はじめてのクリスマス・プレゼント ~中編~
アダは、真っ白な世界に放り出された。
降り積もった雪がアダの行く手を阻み、風とともに吹きつける雪がアダから見る間に体温を奪い去っていく。
「なによ、これ。ここはどこなの?」
吹雪が視界を妨げる。先が見えず、思うように動けない。
「なんで私、こんなところに飛ばされちゃったのかしら」
腑に落ちない思いを胸に金色の懐中時計を見つめる。針は、正常に時を刻み続けていた。
その時、視界に蠢くものが入った。アダは目を凝らす。……雪の中に、黒い塊が埋もれていた。
そして、恐る恐る近づいてみると、それが人の形をしていることに気がついた。
「……っイルマ!」
顔を見たわけではない。だが、この国で黒い肌を持つ者はイルマ以外には考えられなかったのだ。
「イルマ! イルマ、しっかりして!」
近づいて見ると、それは紛れもなくイルマであることがはっきりした。
しかし……。
アダは息を呑む。突如伸びてきたものに切られたアダの栗色の髪の毛が、吹雪にさらわれるように散っていった。
驚きに目を見開くアダ。そして、手にしたナイフのように研ぎ澄まされた冷たい視線が、さらにアダを貫く。
「イ……イルマ……」
それは、確かにイルマだった。だが、そこにいるのは、アダのよく知るイルマとは明らかに違っていた。
「イル……」
言い終わらぬ前に再び伸ばされるナイフ。驚きと悲しみを胸に、覚悟を決めたアダはぎゅっと目をつむった。
「……ここは、どこ?」
いつまで待っても衝撃が訪れないことを不審に思い、アダはゆっくりと目を開いた。そこは、相変わらず真っ白な世界だった。
ただ、先程と違うのは、イルマがどこにもいないこと。また、あれほど激しかった吹雪も、いつの間にかやんでいた。
「イルマ……っ」
雪原の向こうに叫ぶ。答えなどあるはずがないことを知りながら。しかし、
「なんだ?」
すぐそばで答える者があった。振り向けば、そこにはイルマがいた。
――さっきのイルマじゃ、ない……?
疑問を胸に、アダはイルマのもとへと歩み寄る。
「イルマ!」
雪に足をとられながらも向かってくるアダを前に、イルマは困惑の表情を浮かべている。
「お、おい。なんなんだよ、お前」
「イルマ! 私よ」
「だから、誰だよ」
「誰って……アダよ」
「アダ……?」
「そう、アダよ。イルマ、無事でよかったわ」
そう言いながらイルマを抱き寄せようとしたアダだが、その手を勢いよく弾かれてしまった。
「白人が、私に触るな」
「……イルマ?」
「なんで私のことを知っているか知らないが、私は白人が大嫌いなんだ」
「イルマ……私のことを憶えていないの?」
「なんだよそれ。新手の詐欺か? そんなもの、私には効かないぜ」
「イルマ……!」
目頭が熱い。アダの大きな瞳に涙が浮かぶ。
「嘘よね? ……イルマ……私がわからないだなんて……」
「……」
「私よ、アダよ。……イルマ」
「……だから、誰なんだよ」
「……そんな……」
力なく地に膝を着いたアダを一瞥すると、イルマはアダから距離をとった。
「意味わかんねえ。あんた、おかしいぜ」
そう言うなり、イルマはアダを残し、風のように走り去ってしまった。
イルマが去ったあと、泣き腫らした瞳で空を見上げた。大粒の雪が、アダの熱を持った瞼に触れる。ひやりとして心地よかった。
しかし、それとは裏腹に、どうしようもない憤りが沸き起こって仕方がなかった。
アダは、地面の雪を鷲づかみにすると、それを力の限り空に向かって放り投げた。
「どうして……!」
渦巻く思いを吐き出すように、大声を張り上げる。
「どうして! どうして! どうしてっ!」
しばらくはそうしていたアダだが、ふと、ぜんまいが切れたように項垂れた。そして、おもむろに空を仰ぐと、腹の底からひとつ息を吐く。白い煙が立ち、間もなくそよ風にかき消された。
「……これで、イルマは助かったのよね」
答えはない。アダは、再び項垂れた。
「これで、よかったのよ……ね」
そう、つぶやく。
「時空の扉は、時を過去に戻してくれた。だから、イルマが屋根から落ちて大怪我をする未来から、イルマを救ってくれたの。そう……私の願ったとおりじゃない」
アダは唇を噛みしめた。
「これで、よかったのよ。これで……」
――たとえ、私とイルマとの思い出がすべて、消えてしまったとしても……。
その時だ。
突如、温かい風がアダの上に舞い降りてきた。
「消えないよ」
声に振り向くと同時に、
「二コラ!」
アダはそう叫んだ。このタイミングで現れるのは二コラ以外にはいない……アダにはそういう確信があったからだ。しかし、振り向いた先にいたのは、おおよそ言葉など話せるとは思えない生き物だった。
「……コメット……?」
黄金の毛を靡かせ、凛々しい角を生やした美しいトナカイの姿がそこにはあった。そして、アダはこのトナカイを知っていた。人がサンタクロースと呼ぶ存在であるニコラウスが連れている、そのトナカイのうちの一頭だ。
「コメット……あなただけなの?」
「……」
「あなた、話せるの?」
「話せるよ」
コメットの口が動き、言葉を紡ぐ。アダは、驚きのあまりに目を瞬かせた。
「思いによって話すことができる。聞ける人が聞けば会話ができるよ」
「……え? どういうこと?」
「コメットの話さ」
「コメットの話って……あなたが、そのコメットでしょう?」
「ん? 僕?」
「え? ……僕?」
「ああ、違うよ。僕はコメットじゃない。僕は……」
「二コラ……! ニコラウスねっ?」
「え? あ、うん。そう。僕はニコラウスだよ」
「……これまでにもいろんな姿のあなたを見てきたけれど、まさか動物にもなれるだなんて」
「違うよ。この子は本当にコメットなんだ。僕はただ、自分の意思をコメットの中に入れて一緒に行動しているだけ」
「あなたって、本当に何でもできるのね」
「まあね。だって、僕はサンタクロースだもの」
「……そうね」
アダはうつむきがちに告げた。
「……ありがとう」
「なにが?」
「私の願いを聞いてくれて」
「なんのことだい?」
「なにって……だから、さっきのことよ」
「さっき?」
「もう! どうしていつももったいぶった言い方をするの? わかっているくせに!」
「アダ?」
「私、願ったの! イルマが屋根から落ちた瞬間。イルマを助けてって。そうしたら、時空の扉が現れて、時代を下っていった。そして、元気な姿のイルマに会ったわ。だから、私の願いは叶ったの。だから、ありがとう! そう言ったのよ!」
ひと息にまくし立てたあと、アダは荒い呼吸を抑えようとひとつ深呼吸をする。冷たい空気が肺に満ち、熱くなった思いを内側から冷やしてくれた。
「私の願いは、叶ったの……」
もう一度言う。まるで、自分自身を納得させようとでもするように。
ふと、視界がぼやけていくのを感じた。驚いて瞬きをすると、両の瞳から滴が零れ落ちた。
「……あれ……?」
アダは泣いていた。両手で涙をぬぐう。しかし、一向に収まる気配はない。
「ふふ、へんね。私は、イルマの無事を願ったの。それが、叶ったというのに……」
「本当ににそうだった?」
ふと顔を上げると、コメットがじっとこちらを見つめていた。
「君の願いは、まだ叶えられていないんじゃないのかな」
「……どういうこと?」
「だって、ここは本来君のいるべきところじゃないもの」
「……」
「時空を超えたまま戻れなかったことが、これまでにあったかい?」
はっとした。
「それじゃあ……」
「君の願いはイルマが無事であること。だよね?」
アダはこくりとうなずく。
「その願いは何のために願われたものなのか……。願いとか祈りってさ、言葉にできない思いの部分がすごく重要だったりするんだよね」
「言葉にできない、思い……?」
「そこを汲み取れないようじゃあ、サンタクロースは務まらないのさ」
コメットの口がそう言葉を紡いだ瞬間、黄金の毛並がまばゆいほどの光を放ちはじめた。
「これは……」
アダは急いでポケットに手を突っ込む。まるで陽だまりのように温かいものに指先が触れた。それをつかみ出す。外に出された金色の懐中時計は、コメットの毛色のようにきらきらとした輝きを放っていた。また、針が高速に回転している。時計回りに回る針は、ここから未来へ向かおうとしているのだろうか。
「え、これって……。もしかして、戻るの?」
――でも、戻ったら、イルマは……。
そう思っているうちに、天が割れ、再び時空の扉がその姿を現した。そして、迷う間もなく、扉はアダを次なる場所へと連れて行ってしまったのだった。




