番外編 〈魔国英雄〉VS〈蒼刃閃姫〉
晴れ渡る秋空だが、昼頃であるにも関わらず、大地は傘のように覆うイグドラシルによって日差しが遮られている。
それでも大地を照らす光を完全に遮る事は出来ず、あちこちに出来た日溜まりに人が、獣が昼の陽射しを浴びて休んでいた。
いつもなら穏やかなそんな昼の一時。大きな歓声がいつもと違うという事を物語る。
始まる賑やかな演奏、弾むような声。どこまでも響け、届けとばかりに奏で、歌う音が日溜まりの照らす大地に熱狂を生み出した。
この熱狂はライブというまだこの地に生まれたばかりの概念が、この大樹の下で暮らす人々に受け入れられたという証明。
だが、この大きな熱狂を生んだ芸術も、これから始まる対決の前座でしかない事を観客も、演者もよく分かっていた。
『みんなー!あったまったかなー?』
対決用の舞台の上で満足なパフォーマンスを終えたメイド姿の演者、メイプルが観客に問い掛けると大きな歓声が答えた。
『じゃあ、あったまった所で今日のメインイベント、メイプルの仕える旦那様とお嬢様の対決、はっじっめっるよー!』
歓声は更に大きくなり、入場口に二人が見えると歓声や罵声が飛び交う。
一人で都市一つ守り切り、生きた伝説と言われる〈魔国英雄ヒガン〉と、その才能を受け継ぐどころか超えたと噂される〈蒼刃閃姫ハルカ〉。
この大陸で活動する多くの冒険者、戦士、兵士にとって、この二人のどちらが強いかという論争は毎日の酒の肴となっていた。
グレーター・デーモンの単独撃破、1都市単独防衛、タイラント・オーガロードの単独撃破と個としての名声が目立つ〈魔国英雄〉に対し、〈蒼刃閃姫〉はパーティとしての名声が際立っており、それが賭けのオッズに反映されていた。
だが、二人と距離が近い者ほどその評価は逆になる。
『英雄はたしかに強いが剣技はからっきしだ。我流の不格好な剣技は見世物にならねぇよ。』
と、エルディー魔法国南部伯爵領の部隊長は言い、
『旦那様の剣技では、ハルカ様に敵いませんよ。そもそも、本気でハルカ様と戦えるのか怪しいですから。
あの麗しいお顔に傷など付けたら私が許しません。絶対に許しません。』
と、ヒガン一家のメイド長は言う。
しかし、魔法という要素を加味すると、また評価が変わってくるのがこの二人の関係だ。
『父さんの魔法の扱いは誰も及ばない。わたしだってその半分に辿り着けているかも怪しいくらいだ。
もし、魔法を遠慮せずに使うなら…ちょっと分からないな。』
と、〈魔国創士〉が言い、
『父さんも遥香も人相手は大して上手くないよ。
ただ、酷い内容になるかもしれないけど、何をするか分からない面白さはあると思う。』
と、〈蒼星拳士〉は言う。
この事前取材の内容は、観客達の今日の対決への期待と想像を膨らませ、熱狂を生み出す要因となってしまった。
取材に応じた当人達は、これ程の人にコメントが読まれてしまったのかと会場で恥ずかしそうにしている。本音が漏れ過ぎたメイド長は特に。
そんな観客達はヨソに…とはいかないこれから対決する二人。
大歓声の中、フル装備で舞台の中央まで向かい合う二人だが、ガチガチである事を舞台慣れしたメイドは見逃してくれなかった。
「旦那様も遥香様もこういうのは初めてですか?」
メイプルの問い掛けに、錆びた音が聞こえてきそうな様子で揃ってゆっくり顔を向ける。
『ここまで盛り上げろとは言ってない…』
「あはは…」
完全に呑まれてしまった二人。
珍しく顔が青くなり、ガタガタ震えていた。
「この程度、お二人のこれまで歩んで来た大舞台に比べたら大した事無いのでは?」
二人を落ち着かせるために宥めるメイプルだが、
「何万という視聴者が居たと言っても、配信と舞台は別物だぞ…」
「わたし とうぎたいかいも でてない…」
このような場に立った事がない二人には効果が薄かった。
見てられないメイプルは二人の肩に手を乗せ、アドバイスをする。
「この熱狂ですから気にするな、とは言えません。
だったら、お二人の戦い方を見せ付けちゃいましょう。旦那様が不格好な戦い方をするのはみんな存じてますし。」
「フォローになってない…」
「わたし おとうさんみたいに かっこわるくないし…」
「おい。」
ヒガンが遥香の頭を小突くとブーイングが起き、慌ててメイプルが二人の間に割って入る。
『あー、いけませんいけません!開始前に手を出すのはいけません!』
メイプルにそう言われ、憎たらしげに娘を見てから腕組みをするヒガン。
「やっぱりお前はいつまで経ってもクソガキだ。」
「む、その呼び方は許さないからね。私の方が強いって証明するから。」
そう言うと、お互いに握り拳をぶつけ合って距離を取った。
大丈夫と判断したメイプルが、拡声用魔導具を起動してルール説明を始める。
『回復や毒などだけでなく、アンティマジックも禁止、純粋に剣技と魔法での勝負となります。』
「おう。」「わかった。」
いよいよ始まりが近付くと分かり、観客のボルテージも上がる。
応援する声は遥香に対してが圧倒的に多いが、ヒガンに対しては『お前が負けたら明日から野宿なんだぞ!』『ヘソクリ全額賭けたんだからね!』『研究費の為に勝てよ!』という声ばかりだった。
「…オレ、手を抜いた方が世のためじゃないか?」
「そんな事したら、毎晩アッシュ君の枕になってもらうからね。」
「寝苦しいどころじゃないから真面目にやろう…」
「よろしい。」
ようやくお互いに覚悟が決まり、亜空間収納から剣と盾を出して構える。ただし、遥香は剣を左手で持つ。二刀流の母に鍛えられた結果、どちらでも差がなく扱えるようになっていた。
『それでは、時間無制限、どちらかが倒れるか、場外か、ドクターストップが入るまで…READY FIGHT!』
メイプルの合図と共に一瞬で間合いを詰める二人。
盾同士での殴り合いは多くの観客が思わず耳を塞ぐ程の甲高い音を響かせ、メイプルも悲鳴を上げながら衝撃波で場外へと吹き飛ばされた。
遥香ならこうする。お父さんなら受けてくれる。
互いを信頼し合うからこその一撃が、沸き立つ場内を一発で静めた。
【インクリース・オール】【バリア・オール】
互いに盾で圧し合いながら魔法で能力を向上させる。
【鬼神化】
【魔導の極致】
取得には厳しい修練が必要だが、近接系にはメジャーなスキルを使う遥香に対し、ヒガンは大陸中の魔導師で取れている者が居るのかも不明なスキル。
それを魔導師ではなく、魔法剣士が使ったことに衝撃が広がる。
そんな観客の動揺など余所に、本格的な力比べが始まった。
体格差など気にせず、力で圧倒しようとする娘に対し、ヒガンは魔法でその意気を挫くことに専念する。
だが、手の内をよく見て熟知している遥香は、魔法など撃たせまいとばかりに剣を突き出し、集中力を削ごうとした。
ヒガンはその一撃を剣で受け流すが、それで魔法が使えないわけではない。
【ファイア・ストライク】
密着していた盾の隙間で魔法が炸裂し、二人との間に距離が出来る。
【ファイア・ストライク】
この距離は自分のものとばかりに何発も畳み掛けるヒガン。攻撃に備えて構えたままで、声を出さず、特別な動作も一切していない事にどよめきが起きる。
【エンチャント・ファイア】
父のそんな非常識な魔法の撃ち方を見慣れている遥香は、動揺せずに盾で防ぎ、剣で弾き、跳んで、走って凌いでみせた。
起きるのは歓声と言うよりも感嘆の声と拍手。
大きめの盾を持ち、鎧を纏っているとは思えぬ足の速さ、軌道や着弾点を見極める能力もしっかり示してみせた。
【ファイア・ストライク】
再び放たれる無数の火球。
だが、今度はまともに対処する事はせずに、
【ファイア・ブラスト】
炎の奔流が火球諸共、父を飲み込んだ。
容赦ない一撃に悲鳴とどよめきが起こる。
【エア・ブラスト】
本来なら前方へ放射のみの魔法を使い、受け流すように周囲へと放射して炎を吹き散らしてしまった。
「あっつ!ひぃー!」
舞台の縁から覗くように観戦していたメイプルだったが、ここも安全ではないと察して更に遠ざかる。
吹き散らされた火は周囲に飛び散り芝生の上で燃えたりもしているが、コントロールされて草一本焼けることはなかった。
この程度、対応してみせるだろうと思った遥香の行動は早く、魔法を終えると同時に回り込むように駆け出す。
舞台上では未だに燃え盛る炎。それで視界を遮るように素早くヒガンの右手側目掛けて剣を突き出すが、
「っ!」
慌てて横に飛び退く遥香。
その居た場所に向かい、背後から【ファイア・ストライク】が撃ち込まれた。
これには大きなどよめきが生まれる。離れた所から魔法が発動されたという点でもだが、まるで『視えていた』かのように避けたという事もだ。
高い魔力を持つ二人がこれだけ魔法を撃ち合うと、滞留した魔力のせいで感知はほぼ役に立たない。実際、魔力感知を用いて見物していた者達はファイア・ストライクをバラ撒かれた辺りで諦めていた。
にも関わらず、離れた位置から的確に走る場所へと放たれたファイア・ストライク。それをまるで魔力の流れを見ていたかのように避けてみせた娘。
父の魔力制御、感知力の異常さと、娘の感知力と身のこなしの異常さを証明する瞬間となった。
どういうカラクリがあるのか分からず、話し始める観客達。
仕込みか?それにしては殺意が高すぎる。
普通に見えていた?でも、背中に目があるはずがない。
などと、試合そっちのけで話し合いが始まろうとした瞬間、再び盾同士がけたたましい音を立ててぶつかり合った。
初撃とは違い、魔法やスキルで能力の向上している二人。2回目はほぼ全員が耳を塞ぎ、舞台上に注目する事となった。
「あれを避けるとは思わなかったぞ。」
「見えてるなら避けられる。どんな魔法でも!」
先に剣を振るったのは遥香。
ヒガンは逆袈裟の一撃を剣でいなし、容赦なく娘の剣を持つ二の腕を一突きして刈り取らんとする。
だが、遥香は身を捩って避け、逆に父の肘を刈り取ろうと剣を再び振り上げる。
【ファイア・ストライク】
だが、その一撃は盾から放たれた魔法を避けたせいでバランスを崩して空を切り、ヒガンは無防備な娘の右手首を掴み上げる。
遥香はまだ右手があるとばかりに盾で殴り付けようとするが、その行動は読まれており、盾で遮られてしまった。
「チェックメイトだ。」
それは余裕か、勝ちを確信した慢心か、娘を傷付けたくない無意識か。他人相手なら出て来ない一言が一瞬の時間を生む。
遥香は父から流れ出る整った魔力が自分を通り抜け、背後で魔法となるのを感じて、ではなく、『視て』いた。
(このままでは負ける。まだ届いてすらいないなんて認めない。認めたくない!)
その一心で採った遥香の行動は…頭突きだった。
「っ!?」
流石にこれは読めなかったヒガン。モロに喰らい、鼻血を出しながら涙目になるが、掴んだ遥香の腕は離さない。
やってやったという表情を見せる遥香だが、それがヒガンの闘争心に火を灯してしまう。
「こんのっ!」
「っ!?」
大人気ない、魔法剣士同士の戦いとは思えない頭突きでの仕返しが遥香の額を直撃した。
唖然とする場内。とんでもない高度な何かを見せ付けられた直後の頭突き合いに困惑が広がっていく。
想像以上のダメージで、ふらつきながら下がる遥香。ヒガンも娘の石頭っぷりは想定外だったようで、同じようにふらつきながら下がる。
気が付くと二人揃って剣を落としてしまっていたが、それでも燃え盛る闘争心は消えない。
拳が、足が全く防ごうとする気配の無い両者に叩き込まれ始める。
既に正気ではない二人だったが、ドクターストップを掛ける役のバニラでは手に負えず、東部総領のフェルナンドと〈蒼星拳士〉の柊が止めに入るまで、酷い殴り合いは続いたのであった…
試合は終わっても大陸中の話題であり続ける。
酷い終わり方を含め、冒険者、戦士、兵士、そして、魔導師達にとっても酒の肴とするには十分な内容となった。
『他はどう思うか分からんが、最高の試合だったぜ。
あの頃と変わらない英雄の姿、それを追い続けた娘との直接対決が見れただけでもう…』
と、エルディー魔法国伯爵領の部隊長は言うと、涙ぐんで鼻をすすり上げながら去る。
『とてもお二人らしい型もへったくれもない戦いでした。旦那様はともかく、ハルカ様はまた訓練に熱が入るかもしれませんね。
…旦那様について?あの人は汚泥でも喰ってりゃいいんじゃないですかね。ハルカ様に頭突きをしたり殴ったりするとか信じられません。』
と、ヒガン一家のメイド長は言うと、遥香の控え室へとすっ飛んで行った。
魔導師達にとってもこの戦いはとてもいい刺激になったようで、
『魔法は基本的に周囲から発動するのが精一杯だ。
だが、もしなんらかの形でその制限を無くせるなら、魔導師の戦い方が変わるだろう。
すまん、言いたいことは多いが、二人の状態が気になるからこれで。』
と、ヒガンの長女は答えて父の元へと向かって行った。
二人の戦いは魔導師への大きな刺激となり、半端者と蔑まれる事の多かった魔法剣士の標となる。
魔導師にとっては【極致】スキルを魔法剣士が身に付けてしまった衝撃があまりにも大きく、若い者達の間で流行っていた一家式トレーニングを導入する長老クラスが現れるほどで、時代の変化を突き付けられる形となった。
魔法剣士にとっては己のスタイルを見直し、より剣士寄りか、魔導師寄りか、それとも違う形かを追い求める切っ掛けとなる。
ただ、互いの力の差を比べる為だけだったはずの決闘。
だが、この決闘がもたらした熱狂は、世界が変わっていく事への始まりの合図のようであった。