番外編 〈白閃法剣〉は母を労う
〈白閃法剣ハルカ〉
とても気の重い一日の始まりだ。
お父さんとバニラお姉ちゃん、色々と見えるサンドラは治療院へ。
私たちはなるべく家に居るように言われる。何かあった時、すぐに居場所が分かるようにとも言われた。
想像以上に厳しい事態のようで、蓄えていたポーションまで持ってくるように梓ちゃんが通話器で言われていた。
「…落ち着かない。」
訓練も身に入らず、料理をしても何か上手くいかない。掃除も見落としが出る有り様だ。
「ハルカ様、座っていてください…」
「うん…」
アクアに言われ、居間のいつもの席に着き、突っ伏す。足を揺らしたくなってしまって落ち着かない。
「その落ち着きのなさは私の時に取っておいて貰いたかったのですが…」
リナお母さんが苦笑いしながら私の手を取った。二度、三度撫でて、服の上からお腹を触らせてくれた。
「今日、生まれてくる子は弟かな?妹かな?」
「どちらでしょうね。どちらでも、きっと可愛いのでしょうけど。」
「この子のお兄ちゃんかお姉ちゃん…」
「お祝いの言葉と、労い言葉を考えましょう。」
「あ、プレゼントにハンカチ用意したんだ。」
「良いですね。きっとアリスも喜ぶと思います。」
上質な生地で作られたハンカチ。裁縫が得意なお母さんにプレゼントするのはどうかと思ったけど、綺麗な刺繍がしてあるから喜ぶはず。
「綺麗ですね。きっと記念になるでしょう。」
「そうだと良いな。」
落ち着かないのはソニアちゃんもだ。
リナお母さんを挟んで反対側に座り、私と同じ様にお腹に触れている。
「お二人がこうですから、ハロルドさんはどんな気持ちなんでしょうね。」
アクアが苦笑いをしながら言う。
「昨日から病院に居そうですぜ。
縁は切ったとはいえ、やっぱり大事な娘で初孫ですからね。」
「あの顔でおじいちゃんか…」
柊お姉ちゃんが複雑な表情で呟く。
確かに、お父さんより若く見える顔でおじいちゃんとは思えない。
「兄も、一番上の姉もまだ結婚しておりませんからね。同じ様に気を揉んでいるかもしれません。」
ドートレス家は浮き足立ってそうだ。
国営訓練場は大丈夫だろうか?
この状況の中、仕事を終えたメイプルが鼻歌を歌いながら演奏をしている。子守唄が決まらないそうだ。
「なんだかこっちが眠くなってきやしたぜ…」
欠伸をするユキと、その様子に苦笑いするリナお母さん。
「やれることがありませんからね。しかたありませんよ。」
この状況なので、今日は午後からも子供たちは来ない事になっている。
サクラはと言うと、寂しがるどころか、久し振りにダンジョンの改修が出来ると張り切っていた。
だいぶリソースが貯まっているそうで、大改修になるそうだ。
『わたしだ。』
唐突に置いてあった通話器から、お姉ちゃんの声が聞こえてくる。
『無事に生まれた。色々あって大変だったが、アリスも双子も無事だよ。』
『良かった…』
みんな、声を揃えて安堵する。
全員、心配していたのは同じだったようで、その様子に笑いが起きた。
「ハルカ様、ソニア様、アリスを労って下さい。きっと喜ぶでしょうから。」
「あたしも行きます。様子を絵にしておきたいので。」
「期待していますよ。」
「あたしは憎まれ口を考えておきやす。」
少し涙声のユキ。実は、一番心配していたのはユキなのではないだろうか?
『憎まれ口も含めて伝えておくよ。』
「え、えぇ…」
想定してなかったのか、言った本人が困惑する。
特に準備する必要もないので、私たち三人は急いで治療院に向かうのだった。
「おとーちゃんが役立たずだった!」
梓ちゃんの第一声がそれだった。
本当に何をしたら良いのか分からなかった様で、バニラお姉ちゃんと、色々と見えるサンドラがいないと、三人の命が危なかったそうだ。
ポーションは他で起きた、大きな事故対応に使ったらしい。かなり危険な状態だった人も、それでなんとかなったようだ。
この大きな事故、一家と無関係ではなかった。
私たちの影響が大きい国営訓練場を妬ましく思った貴族が、かき集めた少ない資金で同等のものを目指したそうだ。
だが、資金不足であらゆる倹約をした結果、春と夏の間に吹く特有の突風で足場が崩壊。建設中の建物も、人も、野望も飲み込まれてしまった。
分散して収容したとはいえ、数の多くない治療院。ここも野戦病院の様になり欠けたとのこと。バニラお姉ちゃんの指導を受けた子に連絡し、他の治療院の手伝いに送ったそうだ。
…ますます、一家の名声が高まる気がする。
アリスお母さんはと言うと、そのままでは麻酔が効きそうにないので耐性低下アクセサリーを着ける必要があった。
一家で一番体が弱いアリスお母さんだが、一般基準からは何もかもが飛び抜けているため、更に能力低下のアクセサリーも着ける必要がある。そうでもしないと、どうやらお腹を切る事も無理だったようだ。切った側から治り始めたら手術にならないもんね…
これに関しては、後の二人も無視できないだろう。
詳しい説明は避けられたが、お姉ちゃんの魔法に頼る必要があるくらい大変な状況だったそうだ。お母さんも覚悟はしていたそうで、いざという時は使って欲しいと治療師に頼んでいたそうだ。
「普通なら母子共に帰れない可能性まであったと言われた。リザレクションの開発過程で、しっかり人体を研究したお陰だよ…」
疲れきった様子で言うお姉ちゃん。本当にご苦労様。
「赤ちゃんに会えないの?」
「早すぎる出産だからな。まだ色々な刺激から遠ざけた方がいい。
わたしはこれから、退院までなるべく付き添うことになる。治療院の手伝いも請われたからな。」
魔法の研究が、結果的に色々な人の助けになっているお姉ちゃんが眩しい。
思わず自分の手を見る。この硬い手は何を救えるのだろうか?
「遥香。お前の手はまだこれからだ。決め付けるのは早い。」
優しく手に触れ、たしなめる様に言う。
「お前くらいの歳の時は、本当に荒れてたからな。何が正しいのか、間違っているのかもよく分かってなかったよ。」
「そうだったんだ…」
「それが異世界で発明家をやったり、医者の助手をしたりだ。こんな未来、想像できるもんか。」
私の手をむにむにし始める。少しくすぐったい。
「父さんの様に英雄になる道も、ソニアの様に人を教える道も、それとは違う道もある。
まだ12、3の娘じゃ、自分を決めつけてしまうには早過ぎる。」
「うん。色々とやってみるよ。」
話し終えるタイミングでお父さんが現れる。
「アリスと面会しても大丈夫だそうだ。」
「わかった。」
「アクア、絵を描くなら準備をしてくれ。短時間なら良いそうだ。」
「は、はい!」
大慌てで下絵セットを取り出し、お父さんが全員に洗浄と浄化を掛けて、中へ誘導した。
「お母さん。」
「お姉様。」
笑顔のまま横たわり、返事をしないお母さん。その横にはタオルで巻かれた赤ちゃんが二人。人と呼ぶには余りにも未熟に思えた。そして、角はまだない。
「…今、泣き止んだ所でな。」
防音の魔導具の効果か、全く分からなかった。
そのせいで喋るに喋れないようだ。
「すぐに描いちゃいますね。」
そう言って、場所を決め、凄まじい速さで下絵を描き始めた。
「お父さん、これお母さんに。」
「私もこれを。」
「ちゃんと渡すよ。」
「出来ました。」
『はやい…』
アクアの完成宣言に呆気に取られる私たち。どんどん、早くなってる気がする…
「わたしたちもあるが、後にしよう。」
「そうだねー」
そう言って、バニラお姉ちゃんが赤ちゃんを戻して良いと伝えに向かう。
短かったけど十分だ。ちゃんとこの目で『弟と妹』の確認ができた。
ちゃんと生きてる。生まれてくれた。それが分かっただけで十分なのだ。
「お母さん、お疲れ様。また来るからね。」
「ハルカ、もういいのか?」
「休ませてあげたいから。」
「そうですわね。お姉様、ゆっくりお休み下さい。家の事はお任せを。」
「あ、それと…」
大事なことを忘れていた。
「ユキが泣きながら喜んでて大変だったよ。」
一瞬だけ驚いた表情になったお母さんだったが、すぐに苦笑いに変わる。きっと分かっているのだろう。
挨拶を済ませ、私たちは足早に部屋から出る。
「不思議だね。あんなに小さいのにしっかり生きてる。」
「そうですわね。ちゃんと生きる意志を感じられました。」
「どんな子になって、どんな道を選ぶんだろうねー?」
「いったい、どちらに似るんでしょうね?」
全く想像がつかない。だからこそ楽しみだ。
弟に何を教えよう?妹と何をしよう?
気が早いが、今から将来が楽しみで仕方なかった。
その後、アリスお母さんが戻ってくるより早く、二人も出産となる。
やはり、ステータスが高すぎる問題があったが、バニラお姉ちゃんのおかげで解消される事になりそうだ。
だが、その前に解決したい大きな事件が起きる。
「魔眼狩りです。」
夏の入り口、雨季真っ只中にサンドラが深刻な顔で私たちに問題を伝えた。
ルエーリヴだけの話ではないらしく、亜人国家全体で散発的に行われているそうだ。
目的は不明だが、眼だけ奪われ生かされる者、殺されてから奪われる者と様々だ。
「由々しき事態だな…」
お父さんが深刻な顔付きで言う。
魔眼持ちの保護を掲げているだけに、これは無視できない事件だろう。
「治療院にも運ばれてきていた。その際に、怪我だけでなく、魔眼もしっかり治したらぶちギレられたよ。どうやら、生き残ったヤツは、望んで奪われたみたいだな。」
しっかり対策も訓練も出来ないと、邪魔なだけなのだろう。
「殺されたのはどういう事だろうな?」
「魔眼を贈り物と思う者も少なくありません。有用な事に違いありませんから。」
「寄越さなかったからか…」
眼を集めてどうするのだろう?
私には全く見当がつかない。
「何か使い道があるの?」
「わからん。そもそも、人の眼をくり抜くなんて行為、したいと思わんだろう…」
「…そうだよね。」
仮にやったとしても、秘密にしてしまうのだろう。
お父さんやお姉ちゃんにも、見当がつかないようだ。
「生き残ったヤツは口を開かないだろうし、死人は口を開けない。
…厄介なことになった。」
魔眼持ちの保護や活躍を目指す私たち。その私たちと真っ向から対決するかのような行動だ。
「わたしたちを知ってか、知らずか…」
「もっと大々的に動く?」
「…それは保護者様に説明してからがよろしいかと。」
今までの境遇故か、行動に消極的なサンドラ。
誰も責めたり、否定したりしなかった。
「そうだな。何処まで知られているかは分からないが、次のステップの頃合いかも知れない。」
「アリス母さんに相談は?」
「大丈夫。方針は事前に話し合ってある。」
細かい事は私たちで、という事か。
「まず、大事なことをなんだが…」
ジゼルとサンドラを交互に見るお父さん。
「お前たちはどうしたい?」
二人の意見で、多くはないが他人の人生が決まる。
それは、二人にとって、とても重い選択と責任を突き付けられた瞬間であった。