30話
バニラに引っ叩かれて魔法の制御を解除した後の記憶が怪しく、どうやって目の前に箱を積んだのか覚えがない。
その後の事はアリスとフィオナが主導し、遥香とリリも後学のためにと同行。前衛組はダンジョンに挑戦するそうなので、オレだけ船へ戻り少し休養を取らされる事となった。
船室のベッドで気を抜いていると、いつの間にか眠っていたようで、布団を掛けられていた。
そして、温かい理由は他にも。
「ノエミとジェリーか…」
左側に二人が揃って眠っていた。
「ふぎゅっ!?」
右手をベッドに着いて起きようとすると、誰かの顔を潰しそうになった。悠里である。
「ああ、ごめんな。気付かなくて…」
潰し欠けた顔にヒールを掛けてやる。
「い、いえ、大丈夫ですから…」
そうは言ってもかわいい娘の顔だ。何かあっては困る。アリスにバレると、とても困る。
「お父様がお疲れのようでしたから邪魔をしないようにと言ったのですが…」
ミイラ取りがミイラになってしまったか。
「そう言えば、お姉様から言付かっていることがありました。
魔法は使えるか?私たちの名前は分かるか?最初に出会ったのは誰か?だそうです。」
「まったく。バニラらしいよ。」
悠里が正座をしてオレを見下ろす。
流石に寝たままでは良くないな。
体を起こすと、体の小さい悠里がオレを見上げるような形になった。
「まずは名前だ。悠里、お母さんはアリス。ノエミ、お母さんはジュリア。ジェリー、お母さんはココアだ。」
「正解です。」
二人の寝顔に思わず笑みが溢れる。
「次は魔法だな。」
普段の訓練と同じことをする。魔力も十分で、違和感はない。
【ヴォイド・ストライク】
飛ばさずにその場で浮かし、すぐに消した。
魔法も全く問題はない。
「そして、最初に会ったのは…」
ジェリーをチラッと見る。
結果的に、とは言えあいつとの子供みたいなものだよな…
「バニラだな。」
「大丈夫みたいですね。
戻ってきた時、お父様はフラフラでしたのでみんな心配していたのですよ。」
「すまんな。」
アリスとも話をしておきたかったが後にしよう。今はこの穏やかな時間を大事にしたい。
「悠里、今の暮らしは退屈じゃないか?」
「退屈なんて言っている暇がございません。船の上でも勉強、訓練、実習、妹達の世話と大変ですもの。」
「そうか。」
「でも、ルエーリヴの皆様に会いたいと思うことはございます。今は何をやっているんだろうと…」
「そうだな。それは仕方ない。」
一家の事情とは言え、数少ない友人、知人から引き離したようなものだからな。
世界を見せてやりたかった、というのもあるが、友人達から引き離してまでの程かと問われると苦しい。
「友人と机を並べる日が待ち遠しいな。」
「はい!」
良い笑顔で返事をする悠里。
ただ、その時はオレたちから離れて寮暮らしになるだろうとは言えなかった。
10年、15年先の話だ。いくらなんでもまだ早すぎる。かわいい愛娘を手放す事を考えるのは怖い。
「みんな起きてる?」
ジュリアが部屋を覗き込んで尋ねる。
「まだ二人寝てるな。」
「もう夕方だから起こしてあげて。夜眠れなくなっちゃうよ。」
「おう。」
ノエミの鼻を摘まむと、ビックリした様子で飛び起きる。
「夕方だから起きようか。」
「むぅ…」
不満そうな顔でオレを見てから欠伸をし、今度はノエミがジェリーの鼻を摘まむと、ジェリーは気にせず眠り続ける。
その様子にオレたちは思わず笑ってしまう。
「ノエミ、あんまりやるとジェリーの鼻が潰れるからほどほどにな。」
「…はーい。」
すると、ジェリーがくしゃみをしてから起き上がる。
鼻水が垂れているのに気付いて、ジュリアが慌てて顔を拭いてやった。
「はい、ちーんしようね。」
言われてぼろ布で鼻をかむジェリー。
ようやく目が覚めたようで、いそいそとベッドから降りた。
「おトイレ!」
「ああ、急がないと。ノエミは?」
「わたしもー」
「悠里は大丈夫か?」
「ひ、一人で行けますから!」
「そうか?オレも済ませよう。」
「じゃ、じゃあ、私も…」
こうしてオレたちは順番にトイレを済まし、夜まで食堂でのんびり過ごしたのだった。
今日は人が少なくて少し寂しく感じるが、こういう静かな日がたまにはあっても良い。
翌日、子供たちに魔法を指南していると、アリスとソニアが戻ってくる。ピラーや箱でも、渦を突破するのは十分なようだな。
「メイプルは一緒じゃないのか。」
「戦後の今こそメイプルの出番よ。若いマーマンには大人気みたいだし、治安の悪化を抑えられてるわ。」
ソニアはくたくたのようで、あまり顔色が良くない。無理してしまうのはみんな一緒か。
「ソニアを休ませよう。 」
「そうね。それと、アズサが手が足りないってぼやいていたわよ?」
修理をして回っているのか。
街全体が戦場になった以上、直そうとすれば大仕事になる。
「建物以外の被害も大きくてね。私たちはその担当になったから、回復してるなら手伝ってあげて。」
「分かった。」
ここで子供たちと平穏に過ごすのも良いが、下は大変だろう。関わった以上、不便をなるべく減らしておきたい。
「アクア、気になるなら降りて良いわよ。料理なら私も出来るし、夕方にはカトリーナ達も戻るそうだから。」
「ありがとうございます。では、ソニア様を休ませてから旦那様と下に降りますね。」
そう言って、アクアは箱に座って浮いているソニアを連れていった。本当に便利な箱である。
しかし、口を開く気力もないのは少し心配だな。
アリスがオレをジッと見つめる。
「あなたの方は大丈夫…みたいね。顔色も良いし、魔力も充実しているわ。」
「おかげさまでゆっくり休めたよ。娘達の添い寝付きでな。」
「…良からぬ事は?」
「するはずないだろう。」
悠里の鼻を潰し欠けたのは黙っておこう。
「そうよね。あれだけ熱心なバニラにも手を出さないんだから。」
苦笑いのアリス。あれはもう、その時が来ればとみんな思っているのだろう。ココアの事もあるし。
「で、下の状況は?」
「大変の一言に尽きるわ。
復興には戦士の手も借りたいでしょうし、戦士は食料を取りに行かないといけない。兵が軒並み処分された状況で陛下も悩んでいるわ。」
「そうか…」
内に外に戦士達が動かないとダメな状況は苦しいだろう。なんとかしてやりたいが…
「という事で、魚獲りの依頼を受けてきたわ。報酬は、将来の真珠の優先買い取り権よ!」
「おおー。…お?」
しんじゅ?
「バニラ達の提案した養殖に乗り気みたいだからそれで手を打ったの。丸い真っ白い宝飾品なんて、エルディーの上流階級では間違いなく流行るわよ?」
海がないからこそ、よりステータスとして価値が高い訳か。
「まあ、失敗するかもしれないけど、その時はその時よね。笑って流して欲しいわ。」
「しかたない。投資みたいなものだが、条件として悪くないしな。」
「準備できましたよ。」
アクアが自家製スケッチブックをしまいながらやって来る。
「子供たちには魔法の訓練をさせている。見てやってくれ。」
光の玉を素早く動かしながら形の維持に四苦八苦するレオン、出来る操作を繰り返すアレックス、お手玉のようにするビクター、氷の玉を転がすノエミ、広げた両手の上で光の玉を出したり消したりするジェリー。
「あら?悠里は?」
「そっちで瞑想させてみている。」
アリスの右後ろに促すと、胡座姿で瞑想をする悠里とジュリアがいた。悠里はあの様子じゃ寝てるな。
「…ジュリアもなの。」
「これがバカにできない。射撃の時に集中しやすくなるそうだ。」
「そうなのね。奥の深い行為だわ…」
「柊もやってるからなぁ。不要なポジションはないかもしれん。さて、アクア行くか。」
「はい。」
後をアリスに任せ、オレたちはまた海底へと降りるのだった。
「思ったよりも片付いていますね。」
「そうだな。」
ピラーの上でオレにしがみつくアクアが言う。
道路がむしろ来た時よりしっかりしている辺り、梓のやる気と苦労が伺えた。
活気も意外とあり、民が意気消沈した様子もない。
神殿へと到着すると、ミンスリフが出迎えてくれた。
「もう大丈夫か?」
『少し違和感はありますが、大丈夫です。
この状況で休んでいられませんからね。』
胸に手を当て、息巻いてみせる。
『この街は何度でも甦らせます。そして、その度に暮らしやすくなります。みんなそう信じているからこそ、頑張ってくれていますからね。』
自信たっぷり、誇らしげに、街に向かって両手を広げて言う。
本当にここが、ここの人たちが好きなんだな。
この際だから聞いておくか。
サポートの翻訳機能を切って、日本語で尋ねる。
「なあ、お前は転生者か?」
両手を広げて固まるミンスリフ。
ゆっくりと、引きつった笑みでオレたちの方に向き直った。
『そ、そんなわけ』
「オレたちは召喚者で元々は日本人だ。エルディーの現在の陛下も転生者だよ。」
『召喚…じゃあ、その姿は…?』
震える声でオレたちを見る。
オレもアクアもディモス。顔付きは完全に日本人だが、角が生えているからな。
「オレは体が壊れてやむ無くだが…」
「あたしは望んでこの姿になりました。」
アクアに掴み掛かるミンスリフ。
予想はしていたのだろう。狼狽える様子は見せなかった。
『私が望んだものをどうして…』
やはり、ちゃんと聞き取れていないようなので、そこで困惑するアクア。
言うべきか迷ったがちゃんと伝えると、アクアの方からしっかりと両肩を掴み、しっかりと向かい合う。
昔の弱虫アクアの姿はなく、カトリーナに引けを取らないくらいの力強さを感じた。
ユキ以上にメイドとしては頼れるが、本人達に言うと大変なことになりそうなので口には出していない。
「私はメイドですが、ヒガン一家に名を連ねる自負があります。冒険者としては役にあまり立てませんが、若様方やお嬢様方を守る為には強くないといけませんから。」
「ヒュマスのままでも強くはなれるが、今回の事に対応出来なかった。オレ一人でどうこうなる出来事じゃなかったから、お前を含めて見捨てていた可能性はある。」
アクアの言葉と共に、オレの意見も付け加えると、離れて息を整える。
頭にきて、怪我に影響したらしい。
治ってはいるが完璧じゃない様で、怒りと困惑が混じった表情をしていた。
『それでも…それでもやっぱり許せない!この体!この色!どれだけ生まれを呪ったかあなた達には』
『ミンスリフ。』
神殿からいつもの女性がやって来ていて、宥めようとミンスリフの名前を呼ぶ。
聞かれたくなかったのだろう。再び背を向けて走り出すが、
『私も陛下も知っています!知っていて、あなたを頼ってきた!私たちのあなたの評価に、生まれも、身形も関係ないことを分かっていて欲しい!』
足を止めて耳を傾けたが、そのまま走り去っていった。
「放っときやすか?」
オレの足元の影からユキが顔を出し、神殿の女性がギョッとする。
「潜んでいてやってくれ。残党がいる可能性はある。」
「かしこまりやした。」
オレの影からミンスリフの影へと移らせ、そのまま警護させることにした。
表面上、解決したとはいえ、まだ混乱は収まっていない。万が一はこの地の重大な損失だ。
「警護を付けておいた。これで何があっても助けられる。」
『ありがとうございます…』
「申し訳ございません。余計なことを言ってしまったようで…」
深々と頭を下げるアクア。
見慣れたはずだが、気品があり、なんだか見惚れてしまいそうになる。
『いえ、あなた方の信念や考えがあっての事でしょうし、あなた方の一生です。
誰にもとやかく言う権利はありませんよ。』
『ありがとうございます。』
二人揃って理解してくれることに感謝した。
「ところで、名前を聞いてもあだだだっ!?」
アクアに手の甲をつねられた。鍛えてるし、レベルも高いから普通に痛い!
『まだ名乗っていませんでしたね。ランフリアと申します。今後ともどうぞよろしくお願いします、ヒガン様。』
オレたちのやり取りに笑いながら、名前を教えてくれるランフリア。
「もう何度もやり取りしてるんだから許してくれ…」
痛む手を振りながら抗議する。
断じてこれは浮気とかそういう話ではないのだ!
「それより、手伝いに来たんだがどうすれば良い?」
『皆様の仕事はアズサ様に一任してあります。向こうの天幕で今は休憩してたかと。』
「分かった。」
返事をすると歓声が上がり、メイプルの演奏が聞こえてきた。今日も盛況だな。
『おかげで若者達の良い刺激になってますし、歳が上の者達も若者に負けられないと張り切ってますよ。』
良い循環を生んでいるようだな。
深海発のアイドルグループとか生まれたりするかもしれない。
「あたしも頑張らないといけませんね。暇をみつけて何処かに絵を描かないと。」
『それでしたら、その壁を使って結構ですよ。地面も使って構いませんから。』
「なんと。」
めちゃくちゃ広いスペースに目を丸くするアクア。牽引車とコンテナ全部並べられそうなスペースだ。
「期待されて嬉しいです。でも、その前にしっかり復興のお手伝いをしましょうか、旦那様。」
「ああ。ちゃんと壊した分も直しておくからな。」
「…やっぱり壊していたんですね。」
「不可抗力、不可抗力なんだ…」
ランフリアに腹を抱えるくらい笑われながら見送られるオレたち。
ミンスリフの事が気掛かりだが、この街はすぐに立ち直れる。そう実感するやり取りだった。