番外編 〈漆黒風塵〉は見張りをする
〈漆黒風塵カトリーナ〉
北部から帰還して2週間が経った。
一家の皆は医薬品、工業用部品、魔導具を送るための準備をしている。
アリスが医薬品、梓様が工業用部品、リリ様が魔導具の担当となった。
普段通りのお二人と違い、慣れないリリ様は遥香様、フィオナとの作業だ。
旦那様はというと、イグドラシルから戻って以来、バニラ様の側に居ることが多い。オーディンに言われて魔力を分けているだけと言っているが、どうも怪しい。それ以上の関係になっているのではないか?それだけが不安である。
まあ、あれで旦那様は分別はあるし、子供だと思っている相手には手を出さない。ユキは流石に私も騙されていたが…
旦那様を信じるしかないだろう。
レオンも10歳になり、手が掛からなくなってきたので極力自主性に任せることにしている。床掃除はもう十分にこなせているが、拭き掃除はまだ背が低くて届かない所が多く、私たちと分担していた。
そろそろ、ちゃんと包丁を持たせても良いだろう。料理以外も色々と出来るようになってもらいたい。
フブキ様もなかなかの手際の良さで、元領主夫人とは思えなかった。自室、応接間は元々自身で掃除をしていたのだろう。自分の空間、お客様を通す空間を綺麗にしておきたいのは私と一緒のようだ。ユキがすぐに出来るようになったのも納得である。
本日は交代で休養をいただくことになった。
この2週間はなにかと慌ただしく、メイドたちも家事だけでなく手伝いに駆り出されている。
疲労を心配されていただいた休養だが、心配なのは中心となっている皆様の方だ。食後すぐに作業を始め、昼食、夕食まで続くのはよろしくない。
協力するメイドたちが休んでしまえば、作業も止まるだろうという思惑もあった。
人々を救おうというお気持ちは尊いが、バニラ様のように疲れ果てては意味がない。
その為に先ずは元凶に休んでもらわねばなるまい。
ドアをノックしてから部屋に入る。
「失礼します。お着替えをご用意しました。」
部屋の中ではバニラ様がベッドの上に机を出して書き物を、旦那様がそれを真剣に読み込んでいた。
…うん。いつものお二人でしたね。
「ありがとう、母さん。」
まだ髪は白く、肌にも艶がないが、言葉はしっかりしている。連日、旦那様が付きっきりで世話をし、魔力を与えてもここまで回復しない物なのか…
あの日、旦那様がユキと帰ってきた日を思い出し、胸が締め付けられた。
「母さん、そんな顔をしないでくれ。
わたしは見た目ほど酷くはないんだ。ただ、魔力が抜けてるだけだから。」
「細胞…体を構築する要素が、勘違い起こして魔力を消費し続けているようだ。まあ、頑張りすぎた反動だな。成長過程で訓練をサボった罰でもある。」
「どういうことでしょうか?」
バニラ様の側に着替えを置き、尋ねる。
どうにも、お二人の話は難しいことが多く、理解が及ばない。
「他の三人は、しっかり身体訓練をここに来た時から積んでいたが、バニラはレベルが上がり切ってから始めているからな。体が魔力の無い状態で、上手く活動できないようだ。」
「何をするにしても、体は多かれ少なかれ魔力を使っている。元々魔力が低い段階で枯渇を繰り返していると、体が慣れて影響は出ないか、少ないようだが、わたしのような者は枯渇するとこうなってしまうらしい。」
「その事を文書にまとめて、母校に提出するそうだ。」
「後輩がこうなるのは忍びない。」
まったく。このお二人はいつも誰かの為に何かしている。もう少し、自分たちを大事にしてもらいたいものだ。
「では、終わるまでここに控えさせていただきます。」
『えっ?』
「ここに居ます。」
『あ、うん…』
本当に血が繋がってないのか?と思うくらいに揃うお二人。言葉遣い、我が身を省みない事、魔導師としての才能。本当にお二人はよく似ている。
「一番休むべき方が休むのか、監視させていただきますからね。」
「はい…」
そう言って、バニラ様は深く頭を下げたのだった。
これは、側にいる旦那様の役目ですからね?
笑顔で旦那様を見ると、スッと視線を逸らされてしまう。こういう時だけは勘が良い。
瞑想、旦那様から魔力の供給、瞑想と繰り返すのを眺めていると、少しだけ魔力が以前に比べよく見えていることに気が付く。
昔はそもそも感じる事も出来なかったし、感じられるようになったのはかつての仕事をこなし始めてからだ。
ここまで見えるようになると、私と比べ、お二人の魔力は尋常ではない密度である事が分かる。無駄がなく、綺麗に研ぎ澄まされた輝きが身の内に秘められていた。
それにも関わらず、魔力が枯渇している状態だというバニラ様。私の数倍は既に蓄えているのに…
「疑問なのですが、その魔力量で枯渇状態というのが信じられないのですが…」
私が問い掛けると、旦那様が微笑む。
「バニラ。」
一言名前を呼ぶと、魔力がその小さな体に染み渡るように消えていき、バニラ様が大きく息を吐いた。
少しだけ活力が戻ったように見えるが、あれだけあった魔力が微かにしか感じられず、不思議に思う。
「激しい運動をすると汗をかくだろ?あれは体を冷やす為だが、魔力は体の機能を高める為のものだ。
今のバニラは、魔力を水分とするなら脱水状態が近い。この作業は魔力の補充と、体に調整する為にやっていたんだよ。」
…ようやく理解が出来た。そうか、汗をかきすぎた状態なのか。
水分を補給するように、魔力をバニラ様に合わせる作業を繰り返しているという事なのだろう。
「バニラはもう2週間この状態だな。海水浴には間に合いそうだが。」
「もうそんな時期でしたね。」
「今年も水着を準備してもらわないと。
この前、南方に行った時にはキツかった。キツかったんだぞ。」
「へぇ。」
「もうちょっとこう…」
「バニラ様、相手は旦那様ですよ。」
「…遥香と同じ反応は心に来る。」
「それはそれでオレもショックだ。」
ハルカ様も、なんだかんだで旦那様に染まってしまったようだ…
「それは私もショックです…」
「なぜだ…」
呻く旦那様。誰のせいでハルカ様からキラキラが失せたと思っているのか。
最近はメイプルの後ろで、歌と躍りを練習している光景が堪らなく尊い。かつてのキラキラが戻ってきたようで、とても嬉しかった。
見物していたら、梓様からウチワというものを渡されてしまい、「アズサチャン!」とハルカ様が顔を赤くしていた姿が脳裏に甦る。
「水着の事は後でアリスに伝えておきます。製薬もそろそろ十分でしょうし。」
「ばーにーらー…」
珍しく、リリ様が何もかも放り出した様子で体を引き摺るようにやって来た。
「もうむりですよー…わたしにはあんなふくざつな刻印いくつもできませんよー…」
「頑張れ。わたしは頑張ったぞ?」
「そんなー…」
ベッドに顔を埋めながら悲鳴のような声を上げた。
「裏技を教えてやろう。」
「うらわざ?」
「出来上がったものを転写してハンコのようにするんだよ。私も量産品はそうやってから魔法で処理してる。」
「えぇ…先に言ってくださいよ…」
その為の物と思われる、大小無数の木や金属の印板を出して見せた。
2週間も真面目に手作業で刻印を施していたのだろう。流石に気の毒である。
「何言っている。これまで、色々失敗を重ねただろう?それを踏まえた最高の刻印を施す機会じゃないか。」
「あなたたちおそろしいですわたし…」
言葉が危うくなるリリ様。私は厳しい作業をする事はないが、その気持ちはよく分かる。
「そうだ、リリ。これを後で作ってみてくれないか?」
「えぇ…今ので手一杯なのに…あれ?シンプルですね。」
渡された紙を見て、意外そうな顔をする。
「門外不出のものだ。扱いには気を付けろよ。」
「えぇ…でも、こんな単純でシンプルなのがどうしてですか?」
「真に複雑なのはこっちだ。」
そう言って、机の上の魔石結晶をつまみ上げる。正直、私には全く意味がわからない。
「これを納める箱になるのですね。」
紙と結晶を見比べてから結晶を受け取るリリ様。
「出来たら持ってきてくれ。シミュレーターでもチェックしてもらったが、ちゃんと実物を確認したい。」
「分かりました。作ってきますね。」
「待ってくださいリリ様。」
すぐに出て行こうとするのを呼び止め、イグドラシル水を手渡す。私もアリスと同じく苦手だが、リリ様は一気に飲み干して満足げな表情になった。
西方エルフも不思議な種族である。
「ありがとうございます。カトリーナさん。」
グラスに洗浄と浄化を掛けてから返していただく。魔導師組はしっかり綺麗にしてくれるので助かる。
私にグラスを返すと、すぐに作業部屋へと戻っていった。…私たちが休んでも、お構い無しで何か作りたいようだ。
「結局、メイド以外は休んでいないようですね…」
私から目を逸らすお二人。
やはり、元凶をどうにかしないとダメだろう。
「作業はここまでにしてください。他の皆様が休みたがりませんので。」
「分かった。」
「…わたしもここで切り上げよう。」
素直に聞いてくれるようだ。だが、信用できないので、今日は一日お二人の側に居よう。
「カトリーナさん、ここに居やしたか。随分と賑やかですね。」
リリ様が作った箱で皆が遊んでいると、ユキがフブキを伴ってやって来た。
フブキ様、と呼びたいのだが、本人がフェルナンド様の預かりの罪人であることから、呼び捨てにして欲しいと言われている。
結果として罪人となったが、フブキのおかげで無事に北方の改革を進められたと、フェルナンド様とパヴェル様は言っていたそうだ。
厳しい財政事情で自ら変化をする余裕がなく、破綻目前だったようである。それに、あのまま町が蹂躙される事態となれば指揮官の下で軍事政権が樹立され、大変な手続きと管理された商売、高い関税で、商人が完全に寄り付かなくなっていた可能性もあったらしい。
難しいことは私もよく分からないが、バニラ様がこうなってしまうだけの価値はあったという事だろう。
我々だけでは、何も成し遂げられずに町を見捨てていたかもしれない。丸く納める為に、あの場にはどうしてもフェルナンド様たちが必要だったようだ。
「変わった玩具ですね。どうやって動いているのですか?」
フブキが飛んだり跳ねたりする箱を、興味津々の様子で尋ねる。
髪が短いこともあり、ユキとは印象が異なるフブキ。顔も似ている部分はあるが、といった感じの親子である。後は、北部特有の訛りがないのも特徴だった。
「ライトクラフトとエアロジェットとリレーを用いているんだ。
専属化もしているから、今は母さんにしか動かせない。」
「えっ。カトリーナさんが動かしているので?」
ユキが驚いた様子で私を見る。思わず強い鼻息が我慢できずに漏れた。
私だって魔力を操作出来るのだ。何処に飛ぶか分からないが。
右へ動かすつもりだったが、跳ねるように私の元に戻ってきてしまう。難しい。
「面白い動きですね。なんだか可愛い。」
「いやあ…これはミスった動きだと思いやすぜ…?」
ユキめ、言わなくて良いことを。しかたない。
「操作に失敗しました。」
「こんな堂々と失敗を認める方は初めてですわ…」
よく言われます。
箱を旦那様に渡すと、専属化が解除された。
「フブキさん。」
「フブキと呼んでくださいませ。旦那様。」
…なんだか並々ならぬものを感じる。ユキも気付いて困惑していた。
正直、私もエルフの年齢はよく分からないのだが、見た目が私と大差ないようなので焦りを覚える。
「…義母に手を出すと四女が怖いぞ。」
「フブキ、やめてくれ。オレも四女が怖いから…」
「母上、必要だったとはいえ、父上を殺めたんですから5年はそれらしくしてくだせい…」
3人で恐ろしい母親を嗜める。
「ユキ、5年で良いのかしら?」
「出来ればずっと未亡人でいてくだせい。母上は火種にしかならねぇんで!」
本気で懇願するユキ、この娘にしてこの母である。
「とんでもないライバルが増えた…」
「娘に手を出したなら、義母に手を出しても良いのですよ?北部ではよくあることですので。」
「関係が複雑になりすぎるので出来ればそれだけは…」
「旦那、北部でそんな事は滅多にありやせんからね?」
嘘か真か、地域の実態に疎いことを良いことにとんでもない事を言い出すフブキ。
これはなんとしても旦那様から離さなくてはならない!
「無いならこれから作れば良いのです。一家の皆様はそうして来たのでは無いのですか?」
「なるほど。確かに…」
『バニラさま!?』
言いくるめられるバニラ様。これはまずい!
「ココアが結ばれたならわたしも許されて良いはずだ!」
『ダメです!』
全力で否定する私とユキ。
魂はともかく、体はまだ成長途中の子供のまま。良いはずがない!
「ユキだって以前より成長してる!わたしと体の歳は変わらないはずだ!」
「だいぶ違いやすからね!?」
「もういい!このままきせいじじつをつくるんだ!」
そう言って脱ぎ始めたバニラ様を慌てて私とユキで止める。
「なるほど、既成事実を…」
「母上!?」
とんでもない事態になり、大慌てで二人を抑える私とユキ。
騒ぎに気付いたアリスとジュリアも加わり大騒動になるのだが、いつの間にか旦那様が居ないことに全員が気付き、全員揃って微妙な空気になっていたのはなんとも恥ずかしかった…