そうなカトリーナを、素材取りをしていたユキが呼んでいた。
「なるほど…体の柔軟かぁ…」
得るものがあったようで、遥香はさっきの光景を思い起こしているようだった。
相変わらず、オレは止まってる時しか見えてないが。
「お父さん、レベルは?」
「63になってる。5つくらい上がったな。」
「そんなに上がったのですか?」
「あたしも二っつ上がって45ですぜ。」
「…なんか悪いな。」
見てるだけでレベルが上がるのはなんだか気持ちが悪い。
「体やステータスはどうですか?」
「ステータスは壊れたままだし、足の感じも変わらないな…」
「そうですか。もしかして、とは思っていたのですが…」
二人は残念そうにオレを見る。
「上がるのが分かっただけ良いよ。後は信じて進もう。」
「そうですね。」
「早く進みやしょう。やっと調子が出てきた気がしやすぜ!」
久し振りにレベルが上がって嬉しいのか、ユキがとても張り切っている。
「次のボスは三人でやろうか。私が引き付けるよ。お父さんは退屈だろうけど。」
「旦那、絶対に振り回されやすが平気ですかい?」
「お、おう。大丈夫だ。」
苦笑いをする二人を眺めながら先へと進む。
ボス部屋の次に必ずある中継ポイントに触れ、ここへいつでも来れるようにする。
上を見るとまだまだなのだと思わされるが、時々隙間から見える外の光景は、ここが既にかなり高いところにあると教えてくれていた。
一日目が終わり、オレたちは窪地のような場所に結界を張って休むことになった。
「三人ともお疲れ様。」
「お父さんもお疲れ様。座り続けるの辛くない?」
「一日座りっぱなし、振り回されっぱなしはあたしに真似できやせんよ…」
気の毒そうな視線を向けてくるユキ。体がどうにかなりそうな瞬間もあったが、わりとなんとかなっていた。
カトリーナの手を借り、立って少しだけ歩いたり、体を動かしたりする。
「まあ、見た目ほどジッとしてる訳じゃないからな。結構、細かく動かす機会はあった。」
遥香が全員に洗浄と浄化を掛けていく。
気持ちが少しだけ楽になった気がする。
「これがバニラ様直伝の洗浄ですか。アリスのとは大違いですぜ。」
「リラックス効果もあるんだよね。気が抜ける感じが嫌で、レイドボスの時は遠慮してたけど…」
「ああ、それであんなことに…」
「習慣にはなってたけど、寝る前と起きてからしか使ってなかった上に、徹夜で走り続けたのが良くなかったから…」
遥香なりに必死だったのだろう。
あの時は何もかもが初めてで、空回りしてしまっていたに違いない。
「綺麗になりましたし、簡単にですが夕食にしましょう。」
簡単という割には量の多い食事が用意され、満腹になってしまったが、それはどうやらオレだけのようだ。三人は八分目以下、まだ足りないくらいのようだ。
「オレに遠慮しなくて良いぞ?」
「いえ、朝を多めにしようかと。見張りもあるので夜食を用意しますし。」
「なるほど…」
「あ、旦那様は眠ってて良いですからね。」
「見張りの役に立てそうにないからな。」
「話し相手になってくれても良いんですぜ?」
「起きられたらそうするよ。」
苦笑いをしながらオレは這って寝床に入る。
寝床に就き、大きく息を吐いた。
凄かったとしか言い様のない三人の動きが目蓋に焼き付いている。
オレにこんな三人に認められる動きが出来るのか、不安しかない。
戻れなかったらという恐怖心を抱きながら、オレは眠りについた。
今日もしっかり眠れた。
嫌な夢を見た気がするが、覚えていない。それはもう毎日の事なので気にしていられない。
もぞもぞと、なんとか右腕と右足を使って寝床から這い出ると、遥香が見張りをしていた。
「おはよう、お父さん。いつも通りの時間だね。」
「そうか。意外としっかり眠れたな。」
「意外と図太いとこあるよね。」
「まあ、そうでないとこんなところ来れないよ。」
「それもそっか。
うん、私たちのお父さんだもん。そのくらいじゃないと。」
そう言って、オレに洗浄と浄化をかけてくれる。とても心地よく、寝起きの辛さが吹き飛ぶようだ。
「ありがとう。」
「どういたしまして。はいお茶。」
受け取って一口啜る。飲み慣れたいつものお茶だ。
「うん、美味しい。」
「良かった。なかなかこの味にならなくて苦労したよ。」
「そうだったのか。」
「うん。どうすればお母さんの味になるか、ずっと見てたから。」
「なるほどな。」
もう一口飲む。やはりいつもの味だ。
「実は、最初はなんか嫌だったんだ。
お茶そのものの風味が知ってるのと全然違ったから。」
「そうか。」
「あ、お父さんは比べようもないのか…ごめんね。」
気付いて、慌てた様子で謝ってくる。
「いいよ。もう慣れたから。」
「…うん。緑茶の様な苦味も、紅茶のような香りも、麦茶のような風味もない。そんな全く違うお茶。コーヒーとも違う。知らない場所の味。それが嫌だったんだよ…」
「ふむ…」
「でも、この大陸のお茶はこれしか無くて、それでいて場所によって全然味が、香りが違うんだよ。
喫茶店は喫茶店の、貴族の家は貴族の家の、それぞれの家庭の味が、香りがあった。
不思議だよね。入れ方も葉もみんな同じなのに。」
「そうだったのか…」
「理由はね、魔力だったんだ。魔力に反応して色々と変わるの。だから、いつもの味は私にとって褒め言葉。苦労して導き出したお母さんの味だからね。」
「そうか。」
もう一口。本当にいつもの味だ。いつもの椅子で、いつも見ている…いや、王都のいつもの席からの光景が蘇る味…
「なんだか、懐かしいな。エルディーが遠く感じるよ。」
「…そうだね。でも、また帰れる。きっと遠くない内に帰るから。」
決意に似た遥香の言葉。その思いはオレも負けるつもりはない。
ロクでもない事も多かったが、住み慣れた場所に違いはないのだ。
「…遥香も大きくなったな。体だけじゃない。心もだ。」
「…生意気なクソガキだって言わないの?
やっと見返せた気がするけど…まだ、子供だよ。背伸びをしてるだけだって痛いほど分かる。時間、経験が無いと学べないことはいっぱいあるんだね…」
「そうかもしれないな…」
「私、お父さんみたいになれる気がしない。そこまで受け入れられる気がしないよ…」
「オレだって受け入れられていないよ。受け入れていたらここにいない。」
受け入れられないから転生にすがっている。オレだってもっと皆の力になりたい。
「そっか…そうだよね…」
「みんなが居るからここにいる。一家に支えられて、やっと立てるだけの情けない中年だ。」
「支えてる人は、みんなお父さんが導いた人だよ。情けないのは今だけだって、みんな知ってるんだから。」
身を少し乗り出し、訴え掛けるような遥香。
諦めないし、諦めさせないという気持ちが伝わってくる。
「なんだか余計に情けなくなってきたよ。」
少し、茶化し気味に言う。
ちゃんと伝わったようで、遥香の顔に微かな笑みが浮かんでいた。
「でも、その情けないお父さんに救われた心もあるよ。私も、アクアも」
「私もです。」
カトリーナが起きてきて加わる。
「きっと元の旦那様なら私とここまで親しくしてくださいませんでした。母親代わり止まりだったでしょう。お嬢様方もです。
いつかバラバラになって、一人で旅立つのが早いか、遅いかでしかなかったかもしれません。」
「そうか…」
「これはきっと旦那様だけでなく、皆様にとって益になる状況です。信じてください。私たちは身命を賭してお支えしますので。」
片膝を着き、右手を左胸に当て深々と頭を下げるカトリーナ。
これは最上級の礼だからと、遥香とソニアが練習しているのを見て知っていた。
この関係は違う。そんなものは求めていないし、受け入れられない。
「やめてくれ。軽々と命を棄てられたらオレが生きていけない。オレのために命を賭けるのだけはやめて欲しいんだ…」
頭を下げてお願いする。それで生き延びても、心が耐えられる気がしない。
「きっとそんな事のためにオレも皆に期待したんじゃないと思う。死ぬくらいならオレを置いて逃げろと言うと思うんだ 。」
ハッとした表情で今度はカトリーナさんが頭を下げた。
「…申し訳ございません。そうですよね。旦那様はそういう方でしたね…」
そう言って、オレの左手に触れる。
「でも、私は言いましたよ。地の果てだろうと付いていくと。死の向こう側だろうとご一緒させていただきます。」
「お互い、簡単には死ねそうにないな。」
遥香が咳払いをする。
「素敵だけど、娘がいないところでやって欲しいな。あと、魔法で守られているけど危ないからねここ。」
『ごめんなさい。』
二人同時に頭を下げて謝る。
その様子がおかしかったのか、遥香が笑い始めると、オレたちも釣られて笑っていた。