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【後編】


 如月(きさらぎ)静乃(しずの)は自宅の居間でスマホの画面と睨み合ったまま唸っていた。

 陽那(ひな)と会った日から一週間、まだ連絡はこない。

 静乃の方から連絡をするのは簡単だ。陽那だって嫌だとは言わないだろう。だが出来ることなら二回目は向こうから会いたいと言わせたい。これで音沙汰がなければ脈なしだと諦めることも出来る。

(諦める……諦められる? 陽那ちゃんみたいな良い子、二度と会えないかもしれないのに? イヤよそんなの。無理、絶対無理)

 静乃の頭のなかでは次に食べに行く店の候補がいくつか浮かんでいた。そこに連れていったときに喜んでくれる陽那を想像するだけで静乃の心はあたたかくなる。一日でも早く一緒に食べに行きたい。

(もしかして何か気に障るようなことを言った? お母さんのこととか触れられたくない話題だったかもしれないし。それとも初日で5万は渡し過ぎで引かれたとか。下心があるってバレてたらどうしよう。あぁ~、やっぱり普通の金額にしとくべきだったかしら……でもたくさん渡しとけばまたすぐ私に会いにくるかもって思ったのよ。違う相手とママ活される心配も減るし)

 パパ活もママ活も複数人と行うことは珍しくない。金額の相場は一回会うごとに数千円から一万円程と言われているので、それなりのお金が欲しければ当然相手の人数も増える。

 静乃としてはなるべくなら陽那には自分だけとママ活をして欲しいと思っている。というよりも他のおばさん連中と楽しそうに話している陽那を想像したくなかった。

(私ってこんなに独占欲強かったっけ。今までの女の子たちはよそで何をしてようが、私の求めに応じてくれるなら別に気にしたこともなかったんだけど)

 ママ活で出会う相手との繋がりはつまるところ金銭によるものだ。お金が欲しい、お金をあげたい。この二つの欲求があって初めて成り立つ関係だ。静乃がお金を持っているからこそ彼女たちは慕ってくれる。

 金銭での繋がりは簡単に結べる代わりに脆く切れやすい。それは女の子の体を目当てとする静乃にとっては好都合だった。気前よくお金をあげれば好感度は勝手にあがっていくし、もし会わなくなったとしても後腐れがない。

(そうよ。陽那ちゃんだって他の子たちと変わらない。どれだけ良い子に見えていても結局私のお金が目当てなのよ。私が入れ込めば入れ込むほど後がつらくなるだけ。もっとドライな関係でいいじゃない。私がお金をあげて、その見返りに体を提供してもらう。今までと同じ。それ以上を求めちゃダメ)

 言い聞かせるように静乃は何度も心の中で呟いた。自分の本当の望みが何なのかを考えないようにする為に。

 そのときスマホに通知が表示された。メッセージが届いたという報せ。送信元は陽那だった。

 静乃は姿勢を正して急いでスマホを操作し始める。すでにさっきまで考えていたことなど頭から消えていた。

 指を素早く動かす静乃の表情は、まさしく恋をする乙女のそれだった。


    ◆  ◆


 愛川(あいかわ)陽那(ひな)は自宅のベッドでスマホの画面と睨み合ったまま唸っていた。

 静乃と会った日から一週間、相手からの連絡も無ければ陽那の方から連絡することもなかった。

 連絡をしなかった理由は特にない。しいて言えば気乗りがしなかったからだ。

 想定の数倍のお金を貰えたことは確かに喜ばしいことだった。しかし同時に『本当にいいのか』と自問自答をしてしまう。静乃に蓄えがあると言っても会う度に5万を渡し続けるほど余裕はないはずだ。静乃の名刺に書いてあった会社も調べてみたがそこまで年収が良さそうには見えなかった。

 初回だけのサービスで多めにくれた、というのが一番大きな理由だろう。それはつまり静乃が陽那のことを気に入ってくれたということ。

 嘘で塗り固めた外面だけが優等生の陽那を。

(いっそ札束ちらつかせて『欲しかったら一緒にホテル泊まって』くらい言ってくれれば私だって遠慮なくもらうんだけど)

 もちろん誘われても泊まる気などないが、相手が大金を渡す意図が明確に分かればどう対処するべきかが見えてくるというもの。身に余るほどの善意を受けてなお平気な顔を出来るほど陽那の(つら)の皮は厚くない。

(静乃さんが良い人すぎるんだよ。普通こういうママ活なんかしてる人なんて承認欲求の塊かエロいことばっかり考えてるはずじゃないの? あんな私の嘘なんか信じるような善人はママ活なんてしない方がいいよ。ってなんで私があの人の心配しなきゃいけないの)

 お金を出すか出さないかは静乃の意志次第だ。陽那の方から直接要求したわけでもないのに気にする必要なんてない。

(……そろそろ連絡した方がいいよね。逃げたって思われても困る。静乃さんから何も言ってこないっていうのは私がお金を必要としたときだけ会うってスタンスなのかな? あの人精神的にも大人だったしなぁ。たぶんあんな感じで他の女の子とも会ってたりしてるんだろうな)

 静乃の慣れ具合を見ればそのくらいは想像できる。ただ、その場面を思い浮かべるのは面白くなかったが。

(そうだよ。別に私だけが特別ってわけじゃない。あれが静乃さんのデフォルトなんだろうから私が変に気を利かせても意味ないよね。うん、そうと分かったらこんなうじうじ悩んでても時間のムダ。他の子に渡す分のお金を私が貰わなきゃ)

 言い聞かせるように陽那は心の中で呟いてから、スマホを操作し文章を打ち込み始めた。

「連絡遅れた理由は講義のレポートやってたでいっか。えっと、ご連絡遅くなってすみません……」


    ◆  ◆


 翌日の夜、静乃は赤坂にある日本料理屋に陽那を連れてきていた。先週食べたホテルビュッフェが洋食だったので次は和食にしようと決めていた。

 襖で仕切られた小さな座敷に通され、仲居さんが出ていってから陽那がおずおずと切り出してきた。

「あの、先週いただいたお金なんですけど……」

「ん? もしかして足りなかった?」

「と、とんでもない! 十分すぎるくらいです!」

 静乃も本当に足りないと思って聞いたわけではないが、陽那はぶんぶんと首を横に振って否定した。その仕草を見てくすりと笑う。

「さすがに毎回あれだけ渡したりはしないわよ。最初だけね。でも陽那ちゃん的にはあのくらいの額がずっと欲しいよね?」

「そんなことないです! しばらくはいただかなくても大丈夫なくらいなので!」

 望んだ通りの言葉と反応に、静乃は胸中でうんうんと頷いた。

(こうやって私に対してちゃんと気遣いをしてくれるのが陽那ちゃんの良い所なのよ。お金もあって困るものじゃないだろうし、貰えるだけ貰っちゃえって考えでもおかしくないのに『しばらくいらない』なんて普通言う? 本当になんでママ活してるんだってくらい良い子が過ぎるのよ!)


    ◆  ◆


 陽那は自分の口から出た言葉に、自分で驚いていた。ママ活をしておいてお金がいらないなんて何の為にやっているのか。

(違う違う。優等生の回答を探したら自然に出てきただけで別に静乃さんに気を遣ったわけじゃないから。それにほら、一気にお金を絞り取るよりもゆっくりにした方が相手の心情的にも楽でしょ? 好感度もお金も稼げる最高の答だから)

 胸中で自分を言いくるめる陽那に、静乃が問いかける。

「陽那ちゃんってバイトとかしたことあるの?」

 咄嗟にその質問の意図を探る。お金が欲しいなら何故バイトをしないのか、という意味なのだろうか。『真面目に働くのが嫌だからです』とは答えられない。当たり障りのない答えを選んで陽那は返答した。

「バイトはしたことないんです」

「あ、そうなの。てっきり何かやってたのかなと。お金の価値をしっかり分かってる子って自分で汗を流して働いたことがある子が多いからさ」

 なんだそういう理由か、と陽那は内心で息を吐く。

「お金を稼ぐのが大変なことくらいは私にも分かりますから。バイトもしてみようと思ったことはあるんですけど、母が学生の間は学業に集中しなさいって言って許してくれなかったんです」

(本当は私が『留年せずにちゃんと卒業するからバイトしたくない』って拒否したんだけどね。社会人になってからイヤってほど働くのに学生のうちから働きたくない)

 そんな事実を知る由もない静乃は陽那の言葉に首肯した。

「お母さんの言うことももっともだと思うわ。大学って自由がきく分勉強が疎かになることも多いしね。シングルマザーってことは奨学金も貰ってるんでしょ? だったら陽那ちゃんが頑張れば返済もいらなくなるんだから理に適ってると思う。もちろんバイトで社会経験を積むのも全然悪くないんだけど」

 シングルマザーと言われて陽那は一瞬なんのことかと思ったが、そういえば自分で決めた設定だったと思い出した。

 これ以上つっこんで聞かれてボロが出る前に陽那は話題を逸らしにかかる。

「静乃さんはバイトとか結構されたんですか?」

「んー、やったけど居酒屋と本屋とコンビニくらいよ」

「十分じゃないですか。やっぱり大変でした?」

「まぁ慣れるまではどんな仕事も大変よ。でも要領さえ分かってくれば負荷も減るし楽しいって感じられるようになるから」

「静乃さん仕事出来そうですもんね。私要領よくないから静乃さんみたいな人が一緒に働いてくれれば頑張れるかも」

「陽那ちゃんならどんな仕事でも大丈夫よ。たいていの仕事は愛想と気遣いがあればなんとかなるから」

 静乃の助言に陽那は適当に笑って返しながら内心で一息ついた。

(これでとりあえずは安心かな。家族のこととか話してるとついうっかりお父さんがどうとか喋っちゃいそうなんだよね。私は母子家庭で教師を目指して頑張っている女子大生……うん、もう忘れない)


    ◆  ◆


 静乃は涼しい顔をして胸中で独りごちた。

(確かにバイトはしてたけど居酒屋はキツくて一カ月で辞めたのよね。慣れるまで大変とかどの口が言えたもんだか。まぁわざわざ幻滅させることもないし黙っとこう)

 尊敬というのも一種の好意だ。せっかくの陽那からの好意を無下にする必要もない。

 料理が座敷に運ばれてきた。机の上に並んでいく品々に二人とも目を奪われる。刺身の盛り合わせや季節の野菜の天ぷらにホタテの味噌貝(みそか)焼き。陽那の驚きと喜びを混ぜたような表情を見て静乃は微笑んだ。連れてきてよかった。

 料理に舌鼓を打ちつつ味の感想などで盛り上がったところで、さて、と静乃は気合を入れた。陽那がバイトをしていないというのは静乃にとってかなり有益な情報だった。部活にも入っていないのなら時間はそれなりに余っているはず。勝負をかけるならここしかない。

「もし陽那ちゃんがよかったら学校終わったあともこうやって夕食一緒に食べない? おすすめのお店まだまだあるから連れていってあげたいの。もちろん課題とかやることあるならそっち優先でいいから」

 仲良くなるためには会う頻度を増やすのが一番だ。お金をあげると直接言うより食べ物をきっかけにした方が了承もしやすいだろう。

 陽那は少しだけ考えてから静乃を窺うように見た。

「あの、あまりたくさん会ってたら、静乃さんの負担になってしまいませんか?」

「――――」

 静乃の脳が揺れた。こんなときでも静乃のことを気遣ってくれる優しさがいとおしくなる。にやけてしまいそうになる頬を、奥歯を噛んで引き締めた。

「私の負担なんて気にしなくていいのよ。むしろ陽那ちゃんとこうやって話しことで元気をもらってるんだから私にとってはプラスなの」

「そう、ですか。そう言ってもらえるなら嬉しいんですが、本当に無理はしないでください。このお店も高そうだし」

「大丈夫よ。ここも高級料亭ほどじゃないし、庶民でも手が届く範囲のところにしか行かないわ」

「静乃さんが大丈夫ならいいんですけど……。私はファミレスでもファストフードでも静乃さんに連れていってもらえるならどこでも嬉しいですからね」

 静乃は思わず『じゃあ私の家に来る?』と聞いてしまいそうになり自制した。誘うにしても時期が早すぎる。このタイミングで聞いたら最初からそれ目当てだと思われてしまうではないか。実際その通りなのだが。

 ふと静乃の頭に妙案が浮かぶ。なるべく表情を出さないようにそれとなく呟く。

「まぁ確かにファミレスならここの会計の3分の1くらいだろうし、私も助かると言えば助かるわね。あ、食事代を減らす分、会う回数を増やすっていうのはどう? 陽那ちゃんが良ければ毎日でもいいんだけど」

 さすがに毎日は少し攻めすぎたかも、と静乃は不安になったが陽那はあっさりと頷いた。

「家での夕飯もあるし毎日はちょっと難しいですけど、何も予定が無ければ是非」

(やった!)

 静乃は胸中で快哉を叫んだ。これからは気軽に陽那を食事に誘える。お互いのことを知るにはなによりも時間と会話が大事なのだ。頻繁に会えるならそれが一番良い。そうして徐々に距離を詰めて、頃合いを見て家に連れていこう。


    ◆  ◆


 さっそく明日の夕食はどこで食べたいかを尋ねてきた静乃に適当に答えながら陽那は自分の言葉を振り返っていた。

(静乃さんに連れていってもらえるならどこでもいい、は言い過ぎたよね。もし『私の家で手料理振る舞いたい』なんて言われたら断れないところだった。いや、静乃さんが無理矢理ヘンなことをしようとするとは思えないけど、一応警戒だけね。会う回数が増えるのはこっちも願ったり叶ったり。高級な料理もいいんだけど、だったら安くした分現金でくれる方がありがたいし。これは決して本当に静乃さんの財布を心配してのことじゃないから)

 金銭に対する心配はママ活においては余計だ。会って話して食事してお金を貰う。利害の一致した二人だからこそ成り立っているのに、そのバランスを崩すようなことをしてはいけない。

(これはあくまでお金をたくさん貰うために私の印象を良くしてるだけ。私の本心じゃない。私の本心じゃ――)

 どこのファミレスが好きかで会話に花を咲かせながら、陽那は胸中で言い訳を続けていた。



 その日から陽那の静乃と会う頻度は格段に増えていった。二日に一回は夕食を共にするようになり、休日も静乃が行きたいと言った場所に付き合うようになった。

『上野動物園にパンダ見に行かない?』

『池袋のサンシャイン水族館でやってる毒の生き物フェアが面白いんだって』

『猫は好き? 一回猫カフェってとこに行ってみたいの』

 一緒に出掛けることを繰り返し、あるとき陽那ははたと気付いた。

(これ、普通にデートしてるだけなのでは?)

 もちろん諸々の費用は静乃持ちだし、夕食を食べたあとに『お釣り取っておいて』と数千円もらってはいるが、デートで奢られているだけと言えなくもない。

(まぁ私としてはタダで遊びに行けてるしお金も貰えて得しかないんだけど。静乃さんと出掛けるの楽しいし)

 年長者だからこその知識や経験の豊富さで話す話題に事欠かず、流行にも敏感で話していて歳の差を感じさせない。それでいてしっかりと陽那を引っ張っていってくれる。最近では陽那自身も行きたいところを提案するくらいには楽しんでいた。

(もし私に恋人が出来たらこんな感じなのかな)

 想像しようとして相手の顔が静乃になってしまい苦笑する。それだけ一緒にいる時間が増えたということだろう。

(ただ、静乃さんの出費も増えてるのが申し訳ないんだよね。私の為にお金を使ってくれるのは嬉しいんだけど、こうほとんど毎日だとさすがに悪いというか……。私からは何もあげられてないのにこれでいいのかな)

 とはいえプレゼントを渡すにしても元が静乃のお金だと思われると微妙だし、陽那が出来るとすれば肉体労働くらいしか思いつかない。

「静乃さん、肩とかこってませんか? 仕事終わって疲れてないです?」

 ファミレスで食事が終わってから陽那は静乃に聞いてみた。一番簡単で分かりやすい感謝を示す方法は肩揉みだと小学生のころに両親から学んでいる。

 静乃は一瞬きょとんとしてからすぐに笑った。

「急にどうしたの? あ、もしかして何か欲しいものでもある?」

「ち、違いますよ。何でそうなるんですか」

「だって子供がお小遣いをねだるときの常套手段でしょ?」

「私はもう子供じゃないですし、お小遣いだって貰い過ぎなくらい貰ってます」

「ごめんごめん、えっと肩がこってるかだっけ?」

「そうです。いつもよくしてもらってるのでせめてお礼に肩揉みをと思って」

「あぁそういうことね。でもそれで肩揉みっていうのが陽那ちゃんらしくて可愛い」

「……それは褒めてるんですか?」

「もちろんよ。じゃあ是非お願い、と言いたいんだけど私あんまり肩がこらない体質で――」

 言いかけてから静乃が止まった。表情も開いた口もそのままで2秒程経ってから再び言葉を続ける。

「で――肩はこらないんだけど最近腰が少し痛いから、腰をマッサージしてもらえたら嬉しいなぁ、なんて」

「腰ですか? 構いませんけど腰痛は病院で診てもらった方が。ヘルニアなら悪化するかもしれないですし」

「大丈夫! そこまで酷い感じじゃないから! 多分誰かに少しマッサージしてもらえれば治る感じのやつだから!」

「はぁ。静乃さんがそう言うなら私でよければマッサージしますよ」

「本当? ありがとう。じゃあここを出たら私の家に案内するからそこでお願いしていい?」

「あ、はい」

「ドリンクバー最後に取ってくるわね。陽那ちゃんは何飲む?」

「えっと、じゃあメロンソーダで」

 コップを二つ持って席を立った静乃の後ろ姿を陽那は目で追った。見て分かるくらい静乃の足取りが軽い。あそこまで上機嫌なところを見るのは初めてかもしれない。

(そんなに私を家に案内出来るのが嬉しいんだ)

 いつになく喜んでいる静乃を眺めながら陽那はくすりと笑う。

 嫌な気はまったくしない。むしろ陽那も静乃の家に行くのを楽しみに感じていた。どんな家に住んでいるのか。部屋には何があるのか。

 夜に家に行くことの危なさも分かっていたが、その場合リスクが高いのは静乃の方だ。今後の人生を棒に振る覚悟がない限りは安全だろう。

(静乃さんが私のことどう見てるかも分からないしね。本当に自分の子供や妹感覚で良くしてくれてる場合もあるし。……でももし真剣な表情で迫られたらどうしよう。雰囲気に流されちゃったら断り切れないかも……)

 静乃に壁ドンされる自分を想像して陽那は顔を赤らめた。そんなシチュエーションが現実に起こるわけがない。

 陽那がふっと息を吐いたとき、静乃のスマホが震えるのが目に留まった。テーブルの上に置きっ放しになっていたそのスマホの画面が明るくなる。画面の中央に表示されたのはラインの通知だった。

 他人の携帯を見るのがマナー違反なことくらい陽那にも分かっていた。だからすぐに目を離そうとしたのだが、表示されていたメッセージの始まりの部分を読んで体が固まった。

『最近会えなくて寂しいです~。次いつなら会え……』

 表示されていたのはそこまでだったが続きは読まなくても分かる。発信者はMIKAという名前だった。アイコンは若い女の子の顔写真を加工したもの。まず間違いなく二十代の女性だろう。

 分かっていたことだ。静乃が陽那以外の女の子と会っていることくらい。

 陽那の胸の内側に嫌な感覚が広がっていく。理解はしていてもこうして実際に突き付けられると生々しい言葉のせいで色々なことを想像してしまう。

(はは、別に静乃さんは私だけのものじゃないんだから当たり前だし)

 強がってみせたところで嫌な感覚は消えない。陽那は画面の暗くなったスマホを見つめたままぐっと拳を握った。

「お待たせ」

 静乃が戻ってきた。陽那の前にメロンソーダを置いてから席に座る。

「私の家なんだけどここからなら地下鉄で20分くらいだから――」

 その浮ついた声があまりに自分の心情と掛け離れすぎていて。だから陽那は言わなくてもいいことを言ってしまった。

「……さっきスマホに連絡がきてましたよ。見た方がいいんじゃないですか」

「え? そう?」

 スマホを操作した静乃の顔色が変わった。あきらかに焦った表情で陽那に話しかける。

「あ、えっと、陽那ちゃん、その」

「通知だけ見えました」

「ち、違うの陽那ちゃんこれは――」

「別に責めてるわけじゃないですよ。いいじゃないですか。私の他にもお金に困ってる人はいますから。静乃さんが誰とどうしようが自由です」

 喋れば喋るほど静乃を傷つけると分かっているのに言葉が止まらない。

「早く返信してあげてください。待たせたら可哀想ですよ。あ、いっそマッサージもその方にお願いしたらどうですか? 私よりも静乃さんのこと分かってるでしょうし適任だと思います」

「……陽那ちゃん」

 つらそうに顔を歪める静乃を見て陽那の心がちくちくと痛んだ。しかし一度口から出た言葉は戻ってこない。

 静乃と視線を合わせることさえ出来なくなって陽那は顔を伏せた。

 周りのテーブルは賑やかな話し声であふれているというのに陽那と静乃の周りだけは重苦しい沈黙が落ちていた。

 メロンソーダの氷が溶けて表面に水の層が出来始めたころ、静乃がゆっくりと問いかけた。

「陽那ちゃんは私が他の子とママ活をするのは嫌?」

 答えは決まっている。けれど陽那の口は思ったこととは反対のことを喋ってしまう。

「嫌じゃないですよ。そもそも静乃さんがプライベートで何をしようが私とは関係ないです」

「本当に?」

「そんなこと言ったら私だって他の人とママ活くらいしてますよ。私もお金欲しいですから」

 陽那はわざと半笑いを浮かべて言い放った。いっそこれで軽蔑してくれた方が気が楽だ。

 実際は静乃以外とママ活なんてしたこともなければしようとすら考えたこともない。お金に不自由をしていない現状、ママ活を増やす必要がないし、他の人に会うくらいなら静乃と会いたかった。

 挑発じみた陽那の物言いに静乃は腹を立てる様子もなく、ただ真剣な眼差しを陽那へ向ける。

「いくら払えばいい?」

「……え?」

「いくら払えばママ活をやめてくれる?」

「な、何言ってるんですか」

「陽那ちゃんに私以外の女とママ活してほしくないの」

「勝手なこと言わないでください。静乃さんには関係ないことです」

「確かにそうね。だったら、陽那ちゃんの残りの人生全部を買うわ。それなら関係あるでしょ?」

「――――」

 絶句する陽那を置いて静乃は財布を取り出した。中からキャッシュカードとクレジットカードを抜き出す。

「700万くらい入ってるから。足りなかったら今後の私の給料から支払っていくわ」

 陽那は混乱した頭でテーブルに乗った二枚のカードと静乃を交互に見つめた。

「じ、冗談ですよね?」

「陽那ちゃんと初めて会ったときから本気よ」

「あ、う……」

 たじろぐ陽那へ静乃は純粋な想いを正面からぶつけた。

「陽那ちゃんのことが好きなの。陽那ちゃんさえよければ、ずっと一緒に居て欲しい」

 それはもはやプロポーズと言ってもよいくらいの告白だった。静乃がずっと秘めてきた熱い想いがそのまま陽那に伝わってくる。

(ど、どうしよう……)

 生まれて初めての女性からの告白を受けた陽那がまず抱いたのは困惑だった。静乃が陽那に対して好意を持っていることには気付いていても、それが告白をするレベルのものだとは思っていなかった。

(静乃さんもそこまで私のことを……)

 続いて嬉しさが込み上がってくる。貯金を全て使ってまで陽那を独占しようとした静乃。静乃が他の女性と会うことに対して不快感を覚えていた陽那。相手を誰にも渡したくないという気持ちが同じことが嬉しかった。

 ここにきて陽那はようやく自分の想いに気が付いた。

(私も静乃さんのことが好き、なんだ)

 しかしこれで静乃と両想いだ恋人だと浮かれることは出来ない。何故なら陽那には静乃の気持ちを受け止める資格がないから。

「……だ、ダメです。私なんか静乃さんに相応しくないんです」

 喋りながら目にじわりと涙がにじんでくる。

「私、嘘ばっかりついて、優等生を演じて騙してたんです。両親だってちゃんといるし、別にお金にも困ってないし……」

「なんだそんなこと」

 陽那の暗い呟きを静乃がばっさりと切り捨てた。

「ママ活で嘘をつくなんて割りと普通のことよ。お金を貰うためにありもしない夢を語ったり、同情をひく為に家族を死んだことにしたり、普通普通。そんなこと言ったら私だって陽那ちゃんに好かれるように人の良いおねえさんを演じてたんだから。本当は初日にでもホテルに連れ込みたかったのに」

 陽那は帝国ホテルのビュッフェを思い出し得心した。

「……やっぱりあのとき狙ってたんですね」

「あ、バレちゃってた? 陽那ちゃんがガード固そうだったから諦めたのよ」

「ホテルで夕食なんてそりゃ警戒もしますよ」

「美味しい料理とお酒でごまかせばいけると思って」

「いけるわけないじゃないですか」

 掛け合いをしているうちに陽那の涙は引っ込んでいった。

 静乃が柔らかく笑う。

「ほら、嘘つきなんてお互い様でしょ? それでも陽那ちゃんは私に相応しくないって思うの?」

「…………」

 まだ返事は出来なかった。これは人からどうこう言われる問題ではなく自分自身がどう感じているかだ。自分を許せない限りは静乃の想いに応えることは出来ない。

 黙り込んだ陽那の耳に静乃の声が届く。

「確かに最初は陽那ちゃんが今時珍しい良い子だったから惹かれたわ。でも一緒に食事したり出掛けたりしてるうちに色んな部分が見えてきて、それでますます好きになっていったの。嘘をついてたって聞かされた今もその気持ちは変わらない。陽那ちゃんはどう? 私のこと幻滅した?」

 陽那をホテルに連れ込もうとしたと言っても実際はすぐに引き下がって帰りの時間を心配してくれていた。それ以降も無理矢理迫ったりするようなこともなく、まともな大人として対応していた静乃に対して幻滅などするはずがない。

 陽那は小さく首を横に振った。静乃が息を吐いて微笑む。

「よかった。じゃあ改めて――陽那ちゃん、私と付き合ってくれませんか?」

 差し出された静乃の手を見つめたまま陽那は固まった。

 本当にこの手を取っていいのか。付き合ったとしてもすぐに嫌われてしまうんじゃないか。様々な事柄が頭の中を巡るが、最終的な結論はひとつしかなかった。

(ここでこの手を握らないと多分一生後悔する)

 たとえ付き合ったあとに別れることになったとしても、それはもうそういう運命だったのだと諦められる。けれど恋人にならなければ何も始まりはしない。よく言うではないか。やらない後悔よりもやって後悔する方がいいと。

「……よろしくお願いします」

 陽那はおそるおそる静乃の手を握った。


    ◆  ◆


(やったぁぁぁっ!! はぁ~、よかったぁ)

 陽那の柔らかい手を握ったまま静乃は心底安堵した。

(本当はこんな早いタイミングで告白するつもりなんてなかったのに、陽那ちゃんがあんな機嫌悪くなるんだもの。もう告白でもしなきゃ終わっちゃう勢いだったよね)

 嫉妬が原因の喧嘩は長引いてもロクなことにならない。顔を合わせているうちに素早く解決するに限る。

(これから家に連れていくってタイミングで喧嘩なんかしたくないの)

「あの、静乃さん。そろそろ手を離してもらっても……」

「あぁごめんねっ」

 静乃は慌てて手を離した。そのまま少し顔が赤くなっている陽那に尋ねる。

「ちなみにこの後私の家でマッサージしてくれるって話はまだ有効?」

「……下心が見えてますよ」

「だって恋人なんだからもう隠す必要ないでしょ?」

「そ、それはそうかもしれませんけど」

「だから陽那ちゃんも下心とか隠さなくていいからね」

「隠してないです」

 そう言いつつも静乃の家に行くことを嫌がっている気配はない。静乃がにやにやと見つめていると陽那が声をあげた。

「わかりました。行くなら早く行きましょうよ」

「そうね」

 静乃はくすりと笑って席を立とうとして、テーブルの上に出しっぱなしだったカードに気が付いた。

「あ、そういえばこれは要らないの?」

 貯金を渡そうとしたのは割りと本気だった。このお金で陽那がずっと側にいてくれるなら安い買い物だ。

 陽那はむすっとした表情でカードを静乃に突き返した。

「いりません。お金はいいので私以外の女の子とは二度と会わないって約束してください。私、嫉妬深いですからね」

 静乃はカードをしまってから陽那の頭を撫でた。

「当たり前よ。なんだったら連絡先全部消す?」

「そこまでしなくていいです。約束をちゃんと守ってくれれば」

「だったら一緒に住んで私のこと見張るっていうのはどう?」

「流れるように同棲しようと誘うそのアグレッシブさはなんというか、今まで本当にセーブしてたんだなって分かりますね」

「そりゃそうよ。嫌われたくなかったんだから。でももう手加減しないわよ。私だって独占欲強いの」

「……同棲の件は考えておきます」

 陽那の答えに気を良くして、静乃はいつものように伝票を持ってレジに向かおうとした。

「あ、待ってください」

 それを陽那が止めた。

「ん? なにかあった?」

「今後は全部割り勘にしましょう」

「え?」

「ずっと静乃さんに出してもらうのは不公平なので」

「私は不公平だなんて思ってないわよ」

「私が思うんです。それと外食ばっかりだと出費もかさむので家で作って食べましょう」

 突然の提案に静乃は戸惑う。

「急にどうしたの? 別に陽那ちゃんがお金のことを気にしなくていいのよ?」

「ずっと一緒に居てくれるって言いましたよね。老後のこともありますし将来の為に貯蓄はしっかりしておいた方がいいと思います」

「……ぷっ」

 まさか恋人になった途端に老後の心配をされるとは思わなかった。

(優等生を演じてたなんて言ってたけど、根は真面目で良い子なのは変わらないのよね)

「静乃さん、聞いてますか?」

「聞いてる聞いてる。うん、陽那ちゃんはいいお嫁さんになるわ」

「全然聞いてないじゃないですか」

「家計をやりくりしてくれる陽那ちゃんに財布を預けようって話でしょう?」

「そこまでは言ってないです」

「でも私が持ってるより陽那ちゃんの方が安心できそうじゃない?」

「年長者としてそれでいいんですか?」

「私は気にならないわよ」

「気にしてください」

 二人でレジに向かい割り勘で支払う。静乃が女の子相手で食事を奢らなかったのはこれが初めてのことだった。

 ファミレスを出て地下鉄の駅に向かって歩き始めたとき、陽那が思い出したように言う。

「そういえばこれまでいただいたお金ですけど、ほとんど使ってないので次会ったときにお返ししますね」

 静乃は正直耳を疑った。貰ったお金を使わないどころか返そうとするとは。

「いいって。それは私があげたものなんだから陽那ちゃんが使ってよ」  

「元々は静乃さんのお金です。私が使う理由はありません」

 陽那は一歩も引かない。嘘をついて手に入れたお金は使いたくないといった様子だ。

 しかしここでそうですかと簡単に受け取るのは静乃のプライドが許さない。出来れば陽那が自分のために使って欲しいが、服や食べ物に使ってと言っても聞いてくれないだろう。

「あ、だったら陽那ちゃんが私の家に引っ越してくるために使うっていうのはどう? 私が引っ越し代を出すのと変わらないでしょ?」

「どれだけ私と一緒に住みたいんですか」

「そんなの今日からだって住みたいに決まってるじゃない。でもお母さんに説明するのが大変か」

「一人暮らしなんで母に説明する必要はないですけど」

 言って陽那はしまったと口を押さえた。静乃はすかさず近づいて陽那の腕に絡み付く。

「そっかー、陽那ちゃん一人暮らしだったんだぁ。じゃあ泊まっても問題ないわよねぇ?」

「あ、明日も大学あるし、必要な教科書とか持ってきてないので……」

「ということは一回陽那ちゃんの家に寄ってから私の家ね」

「いや泊まるなんて一言も言ってないんですけど」

「大丈夫、言わなくても分かってるから」

「それは思い込みって言うんです」

「仕方ないわね。なら折衷案ってことでホテルにしましょうか」

「どこが折衷!? それより腰の痛みはどこいったんですか!?」

「あんなの嘘に決まってるじゃない。分かってたでしょ?」

「まぁ分かってましたけど」

 文句は口にしても陽那は静乃の腕を払ったりはしなかった。二人で腕を組んだまま駅に向かって夜の街を歩いていく。

 ついに静乃が望んでいた通り、陽那をお持ち帰りすることが叶おうとしている。

 いや、と静乃は否定した。

 恋人を家に連れていくことをお持ち帰りするとは言わないだろう。これは恋人として普通のことをしているだけだ。その普通が、静乃にとってこのうえない喜びだった。

 この幸せはお金だけでは得られないが、お金があったからこそ得ることが出来たのかもしれない。

(そういう意味では最高の買い物だったのかもね。ってこんなこと言ったら『私はお金で買われたんじゃないです』なんて反論されるかしら)

 ひとりで声を殺して笑う静乃に、陽那が不審そうな眼差しを向けてくる。

 ごめんごめん、と心の中で謝ってから静乃は陽那の尖らせた唇にキスをした。

 驚いて目を見開いた陽那に微笑みかける。

「お金が要らないって言ってたから、せめて愛情をあげようかなってね」

これから先もお金で買えないものをいっぱいプレゼントしてあげよう。今までお金で心を買ってきた静乃だからこそ尚更そう思った。

静乃はさっそく二回目のプレゼントをあげるべく、硬直したままの陽那に向かって唇を寄せていった。



            終

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