幼い覚悟
より深い絶望に支配されたマシスの耳に、いくつかの足音が聞こえてくる。
人ならばアニシアを助けてくれる……いや、埋葬を手伝ってくれるかもしれない。
せめてそれくらいはと、そう考えたマシスの前に現れたのは──
狼型の魔物だった。
どうやらアニシアの死臭を嗅ぎつけて集まってきたらしい。
マシスはこのまま死んでしまおうと考えた。
何とかこの場を生き延びたとしても、どうせ野垂れ死ぬことが予想できたからだ。
しかし、茂みから現れた魔物が迫った時、死の恐怖が生への渇望を呼び覚ました。
『……た、すけて』
無意識に喉の奥からこぼれ出た言葉だった。
だが、マシスを助けてくれる人物はいない。マシスが頼ったことによって、いなくなってしまった。
親に捨てられて悲しくて寂しくて絶望していたんだから仕方ないと思うが、この時のマシスは全てを自分のせいだと思っていた。
魔物は小さくまだ生きているマシスを狙わず、全く動かないアニシアの亡骸へと牙を向けた。
目の前でずっと支えてくれた人が、助けてくれた人が喰われていく。
何とかして魔物を追い払い、ちゃんと埋葬したかった。だが、マシスにはそれができない。
自身の無力を思い知り、身体は恐怖で動かないが、頭だけは生き残る方法を探していた。
マシスは逃げた。
アニシアの亡骸を喰らうことに魔物が夢中になっている隙に逃げ出した。
固まっていた身体は恐怖から逃げようとすると、嘘のように動いた。
全力でどれだけ走ったかはわからない。ただ、止まれば背後から足を這い上がってくる恐怖に支配される。そうなれば動けなくなり、魔物の餌食になる。だから、走り続けた。逃げ続けた。
そして見つけた小屋に逃げ込んだ。
その小屋には蔓が纏わりつき、屋根や壁の隙間から草木が生えていた。しかし、扉や窓にそれらは生えておらず、腐食されているということもない。
さらに小屋の中は広い空間に様々な家具が置かれ、生活感が漂っていた。暖かい雰囲気に助かったのだと思い気を抜いたマシスに疲れが襲い掛かり、気絶するように眠りについた。
ずっと嗅いできた森の臭いとは違う暖かく優しい匂いに、マシスは家に帰ってきたのかと思ったが。目を開けると駆け込んだ小屋であることに気づき、今までのことが夢ではなかったことに胸を締め付けられる。
ふと視線を動かすと黒く薄汚れたマントを着た老人がこちらを見ていた。
フードを深く被っているため顔が見えないが、マシスは床ではなくソファーで布を被って寝ていたことから敵ではないと判断した。
貴族として教育された丁寧な言葉で老人にお礼を言うと、老人は何があったのかなどの事情は聞かずマシスに食料と水の入ったリュックを押し付けて追い出そうとした。
しかし、マシスは何とかここに留まろうとした。自分一人ではたとえ食料と水があっても生きていけないことがわかっていたからだ。
マシスは叫ぶように事情を話した。親に山奥に捨てられ、メイドと二人で何とか過ごしていたこと。そのメイドは自分のせいで死に、亡骸は魔物に喰われたこと。そして、生きなければならないこと。
泣き叫ぶマシスの言葉が伝わったのか老人は追い出すことをやめた。しかし、枯れたようなかすれた声で老人は責めるように言った。
『全てはお前のせいだ』
『捨てられたのは仕方ないかもしれない』
『だが、お前の心が弱いからそのメイドは死んだ』
『お前が強くなろうとしなかったから死んだ』
老人の言葉にマシスは怒りをぶつけるように怒鳴った。
『ならばどうすれば良かった!!』
その言葉の答えがわかったとしても意味がないことを理解し、その怒りが八つ当たりであることも理解していた。だからこそ、その感情をどうすることもできず『なぜ、助けてくれなかった!なぜ魔物を狩っていないんだ!』と都合のいい想像をしては叫ぶ。
『終わった過去を考えるな、これからどうするかを考えろ』
叫ぶマシスの口を押さえつけて老人はそう言った。
そしてマシスが落ち着くのを待って一つの提案をした。
『強くなりたいか?血反吐を吐き、手足を失ったとしても。悪魔と契約するとしても』
悪魔はこの世界で最も忌むべき存在であり、人類の最大の敵であると言われている。その悪魔と契約するということは人であることを捨て、人外の化け物に堕ちるということだ。
マシスは即答した。
『強くなりたい。血反吐を吐き、手足を失ったとしても。契約ごと悪魔を滅ぼせるくらいに強く』
その言葉から地獄の日々は始まった。文字どおり、強くなりたいと答えたその直後から老人による訓練が始まったのだ。
悪魔と契約はしなかったが、剣で何千回と斬りかかられそれをひたすら避ける日々。常に治癒魔法で治さなければ腕を斬り落とされた。さらに魔法を目隠しで操る日々。常に集中していなければならず、何度も腕が吹き飛んだ。不思議な薬によって治るが、それでも恐怖は計り知れなかったがマシスは訓練を続けた。
次回の更新は少し遅いかもしれません。