邯鄲の夢
僕はたいそうな幸せ者だ。
父は映画監督で、母は引退したものの元女優。両親から才覚を受け継いだ僕は小さな頃から「神童」と称され、子役としてデビュー。映画やドラマにも出演し、12歳の時には初めて父の脚本で主演を演じ、天才子役だ、千年に一度の逸材だ、なんて呼ばれたこともある。
俳優としてもてはやされるようになった僕は、徐々に成功ばかりの役者生活に飽きるようになった。15歳で俳優を引退することを決断し、ハーバード大学に進学。飛び級で21歳のときに同大学を卒業し、帰国後は大手商社に入社した。学業面でも僕は「神童」だったのだ。
28歳の時に会食パーティーで有名な女優と知り合い交際をはじめ、2年後に婚約。麻布の一等地に大きな一軒家を構え、妻との間には3人の子をもうけた。
38歳の時、会社の存亡を賭けた一大プロジェクトの責任者に任命され、これを成功に導く。この年では異例の副社長に任命された。
「あなたの人生は本当に失敗がなかったのねェ」
妻はリビングのソファーに腰掛け、スヤスヤと眠る3人の我が子を、割れ物に触れるかのようにそっと撫でた。
「あぁ、僕の人生は作り物のように綺麗で、成功続きだったんだよ」
誇らしげに、ではないが僕は淡々と事実を述べた。そう、僕の人生は完璧だ。きっとこの世界に僕以上の幸せ者はいない。僕が、この世界で一番の幸せ者なんだ。
「すごく嫌味な言い方だけど、不思議とあなたがそう言うと否定する気になれないワ。だって本当にカンペキな人生なんですモノ」
うふふ、と妻は柔和な笑みを浮かべる。美しく、妖艶。そう、僕は幸せ者。
「こんな時間まで起きてて、私もちょっと疲れちゃったワ。そろそろ休もうかしら」
妻はフラリと立ち上がり、カーテンを開けようとする。サラサラとした長い髪。女性らしい腰つき。スラリと伸びた脚。
「もう、朝が近いのネ」
妻が、カーテンを開ける。昇ってくるはずの朝日が、なぜか沈んでいくように見えた。
「あなたも、少し休んだら?」
僕は、たいそうな幸せ者だ。
気が付くと夕方で、それまでそこにあったはずのものは何一つとして残っていなかった。
あったのは、ビールの空き缶と、吸い殻が山のように積みあがった灰皿、そして机の上に転がる錠剤。
コロン、と机の上に転がった錠剤が何故か寂しげに見えた。