48話
独特な角の女性、アリスもやはり泣き腫らしていた。本人が言うには、泣いていたのは至宝と呼ぶべき知識と技術の喪失があまりにも悲しかったからという事、離脱は実家に成果を示す機会を得られないなら一緒に居られないと言われる。
既に荷物はまとめており、簡単に説明をするとすぐに出ていってしまった。
「しかたないよ。」
しかたないのだ。オレにはもう冒険なんてできそうにない。
何を見て、何を成し遂げて、何を夢見ていたのかすら覚えていない。もう冒険者なんて名乗れないのだ。
「わ、私はまだ抜けないからね。まだ、虹の向こうを見る夢は見せてもらう約束は果たしてもらってないから…!」
振り絞るようなな声でエルフのジュリアが精一杯話す。
虹の向こうとはなんだろう?とても大事な事だった感覚があるが…
「お父さん、そんな約束してたんだね。」
リンゴ、がぽつりと呟く。
「ビフレストかー。おとーちゃん、そんな所も越えるつもりだったんだね…」
「ビフレスト?」
「エルフの大樹に掛かってる虹の橋、だよねー?」
「うん…」
「私たちの世界の北欧神話ではオーディンたち、まあ神様が住む世界とされていたんだよー」
「こっちでは?」
説明する背の高い娘…バンブーと、尋ねる色が薄く透き通ったような印象の娘のリンゴ。
「まだ誰も知らない…越えた記録はないから…」
虹の橋、エルフの大樹、神様と壮大な話が始まり、想像が追い付かなくなってきた。
「うん。その認識で良いと思う。まだ、確定していないから。」
「確定していない?」
「ゲーム的に言うと未実装。先には行けたけど何もなかったんだー。」
「さ、先に…?」
「それは私とおとーちゃんの話。こっちではまだどうなっているか分からないってこと。お姉ちゃん、ビフレストは?」
「見たこともなかった。」
「ありゃ。そうなんだー」
「でも、よく知ってる。スクショはいっぱい見た。いつか行きたいと思って、たくさん事前情報も調べてたよ…」
「結局、転生システムはふいになっちゃって残念だったなー」
「もう終わり際だったからな。」
「そうなんだよねー…」
娘たちの会話にどこか懐かしい、聞き覚えのある言葉が並べられて心が何故か疼く。だが、言葉にならない。とても、もどかしい。
「旦那。」
「ああ、大丈夫。大丈夫だ。」
オレの様子を見ていたユキが、肩に手を置いて心配そうな顔をする。
「ああ、転生。そうか。転生か…」
「お姉ちゃん?」
何か気付いたバニラにリンゴが声を掛ける。
「もし、ヒガンが転生したら記憶はどうなるのかなって。」
「重度のバステ扱いで制限状態なんだよね。だったら…」
「でも、ビフレストを越えるのは厳しい。それに、無駄足かも知れない。」
「お姉ちゃん、私たちは国で一目置かれる『冒険者』で『英雄』の娘だよ。尻込みするのはおかしくない?」
不安そうなバニラに、やる気に満ちた言葉を掛けるバンブー。
「…そうだな。でも、準備は必要だ。母さん。」
「はい。聞いてましたよ。でも、二年はダメです。本当なら五年は留めておきたいですが。」
台所からやって来たカトリーナさんが言う。
「どうして?」
「リンゴ様の身体が成長できます。きっと、旦那様もそう答えるはずですから。ただ…」
「ただ?」
「五年も経つと、旦那様がホントに身動き取れなくなってる気がして…」
「あー」
「そうかも。」
何とも言えない理由だった。
頑張ってなんとか歩けるようになったが、歩いてみせているだけと言った方が正しいかもしれない。
カトリーナさんには話しているから、それを思っての事だろう。
「わ、私も二年あれば…ちゃんと年相応の女性に…」
「もう、私の方がお姉ちゃんより背が高くなっちゃったからね…」
バニラの隣に立ち、その頭を撫でるリンゴ。
高くなったと言っているが、そこまで差はない。
「リンゴ、ひどいじゃないか…」
「お姉ちゃんも転生すればワンチャン。」
「転生後も見た目も引き継がれるって書いてあった…」
「お姉ちゃんもだけど、おとーちゃん御愁傷様だねー…」
「それは…うん…そうだな…」
オレがなんだというのか。
「ねえ二人とも、その転生って行けば出来るの…?」
『あっ』
ジュリアが尋ねると、顔を見合わすバニラとバンブー。
「条件は、条件はなんだ…」
「お金?物?力?」
「オレを見てもわからないぞ?」
『ですよねー』
「大丈夫。二年で調べるから。」
「うん。ジュリア、頼むよ。わたしは…母さん。」
「はい。」
「中退」
「ダメです。」
「はい…」
有無を言わせないカトリーナさん。
その迫力にバニラは背を丸めて引き下がるしかないようだ。
「卒業しても一年あります。それに、バニラ様の力の証明は旦那様の悲願じゃないですか。それをフイにするのは許しませんよ。」
オレが何を思っていたのか分からないが、違いない。
「でも、目標は定まったね。」
「うん。やれることはある。」
「調べるべき事も定まった…」
「お父さんの為にやれることは何でもやろう。」
「まず、私は闘技大会を勝つよ。」
闘技大会か…
「父さんに言われたからね。圧倒して勝てると信じてるって。」
娘たち、優秀すぎる。優秀過ぎてなんだか申し訳ない。
こうして、皆がビフレスト踏破を目標に掲げて動き出す。
その前に、ストレイドの出場する闘技大会に向け、娘たちは準備を進めるのであった。
オレも、せめて太らないようにしないとな…
闘技大会当日までの一週間は、とにかく慌ただしい。
チーム三人の装備の調整、魔法の修正等、模擬戦以外にも色々な事をしていた。
その場に居ても邪魔なので、オレは家の中で見ているだけ。
三人ともレベルが高いのはよく分かったが、何をやっているのか全く分からないのだ。レベルに関しても、比較対象はリンゴの友人である年少組になってしまうが。
リンゴは飛び級で中等部に入ったそうで、アリスの妹だというソニアもリンゴと共に中等部に入れたそうだ。
リンゴは卒業資格まで狙うと息巻いており、ソニアもライバルとして頑張ると言っている。
なんだか、二人とも生き急いでいるみたいでおじさん心苦しいよ。
オレの使っていたらしい剣と盾は整備してそのままにしてあるが、時々リンゴが持ち出しているのを見ている。今はまだ振り回されてる感じだが、二年後は使いこなせているのだろうか。
アリスが出て行った後、ソニアが最初に来た時は黒いドレス姿で、その場に居たオレとジュリアに深々と頭を下げて来た。
アリスを問い詰めて、殴り合いをする程の大喧嘩までして問い質すと、本当はパーティーを抜けるべきか最後まで悩んでいたと打ち明けられる。酔っ払って煽りに煽った自覚があったようで、それを悔いて毎日すすり泣いているとか。自分も行っていれば、もっと強引に強制解除させていたし、魔法で治療だってできたと言っていたらしい。
「ソニア、私たち、虹の橋を越えるからってアリスに伝えてくれるかな…?
調べなきゃいけないことは多いし、準備することもいっぱいある。だから、抜けるのは許さない、嫌でも付き合ってもらうからって…」
「…ハイ。わかりました。必ず愚かな姉に伝えておきます。」
「ありがとう…」
その後、一週間経ってもアリスはまだ戻って来ていないが、ジュリアは一緒に調べものをしている。アリスの家で魔法の修行もつけてもらっているそうで、帰ってくることが遅い事もあった。
後でカトリーナさんに聞いたが、黒いドレスで謝罪に来るのは死も覚悟しているというメッセージだったらしく、聞いた時は血の気が引いた。幼い子にそんなものは望んでないからね?
以前のオレは、本当に仲間と娘とその友人たちを大事にしていたんだなと思い知らされる。
大事に思う事はできる。できるが、行動で示せないのが本当に辛い。ただ、見守る以外にできない自分が情けない。
「旦那様、あなたは十分過ぎるくらいに与えて来たのですよ。」
いつもならユキが話し掛けてくるが、今日はカトリーナさんが、しかも隣に座って話し掛けてきた。
「旦那様が毎日のように繰り返した訓練を、あの子達は目に焼き付けて来ましたからね。」
「そうなんだ…」
「今度は旦那様が目に焼き付ける番ですよ。
私はまだ、あの子達の前に立ちますけどね。」
そう言って訓練場に入り、大会に出る三人の指導を始めた。
三人も相当なのだが、カトリーナさんにはまだ及ばず、転ばされ、投げ飛ばされ、弾き飛ばされて汚れてしまっている。
でも、そんな事などお構い無しに起き上がり、飛び掛かり、いなされるを繰り返した。
「目に焼き付ける番と言っても、目が追い付かなくてなぁ…」
動きも、魔法も、よく見えないのは困った。
闘技大会の当日。今日は本当に困った。
話を求められても何も語れないし、何を見てもよく見えない。
カトリーナさんにそう伝えると、伯爵に回収してもらえる事になり本当に助かった。
今日は側にリンゴとカトリーナさん、そして、ソニアが居たが、三人ともよくそこまで見えてるなぁという所まで見ていた。
代表を決める時は違ったそうだが、今回は最初からバンブーとバニラが顔を出していた。
同じようなデザインだが、細部が違う三人のお召し物。三人の要求を聞いて、自らデザインして作ったとバンブーが自慢気に説明していた。
エルフのフィオナは長袖、ストレイドは半袖、猫系獣人のパウラは袖がない。
フィオナは剣と盾、胸当て、籠手、グリーブ。ストレイドは籠手、ブーツ、ヘアバンド。パウラは棒、ブレスレット、ブーツだそうだ。
獣人、特に猫系は物を付けるのを嫌がるらしく、軽装な者が多いらしい。トカゲやドラゴン系はそんな事はないようだが。
一回戦、二回戦は全く危なげないどころか、寄せ付けない強さを見せてくれた。
格が違うどころの強さではないようで、達人と素人くらい違うらしい。
一回戦目は相手に見せ場を作らせる為に攻撃を誘い、カウンターで叩き潰す。二回戦目はもう良いだろと言わんばかりに速攻で叩き潰す。カトリーナさんとユキがそう説明してくれた。
気が付くと終わってるからしかたない。
二回戦目のフィオナのフロストノヴァは会場を誰よりも沸かせた。効果の高さ、制御の精度は他の選手と別格と言って良いそうだ。
「旦那様が直接指導をなさいましたからね。彼女に制御力の高さはちゃんと受け継がれていますよ。」
「…そうなのか。」
初歩の魔法すら危ういオレがあれを引き出したのか…
なんだか信じられないな。
「三人を労いに参りましょう。まあ、労うほどでもありませんが。」
「圧倒的でしたからね。相手がかわいそうなくらいでさぁ。」
伯爵に娘たちと帰るという事を伝え、ここでお別れとなる。明日も来ているので喜んで匿うと言ってもらえた。
カトリーナさんに手を引かれながら来ると、何故か浮かない表情の五人がやって来た。着替えてもいない。
「どうした?」
オレが尋ねると、娘三人が戸惑う表情を見せる。
「ロッカーが空き巣にやられちゃってねー
不穏だからこのまま帰ろうって事にしたんだー」
バンブーが苦笑いしながら言う。
「こういう可能性を考えて、亜空間収納もあるから何も入れてなかったけどね。」
「でも、気分の良い物ではありませんわ。」
「私たちにゃ、こんな妨害どうって事ないけどな。」
その通りだろう。この程度の揺さぶりでどうこうできるレベルではない。程度の低い嫌がらせに過ぎない。
「チッ。不能者が。邪魔なんだよ。」
それはオレに向けられた言葉なのだろう。
手を握るカトリーナさんの手が震えた気がした。力一杯、出来るだけ力一杯握って首を振る。
「まあ、立ち話もなんだ、移動して勝利を祝おうじゃないか。」
皆を宥めるような提案をし、その場は穏便に済ませた。オレの事で皆が気を悪くする必要なんてないからな。
「申し訳ありません。不能者の入店はお断りさせていただいております。」
三店連続で断られてしまった。
思った以上にキツいなこれは。不能者扱いされる事がではなく、それで他の皆が気を使ってしまう事がだ。
「仕方ありませんね。家に帰って…」
「あー!やっと見つけたッス!」
元気の良い声がオレたちの方へ向かってやって来る。
時々、訓練場で見る顔だ。
「皆さん、探しましたッスよー」
狼の娘が目をキラキラさせながら杖を突いている方のオレの手を握った。倒れそうになるが、慌てて支えられる。
「サラ、どうしたんだ?」
一番仲の良いパウラが尋ねる。
「この辺でヒガン様を連れて食事は苦労するだろうってカーチャンに言われたッス。連れて来いって言われたッスよー。」
「たしか、お前の家…」
「飯屋やってるッス!どーんと皆様をおもてなしするッスよー!」
オレはそのまま有無を言わせない勢いでサラに担ぎ上げられ、運ばれる事になった。
これが一番早いのは分かるけど、恥ずかしい。もう少し違う抱き方もあったんじゃないだろうか?