65話
オレとバニラ、アクア以外の全員が本名で名前を呼ぶことになった。
バニラはココアも居て、同じ名前のアリスが居る事と、ネグレクト気味で家族と仲が良かった訳ではなく、元の名前にも言うほど愛着がなかったのが理由のようだ。
「旦那様はどちらがよろしいですか?」
カトリーナに言われて迷う。
「ショコラの話だと、元の世界の記憶があったように思えない。だったら、もうヒガンのままで良いよ。」
「…そうでしたね。」
娘たち全員がしょんぼりした様子になる。
「どうした?」
「…なんか、ヒガンそっちのけで話をしていた気がして。」
「いや、楽しく聞かせてもらってたよ。それに、他に本名を持ってるのはアクアくらいだし。」
「あたしも持ってやすぜ。カトリーナさんもあるのでは?」
「私はそもそも名前なんてありませんでしたよ。その都度、違う番号で呼び合うくらいでしたから。」
とんでもない過去を晒してくるカトリーナ。
なんだか、訳ありが多い気がしてきた…
「そ、そうでしたか。」
「おかーちゃんってシンデレラガールだよねー。
名前も無いのにエディさんに拾われて、今はこうしておとーちゃんと一緒。まるで物語のヒロインみたい。」
「…そうなのですか?あまりそういう物語は読んだことがありませんので。
ただ、皆様と一緒に暮らせて幸せなのは否定しませんが。」
「おかーちゃんの幸せオーラがまぶしい!」
「おのれぇ…おのれぇ…」
「お姉ちゃんもめげないねぇ…」
ものすごい顔でこちらを見るバニラ。
何をどう言えば良いかわからない。
「あ、おかーちゃん、武器の要望聞きたいから後で訓練場に来てね。」
「分かりました。」
今は遥香のに取り掛かっているそうだが、次はカトリーナのだろうか。バンブー…梓も休みが無いように見えるが大丈夫だろうか。
「訓練場が遠くなって見れてないんだが、アクアはどういう武器を使うんだ?」
「大剣ですよ。」
予想外の武器が出てきた。
あの立て掛けてあった大きいものは、アクアが使っていたのか…
「私とは真逆のスタイルなので多くは教えられなくて…」
申し訳なさそうにするカトリーナ。
確かに、スピードで戦うタイプのカトリーナでは基本しか教えられないだろう。
「父上に相談してみましょうか。
パワー型の武器の扱いには、長けているでしょうから。」
フィオナから提案を受ける。確かに、あの厳つい総領様なら上手く扱えそうだ。
「頼めるか?」
「お任せ下さい。」
総領様に挨拶したばかりなのになんだか申し訳ない。
「アクア、私たちも同行しますよ。しっかり挨拶はしておきましょう。」
「はい!」
どういう訓練が待っているか分からないが、期待に胸を膨らませている様子のアクア。
しっかりしごかれてきたまえ。
「じゃあ、旦那はあたしと草むしりでもやりやすか?
暑くなってきたら庭の雑草が元気を出してやして…」
「オレで良いのか?」
「右腕は大丈夫そうですし、低めの椅子に座りながらいけると思いやすよ。」
力の入る右手を開いたり閉じたりしてみる。
「それならわたしも…」
「バニラ様はポーション作りの手伝いをしてやってくだせい。
あれは他の者には無理ですんで。」
「よろしくね。『アリス』。」
「なんだか急に付き合い難くなったなアリス…」
頬を膨らます口が悪い方のアリス。
「そう?私は距離が近くなった気がして嬉しいけど。」
「ちゃんとバニラと呼んでくれ…アリスにアリスと呼ばれるのは複雑だ。」
「私たちが呼び合う分には良いと思うけど、そうでもないのね…」
「アリス様、わたしもおりますので。」
「あ、ココアも居たわね。ごめんね、似てるけど同一人物だって忘れちゃうから…」
「それはそれで悪い事ではないのですが。」
経験の差だろう。経た年数の違いで個体差が、という言い方はあれだが、出ているようである。
全員並べると、それはそれでうるさくなりそうだが…
「…ココアは嫌じゃないのか?カトリーナさんにヒガンが取られるのが。」
唐突にバニラが問い掛ける。
やはり何処か納得いかない様子で、こちらを見ている。
「…思うところはあります。でも、今回は間違いなく、カトリーナさんが旦那様と寄り添う時間が一番長いですから。」
言われてみればそうだ。
ユキも長いのだがどうも距離がある。命を救った、という関係のせいだろうか?
「それに、あの晩、旦那様の背中を独り占めして気付きましたから。この人は私には優しすぎるって。」
「わたしより進んでるのはどういうことだ…」
二十歳過ぎがベソをかき始める。
「こっちに来い。」
手招きすると恐る恐るバニラがやって来たので、そのまま抱え込むようにオレの股の間に座らせた。
抵抗なら容易くできたはずだ。だが、全くその素振りはない。
最初は体が強張っていたが、徐々に力が抜け、すぐに軽い体を全てオレに預ける。
「…もっと早く、こうしてもらえば良かった。
わたしが出会ってから求めていたのは、この感じだったのかもしれない…」
落ちないよう腹に回したオレの手を、愛しげに触れる。
「梓や柊にこれは出来そうにないからな。許してくれ。遥香は…いつまでできるかな。」
そう言うと、三人は少し照れた様子で笑みを浮かべる。
「体が小さいのは悪いことしかないと思っていたが…そうでもないな。」
「まあ、体はともかく、気持ちは大人になってもらいたいがな。」
「…善処する。ヒガンの声が耳以外から伝わってくるのが心地良い…」
少し涙声になっていたので、落ちないよう右腕で支えつつ、カトリーナの手を借りてなんとか左手で頭を撫でる…というか置いて擦る。
皆、無言のまま温かい眼差しで、この様子を眺めている。
長いような短いようなそんな時間、部屋にはバニラの鼻を啜る音だけが聞こえていた。
危うくユキに白昼堂々と貞操を奪われそうになったが、遥香に救助されて無事にノラと草むしりを終えると、周囲がだいぶ暗くなっている事に気付く。久し振りの外仕事で夢中になってしまったようだ。
カトリーナたちもフェルナンドさんの所から戻ってきており、アクアは午後から訓練に通えることになったと伝えられる。
「なにをしているのですか…」
「いえ…その…」
ユキは裸で簀巻きにされ、切り出しただけの丸太の上に正座をさせられている。カーペットを傷付けないよう、しっかり丸太の下には毛皮が敷いてある。
首には「あたしは白昼堂々と旦那様を襲いました。」と書かれた看板が提げられていた。
カトリーナに睨まれ、目を合わせられないようだ。
「あたしだって人並みに欲望があるんでさぁ!大好きな旦那が隙を見せればこうもしたくなりやすよ!」
「白昼堂々と外で裸になるのは流石に…」
「いえ、これはハルカ様にやられました…恐ろしい早業でした…」
思い出したのか、顔を赤くしてぶるぶると震える。
「また妙な技術を身に付けられて…」
スースーと鳴らない口笛を吹く遥香。器用かと思えば妙なところが不器用である。
「なんだか新しい扉を開いてしまいそうです…」
「変態ですね。」
「うぐっ」
アクアの冷たい一言がユキの精神に痛恨の一撃与えてしまった。
「扉は固く閉ざしておきやすね…」
「そうしなさい。きっと誰も幸せにならない扉だから…」
哀れむ表情のカトリーナに言われ、更にしょんぼりするユキ。
遥香が側に居たアクアの袖を引いて話を聞く。
「アクアはフェルナンド様に認められた?」
「いえ…体の強さは褒められましたが、技術は全くダメだと言われました…」
こちらもしょんぼりする。
「ただ振り回せば良い物じゃない、と思いっきり怒られましたよ…」
「まあ、そうだよね。一緒に戦ってて闇雲に振り回されたらサポート出来ないもん。」
「ですよねー…」
ずっとユキを眺めていたカトリーナがある事に気付く。
「ユキ、あなた下は穿いてないの?」
「体が一瞬浮いた思ったら、着地したときにはこの姿でしたよ。意味がわかりやせんでした…」
「えぇ…」
もう顔どころか体までこちらを向けるのをやめた遥香であった。
いったい何処でこんな技術を磨いて来たのか…
夕飯前にカトリーナの武器の注文風景を遥香と一緒に眺める。
かなり変わった形状の武器で、剣とも短剣とも違う。
「ククリかー。刀身の根本の窪みで引っ掻けたりするのかな?」
「そうですね。根元側の切れ味は考慮しなくても構いませんよ。」
「わかったー。
…一本だけで良いの?剣に比べれば時間が掛からないけど。」
「では、背が鋸状になっている直刃のナイフもお願いします。幅これくらい、長さはこれくらいで。」
「大きいねー。ククリもだけど、もうナイフという分類じゃない気がする。」
「後、標準サイズの投げナイフを何本か。本数はお任せします。」
「わかったー。オリハルコンの練習に使わせてもらうね。投げナイフもパーソナライズしないとダメだよねぇ…」
後は柄の大きさを計測して終了。
こちらを見るカトリーナの表情は、とてもワクワクしているように見える。
「お母さん楽しそうだね。なんか可愛い。」
「そうだな。お前の卒業式の朝以来の顔だ。」
「あんな顔してたんだ…私、見えてなかったなぁ…」
その表情のまま、カトリーナはこちらに来て、不思議そうにオレたちに尋ねる。
「二人とも、私の顔を見てどうしましたか?」
「カトリーナの顔が可愛いって話をしてた。」
「かっ、かわ…!?」
「そういう所が可愛いよね。」
遥香も意地の悪そうな笑みを浮かべて指摘する。
ドツボにハマるまいと、咳払いをして姿勢を正す。
「もう、その手には乗りませんよ?あまりからかわないで下さい。」
顔を赤くし、照れたまま隣に座る。
「新婚のオーラを感じる。」
背後から低いバニラの声が聞こえて飛び上がりそうになる。実際、カトリーナは跳ね上がって遠ざかっていた。
「お姉ちゃん、そういうところだと思うよ…?」
「んぐっ…」
遥香の指摘に反論できず、カトリーナが座ってたのと逆の方に座った。
「わたしもエンチャントする機会が多かったから、色々な武器を見てきたけど、確かにククリは珍しいな。
物好きか、独自のスタイルの人という印象だ。」
真面目に話し出したのを見て、カトリーナは再び隣に座った。まだ顔が赤い。
「その認識で良いと思います。私はたまたま最初に手にした武器がそれだった、という理由ですので。」
「そっか。十分な理由だね。」
作業をしながら納得した様子で微笑む梓。
経歴的に、生きるための武器がそれしか手元になかった、という所だろうか。
「もう一本の方のは?」
「同じ理由です。残ってたのがそれだったという理由ですから。」
「正に戦場育ち…」
「都合がつけられる私たちは恵まれてるんだね…」
遥香の言葉にカトリーナは頷く。
生まれも育ちも良くないとは聞いていたが、本当に過酷な幼少期だったようだ。
それを感じさせない佇まいを身に付けるのに苦労したはず。
「私たちは使い捨ての部隊でしたからね。しぶとく生き残り…それでも数は減りましたが、皆が幸福な生活を送っております。
まあ、私が最後の一人だったわけですが。」
「最後に幸福を掴んだんだね。」
「とびっきりの幸福でした。自慢の娘が四人も出来るなんて最高ではありませんか。」
「……」
バニラが立ち上がり、無言でカトリーナさんの前に立つ。
察したのか、椅子に深く座るのを確認すると、自分からそこに座った。
最初は血の涙でも流すのかと思うような顔をしていたが、次第に落ち着き、最後は諦めたかのような表情になっていた。
「…母さんには敵わない。魔法以外、何一つ敵う気がしないよ。」
そう言われ、ギュッと抱き締め頭を撫で始める。
「バニラ様は、私が得られなかった魔法の才を持つ自慢の娘ですよ。」
「いつから?」
「最初からです。」
「そうか…最初から負けてたんだね…」
優しく、愛しげに自分を支える手に触れる。
「母さん、ごめんね。ワガママばかりで…」
「ええ。成人しても泣いてばかりの娘は手が掛かって困ります。」
「そうだね…」
「でも、ちゃんと成長するまで見守ってますから。私の時間はたくさんありますからね。」
「うん…ありがとう。母さん、…父さん…」
気を利かせたのか梓と遥香の姿はなく。訓練場はオレたち三人となっていた。
日は既に沈み、イグドラシルが覆いきれない空には無数の星が瞬いている。
ようやく手の掛かる長女が認めてくれた事で、見慣れてきた夜空が感慨深い物に見えていた。