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【前編】


 ママ活とは――女性が性的な見返りを求めずに相手に対して資金的な援助をすることだ。また、洋服などの物だけを渡す場合は姉活などと呼ばれたりもする。

 男性版のパパ活と合わせて一般的には援助交際が名前を変えただけという印象だが、お金の余っている大人たちが慕われたいがために若い子を支援し、またその後の成長・成功を喜ぶのは承認欲求と善意の合わさった結果ともとれる。相手を自分の子供だったら、と考える人も多い。

 年齢三十を越える独身、如月(きさらぎ)静乃(しずの)もそんなママ活を生きがいとする人物だった。毎日のようにSNSを巡ってはママ活募集を探している。そこにあるのは勿論善意――ではなかった。

(なるべくお淑やかそうな子がいいのよねぇ。こういうのに慣れてない子の方がお持ち帰りしやすいから)

 静乃はママ活に乗じて相手の女の子を家やホテルに連れ込んでいた。

 いくらママ活やパパ活が健全であると主張しようとも、いやらしいことを考える人間というのは必ず存在する。買春や援助交際という呼び名を嫌い○○活を使う人達は隙あらば相手の子をいただいてしまおうと狙っている。

 当然静乃の目的もそれだった。

(若い子に金銭を渡すような人間がエロいこと考えないわけがないでしょうが。いやいやそれは違うわね。これはあくまで私の善意に対して相手が身体で応えてくれているだけ。ついでに言うなら相手は二十歳以上の女子大生ばっかりだから法的にもセーフ)

 論理武装と言う名の言い訳をしながら静乃はスマホの画面に指をすべらせる。ママ活の相手を探しているのだが、女子大生なら誰でもいいというわけではない。動機や容姿、文章から得られる性格、そしてすぐ会いにいける関東圏内かどうかも見ていかなければならない。ページをどんどんと送っていき、ひとりのユーザーに目が止まった。

「ママ活募集……ヒナ、大学二年生。教育学部で学校の先生を目指してます、と。ママ活は初めて、って書いてるけどどうなんだか。アカウントは新しいみたいだけど。写真は……お、顔は隠れてるけど黒髪のセミロングはポイント高いな。とりあえず会ってから決めないとね。好みじゃなかったら即解散ってことで」

 ナンパもそうだが成功させたければ数をこなしていくしかない。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。確率が低いのならそれだけ回数を重ねなければいけない。その為の労力を惜しんでいては成功するものもしなくなる。

 静乃はさっそくDMを打ち込んだ。



    ◆ ◆



 女子大生の愛川(あいかわ)陽那(ひな)はママ活をお小遣い稼ぎの手段として考えていた。

 若い子がこれからの夢を語り、ひたむきさをアピールするだけで美味しいものが食べられてお金まで貰える。なんて素晴らしい時代なのだろう。

 これまで陽那はパパ活を何度かしてきた。だが相手が男性ではダメだ。食事やお金の後ろから下心が見え見えなのだ。実際少し危なかったときもあった。だからこそ同じ女性が相手のママ活に活動の場所を移した。

(どっちみち無理やりなんて向こうもしてこないけどね。だってこれは健全な支援活動なんだから。襲われたら襲われたで慰謝料ふんだくってやるし)

 陽那は別段お金に困っているわけではない。学費だって両親に払ってもらっているし、講義で必要だからと言えばたいていのものは買ってもらえる。本当にただ自分で自由に使えるお小遣いが欲しいだけ。

(体を売るなんて絶対にイヤ。向こうが善意で援助したいって言うんだから胸を張って受け取ればいいのよ。私は何も悪いことしてないし。むしろ相手の庇護欲を満たしてあげてるんだからこっちが相応の報酬を受け取るのは当然よ。なんたって私は夢に向かって頑張る純朴な女子大生なんだから)

 陽那のスマホにDMが届いたという通知が出た。それを開いて目を通し、ほくそ笑む。さっそく金ヅルが掛かったようだ。

「えっと、会社員やってる32歳、か。独身なら結構貯めこんでるでしょ。名前は……シズノ、ね」

 陽那はそのまま返信を打ち込んでいく。こういうのは早さが大事なのだ。他の女に取られたりする前に全部自分のものにしなくては。


    ◆ ◆


 土曜のお昼に静乃は都内の喫茶店で待ち合わせをしていた。相手はママ活を募集していた女子大生だ。

 待ち合わせ時間の10分前にその子はやってきた。

「すみません、シズノさん、でしょうか?」

 セミロングの黒髪に、可愛いのにどこかあどけなさの残った顔。服装は白を基調としたブラウスと紺のロングスカート。手には大学で使っていそうな大きめの黒いトートバッグ。

 静乃が写真で感じた印象そのままの清純そうな女の子がそこにいた。

「えぇそうだけど。あなたがヒナさん?」

「はい。お待たせしてすみません」

 微笑みながら眉を下げてお辞儀をした陽那に対して、静乃は瞬時に目を配らせる。

(髪は手入れしてる。化粧はナチュラルメイクでくどさを感じさせない。ピアス穴は無し。アクセサリー類も無し。服とカバンはノーブランド? でもセンスは悪くない。香水はつけて……これは柔軟剤かな)

 そこまで読み取ってから内心でガッツポーズを取る。

(結構当たり引いたんじゃない? こういうおとなしそうな子をベッドで哭かせるのが楽しいのよね)

 静乃は向かい側に腰を降ろした陽那にメニューを渡す。

「お昼はもう食べた? 好きな物頼んでね」

「あ、食べてきたので大丈夫です」

「遠慮しなくていいのよ。ケーキとかは? このタルトなんか美味しそうよ?」

「そうですか? じゃあそのラズベリータルトっていうの食べてみたいです」

「飲み物は?」

「シズノさんのはアイスティーですか? なら私も同じので」

 静乃は頷いてから店員を呼んだ。


    ◆ ◆


 陽那は注文をしている静乃を観察した。

(明るい髪のショートボブ。化粧はあっさりめ。でも唇はしっかりグロスで艶を出してる。カットソーにジャケットとチノパン……いかにも仕事できますって感じね。ん? 首のとこのネックレス、カルティエの“ディアマン レジェ”じゃない? 一粒ダイヤのネックレスで確か10万くらいしたはず。でもバッグは一目で分かるようなブランドものじゃない。……身につけるアクセサリーにはそこそこお金を使うけど見栄は張らないタイプ? これは結構貯金ありそうかも)

 店員がテーブルから離れると、静乃が胸ポケットから名刺入れを取り出して、一枚陽那に手渡した。

「自己紹介も兼ねて私の名刺渡しとくね。何かあったらここに連絡してくれていいから」

 名刺には如月静乃という本名と会社名、役職、連絡先が記されていた。それにさっと目を通して陽那は内心でうなる。

(この人なかなかやるじゃん。勤め先を私に知らせるってことは自分は危害を加えるようなことはしないって言ってるようなものだしね。ちゃんとした仕事に就いていることの証左になるし。本名そのままで連絡とってきたっていうのはネットに疎いのかそれとも誠実さをアピールしたのか。ママ活に慣れてるっぽいしとりあえず様子見ね)

「シズノさんってご本名だったんですね。響きも綺麗だし、いいお名前です」

「ありがとう。ちなみにヒナさんはどういう字を書くの?」

「あ、私ですか? こういう字ですよ」

 財布から学生証のカードを取り出して静乃に見せる。学生証にはフルネームの他に大学名、学部、学科、学籍番号等が書かれている。

(ほら、正真正銘の女子大生。私も本名そのままでーす。こうやって大学を無造作に晒すのって世俗に疎い感じ出るでしょ? 守ってあげたくなるでしょ? 存分に庇護欲を満たしちゃってよー)

 静乃が学生証をまじまじと見ながら呟く。

「あぁ、陽那さんはそういえば先生を目指してるんだっけ? 何の先生?」

「小学校の先生です。私が小学生のときに良くしてくれた先生がいて、その人みたいになりたくて。ちょっとベタすぎですよね?」

 陽那が苦笑してみせると静乃は首を横に振った。

「そんなことないって。むしろ動機よりも先生っていう人の為になる職業になりたいっていう気持ちの方が素晴らしいことだと思うわ」

「……ありがとうございます」

 控えめに微笑んだ陽那は内心で高笑いする。

(うっそでーす! 学部は適当に決めましたー。先生目指すって言っとけばウケがいいからね。若いうちにお金持ってる人と結婚して専業主婦するつもりでーす)

 人生は一度きりしかない。わざわざ自分からしんどい道を選ぶ理由なんてない。可能な限り楽をして生きようとすることの何が悪いのか。

 店員がテーブルにアイスティーとタルトを運んできた。

(お、きたきた。昼にたくさん食べたら夜の美味しいご飯があんまり入らないから食べたくはなかったんだけど、まぁひとつくらいならいっか。ベリー系大好きなんだよね~)

「わぁ、美味しそ~。じゃあすみません、いただきます」

 そう言って陽那はタルトにフォークを入れた。


    ◆  ◆


 美味しそうにタルトを食べている陽那を、静乃は頬杖をつきながら微笑ましく眺めていた。

(学校の先生目指すのにこんな援交まがいなことしてんじゃないわよ。まぁ私にとっちゃ相手が何を目指してようが関係ないんだけどね。むしろ分かりやすい夢であればあるほど援助がしやすくて助かるわ。ついでに貞操観念や倫理観なんかが欠如してくれてると尚良し)

 静乃はアイスティーのストローを一口すすってから言った。

「もっと食べたかったら注文していいからね」

「はい、ありがとうございます。静乃さんはいいんですか?」

「私はいいのよ。三十越えると一日のカロリーとか計算して食べないとすぐ贅肉になっちゃうから」

 あははと笑ってみせると陽那が意外そうな顔をした。

「静乃さんスタイルいいと思いますけど」

「ありがと。一応ジョギングとかしてるからね。陽那ちゃんもスタイルいいけどなにかやってたりする?」

「今はあんまりやってないですね。大学でも部活には入ってませんし。高校までは水泳やってたからそのお陰かもしれません」

「へぇ、水泳ね。確かに高校のとき水泳やってた人ってみんな体が引き締まってたわね。……水泳かぁ。私もやりたいんだけどあんまり得意じゃなくて」

 静乃は心で付け加える。

(だから優秀なコーチに教えて欲しいんだけどなぁ、って意味よ。わかってるわよね? いや私普通に泳げるんだけどね!)

 しかし陽那は心の声には応えてくれなかった。

「でしたらプールでウォーキングなんてどうです? 体に負担を掛けずに良い運動が出来るので結構流行(はや)ってるんですよ」

 静乃は胸中で舌打ちした。運動がしたいわけではない。陽那の水着が見たいのだ。


    ◆  ◆


(そんな簡単に私の水着見せるわけないでしょ。なに自然な流れで私に泳ぎを教わろうとしてるのよ。油断も隙もない)

 陽那は内心で息を吐いた。静乃の発言が無意識のものか、または意図的なものかで警戒レベルを上げた方がいいだろう。

(ただ、どっちにしろここで私が引いていることを悟られるのはまずい。この人とママ活を続けるかは分からないけど、好感度を下げるメリットは無い)

 気持ちを切り替えて静乃に微笑みかける。

「夏になったらレジャーランドみたいなとこに行きたいですよね。流れるプールは浮いてるだけで楽しいし、ウォータースライダーとか速度を出したらもう絶叫系アトラクションだし」

 陽那の言葉にすぐさま静乃が乗ってくる。

「いいねぇレジャーランド。私もウォータースライダー好きよ。出口から勢いよく飛び出てプールの上を滑るのが楽しいのよね。じゃあ夏休みになったら一緒に行こっか」

「はい、是非是非」

(是非行くとは言ってないけどね。夏休みまでずっとこの関係が続いてるか分からないし、未来のことなんて確約できませーん)

 今はどんな嘘をついても構わない。相手に気に入られてお金をもらうことが大切なのだ。利用できるだけ利用して、もしも重荷になるようなら捨ててしまえばいい。所詮他人同士がSNSで知り合っただけの希薄な繋がりにすぎない。

 陽那は鼻歌を歌ってしまいそうな心持ちで、タルトの最後の欠片にフォークを突き刺した。


    ◆  ◆


 喫茶店を後にして、静乃は陽那を銀座に連れ出した。ブランドショップの立ち並ぶ通りを歩きながら陽那に尋ねる。

「服でもバッグでもアクセサリーでも欲しいものがあったら言ってね。気になるブランドがあるならそれも言ってくれればショップの場所調べるから」

(さて、これでこの子がどう出てくるか。私の厚意に甘えて図々しくあれも欲しいこれも欲しいなんて言ってきたらそれまで。このままここで解散ね。私が望むのはきちんとした配慮や常識のある子だけ。それ以外はお呼びじゃないわ)

 静乃の問いかけに陽那は控えめに笑った。

「そう言ってくださるのは嬉しいんですが、あまりブランドとかに詳しくなくて……せっかく買っていただいても使いこなせないと思うので、すみません」

 陽那の回答に静乃は満足した。奢ってあげると言ったときにいきなりがっつかれるよりも一度断ってくれた方がより買ってあげようという気になるものだ。本当にブランドに疎いのか、それとも計算づくの言葉なのかは分からないが、どちらにせよ静乃にとっては悪いことではない。性格でも演技でも、気遣いのできる人間には変わらないのだから。

(空気が読めるってことは私がどうして欲しいかも分かるはずだしね)

 結局は陽那の体を好きに出来ればいい。その過程の細かい差異など静乃にはどうでもよかった。

「別に遠慮しなくていいのよ。ブランド系は使ってみて初めて良さが分かったりするものだから。だったらそうね、コーチの財布とかどう? ピンキリだけど割とリーズナブルなのもあるわよ?」

「んー……それでもやっぱり申し訳ないです。まだ今持ってる財布使えますし、大学入学祝いに母からもらったものなので」

 やんわりと断る陽那に対して静乃は舌を巻いた。買ってもらわないにしろ店に見に行くくらいはすると思ったのだが、陽那はそれも望んでいないようだ。こんなに物欲がない女子大生などいるのかと懐疑的になる。

「入学祝いをくれるなんて素敵なお母さんね。陽那さんはお母さんのこと大事に思ってるんだ?」

「はい。ひとりで私を育ててくれたので感謝してるんです。お母さんみたいな母親になるっていうのも将来の目標のひとつです」

 健気な答えに静乃の胸が熱くなる。今時の若い子にしては珍しい、と言うと語弊があるが、ここまで母親への尊敬を明け透けに語る陽那に純粋に感動した。

(こんな良い子いる? もし娘が出来るならこんな子が欲しいくらいよ。あぁもう何でも買ってあげたい!)


    ◆  ◆


(はい、うっそでーす。両親健在だし財布は自分で買ったものだし別にお母さんみたいになりたいとか思ってませーん)

 陽那は胸中で舌を出した。母子家庭だと言えばたいていの相手は金銭事情などを察して同情してくれる。しかもそれとなく物よりも現金の方がありがたいと匂わすことも出来る。

(服とかバッグも欲しいんだけど面倒くさいんだよね。バッグはずっと持っとかないといけないし、服だって定期的に着てるとこ見せないといけないし。やり手のキャバ嬢なんかは複数人に同じバッグ買わせて一つを残して売るって聞くけど、手間とリスク考えたら現金もらう方がずっと楽)

 そうやって陽那はこれまでパパ活で稼いできたのだ。年齢が上の相手ほど分かりやすいお涙頂戴話に弱い。

「きっと陽那さんなら素敵なお母さんになれると思うわ」

 真剣に返答してくる静乃。陽那の嘘を信じてしまっているようだ。陽那は哄笑したくなるのを抑えてわずかに微笑み返した。

「ありがとうございます」

「今欲しいもの本当に無い? こういうネックレスとかどう? 陽那さんなら絶対似合うと思うんだけど」

 自分のネックレスを見せながら静乃が言った。胸元で一粒のダイヤが煌めく光を反射している。その輝きに陽那の心が揺れる。

(欲しいー! 正直めっちゃ欲しいよ! え、10万のアクセサリーそんな簡単に買ってくれるの? 下心もなし? 静乃さんは菩薩かなにかなの? うぅ……頷きたいけどここで頷いたら光り物に弱い女だって思われるし……くぅっ)

 陽那は涙を呑んで首を横に振った。

「お気持ちは本当に嬉しいんですが、その、ごめんなさい」

「もしかして金属アレルギーだったりする?」

「そういうわけじゃないんです。ただ、会ったばかりで買っていただいていいのか、と思ってしまって」

「気にすることないわよ。私が買ってあげたいんだから」

「ママ活をお願いした私がこう言うのもおかしいかもしれませんけど、ママ活って投資みたいなものだと思うんです。相手の人となりを見てお金を出してもいいって思うからこそ支援をしてもらえる。だから、もし買っていただくとしても私が本当に投資するに値する人間なのかを見極めてからにして欲しいんです」

 さりげに未来で買ってもらうことを予約しておく。せっかく善意で買ってくれるというのだからお言葉に甘えておかなくては。

 静乃が感銘を受けたように瞳を震わせた。

「楽してお金が欲しいって考える子も多いのに立派な考えねぇ。私としては陽那さんのこと気に入ったしすぐに買ってあげてもいいんだけど、そこまで言うならもう少しお互いに仲良くなってからにしましょうか」

「わがまま言ってすみません。ありがとうございます」

(アクセサリーの価格分を現金でくれてもいいんだからね)

 笑顔で本心を隠しつつ、陽那は手のひらを合わせて若干上目使いをして静乃を見る。

「その代わりというか、もしご迷惑でなければなんですけど、欲しい新刊の小説があって……」

「なぁんだそんなの、いくらでも買ってあげるわよ。じゃあ近くの本屋探さないとね」

 スマホを操作し始めた静乃を見て陽那はしめしめと笑う。

(相手の奢りたいという欲求を満たしつつ私も欲しい本を手に入れる……完璧な作戦ね。もちろん本だからといってたくさんねだったりしない。あくまで謙虚に、申し訳なさそうにするのがポイント)

 静乃が顔を上げて通りの先に視線を向けた。

「わりと近くにあったから行きましょうか」

「はい」

 優等生の仮面を被り、陽那は静乃の横に並んで歩き始めた。


    ◆  ◆


(謙虚というか本当に物欲とかそういった欲がないの?)

 本屋で買い物を済ませたあと静乃は胸中でひとりごちた。

(結局買ったのだって文庫本二冊だけだったし。なのにすっごい嬉しそうに袋を抱えてお礼を言ってくれてさ、もう超可愛いんだけど)

 まだ会って数時間も経っていないというのに、静乃は陽那のことをかなり好きになっていた。見た目もそうだが要所要所で感じ取れる気遣いや配慮、そして貞淑な雰囲気が静乃の理想通りの女の子だったのだ。

 最終的にはお持ち帰りすることが目標ではあるが、歩きながら話しているだけでも心が癒されていくのを感じる。この子にだったら無償で援助してあげてもいいという気にさえなっていた。

 その後は二人で銀座の街をぶらりと歩き、皇居を見にいったり日比谷公園を散策したりして時間を潰した。もはやママ活というか普通にデートを楽しんでいただけだったが、今日のメインイベントはこれからだ。

 日比谷公園を見下ろす位置にそびえる大きな建物――日本を代表する高級ホテル、帝国ホテル東京。その本館最上階、17階にあるビュッフェ形式のレストランがここ『インペリアルバイキング サール』だ。

 席数200の広々とした空間。窓からは東京の夜景を楽しむことが出来る。日本で初めてバイキングというスタイルと言葉を用いたこのレストランは、スープや前菜、メインからデザートまで本格的な西洋料理を楽しめる。

 クロークで荷物を預けて席に案内されたあと、陽那がきょろきょろと周りを見回した。

「うわ~、こういうところ来るの初めてです。私なんかが来ても大丈夫なんですか?」

 その初々しい様子に静乃はくすりと笑う。

「ドレスコードとかあるわけじゃないし、誰でも大丈夫よ。家族連れだって多いでしょ?」

「なら良かったです。私が場違いだと静乃さんまで迷惑かけちゃうから」

「そんなこと気にしなくていいの。ほら、ビュッフェだから取りにいきましょ。あ、私はワイン頼むけど陽那さんは飲む?」

「お酒はちょっと苦手で……でも静乃さんが飲むなら同じのを一杯だけいただいてもいいですか?」

「もちろん。まぁあまり無理して飲まなくていいからね。まずは料理を楽しまないと」

 泥酔させて無理やり襲うのは静乃の流儀に反する。お持ち帰りはあくまでも合意の元に行われるべきだ。そもそも意識が無い子を相手してもつまらない。

静乃は立ち上がると陽那をエスコートして料理の並ぶテーブルへと連れていった。


    ◆  ◆


 静乃のあとに続いて料理を取りに向かいながら陽那は心の中で呟いた。

(まさかホテルのビュッフェレストランだとは。これって食べた後にそのままお泊まりとかそういうわけじゃないよね? でもお酒を強引に勧めてくる感じでもないし……考え過ぎか。まぁこのディナービュッフェ調べたら1万くらいするっぽいし、とりあえず美味しいものを食べ溜めしますか)

 チーズの種類の多さやシェフが目の前で調理したり切り分けてくれたりするのに感動しながら料理を取っていく。こういうときはなるべく多くの種類をちょっとずつ食べたいものだ。ケーキやジェラートも待っているのでペース配分も考えなくては。

 そうして様々な料理を大皿に乗せてテーブルへと戻り、静乃と乾杯をした。チン、とワイングラスを合わせて一口飲む。

「ワインどう? 大丈夫?」

 尋ねてきた静乃に陽那は頷いて返す。

「はい。思ってたより飲み易いです。今まで飲んだワインでは一番美味しいかも」

 控えめなコメントとは裏腹に内なる陽那が暴れだす。

(このワイン美味しい! あぁ、一杯と言わずに何杯でも飲みたいよぅ。でも飲み過ぎて潰れても困るし、二十歳(はたち)で酒好きだとヘンな目で見られそうだし、頑張って耐えるしかないっていう……)

 お酒が苦手というのは真っ赤な嘘だ。二十歳になってから飲み始めたので期間は短いが、色々なお酒を試しているうちに今ではすっかりお酒好きになっていた。揚げ物と一緒に飲むビールは最高だし塩辛と合わせて飲む日本酒は滋味このうえない。

「もっと飲みたいなら言ってね。追加注文もするから」

「ありがとうございます」

 と答えはするが実際にお願いは出来ない。今日が静乃と出会った初日なのだ。これまでの感じからしても静乃はママ活の相手として十分すぎるほど適している。簡単に手放してなるものか。

 しかし酒に合う料理をそのまま食べるというのはつらい。特にこのレストランで人気のローストビーフは赤ワインと最高に合う。グラス一杯では量が足りるわけがない。

「美味しいわねぇ」

 ローストビーフを食べ、赤ワインをくいくい飲んでいる静乃に殺意が湧いてくる。そもそも奢られている立場の陽那が文句など言えた義理ではないが、それはいったん置いておいた。

「どう? 陽那さんの口に合う?」

「あ、はい。すっごく美味しいです。このソースも牛肉によく合ってますし」

「よかった。他にも食べて気に入った料理があったら教えてね。それを参考にして今後連れていくお店決めるから」

(おっと)

 さらりと次回以降の話をされて陽那は少し身構えた。

(やっぱりこの人ママ活慣れしてるな。ホテルに連れ込まれたりはしないだろうけど、あんまり気を抜かない方がいいかも)

 自分に言い聞かせてから陽那はにこりと笑った。

「どれも美味しくて全部気に入っちゃいそうです」

「確かに全部美味しいもんね。じゃあ逆に嫌いなものはある?」

「特にないですね。子供のころはピーマン苦手でしたけど今じゃ美味しく食べられますし」

「あー、あったあった。私の場合ナスだったわね。焼きナスとか今は大好きなんだけど」

「ナスは食感が苦手な子が多いですもんね」

「そうそう。あのくにゅっとした感じがイヤでねぇ。なんで子供のころはあんなに嫌いだったんだろ」

「子供は感覚が敏感って聞きますし、ちょっとした苦みや変な食感が嫌悪感を生むんだと思いますよ」

「なるほどねぇ。あ、子供のころと言えば――」

 静乃の思い出話に始まり、趣味や休日の過ごし方などを話しているとあっと言う間に時間は過ぎていった。

 無事デザート全種類制覇を終えた陽那は食後のコーヒーを飲んで一服していた。食べ過ぎたせいでお腹がぱんぱんだ。

「満足してくれた?」

 同じようにコーヒーを飲んでいた静乃が聞いてきた。ワインを2本空けたからか顔が少し赤い。

「はい、大満足です。こんな豪華で美味しい夕食初めてでした」

「陽那ちゃんが望むならいつだって連れてきてあげる」

(ん?)

 陽那が引っ掛かったのはその呼び方だ。静乃が気付いたように笑って誤魔化す。

「あ、ごめんね。馴れ馴れしく呼んじゃって。お酒が入ると気が大きくなっちゃってダメね」

「大丈夫ですよ。ていうか静乃さんが呼びやすいように呼んでください」

 溌剌と答えながら陽那は分析する。

(……多分わざとだ。ここぞというタイミングで呼び方を変えて親密度をあげようって腹ね。会った瞬間に『ちゃん付け』だと誠実さに欠けるし、ずっと『さん付け』だと少し他人行儀すぎる。半日一緒に過ごしてお酒が入った今だからこそ私をどんな風に呼んでも違和感が少ない。まぁどのみち立場的に私に拒否権はないんだけど)

 静乃は表情を明るくした。

「本当? じゃあこれからは陽那ちゃんって呼ばせてもらうわね」

「どうぞどうぞ」

「陽那ちゃんも私のこと好きに呼んでいいわよ」

「それはさすがに……」

「ふふ、やっぱりためらっちゃう?」

「年上の方に無礼なことは出来ませんよ」

「別に私は無礼だなんて思わないけどね。まぁ無理強いはしないわ。もっと仲良くなって気が向いたら考えておいて」

「は、はい」

 仲良くなったとしてもスポンサーをちゃん付けや呼び捨てに出来るほど陽那は礼節を失っていない。

(私にも呼び方を変えさせることでよりさらに距離を縮めようって寸法だろうけど、そこまで私は厚顔じゃないの。最低限の壁はへだてて応対させてもらうから)

 ふと静乃が腕時計を見て言った。

「そろそろ終わりね。そういえば陽那ちゃんは一人暮らし?」

(来た。その質問いつ来るかと思って待ってたんだよ。一人暮らしなんだけど正直に答えてもいいことがひとつもない)

 陽那はいけしゃあしゃあと答える。

「実家暮らしです」

「じゃあお母さんと二人暮らし?」

「はい」

 返事をするとき少しだけ陽那の胸が痛んだ。

「門限は?」

「時間が決まってるわけじゃないですけど、あまり遅いと怒られたりはします」

「そりゃそうよ。お母さんからしたら心配だもの。うん、ここを出たらもう帰りましょうか」

 その提案に陽那は肩透かしをくらった。てっきりこれからまたどこかへ行こうと誘われるのかと思っていたのだが、すんなり帰してくれるのだろうか。いや、これは油断させる罠かもしれない。

 しかし陽那の懸念は杞憂に終わった。帝国ホテルを出たあとはそのまま駅に向かい、何事もなく改札の前までやってきた。

 静乃が陽那と向かいあって言う。

「私はちょっと歩いて別の駅から乗るからここでお別れね」

「あ、そうなんですか。今日は本当にありがとうございました。ご飯すっごく美味しかったです」

「そう言ってもらえると連れていった甲斐があったわ。これからも何かあったらすぐ連絡してくれていいからね? 欲しいものがあるとか美味しいものが食べたいとかなんでもいいから」

「ありがとうございます。じゃあ多分またすぐ連絡しちゃうかもです」

「くす、楽しみに待ってるわ」

 このまま解散の流れだが陽那の胸中は別のことでいっぱいだった。

(お金はくれないのかな? チラチラ)

 ママ活の目的は金銭的な援助をもらうことだ。ご飯や本もいいけれど、やはり現金が欲しい。しかしここで『お金ください』とは死んでも口に出来ない。今日積み上げてきたものが全部パァになってしまう。

「それじゃあ私そろそろ行きますね」

 葛藤の末、背を向けようとした陽那の手に静乃が紙らしきものを握らせた。耳元で静乃が呟く。

「お母さんに何かプレゼントでもしてあげて」

「え、は、はい」

 別れの挨拶をしてから改札に入り、ホームへ降りるエスカレーターに乗って静乃が見えなくなったところで手を開いて渡されたものを確認する。

 一万円札が五枚あった。

「…………」

 嬉しいはずの大金なのに、陽那は素直に喜べなかった。いや、これが五千円であれば普通に喜んでいただろう。金額の多さと静乃が最後に言った言葉が合わさって陽那の心を締め付けていた。

 これが良心の呵責というやつだろうか。

 陽那のことをまったく疑わずに信じ、親孝行をさせる為になんの躊躇もなく大金を渡してくれた静乃の純粋な想いが嬉しくて、つらい。

 パパ活をしていたときはこんな気持ちになったことはなかった。きっとそれは、お互いに相手を利用してやろうという魂胆が透けていたからだろう。だからどれだけお金を貰おうとも心が痛くなることはなかった。

「……ありがとうございます」

 陽那の口からぼそりと出た呟きは、金銭をもらったことに対して相手へ向けた初めての謝意だった。

 陽那はくしゃくしゃになったお札を伸ばし、財布のなかに丁寧にしまいこんだ。


    ◆  ◆


(五万は渡し過ぎだったかな。ま、いっか。今後の為の先行投資ってね。隙があったらディナーのあとにホテル、と思ったんだけど、あの子隙がまったくないしガードも固すぎ。これはもうじっくりやっていくしかないみたいね)

 ベッドの上で考え事をしていた静乃の横から声が掛けられる。

「静乃さん、ぼーっとしてどうしたんです? あー、まさか他の子のこと考えてるんじゃー」

 その若い女の子は静乃が以前ママ活で支援してあげた子だ。お持ち帰りしたあとも気に入った子とはこうして関係を続けている。

 静乃は苦笑して女の子を見つめた。

「違う違う。仕事のことでちょっとね」

「お仕事大変なんですか?」

「まぁね。なかなか大きな山でね、どう崩していこうか悩んでるの」

「仕事のことなんか今は忘れましょうよ。せっかく珍しく静乃さんの方から私に声を掛けてくれたんですから。あ、もしかしてストレス解消の為に私呼ばれました?」

「ストレスっていうか、欲求不満かな」

 きゃー、と黄色い声をあげる女の子を抱き寄せて首筋にキスをする。ふと女の子が陽那の姿とダブって見えた。

(いつかこうやって陽那ちゃんを抱き締める日がくるのかしらね。今時珍しいあんな良い子をベッドに連れ込んで……もし嫌がられたらどうしよう。陽那ちゃんのことだから私がそういう願望を持ってるって分かったら気を遣って体を差し出してくるかもしれない。そうなったら私は……)

 もやもやとした気持ちを振り払うように、静乃は目の前の女の子の唇にしゃぶりついた。



            後編へ続く

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