15話
交渉は義母殿の扱いを巡って紛糾したそうだ。
保護の為に引き取るというフェルナンドさんと、その首を表に吊るすべきだ主張する司令官。是が非でも生け贄が必要だと思っているようで、非常に強硬な態度を取っていた。
北部からは、旧ヒュマス領への出兵が出来なかったのも一因だろう。魔物狩りだけでは気が済まない、と思っているのが居るのはどこも一緒らしい。
その生け贄交渉だが、打ち切らせたのは一家から共通大金貨1900枚の寄付の一手だった。
こんな話で交渉が先に進まないのは望まない、これでお終いにしろ、というアリスの言葉と共に打ち切られる。流石の脳筋司令官も、この大金と小さなプライドでは割りに合わないと判断したようだ。
交渉の場で出したのはアリスだが、払ったのはユキらしい。『これであたしの勝ちですぜ。』と、アリスに向かって目の焦点が合わないまま震え声でドヤっているのが目に浮かぶ。あれで意外と小心な所があるからな。
自分の金じゃないからか、強かなアリスは条件をもう一つ付けた。北の果て、海中ダンジョンの無制限探索許可というもの。オレたちとしてはこちらが本命である。
北の果てと海中ダンジョンを制限する理由がないとお墨付きを得たどころか、そもそも海中ダンジョンの存在を認識していなかったようで、そちらに驚いていたそうだ。
これで一家の仕事はほぼ終わった。
義母殿の護送も引き受けたそうで、感動の別れはなんだったんだという感じではあるが、それもオレたちらしい所ではないだろうか。
本人たちは本当に死別を覚悟していたようだからか、それを茶化す者は誰もいない。
ここで護送を引き受けたのはもう一つ理由がある。バニラだ。
フェルナンドさんに長距離念話という無茶をしたせいで、元に戻り欠けていた髪の色がまた白くなっていた。
このおかげで今回は丸く収まった訳だが、バニラの疲労が限界に達してしまい、住み慣れた我が家でしばらくはゴロゴロさせておこうという事になったのである。バニラはトレーラーでも良いと言っていたが、船の事もあり、北部への物質協力もしたいのでちょうど良いタイミングだ。
地域のゴタゴタが収まってからの方が、こちらとしても気持ち良く攻略が出来るというものである。
東部と北部の経済協力が締結された事で、気になるのはこちらも半鎖国の西部と、北部と似た事情を抱えるビースト国家群だ。
西部の動きは早く、交易の再開を数日で打診してきたらしい。ただ、冬季以外という事だそうで、冬は閉ざされると見込んでいる様子。
春には契約内容が変わることになるだろう。
ビースト国家群は足並みが揃わないようで、独自接触する都市や町、村ばかりだったそうだ。
今回の交渉で、10年の間に東部で育てたものが一つ芽吹いた。植物研究者である。
東部という恵まれすぎた土地に対し、北部という過酷な大地。そこで収穫量を増やすことこそ研究者の本懐!と揃って移住してしまったそうで、流石にフェルナンドさんも引き留めたようだが、成果は毎年提出するという事で押し通したらしい。燃える研究者は強い。
研究者の育成に一役買ったのがノラだったようで、何気ない一言が研究者の魂に火を着けてしまったそうである。当の本人は覚えがないらしいが…
そんなこんなで、後始末も含めて2週間程度で戻ってきてしまった東方エルフの中心地。
しばらくは戻らないと思っていた第2の我が家に到着し、ぞろぞろと家に戻っていった。
「立派な家ですね…」
相変わらずのログハウスなのだが、義母殿の目には立派な家に見えるようだ。
恐らく、前庭の印象が大きいのだろう。今はノラのおかげで綺麗な花が咲き誇っている季節だ。
しっかりとサクラを含め、全員が降りたのを確認してからトレーラーは亜空間収納へとしまっておいた。見ていた義母殿がどえらい顔になっていたな。
さて、その義母殿だが、名を改める事となる。元の名では活動しにくいというのが理由のようで、元からは遠い名前、という事でフブキという名になった。危うく、シロとかトーフとかになりそうだったが、人名としてはマシな所だろう。特にトーフと付けたがったバニラは反省するように。
スノウだと翻訳の都合でユキとの区別が危うそうな気がするし、名付けは気を付けないといけない。
こちらでの休養期間中に、ユキがメイドとしてしっかり鍛えてからフェルナンドさんの奥方に預ける事になるそうだ。立場上、連れて北方遠征は難しいからな…
この際、しばらくは親子3代仲良くしてもらいたい。
…結局、本名を聞き逃してしまったな。
北方絡みでもう一つ。
パヴェルさんの側に居たユキ似の北方エルフは兄と姉で、二人は総領や重臣の家族を連れて東部へ逃げていたらしい。その計画を立てたのは義母殿だそうだ。
早々に破綻することを察していたようで、勢力を拡大する前に優秀な人材を連れて脱出させ、フェルナンドさんの庇護にあったようだが、中央からは離れていたそうだ。目立つ活躍をしていたユキを巻き込むのを警戒した可能性がある。
二人はパヴェルさんの側でしばらくは事後処理に勤しむ事になり、父の後始末にぼやき続けることになるのだろう。
こうして、結果として政治的な大問題を一つ解決する形で、オレたちの第一次北方遠征は終了したのであった。
「遥香、どうした?」
日陰になっている前庭のベンチに座り、ぼんやりしている遥香に声を掛ける。
北部から帰ってきて、こうしている事が多い。前は訓練の鬼みたいな感じであったが。
「…お父さんか。」
チラッとこっちを見ただけで、顔も体も向けて来なかった。
「今回も活躍出来なかったなって…」
「大活躍だったじゃないか。」
「なにもしてないよ?」
「お前があの姿で、あの旗を掲げた。それが1万の精鋭に匹敵する抑止力になったんだよ。
お前がこれまでやって来たものがなければ、生まれなかった結果だ。」
「…実感がない。」
大きなタメ息を吐いてからの一言。
「1万の雑兵の中から見てたからよく分かる。お前が姿を表した瞬間、動揺が生まれた。
戦ったら死ぬと思ったんだろう。」
「…私、そんなに怖いのかな。」
「悪名が立ちすぎたからな。嫌ならしばらくは善行に勤しめ。孤児院通い、清掃活動、ミニ串の露天販売…やれることは多いぞ。」
再び、大きなタメ息。
なんだか、最近は誰かのタメ息を見る機会が多い。
「やっぱり、お姉ちゃんは凄いんだね。
私には何一つ真似出来そうにないよ…」
「それはお互い様だろう。
バニラも遥香のようにはなりたくてもなれないと思っているさ。」
「…そっか。そうなんだ。」
そう呟くと、ようやく肩の力が抜け、オレの方に顔を向けた。
「お父さん、私には戦う以外に何があるかな?」
この時を待っていた。10年、本当に長かった。その答えも用意してある。
「歌と躍りだな。」
「…本気?」
「ああ、本気だ。何を隠そう、オレは10年前からずっと、お前が楽しそうに歌って踊る姿が好きなんだよ。」
「…言ってくれればもっと練習したのに。」
「ひねくれたお前の事だ。理由を付けてサボってたさ。」
「むぅ…」
ちょうど訓練場の方から歌声が聞こえてきた。
「行ってこい。メイプルなら喜んで練習に加えてくれる。悠里も、ノエミも、ジェリーも喜ぶよ。」
「…しかたない。お父さんに乗せられてみるよ。」
久し振りに色々と吹っ切れた様子の笑顔になり、遥香は訓練場へと向かっていった。
幼い娘たちの歓声の後に、メイプルと遥香の歌声が聞こえてくる。
望んでもなかなか実現しなかった瞬間が、ようやく実現した気がする。
「…ようやく、少し落ち着ける気がするな…」
二人の演奏と歌声に耳を傾けていたら、いつの間にか眠っていた。
そんな穏やかで幸せな一時であった。
バニラの疲労感が抜けず、髪の色の戻りが遅いので、一度その筋の専門家であるオーディンに見てもらうことにした。
ココアを連れてきた時以来なので、もう5年以上は前になるか。
『我をなんだと思っている。医者でも便利屋でもないのだぞ。』
不機嫌そうな面持ちでそう言われてしまった。
「まあ、そう言うな。梓とアリスとアクアと
遥香の新作を持ってきた。着て、見て、味わってやってくれ。」
『そういう事なら仕方ない。』
意外とチョロい神様である。いや、皆の研鑽あってこそだからチョロくはないのだが。
アリスの用意した外套を纏い、梓の打った短剣と、アクアの描いた北部の風景画を眺め、とても満足そうであった。
ミニ串はエルディーから持ってきた贈答用の果実酒とセットにした。
花畑の真ん中に豪華な椅子とテーブルを用意して、満面の笑みで飲み食いを始める。
もう一つ椅子が用意されたので、そこにバニラを座らせるが、突っ伏して眠ってしまった。
『皆、腕を磨いているな。満足せず、高みを目指し続けるのは好ましいことだ。』
「ああ、そうだな。」
一番それを体現しているのは、目の前で眠っているバニラだろう。
『消耗が大きすぎて、生命活動にまで影響を及ぼしているな。寿命がどうこうという話ではないが、ここまで酷使を続けると半年は休養をした方がいい。』
「半年か…」
一番、楽しみにしていたのがバニラだが、抜きで攻略をしないといけないな…
『だが、それは自然回復を待った場合だ。
汝の魔力を分け続けてやれば、二月程に縮まるだろう。』
「それでも二月か。」
『肉体も酷使しているようだからな。
どうやら、無意識に自身の限界を外しているようだ。』
「オート全身全霊状態か…厄介だなぁ。」
発想も行動も、容易に限界を越えてしまうのがバニラだ。ココアが居れば負担も減らせるかと思ったが…難しい。
『完全に戻るまで、付いていてやれ。
汝の側に居れば、娘も無理はしなくて済むだろう。』
「そうだな。」
長距離念話以外は、オレが居れば…という事が多いからな。完全に状態が戻るまでは一緒に居てやろう。
「頼りになる相談相手だよ。」
『我も忙しいのだが…まあ、土産があるならまた来ても構わんぞ?』
「神様に御供えは必要だからな。」
『だが、イグドラシルの物は避けてくれ。もっと他の地の物が好ましい。』
「覚えておくよ。じゃあ、またな。」
バニラを抱えると、あっという間に入り口の転送門へと送り返されていた。
「おっと、すまんな。邪魔をした。」
目の前で、若いパーティーが揃って拳を突き上げている。
今から突入というタイミングだったようで、謝ってからその場を後にした。
魔力をバニラのものに合わせながらゆっくり分けるのを意識しつつ、賑やかなイグドラシルから我が家までの道を歩く。
北部ではまだ見れなかった繁栄が、活気がここにあった。
あの厳しい大地も、この小柄な発明家によって近い繁栄を得られたらと思うと少し胸に期待感が湧く。
寝惚けて何やらモゴモゴ呟くが、街の熱によって声はかき消されてしまった。
今はこの華奢な英雄を、ゆっくり休ませてやろう。