はじめてのクリスマス・プレゼント ~後編~
まぶしさにぎゅっと目をつぶったアダだったが、次に目を開いた時に飛び込んできたのは見慣れた風景だった。
「アダ。おい、アダったら」
すぐそばで自分を呼ぶ声が聞こえる。状況の変化についていけずに茫然とした頭を抱えながら振り向くと、そこにはイルマが立っていた。
「イル……マ……?」
「あ? なんだよ、まだ寝ぼけてるのか?」
「イルマ、よね?」
「あ……ああ」
「私が、わかるの?」
「は? さっきから何を言っているんだよ! アダ、本当に大丈夫か?」
いつもと変わらないイルマがそこにいた。
アダが喜びのあまりイルマに抱きつくと、
「ちょ……もう、いい加減にしろよ!」
そう言って力いっぱいに引き離されてしまった。
「なんなんだよ、いったい!」
何事もはっきりさせないと気に入らない性分のイルマだ。ようやく会えたのに怒らせてはいけないと思い、アダは素直に謝る。いまだ腑に落ちないふうではあったが、イルマもなんとか納得したようだ。
「それじゃあ、私はそろそろ出るぜ」
イルマの言葉に、アダは表情を引き攣らせた。
「待って!」
鼓膜をつんざくほどの大声に、イルマが肩を震わせながら振り返る。
「イルマ、行かないで!」
次いで、アダはイルマの両腕をつかんで迫った。
「行かないで、イルマ! お願いっ!」
「は……アダ? なんだよ、どうしたんだ……?」
「今日は行かないで!」
「でも、仕事が……」
「屋根の修繕の仕事なんて、やらないで!」
「え……私、その話したかな?」
「ううん、していない。でも、わかるの!」
「余計にわからないんだが……」
「わからなくてもいい。わからなくていいから、お願いよ! 今日だけは仕事を休んで! ね? イルマっ!」
アダの剣幕に、イルマは俄かにたじろいだ。
「いや、でも、今日は……」
「イルマっ!」
ふうっと、ひとつ溜め息をつくと、イルマは両手を上げた。降参、ということらしい。
「わかったよ。今日は仕事を休む。……これでいいんだろう?」
そのひとことを聞いてようやく安心したのか、アダはへなへなとその場に座り込んでしまった。
「おい、大丈夫か?」
「……ええ。安心したら、力が抜けちゃったみたい」
その時、イルマもへたりと床に座り込んだ。
「イルマ?」
「……足が痛み出しやがった」
「あ、この間怪我をしたところね」
そう言いながら、力の入らない腰を叱咤してなんとか起き上がる。そして、外に出て雪をかき集め、両手いっぱいのそれをイルマの足首に乗せた。
「……っつめた……!」
「でも、これじゃあ動けないわね」
アダは、引き出しの中から大きな葉を一枚取り出すと、それをイルマの足首にあてがい、その上から布で巻きつけていく。
「熱を出した時にね、お母さんがよくこの葉っぱをおでこに乗せてくれたの。熱をとってくれるのよ」
そう言いながらコートを羽織るアダに、イルマは唇を尖らせた。
「私をここに繋ぎ止めて、アダだけ仕事に行くつもりか?」
「え……」
「なんでアダだけ出かけられるんだよ」
「だって、私はどこも怪我してないもの」
「ずるい」
「ずるいって……」
イルマはふたつ年上で、幼少の頃から苦労を重ねてきたためか普段から大人びた言動が多い。そのイルマが、この時ばかりは、自分よりも年下の子供のようにアダの目には映った。
思わず笑うと、イルマがさらにむっとしたのがわかった。
「イルマ。一緒にお出かけしましょうか?」
そう提案すると、イルマが首を傾げる。
「私も、今日は仕事を休むわ。だから、一緒にお出かけしましょう」
「街に?」
「そうよ。きっと賑やかでしょうね」
「それはそうだろうさ。今日はクリスマス・イヴなんだから」
「そうね。街中がきらきらしているんでしょうね」
そう語らいながら、アダとイルマは家を出たのだった。
街は、本当に賑やかだった。
至るところにクリスマスの装飾がなされ、道ゆく人々の明るい声が聞こえる。
「わあ! きれい!」
街にはいつもきているが、こんなにものんびりとした心持ちで訪れたのは初めてかもしれない。
「見て、イルマ! あれ、かわいいわね」
アダが気になったのは、大きなトナカイのぬいぐるみだ。客引きのためだろうか、首だけを窓の外にのぞかせるようにして立っている。
「この子、どことなくコメットに似ているわ」
「コメット?」
「二コラのそばにいるトナカイよ」
「へえ。まあ、たしかにかわいいとは思うけれどさ、見てみなよ」
イルマが指し示す方を見て、アダは言葉を失った。
「姿はかわいいけれど、こっちはかわいくないよなあ」
そう言って笑うイルマの視線の先には、アダたちには到底出すことのできないような価格の書かれた札がかけられていたのである。
「まあ、いいじゃない。見るだけでも」
「まあね」
「あ、あれはなにかしら?」
「曲芸かな」
「行ってみない?」
「行くのか?」
「行かないの?」
「行ってもいいが、見たらタダでってわけにはいかなくなると思うぜ」
「え、そうなの?」
「そりゃあ、向こうも商売だからな」
「そうなのね」
アダは少しばかりがっかりとした面持ちで人だかりを見つめる。その時、そちらからどっと歓声が上がった。
しばらく人だかりを見つめていたが、
「行こうか」
と言うイルマの声で、二人は歩き出した。
そうして、二人は飽きるまでウィンドーショッピングを続けたのだった。
「楽しかった」
沈みかけている真っ赤な太陽を見つめながら、アダがつぶやく。
「こんなにはしゃいだのはとても久しぶりだわ」
「私もだよ」
耳元でイルマの溜め息が聞こえた。
「どうしたの?」
尋ねると、イルマはバツが悪そうに言う。
「いや……仕事さ、すっぽかしちまったなあと思ってさ」
「あ、そうよね。約束していたのだものね。ごめんなさい、私のせいだわ」
「ああ、それは別にいいんだ」
「え、いいの?」
「私みたいな奴を使おうと言うんだ。依頼主だって、そんなにあてにはしてないさ」
「じゃあ、なに?」
「ほら、今日でちょうど一年じゃないか。私とアダが出会ってから」
「あ……」
「それに、今日はクリスマス・イヴだし。何か、特別な物をやりたかったんだけどなあ」
「やりたかったって……」
「だから、アダに」
「私に?」
イルマは、驚きに目を見開いているアダの手を取ると、飾り気のない小さな紙袋を手渡した。
「だからさ、こんな物しか用意できなかったんだ」
「え……くれるの?」
「うん」
「……開けていい?」
「ああ」
口を折りたたまれただけの紙袋を開いていく。そして、手を差し入れると、ゆっくりと引き抜いた。
「……かわいい」
引き抜かれた手の中に、赤いリボンが二本、握られていた。
「さっき、店で見かけてさ」
「さっき? ずっと一緒にいたのに、いつの間に……」
「アダが小物に夢中になっている時にだよ。……盗んだわけじゃないからな」
「もう! 何を言うの。疑ってないわよ、そんなこと」
イルマは、一年前までは盗みで生計を立てていた。しかし、アダと出会い、一緒に暮らすようになってからはきっぱりと盗みをやめ、まっとうに働くようになったのだ。
「ありがとう」
そう言ってアダが笑うと、イルマははにかんだような笑顔を向けた。
「でも、ごめんなさい。私は、イルマに何も用意していないの」
「アダからは一年前にもらったよ。これは、そのお返しみたいなものさ」
「一年前?」
「あの時、アダが迎えにきてくれなかったら……いや、いい。そんなこと、考えたくもない」
「ああ、あれね」
思い出しているのか、表情の固いイルマとは対照的にアダはにこにこと楽しそうだ。
「すごい冒険だったでしょう?」
「……二度と経験したくはないけれどな」
「そう?」
「まあ、アダと一緒なら、悪くはないかもしれないけれど」
そう言って微笑むイルマを前に、
――随分と可愛くなったのね。
アダは、そう心の中でつぶやいた。
「見て、イルマ。どうかしら?」
おさげの先にもらったばかりのリボンを括りつける。
「うん、似合っている。アダの栗色の髪には、やっぱり赤がよく似合う」
「イルマ、ありがとう」
「うん」
「本当に、ありがとう」
「……アダ?」
アダの目元が赤い。
「イルマ。私ね、こんなに嬉しい贈り物は初めてよ」
「そんな、大げさな……」
「大げさなんかじゃないわ。私にプレゼントをくれた人は三人いるわ。お母さんと二コラ、そしてイルマ」
「……うん」
「プレゼントは誰からもらったって嬉しいけれど、私ね、お友達からもらったのはこれが初めてなの」
「……友達」
「ええ。二コラは大切な人だけれど、友達というわけじゃないと思う」
「……」
「私の友達は、イルマだけよ」
「それは、私も同じだよ」
しばらくの間きらびやかな街並みを見つめながら語らっていた二人だったが、
「さあ、そろそろ帰りましょうか」
と言うアダの言葉を合図に家路に着く。その道中、
「あ、そう言えばさ、願いは?」
イルマが思い出したように口にした。
「願い?」
「ほら、毎年クリスマス・イヴの日に願いが叶うっていう……。金時計が願いを叶えてくれるんだろう?」
「それなら、もう叶ったわ」
「は? いつ願ったんだよ。今日は朝からずっと一緒にいたんだぞ」
「朝ね、願ったの。そして、叶ったの。私は、イルマとずっと一緒に生きていきたいって、そう願ったのよ」
「なんだよ、それ。そんなこと、いくらサンタクロースだって叶えられないんじゃないか?」
「そうね。この先、私かイルマのどちらかが互いから離れたいと思ったら、その時にはこの願いは破られるのかもしれないわ。でも、そんな日がくるとしても、それはずっと先のことよ」
「……」
「少なくとも、今日のこの日、ニコラは私の願いを叶えてくれたわ」
「そうか」
心がぽかぽかとした。イルマもきっと同じだろうと、横目で見ながらアダは思った。
少し先を行くイルマの左手を握る。驚いたようにちらりとこちらを見たイルマだったが、アダの手を振りほどくことはなかった。それどころか、ぎゅっと力強く握り込まれる。心地よい温もりが、手を伝って胸に届く。さらに心が満たされていくような思いだった。
星が空に瞬きはじめる時刻。
夕闇が押し迫る中、手を繋いだ二人が家路を急ぐ。
そんな光景を見つめているものがいた。
どこから現れたのだろうか。それは、一頭のトナカイだ。
凛々しくも美しいたたずまいのトナカイが、そんな二人の様子を、とても楽しそうに目を細めながら眺めているのだった。




