無理のツケ
前回の訓練から三日が経過し、次なる訓練に挑むカイ。
それはエレノアにとって、またと無い機会であった。
エレノア=シア=アルベルタは、所謂名門家の娘であった。
貴族家の血を引く母と、エリストル聖騎士団第三師団長を父に持っている。
産まれて直ぐの頃は、もちろん社交界へと進む為の教育を受けていたのだったが、気晴らしにと剣を持たせたのが幸いしたのか災いしたのか、彼女は聖騎士としての道を歩む事になる。
父親としては願っても無い出来事だったが、母親としては微妙な心境になった事は言うまでも無い。
そうして剣の稽古を続ける内に、父への憧れは強くなっていった。
その内に言葉遣いも毅然とした物へと変わり、貴族特有の社交界へ戻る事など、考えもしなくなった。
齢にして十五の時には聖騎士団へ入団を果たし、現在二十二歳となった今、彼女は伸び悩んでいた。
エレノアは、お世辞にも記憶力がある方では無い。
憧れていた職業で、熱意は充分あり、規則の学習時間も多く取っていた。
しかし、試験に合格するのに足るほどの知識を蓄える事が出来ないのである。
そんな彼女にとって、第一師団長からの申し出は、逃す訳には行かない好機なのである。
「はぁっ!」
「うっ!ま、参った...」
エレノアは、容姿端麗で肉付きも良いため、男衆からの人気は低くはない。
しかしその強さの余り、近付く物はいない。
部隊での模擬戦では負けを知らず、喉元や腹に剣を何度突き付けたか、彼女ですら覚えていない。
「(調子は悪くない。それどころか、相手の癖を見る力が付いたような気さえする...)」
「...カイの特訓に付き合うのも無駄では無い、か」
最初こそ心の内に面倒臭さを隠していたが、特訓から二日しか経っていないにも関わらず、思わぬ収穫に喜んでいた。
「さあ、次っ!」
訓練が終わり、明日の任務を確認しに行った。
部隊毎に看板が設けられており、配属が振り分けられると名札が張り出される、簡単な仕組みである。
「ん...?名前が無い...あ、そうか。明日だったか」
そんな呟きを耳にした周囲の隊員が、恐ろしい物を見る目をして、エレノアから身を引いていた。
「「「(アイツが笑ってる...明日は天変地異が起こるぞ!)」」」
「...?」
そんな視線を特に気にする事も無く、エレノアは自室まで戻って行った。
「おかえりー」
「ああ、ただいま」
同室のアイラでさえ、エレノアを一見して驚いた。
余りにも笑顔が咲き誇り過ぎている。
「どうしたの...?何か変な物でも食べた...?」
「何だ、皆して物珍しい物を見る顔をして」
「え、エレノア。鏡見て。早く」
「何なんだ...全く」
そして鏡を見たエレノアの目に飛び込んだのは、似つかわしくない笑みを浮かべる自分の顔であった。
「...!?こんなだらしない顔をしていたのか!?」
「(この子もうダメね。完全にホの字だわ)」
「か、体を洗ってくる!」
「ごゆっくりー」
「(カイとは特例措置の為の一時的な関係があるだけで...何も無い...そうだ、何も無いんだ...)」
「(何も無い...何も無いはずだ...いや、一つだけ...)」
カイによって命を救われ、秘密を共有した。
その事実が、エレノアの感情を揺さぶっていた。
「戻ったぞ」
「おかえりー。今日はもう寝る?」
「そうする...何だか疲れた...」
寝具に倒れるように飛び込んだ。
エレノアの感情は、既に落ち着き払っていた。
「(秘密を守り守られる...ただそれだけだ...それ以外に何も無い...)」
そう言い聞かせて、眠りについた。
その翌日、カイは朝の内に最低限の運動を終えていた。
訓練場を五十周、ゼルシオを振る事五千回、基礎鍛錬を千回ずつ...
これはゼルシオによる扱き以外の何者でも無かった。
普段の数倍はやらされたので、カイは既に疲れ果てていた。
「お前...何のつもりだ...」
(何がだァ?)
「もう動くのもキツいんだぞ...こんな状態でどうしろって...」
(始まれば分かるさ。お前に必要な物がなァ)
何がしたいのかよく分からない。
何をしているのかも、よく分からない。
ただ、俺が疲れ果てていようがいまいが、エレノアはやって来てしまったのだ。
「何やら疲れ切っているようだが...」
「き、気にしないでくれ。試したい事があるんだ」
「大丈夫だと言うのならいいが、無理はするなよ?」
「無理は承知の上だ。さて、やるか!」
相も変わらず、自分の攻撃が全て躱されてしまう。
しかしその反面、エレノアの攻撃を躱せている様に感じる。
無意識の内に、カイは防ぐ事より避ける事に徹していた。
剣を常に自分から振りに行ける状況にあるため、後手に回る事も少なくなるのである。
次第に、エレノアも剣を受け流さずにマトモに受ける様になってきた。
「ふむ...試みは上手く行っている様だな!」
「どうやら...そうらしい...ウェ...」
エレノアはまるで疲れていないのだが、カイは最初から疲れているので握力がもたず、そのうち剣を弾き飛ばされてしまった。
「ハァ...ハァ...ッ」
「本当に大丈夫なのか?かなり顔色が悪いぞ...」
「まだ...まだまだ...これから...だ...」
とは言ったものの、そのまま前に突っ伏した。
どうにも一人では動けないので、エレノアの肩を借り部屋まで戻してもらった。
「助かったよ。ありがとな、エレノア」
「この位の事は気にするな。しかしお前は馬鹿だな、体にあった訓練をするべきだと言うのに」
「それなんだけどな...」
《俺のせいなんだなァ、これが》
「うっ、吃驚するから急に出てこないでくれ!」
《いやはや、それは済まない。して、こいつを疲れさせたのは他でもない俺なんだがな》
「限度という物があるだろう。結局一度しか模擬戦を行えないのでは、何の訓練にもならん」
《ぬゥ...しかしだなァ...》
「それに物事には順序がある。大きな戦争をやったのなら、それぐらい分かる物だと思っていたが...違うらしいな」
《この...クソ...反論出来ねェ...!》
ゼルシオが言いくるめられている様子は、なんだか新鮮で面白かった。
「さて、それだけ疲労が溜まると腹も減るだろう。何かしら気の付く物を作っていこうか?」
「時間はいいのか?」
「予定していたより訓練が短くなったし、ここに来る時は、本来は非番扱いでな。戻っても仕事が無いんだ。と言う訳で、どうだろう?」
「それならお願いするよ」
(ふむ...これはこれは...)
そんな会話の中で、ゼルシオはエレノアの心を読み取って、その本心を知ったのだった。
しばらく待って、机に並べられた料理は豪勢な物だった。
しかし良くも悪くも、女性らしさの欠片も無い料理である。
「さあ、食用陸竜の特製香草焼きだ。食べ切れなくても、一日程度は保存が効く。何も気にせず食べてくれ」
「これは...すごく美味そうだ...」
てらてらと輝く肉の油。
鼻に薫る色とりどりの香草。
そして何より、その肉の大きさと言ったら、食欲が掻き立てられないはずも無く。
「じゃあ遠慮なく...!」
口に入れた瞬間叩きつけられる油の旨味。
それを吸い取った香草が放つ爽やかな薫り。
弾力がありながら噛み切りやすい歯応え。
クレオで食べていた肉塊の味を遥かに上回るこの料理には...
「最高だ...」
思わず息を着かずには居られなかった。
暴力的な肉料理を完食し、腹を落ち着かせるために辺りを歩く事にした。
とは言っても聖騎士団の施設なので、下手に歩けば何があるか分からない。
結論として、エレノアに同行してもらい、見つかったりしたら適当に言い訳をしてもらう事になった。
「あんなに美味い料理を作れるなんてなぁ、驚いたよ」
「あれは料理と言うか、ちょっとした知恵の範囲だ。父に教わった野営食の一種で、香草だけ持っていれば、適当に肉を調達するだけで作れる。荷物も軽くなるし、何より簡単だ 」
「へぇ...エレノアの親父さんもこういう仕事してるのか?」
「してるも何も、第三師団長だ」
「は...」
「別に驚かなくてもいいだろう。親が聖騎士だから子も聖騎士になる事など、至って普通だ」
驚いて当たり前だった。
第一師団が業務全般を任せられるのに対し、第三師団は戦闘専門の部隊だ。
つまりその長ともなれば、アインスさんよりも戦闘だけなら上を行く...そういう可能性だってある。
それ程の男を親に持ち、今まで全く話題にしなかった所を見ると、エレノアがどれほど謙虚であるかは明確である。
「まあ、それだから私は《七光り》なんて呼ばれる事も多いがな...別に、そうであっても自分の実力が伴っていればいい。私はそんな輩を相手にする前に、一人の騎士として強くありたい」
高尚で、真っ当な志だと思う。
こうまで一筋に努力出来る人間はそうそういないだろう。
しかし、だからこその疑問が一つ、カイの中にあった。
「なんで...座学を覚えられないのをなんとかしないんだ?」
「...言うな」
「え?」
「それ以上は言うなと言ったのだ。たたっ斬るぞ」
どうやらと言うか、やはり触れられたくないようだ。
「あれ?エレノアじゃない。どうしたのこんなとこで...って、誰?その人は?」
「なっ、アイラ...なんでここに...」
「何でも何も、雑用に決まってるでしょ。この先にあるのは陰気な倉庫と元第七師団の施設ぐらいだからね。で、その人誰なの?もしかして例の冒険者?」
「ああ、そうだ。無理な訓練をして倒れたから、食事を摂らせて腹ごなしに歩いていた所だ」
妙に鋭い勘の持ち主のようだ。
エレノアに比べてやや小柄で、青の様な紫の様な、変わった髪色と、爽やかな緑色の目...そして、エレノアとは似ても似つかない性格に見える。
「それはそれは...どうも冒険者さん。私はアイラ、アイラ=スルト。この子の同期で、相部屋の聖騎士なの」
「へえ、そうなのか。俺はカイ=ステイルス。『鉄』の冒険者だ」
「今後ともエレノアの事、よろしくね」
「ん...そういう時って、普通は自分じゃないのか...?」
「私なんていいの。エレノアの事、ちゃんと面倒見てあげて。じゃあ私は行くから」
「ああ、分かった」
「余計な事を...」
《ハハ...アイツとは分かり合えそうだ》
「それまた、どうして?」
《いやいや、お前らが知る必要のない事だ》
その後は別れて部屋に戻り、特に何もせず寝た。
こんな事で、『銅』に昇級出来るのだろうか...と、不安が募り始めていた。
アイラは戦闘はあまり得意ではなく、雑用を主に任されています。
そう言った点でも、エレノアとは正反対の立ち位置なのです。




