靴磨きの少女アダ ~前編~
毎年、クリスマスの日に1話ずつ更新していきます。
第1話目です(o^―^o)
昔、フィンランドの田舎町に、小さくて痩せ細った少女がいた。名をアダという。彼女の家は貧しく、毎朝夜明け前には家を出る。その小さな手には、仕事道具と、手のひらに収まるほどの大きさの木製の置物がいくつかと、かたい黒パンが2つにミルクとが入った籠を携えていた。
アダは、毎朝2時間かけて都会まで出てくる。街に着く頃には、太陽はすっかり顔をのぞかせていた。アダは、雪の積もった路地の一角を借りて仕事道具を広げた。
「靴を磨きます。お勤め前に綺麗な靴で出かけられてはいかがですか?」
そう声を上げると、ひとり、ふたりと、アダの方に寄ってくる。
「やあ、アダ。おはよう」
「おはようございます」
「今日も頼むよ」
「はい」
アダは早速、男性の高価そうな革靴に手を伸ばす。そして、それを隅々まで丁寧に磨き上げた。
「うん、綺麗になった。これなら、今日の商談もうまくいきそうだ」
そう言いながら、男性はアダの手の中にいくつかのコインを握らせた。
「え……あの、少し多いですよ」
「いいさ、今日はクリスマス・イブだからね」
「……ありがとうございます」
「ところで、その籠に入っている木彫りの人形はなんだい?」
「あ、これは母が彫った置物です」
「売り物かな?」
「はい」
「それはいい。ひとつおくれ。その馬型のがいいな。娘はお馬さんが大好きなんだよ」
そう言うと、男性はアダに向け、
「メリー・クリスマス」
との言葉を残し、賑わう街の中へと消えて行った。
その次にやって来た男性も、最初の男性と同じように多めに料金を払い、母が作った木彫りの置物を買ってくれた。
この2人は常連の客だった。見るからに裕福そうな格好の彼らは、本来ならばアダの靴磨きなど必要とはしていないだろう。だから、これは同情心に他ならない。彼らは、幼いアダが朝から晩まで寒空の下で働く姿を見て、同情していたのだ。
当のアダはといえば、それに気づいていた。アダは、同情されて喜ぶような性質ではない。だが、彼らは数少ない常連客だ。彼らの機嫌を損ねる言動をとるのは得策でないことくらい、幼いアダにもよくわかっていた。
2人の常連客のあと、ちらほらと訪れる何人かの靴を磨いた。だが、太陽が真上に差しかかろうとするあたりから、ぴたりと客足が途絶えてしまった。そこでアダは、靴磨きの道具を籠の中にしまうと、入れ替えに木彫りの置物を路上に並べはじめた。そして、持ってきたパンをかじり、ミルクをひと口飲む。その時、雪煙を上げて風が吹き抜けていった。アダは思わず首を竦める。両手を合わせてぎゅっと握りしめると、息を吹きかけた。一瞬だけは温まったものの、次の瞬間にはまた氷のように冷たくなった。寒さに食欲も失せたアダは、膝を抱えてしばらくうずくまる。
ふと、声が聞こえた気がした。
顔を上げて見渡してみるが、どこから聞こえたのかまるで見当もつかない。きょろきょろとしていると、またも聞こえてくる。人の声ではないようだった。
アダは、パンとミルクを籠に入れ、置物も全部しまい込む。そうして籠を持ち上げると、声の主を探して歩き出した。
どれほど歩いたのだろう。
アダは、汗ばんだ額を拭い、肩で息をする。気がつけば完全に街中から外れ、小高い丘の上にいた。
「なんで……?」
確かに声は聞こえ続けているのだ。だが、なぜか姿は見えない。
「どこにいるの……?」
白い息を吐きながらつぶやいた時、その声が耳元で聞こえた。反射的に振り向くと、そこには1頭のトナカイが立っていた。
「え……?」
先ほどまで誰もいなかったはずだ。突然の出現に驚きを隠せないでいると、トナカイがひと声鳴いた。それは、アダがずっと追ってきた声に違いなかった。
「あなた、だったの?」
尋ねると、トナカイはまたも鳴いた。
アダはトナカイを珍しがり、その頭に触れようと手を伸ばす。トナカイはおとなしく、目を細めてそれを受け入れた。アダは喜び、優しく頭を撫でてやる。その時、トナカイが俄に目を伏せた。そして、項垂れるように頭を下げたのだ。
「どうしたの?」
アダは、様子のおかしいトナカイが心配になり、その体を見て回った。
「あっ……」
アダは思わず声を上げる。トナカイの後ろ足からは血が滴り落ち、雪の上に赤い染みを作っていたのである。
「たいへん! 早く手当てしないと……」
アダは、首に巻いていた薄い布を外す。その瞬間、体から一気に熱が失われていくのを感じた。ひとつ身震いをすると、アダは唇を噛みしめ、小さな拳を握りしめた。そうして、凍えるような寒さに耐えながら、怪我をしているトナカイの足に布を巻き付けてやったのだった。
トナカイは、ぐうっぐうっと鳴きながら、鼻の頭をアダに擦り付けてくる。
「もしかして、お礼を言ってるの?」
尋ねると、トナカイはまたもぐうっと鳴いた。アダは嬉しくなって、トナカイの首に抱きつく。布を失って冷えていた首筋に温もりが戻ってくるようだった。
「私はアダよ。あなたは何ていう名前なのかしら?」
そう口にした時、
「コメット」
人の声が聞こえた。そして、その声に反応するようにトナカイが首をもたげる。
「コメット、いるのかい?」
だんだん近づいてくる声に答えるように、トナカイがぐうっと鳴いた。
「コメット?」
そうして顔をのぞかせたその人は、まだ20歳にもなっていないだろうと思われる若い青年であった。
「コメット、怪我をしているのかい?」
青年は、トナカイの後ろ足に巻かれた布を見て言った。
「君がコメットの手当てを?」
突然の来訪者に固まったままのアダに尋ねる。アダは、ただこくりとうなずいた。すると、青年は実に朗らかな笑顔を見せる。そして、かぶっていた赤い毛糸で編まれた帽子を脱いだ。美しい銀色の髪の毛が風になびく。
「コメットを助けてくれてありがとう」
「この子、コメットっていうのね」
コメットがアダに擦り寄った。
「随分と懐いたものだね」
「人懐っこいのね」
「いや、そうじゃないよ。コメットは生来気位が高くてね。僕以外には、なかなか心を許したりしないんだ」
「へえ、そうなの?」
「うん。君のことがよほど気に入ったみたいだね」
それを聞いて、アダは嬉しさに頬を赤く染めた。
「私もコメットのことが大好きよ」
そう言って、アダはコメットの首に抱きついた。
「それじゃあ、君に何かお礼をしないとね」
青年の言葉に、アダは首を傾げる。
「何がいいかな?」
「私、別に何もいらないわ」
「そうはいかないよ。だって、君はコメットにそのスカーフをくれたじゃないか」
「それはスカーフなんかじゃないわ。ただの布切れを首に巻いていただけだもの」
「首に巻いていたなら、それは立派なスカーフさ。それに、人に与えるのが僕の仕事だもの。君から貰いっぱなしにはできないよ」
「人に与える……? あなたはお金持ちなの?」
「どうかな? まあ、お金には困ってないけどね」
「ふうん。裕福な家の人なのね。趣味でボランティアでもしているのかしら?」
少し嫌味だったかと思い直し、訂正しようとアダが口を開きかけた時、
「僕の名前はニコラウス」
と青年が言った。
「ニコ……?」
「ニコラウス。言いづらかったらニコラでいいよ」
「ニコラ……」
「うん。僕はボランティアをしているわけじゃない。みんながサンタクロースと呼ぶ存在、それが僕なんだ」
ああ、この青年は頭のネジがどこかに行ってしまったに違いない……アダはそう思った。




