番外編 〈漆黒風塵〉は訓練を行う
〈漆黒風塵カトリーナ〉
「もっと深く踏み込みなさい。反撃をさせてはいけませんが、恐れてもいけません。」
レオンの一撃を飛び退きながら切り払い、アドバイスをする。
今日は初めての真剣による訓練を行っていた。武器は好きなものを使わせており、片刃の短剣だ。昔、梓様が練習で作った物だそうで、品質はそれほど良くない。だが、拙い使い手の訓練にはこの程度で十分だろう。
「ふっ!」
私の心臓目掛けた鋭い突き。短剣の根元で受け流す。防いでなければ…ビクターの短剣が折れただけだろう。アリスの作った服は丈夫ですからね。
受け流す動作から幼い腕を両腕で挟んで引き、体の位置を入れ替える。
「っ!?」
刀身の背を細い首に押し当てると、レオンは武器を落として両腕を挙げた。降参のようである。
「多くの動作を身に付け、組み上げなさい。
素早く、流れるように、正しく、確実に。」
「はい…」
「では、もう一本。」
「何本でもやれます。」
「よろしい。来なさい。」
私たちの訓練は、レオンが力尽きるまで、2刻ほど続いたのであった。
力尽きたレオンを脇に抱えて家に戻ると、旦那様が箱を10個浮かしていた。なんとも異様な光景である。
箱はこの前、バニラ様がリリ様に作らせていたもので、私も操作させてもらったものだ。上手くいかなかったが。
「カトリーナ、もうちょっとレオンの持ち方をだな…」
私の様子を見て、旦那様が呆れた様子で言ってきた。
「ちょうど良い大きさですので。」
「乗せてやれ。」
浮いてる箱を何の動作もせずに並べてきた。
まるで、箱が意思をもって旦那様に従っているようだ。レオンを寝かせるにはちょうど良い大きさである。
「まだ見えない所で動かせないから押していってくれ。」
不自然に浮いている箱を押すと、レオンを寝かしている所も連動して動く。これは便利だ。
「ありがとうございます。旦那様もご一緒にどうですか?」
「えっ!?」
一瞬、箱が乱れ、旦那様が慌てて手を上げた。
「そんな慌てずとも…夫婦なのですから。」
「魅力的な誘いだが、オレが入ると遥香がうるさいからなぁ…」
「ふふ。そうでしたね。では、失礼します。」
脱衣所でレオンの口にポーション瓶を突っ込んで起こし、私たちは揃って汗を流したのであった。
東部に戻って来て以来、日替わり師範とやらを順番に勤めている。
今日の午前はレオンだったが、午後はフブキが相手だ。家の中ではアクアが絵画講習を行っているはず。
「では、お手並み拝見しましょう。」
「よろしくお願いします、師範。」
構えると同時にフブキの一撃が私の胸元に襲い掛かる。速い!
スキルをかなり制限している事もあるが、それを抜きにしても圧倒できる相手ではないようで、ただの貴族夫人では無いらしい。流石はユキの母だ!
鋭い一撃を跳ね除け、逆の手で一薙ぎするが、既にそこにいない。それは既に読み切っており、更に地を強く蹴る。
「あし!?」
目一杯足を広げ、地面すれすれの蹴擊でフブキの足を払った。
そのまま横に倒れたところ目掛け、跳躍し得物を突き立てる。
「やりますね!」
「ま、参りました…」
基礎は出来ている、といった程度だろうか。だが、致命的に経験が足りていない。
「剣に気を取られ過ぎました…
そうですよね。足も立派な武器なのですから。」
剣を引くと、悔しそうに土埃を払いながら立ち上がる。動きも雰囲気も、来た頃のユキを思い出す。
「ユキを仕込んだのはあなたでしたか。」
「分かりますか?」
「散々、鍛え合いましたからね。」
そう答えると、短剣を持つ方の手で口を隠して笑い出した。
「貴族の娘として短剣は身近な武器ですから。隠すにはこれ以上の物はございません。」
肌身離さず持てる武器。それは守る為の物。命ではなく…のはずだが、この母の血統は命を守る為の物に昇華したようだ。
食わせ者なのも納得である。
「それより、私としては師範の体がどうなっているのか気になります。私も体は柔らかいと思っていましたが…」
「最初に勤めていた場所が厳しいところでして、色々と訓練を重ねていくうちに体の柔らかさが重要だと気付きました。」
「確かに。高い柔軟性に我流の二刀。非常に対処が難しいですね…」
「我流、ではありますが、一通り武器の基礎は修めてますからね。
さて、ここまででおおよその課題は分かりました。その克服をしていきましょう。」
私がそう言うと、フブキが唾を飲む。
覚悟は出来ているようですね。
「ひたすら模擬戦を繰り返します。一戦やって休憩を繰り返し、その休憩で反省を済ませて下さい。休憩時間はこの砂時計分とします。」
「容易い訓練ですね。では、再開しましょう。」
こうして2刻、フブキと模擬戦を繰り返す。
1刻で余裕がなくなり、その後の半刻は必死の形相、最後の半刻は半死半生という様子で、終了と共に力尽きてしまった。
レオンと同じく脇に抱えると、意外としっくり来る。背の高さはユキと大差なく、気苦労が多かったのか見た目より痩せているように思えた。
「おおう…母上が次の犠牲者でしたか…」
居間で寛いでいたユキが、引き吊った顔で私たちを見ていた。
今度は遥香様が箱を浮かべていたが、数は4個ほどだ。
「遥香様は4個ですか。」
「えっ、他に誰がやってたの?」
そっちが気になるようで、箱があらぬ方向へ飛び、転がった。
「旦那様が10個浮かべてましたよ。」
「10!?10かぁ…」
手元に箱を1つ戻し、ジッと見る。
「あと、9個個並べてレオンを乗せましたね。ただ浮かせただけなので、離れている1個押すと、乗せている部分も同じだけ動かせましたよ。」
「んぐぐ…っ!」
積んである箱全てに、真っ赤な顔になりながら魔力を流す遥香様。箱が1つ、2つと静かに脱落し、5つしか残らなかった。
「むりぃ…」
遥香様にしては珍しく、弱気な様子を見せた。
「私は1つでもまともに操れませんでしたからね。5つは素晴らしいですよ。」
「あたしもなんとか4つでしたぜ。」
二人で、悔しそうにしている遥香様の柔らかい頬を撫でる。
「10年経っても追い付けないのかぁ…」
「遥香様と同じで、旦那も10年走り続けてるって事ですぜ。その半分でも大したもんですよ。」
「そうだね…」
しかたない、と思いつつ、それでも諦めるつもりはないようだ。
「旦那もバニラ様も、戦ったら絶対に負けると公言してやすよね。もう越えてしまっているのでは?」
「あんまりそんな気がしないんだよね…
何か想像しない事で負けそうで。」
「それは分かります。私もお二人と模擬戦はあまりしたくありませんから。」
予兆もなく、背後から魔法が飛んでくるのだ。あれは本当に怖いし、やりにくい。
「いやあ…それはお互い様だと思いやすぜ?
端から見てても取ったと思う一撃も、避けてカウンターが飛んで来るんですから…」
「お姉ちゃん、投げたナイフで耳を完全に切り裂かれてて泣きそうだったよね…」
あの時は全力で謝った。本気で投げてしまいそうになって、手元が狂ったのだ。
「それより、寝たフリしてる母上をさっさと連れていってくだせい。変なボロ出されると困るんで。」
「気付いてましたか。」
この親子は本当に掴みにくい。強い、わけではないのだが、行動の対策を打ってくるのが上手いのだ。
「降ろした方が良いですか?」
「あ、いえ、足が踏ん張れないのでお風呂に連れていって下さい…」
「わかりやす…わかりやすぜ…」
「お母さんもパワーで押したり、技で引いたりが巧いから、疲労が凄いんだよね…」
私たちに頬を揉んだり引っ張られたりしながら言う遥香様。…ッハ!?こんなことしていてはいけない。
「では、汗を流してきます。また後程。」
フブキ様を連れて脱衣所へと向かうと、降ろしてポーション瓶を口に突っ込んでしまい、慌てて謝罪した。
「申し訳ございません…つい、癖で…」
「い、いえ、そうですよね。あんな訓練はついていける方が少ないですよね…」
理解していただいて幸いです。
回復して動けるようになり、その後はユキの事を中心に話をしながら入浴を済ました。
夜も更け、作業室に積んであった箱を一つ居間に持ってくる。
まだ、リリ様が作業をしていたが、何処か上の空であった。
やはり、このままではダメだ。
これまで戦えてきたが、これからも戦えるとは限らない。この前のバニラ様によるアクセサリーの補助で強くそう感じた。
箱に書いてある通りに専属化を行い、集中。
魔力を強く意識する。マナも意識する。
この家はこんなにも魔力に…皆の魔力に満ちている。基本的に皆の魔力は温かみを感じるのだが、遥香様だけは妙に刺々しい。最近はそれが落ち着きつつあるので、このまま改善していただきたい。
余計なことを考え始めてしまったので、頭を振ってから集中し直す。
外のマナに、内の魔力に意識を集中する。
旦那様はよく魔力を練ると仰っている。その感覚がよく分からないので、今日はそれを目標にしよう。
練る、と一言で言えば簡単だが、難しい魔法に頼って来なかった私には困難を極めた。
洗練させる、研ぎ澄ます、どれも抽象的で雲を掴むかのよう。
旦那様は何と言っていたか…もっとしっかり聞いておけば良かった。
タメ息を吐き、目を開くと旦那様が座っていた。
「…覗きなんて趣味が悪いですよ?」
「覗きじゃなくて監督だ。」
そう言って、私の隣に移動した。
「ようやくカトリーナに魔法を教えられると思うと嬉しいよ。」
「出来れば独力で何とかしたかったのですが…」
「また、5年、10年待てるならそれでも良いんだがな。」
「…それほどまで私は才能がないのでしょうか?」
少しだけ悔しくなる。
旦那様の剣技のように、私には魔法の才能がきっとないのだろう…
「うーん。才能がないことはないと思う。補助付きだが、ヴォイドを使って見せたからな。
あれは自分でどう見えていた?」
「金色の光でしたね。」
「ふむ。」
ジッと私を見てから、ずっと持っていた箱に視線を移し、驚いた表情になった。
「ああ、そうか。なるほど…」
何がなるほどなのか?説明をいただきたい。
「カトリーナはセルフバフ特化型の魔力だ。無理に魔力を外に出す必要のないタイプだな。」
「セルフバフ…」
「自己完結型とも言うべきか。その体型でそのパワーの理由がようやく分かったよ。」
どういう事だろう?
私の鍛え方とどう関係があるのか?
「ジュリアと比べてだが、カトリーナは細すぎるんだよ。ジュリアはあれで中は筋肉が詰まっている。だが、カトリーナはそうじゃない。
確かに素晴らしい筋肉だが、それは力ではなく敏捷性を支えるものなのだと思う。」
ショックを受けなかった、と言えば嘘になる。
今まで鍛えてきた体は、実は非力なのだと突き付けられたのだから。
だが、同時に納得もした。かなり鍛えている柊様でさえ、私に及ばないのはそういう事だったのか…
「それなのに、強い力を持っているのは何故か?それは無意識レベルで魔力を体に巡らせていたからだろう。
急に魔力が見えていなかったか?」
「経験があります。」
「そうか。じゃあ、大丈夫だ。
大変かもしれないが、ちゃんと難しい魔法も使える。」
そう言って、旦那様は私の手を腿の上の箱に乗せた。
「ちゃんと、魔力は練れている。制御が甘くて箱に流れていたんだ。これ、何故かめちゃくちゃ魔力溜め込むからな。」
「えっ。」
箱に意識を向けると、確かに魔力が充填されていた。感じたことのない柔らかい魔力。
そうか、これが私なんだ…
「私の魔力はこんなに柔らかいものなのですね。」
「心だけじゃなく体もだけどな。」
「…どこの事を言っているのでしょうか?」
「柔軟性だ、柔軟性。」
箱を横に移動して旦那様に抱き付き、しっかり体を密着させると慌てて否定されてしまう。
このまま…とも思ったが、今はまだ旅の途中で一時的な長い休養期間だと自分に言い聞かせた。
「ありがとうございます。これでまだまだ戦えます。」
「…そうか。でも、まだこれは入口だ。ちゃんとオレにその輝きを見せてくれ。」
その後も少しだけ指導を受け、今後も半刻だけ指導を続けてくれると約束してくださった。
「ありがとうございました。私からもお礼をさせてください。」
「いつも世話になってるのはオレだしなぁ…」
「ずっと気になっていた旦那様のカタイ御体を、しっかり解させていただきます。」
「…頼むよ。」
旦那様の寝室へ移動し、私から旦那様に覆い被さって、始めた。
「うぐおおおああ!!」
痛みで叫ぶ旦那様。
だが、私は構わずに腕の、背の、股の固くなった関節をしっかり解して差し上げる。
「おもってたのとちがう…」
「明日もやりますからね?」
「娘よ、息子よ…お父さんはダメかもしれない…」
こうして連日、私と旦那様だけの夜の訓練が行われるのであった。