31話
最後の晩に控えめな宴を開いてもらい、一泊してからの帰還となった。
アクアと揉めて以来、落ち着きがなかったらしいミンスリフも元に戻っており、アリスと楽しそうに会話をしている。
今朝はクリームパンをランフリアと一緒に食べて目を輝かせており、見た目ほど味覚はオレたちと変わらないらしい。あと、当初の見た目から受ける印象よりも子供っぽい。
別れ際に、ミンスリフがオレの手を取って言う。
『この先の事は聞いています。旅の終わりにもう一度、この地を訪れてください。
立て直し、もっと活力のある淵庭をお見せします。』
そして、最後にゆっくりと日本語で、
「また、あいましょう。」
マーマン特有の発音の不明瞭さはあるが、口の動きも、声も、間違いなくそう言っていた。
「ああ、またな。」
握手をすると、誉められて喜ぶ子供のような笑顔になったので頭を撫でそうになるが、アリスに引っ張られたおかげでなんとか踏み留まれた。ここは私的な場ではないのである…
そして、さっきまで若手戦士、兵士と訓練を共にしていた陛下。
『交易の件、しっかり頼むぞ。
それと、ソニア殿、次もワシは負けぬからな!』
そう伝えると、ソニアが陛下に握手を求め、陛下もそれに応える。
遥香に負けないライバルの登場は、ソニアにとって良い刺激だったようだ。
「勝ち逃げは許しませんわ。陛下もお歳のようですし、何卒ご自愛くださいませ。」
そう伝えると、周囲に緊張が走るが、陛下は大笑いして返事とした。
アリスが久し振りに胃を押さえているな。溺愛する妹に、こんな思いをさせられるとは考えてもみなかったのだろう。
最後に龍神さまが龍神さまの姿で現れる。忘れがちだが、ここもダンジョンだもんな。
『ヒガン、おヌシらの活躍は、今後もこの地で語り継がれるであろう。
我らから差し上げられるものはないが、【名誉戦士】と今後は呼ばせてもらうぞ。』
「光栄の極みでございます。」
跪き、エルディー式の礼でその栄誉を受ける。
『うむ。そなたらの旅に実り多きことを願っておる。達者でな。』
こうして、長い海底と船上との行き来する生活を終え、オレたちはエルフの森東部へと引き返す準備をするのであった。
「このやきそばという料理は美味いな!」
空と海の支配者と一緒に、船上でシーフードやきそばモドキを食べていた。
モドキ、というのは麺がパスタだからなのだが、これでも文句なしで美味い。
麺があり、スパイスがあり、ソースがあり、海産物があり、この海域は若干寒いが夏である。という事でバニラが甲板で5つの箱の上に梓特製の鉄板を乗せて、自ら作り始めていた。箱は台と熱源を兼ねている。
ついでに、肉やタコやシャコも別に焼かれている。
久し振りに一家揃っての食事で、子供たちも楽しそうだ。
「姿を見ないと思っていたが、こっちに居たのか。」
「ああ、巡回を終えた所だ。今日も東はいつもと変わらぬぞ。」
東、と来たか。
「他にもドラゴンがいるのか?」
「妾は会ったことないが、北、西、南にもいるそうだ。北は全く反応すら感じ取れないがな。」
興味なさげに言うが、北方エルフのユキに戦慄が走る。
「え、じゃあ、北はドラゴンが不在という事ですかい?」
「わからん。反応を感じ取れないから居ないとは言い切れぬしな。
だいたい、あのブリザードが魔力やなんかを隠してしまっているのだ。」
モグモグ食べながら言う東の空と海の守護者。せめて飲み込んでから喋れ。
だが、それもそうか。
冬場のブリザードはオレたちでも命の危険がありそうで避けたかったが、予想以上に海底の滞在が長引いたからな…
「じゃあ、私たちで確認しようよ。どうせ、北の果てに行くんでしょ?」
「しょ、正気か?あ、いや、貴殿らなら、冬場であろうと突破できるのであろうが…」
「陸路で行きたかったけど、海路で行こうよー。大丈夫、グロリアスを信じてー」
遥香の提案に困惑する空と海の支配者だが、梓が太鼓判を押す。
「か、海路だと!?氷山にぶつかって海の底だぞ!?」
「平気平気ー。氷山なんておとーちゃんが吹き飛ばしてくれるし、グロリアスも丈夫だから!」
「うむ…確かに、ヒガン殿とこの船なら大丈夫だろうが…」
背中をむず痒そうにする東の空と海の支配者。
そっちをぶっ飛ばしたのはオレじゃなくて、お前に負けないくらいおかわりしている方だ。
ジュリアとフィオナはノエミは親子揃って大食いだが、負けていないのが遥香とリリである。遥香は身体が大きくなって納得出来るが、細身のリリはその体のどこに入っているのか。
どうしましたか?という顔をするんじゃない。盛って渡してるバニラも顔が引きつっているぞ。
その並びに紛れていると違和感がないが…
柊も二人ほどではないが、けっこう食べるから…
「しかし、不安だ…
妾も付いていきたいくらいだが、爺に叱られるだろうし…」
「少し、オレたちに入れ込みすぎじゃないか?」
「妾を打ち負かし、こんな良いマントをくれて、美味しいものまで食べさせて貰ったら懇意にするしかないというものだ。」
それは確かに。
まだ食べる食欲の支配者。ドラゴンサイズを満足できるほど無いと思うのだが…
「大食漢どもはここまでだ。後はわたしの分だからな。」
『はーい。』
ようやく、バニラも落ち着けるようだ。
上手く行った事もだが、皆に好評だった事が嬉しいらしい。
特に、アクアとメイプルが焼きそばばかり食べているのが嬉しい様子。召喚組に認められたのなら、間違いなく本物だろうからな。
「妾もお別れだな。だが、今生の別れとはならないのだろう?」
「ミンスリフと陛下とも約束したからな。」
「そうか、ならば安心だ。お前たちは約束を違えたりしそうにないからな。」
「お前もしっかり鍛えてもらえ。ヒルデとの再戦を楽しみにしてるぞ。」
「お前ではないのか?」
「お前を引き上げるのが大変だった。」
「勝ち逃げするのか?」
ニヤリと笑う食欲の支配者。
そう言われては、引き下がれないな。
「良いだろう。オレも、もっとピラーを扱えるようになっておく。」
「むむ?なぜか、からだがふるえるな?」
トラウマになってしまったようである。
「空気が歪んで、海が割れるかと思った一撃だったからね。シュウのハードインパクトでも、なかなか見れない一撃だったよ。」
下から見ていたジュリアが教えてくれる。
そこまで見てなかったから気付かなかった。
「よく生きていたな。内臓も再調整前のリザレクションでよく治せたと思っているよ。」
「まあ、多少のアレンジはしたが、体の構造は見えるからな。」
子供以外全員の手が止まり、鉄板の焼ける音と波音だけになる。
「おとーちゃんはえっちだねー」
「いや、まて、そういうことじゃなくて。」
「フィオナ、それ以上取ったら焼きそば没収だ。遥香の影の中の餌にするぞ。」
「うぐぐ…」
「私の子をゴミ箱みたいに言わないで。」
遥香の抗議にギョッとするカトリーナ。
フォークと皿がガチャガチャ音を立てる。
「は、は、は、はるかさま…?」
「ち、ちがうから!そういう事じゃないから!」
そんな感じにいつも通りのドタバタな昼食が終わり、いよいよ東の支配者とお別れとなる。
「名残惜しいがここまでだ。東の空と海の支配者、またな。」
「なんだその呼び名は。私には∩∽∂∧という名があるぞ。」
特殊な意味があるのか、名前が認識出来ない。流石はドラゴンである。
「そうか。じゃあ、ベラと呼ばせてもらおうか。」
現地組含め、ほぼ全員が困惑している中、バニラだけが反応した。
「なるほど、ベラか。構わぬぞ。妾もそっちの方が親しみを感じて良い。」
やはり【認識拡張】だけでは、バニラほどコミュニケーションに効果が発揮できないようだ。
「それとベラ、これは後でミンスリフ達と食べてくれ。あいつらもきっと喜ぶ。」
「そうか!分け合うことにしよう!」
バニラが大きめの二段の弁当箱を渡すと、亜空間収納にしまった。
「では、お別れだ。また会おう!人の英雄達よ!」
跳躍するとドラゴンに姿を戻し、飛翔してぐるっと旋回してから海中へと帰っていった。
唖然とする子供たち。まさか、本当にドラゴンだったとは思っていなかったようだ。
悠里は普通に同年代と接する感じだったからな。
「賑やかな友人が増えたな。」
「そうね。こういう出会いがあると、ゴタゴタも捨てたもんじゃないわね。」
「おかげでスケジュールが厳しくなったが。」
「じゃあ、遅れを取り戻すとしよう。わたしたちの傑作は、ブリザードにも負けないぞ!」
「頼もしい言葉を信じよう。じゃあ、出発だ!」
新たな目的地、北の果てへ向けてグロリアスが動き出す。
また来る時の為に、愉快なマーマン達に愉快な土産話を持ってきてやらないとな。
船は陸伝いに北上する。
東部へは戻らず、前回の北方遠征の後に仕込んでもらったリレーを利用するためだ。
やはり、沿岸は岩場で埋めて設置が出来ず、ライトクラフトで遥香とソニアが移動し、箱をリレー代わりにする事となった。
『そうか。交易を望んでいるか。』
「今のところ、こちらから向かうことしか出来ませんが、東部の世話になった職人なら力になってくれると思います。」
『分かった。では、直接向かうとしよう。
こちらへは戻ってこぬのか?』
「色々とあって日程が厳しくなりまして…」
『そうか。ならば仕方あるまい。
そういえば、フィオナたちの後輩がビフレストに挑戦している。いよいよ、貴殿ら以外の転生者が生まれそうだ。』
ついにそこまで登れたヤツが出て来たか。ヘイムダルとオーディンも忙しくなりそうである。
「そうですか。思ったよりも掛かりましたね…」
『貴殿らがおかしいのだ。あの者たちも、剣の腕前はそなたより上だぞ?』
「むしろ、剣はオレより下の方が少ないですよ。」
『そう卑下するな。魔物狩りにおいては、そなたらの右に出る者は居らぬのだから。』
「ありがとうございます。」
『上に登る者も居れば、去る者もいる。様々な事情で続けられなくなり、この地を去る者も増えてきた。
寂しい事だが仕方ない。』
「そうですか…」
全ての者が冒険者を、厳しい戦いを続けられる訳ではない。
うちのように脱落者が出ない方が珍しいだろう。それは、実家がないからなのか、居心地が良いからなのか…
『では、無事を祈っておる。ノエミに大怪我なんてさせたら許さぬぞ?』
船から海に落ちたことは黙っておこう…
「心得ております。フェルナンドさんも息災で。」
フェルナンドさんとの通話を終え、遥香とソニアに帰還を伝える。
「さて、今後の事だが…」
「このまま無事に突破できるならしてしまおう。ダメなら、わたしとアリスはグロリアスに残って、東部へ引き返した方が良いと思う。」
「そうね。魔法に頼れないと、私たちは厳しいもの。」
ブリザードが厄介だからな…
体力も考慮するか。
「ソニアを入れるかどうかだな。スタミナが少し不安だ。」
「ブリザードは回避出来ないのですか?」
「理由は分からないが、一番良いタイミングで行っても、ここのは避けようがないみたいだからな。」
ジュリアの聞き込みと、ユキの話からそれは間違いない様子。
フィジカルに不安のある二人には外れてもらった方が良いだろう。子供達の面倒も見てもらいたいしな。
「そうですか…」
「リリも体力は大丈夫そうだな?」
「ハルカに振り回された5年のおかげですよ。」
誇るのではなく、しかめっ面のリリ。なんだか申し訳ない。
「リリが居るなら後衛は大丈夫だろう。頼りにするぞ。」
「あなたにそう言われると、とてもむず痒いのですが…任されましょう。」
バニラに任され、ドンッと胸を叩くリリ。
すっかりオレたちに染まってしまった、頼れる西方エルフ領主の第20子である。
「ジュリアは大丈夫か?」
「ブリザードが想像できないんだよね。フィオナのフロストノヴァより凄いのかな?」
妹を見ながら尋ねる姉。
一家としてはそういう比較になるか。
「こちらと違うかもしれないという事を念頭に置いて欲しいが、風はブリザードの方が強烈だ。暴風雨を想像すれば良い…と思ったが、こっちで台風の覚えがないな?」
「そうだねー。ルエーリヴで荒れた天気って吹雪くらいだし。」
「東部では長雨くらいで、風は強くなりませんわね。」
「南部はどうなんだろうなぁ…」
「年に一度くらい、強い雨と風の日があると言われていますよ。」
ノラがこの場にいないので、知っていたリリが教えてくれる。
南部だけあるという事か。
「それでかなりの家屋がダメになるそうなので、南部は簡単な建物になっているそうですね。」
「それで粗末な出来なのか…」
「南方エルフにとっては精一杯なのでしょうけど、生来ののんびり気質と言いますか…」
「怖いのは年一度の雨風くらいで、食料にも困りやせんからね。ただまあ、蒸し暑過ぎてあたしらには住めたものじゃありやせんが…」
「そうよね。私もちょっと定住は躊躇うわね…」
北部とエルディー暮らしが長いと、気候の大きく異なる南部は厳しいようだな。
「ただいまー」
「ただいま戻りました。」
遥香とソニアが、ライトクラフトで飛んで帰って来る。
「お疲れ。助かったぞ。」
「大した事なかったよ。あと、猪を獲ってきたから捌いておくね。」
「最近は魚介中心だったからな。みんな喜ぶよ。」
甲板で解体作業を始めようと話し合う二人を見送ってから、船を陸から遠ざけ北へ向かって速度を上げる。
やっと操舵室にいなくても、大雑把な操船が出来るようになってきた。
豊富な海産物が獲れるからか、この辺りは漁村が多く、狭い浜辺に木造船がいくつも見える。
「全く寄港が出来ない、というわけでもなさそうだな。」
「でも、補給は水くらいよね。食料はちょっと心苦しいわ。」
「その水も魔導具でじゃぶじゃぶだからなぁ…」
甲板でソニアと水をじゃぶじゃぶしながら手際良く猪を捌く遥香を見る。旅暮らしで鍛えられた技術のようで、オレより綺麗で鮮やかな仕事っぷりに危うく船の制御が疎かになる。
子供達に説明しながらの解体ショーとなっていた。
「食料も亜空間収納があると、休養くらいしか理由がないわね…」
「なんだかんだで陸地が恋しくなるからな。」
子供たちがそれでぐずるかと思いきや、全くそんな事が無くてありがたい。むしろ、海に喜んで飛び込みそうでヒヤヒヤしているくらいだ。
その後も今後の方針を話し合い、半刻程経った辺りで解散となる。
猪解体ショーも終わり、遥香達は片付けと掃除を終えるところだ。
「後はひたすら、陸に沿って北を目指すだけか…」
船の補給も必要だが、それは海上からでも済ませられるのは遥香との狩りで実践している。
歌ったり踊ったりと陸と変わらないくらい騒がしい甲板を眺めつつ、無事に通り抜けられる事だけを願い、グロリアス号を黒い雲で覆われる北へ進ませ続けた。