CHAPTER 6
朝が来た。陽太の目に映ったのは天井ではなく壁であった。
「……あ、あのまま寝てたのか……」
夜中にルナとふたりで肩を寄せて座り、話をした。途中で彼女は寝てしまっていて、どうしようかと考えていたらその内に彼も眠りに落ちたらしい。
彼は自分の体にタオルケットがかけられている事に気付く。雑魚寝していた時に使っていた物だ。
そして隣には誰もいなかった。
「……もう起きてるのか」
背伸びをしながら立ち上がると、いつもの起床時刻よりも早いが陽太は居間に向かう事にした。さて、今日は学校へ行こうかどうか。ルナをどうしようか。いや、行こうかどうかと迷っているが、学生だから行くのが義務なのだが。
居間は無人だった。奥の台所から母が調理をしている音が聞こえてくる。
「……? 母ちゃん、ルナは?」
「え?」
彼の声に気付き、手を止めて彼女は居間に顔を出した。
「おはよう。ルナちゃん、あんたの部屋にいるんじゃないの?」
「……え?」
そういえば、テーブルの上で寝ていたらしいガルダの姿も無い。
「……嘘だろ?」
CHAPTER 6:「ああ、こんなにも。」
適当な服に着替えると陽太はすぐに外へ飛び出した。家の中を探したがふたりの姿は見付からなかった。という事は、考えられる事はひとつだ。
彼は昨日のルナの言葉を思い出す。
やっぱり私、ここにいちゃいけないみたい。
そして、あの泣きそうな笑顔。
「……!」
何でルナが出て行った時に気付かなかったんだよ、俺! 早朝の人通りの少ない道を走りながら少年は自責の念に駆られていた。あのタオルケットはおそらく彼女がかけてくれたのだろう。
「ルナ、やっぱり君は、ただの女の子なんだよ! 兵器が人を気遣うもんか!」
「……」
俯きながらルナは街を歩いていた。
「フア~ア眠ミイ……コンナ朝ッパラカラ起コシヤガッテ」
その顔の横には、文句を垂らしながらパタパタと羽を動かすガルダの姿。
「ごめんね、ガルダ……」
「……ヨカッタノカヨ、何モ言ワズニ出テ来テ」
「……よく、なかった……かな」
「ソノ服モアイツノダロ?」
ガルダは彼女が身に付けている衣服を見て言う。
「うん……そうだね、つい忘れてたよ、返すの」
「マ、イインジャネーノ? 服ノ1着ヤ2着」
「……」
「何ダヨ元気ネーナ。ツッテモイツモノ事ダケド」
「……何か、寒いね」
「? 服着テルノニカ? ムシロ日ガ昇ッテキタシ、ドンドンアッタカクナッテキテネーカ?」
「……ううん、寒いよ」
「……?」
重い足取りで進んでいると、見知らぬ男達が彼女に声をかけてきた。
「あれ? お嬢ちゃん何やってるの? こんな朝っぱらから。よかったらこれから俺と遊ばない?」
「いやいや何言ってんだよ、俺と遊ぶんだよ」
「お? 何だよ超可愛いじゃん♪ 外人だし、肌超綺麗」
「……酒臭エナ、コイツラ」
三人の男達は全員酒に酔っている様だった。一晩中飲んでいたのだろうか。
「ねえねえ、ちょっとくらいいいでしょ~?」
金髪の男がルナの左手首を掴んだ。彼女は一瞥して小さく口を開く。
「……遊ぶって、どんな事するの?」
「え? ええ~っと……こんな所じゃ言えない様な事かなあ~?」
「……私も、こんな所じゃ言えない様な事をたくさんしてきたよ」
「え? 何だよお嬢ちゃん、顔に似合わず意外としてきたの~? これだから外人ちゃんは」
「今……ここでしてあげようか」
「え? こんな所でえ~? 俺は全然大丈夫だけど、見られても」
男は鼻の下を伸ばす。彼女らのやり取りを見ていた残りのふたりが口を挟んだ。
「ちょっ、ジュンペイだけずりーって。俺にもヤらせろよ」
「俺もしてーっつの」
「……いいよ。何なら、3人まとめてヤってあげようか」
ルナの目が鋭く光る。
「ええ? 4Pしちゃうの? お嬢ちゃん好きだねえ~」
「好きだったよ、前までは」
そう言い終えると同時に彼女の左腕、手首から下の部分に鮫の胸鰭の様な刃が皮膚を破って現れる。
「じゃあ、誰からして欲しい?」
「……ひっ! ひいっ!」
ぎらりと光を反射させるそれを見て、男達は酔いが覚めた様に悲鳴を上げて逃げて行った。
「……ふふ、ふふふふ……」
走り去る彼らの背中に、ルナは不気味な笑みを浮かべていた。
「はは、はははははははは……! はは……! は…………はあ~、あ……」
「……機嫌悪イナ、オ前」
「うん、何だろう、意地悪だったね、今の私」
陽太はもう一時間近くルナを捜していた。家の周りを回ったが、見付からない。やっぱりもう遠くへ行ってしまったんだろうか。
コンビニの前で立ち止まって息を整えているとポケットの中で携帯が震えた。珠希からの着信だ。
「もしもし」
〈あ、おばさんから聞いたけど、あの娘を捜してるんだって?〉
「ああ、そうなんだ。いつの間にか出て行っちゃってて」
〈学校どうするの? もう登校時間だよ〉
「え? そうなのか……どうするっつっても、ルナを見付けないと」
〈今からすぐに戻って支度しなよ〉
「だからそうは言ってもルナを捜し出さないと……」
〈そんなにあの娘が心配なの!? 好きにさせとけばいいじゃん! 陽君家が嫌になったから出て行ったんでしょ!?〉
彼女の声は急に荒くなった。
「っ……! じゃあほっとけって言うのかよ!」
〈そうだよ! 大体陽君が関わる必要なんて無いじゃん!〉
「……それはそうかもだけど……けど……」
〈けど、何!?〉
「お前が俺を心配してるみたいに、俺もルナが心配なんだよ」
〈…………じゃあ好きにしなよ……〉
プツン、と通話は一方的に切られた。どうやら怒らせてしまったらしい。
「……ったく、どこ行っちまったんだよ」
また走り出そうとしたその時、店から三人組の男が会話をしながら出て来た。
「……ったく、にしてもさっきの娘何だったんだよ。酔いが一瞬で覚めちまった」
「死神だったりしてな」
「あんな可愛い娘に迎えに来てもらえるんなら、死ぬのも悪くねーなー、なんつって」
「急に腕からギラッと出すんだもんな。何だったんだよ、あれ」
「演劇の小道具とかじゃねーの? すげービビったけど」
話を聞いていた陽太はまさかと思い彼らのそばまで駆け寄る。
「あっ、あの、その女の子って、もしかして水色の髪に青い目の……!」
「え? そうだけど」
「どっ、どこで見ました!?」
ルナは今度は川沿いの遊歩道を歩いていた。この時刻になると人の行き交いも増え、遊歩道にはジョギングをする老人や通勤途中のサラリーマン、通学している学生などが見受けられる。
「この人達は、みんなどこに行くんだろうね」
「学校トカ会社トカダロ?」
「いいな、行く場所があって。やる事があって」
「……コノ星デモ戦争ヲシテル国ハアルト思ウゾ」
「……そうだね、やっぱり私は戦場でしか生きられないのかな」
「生キル? 兵器ノオ前ハ元カラ生キテナンテイナイダロ」
「あ……そっか。そうだね。陽太が人だ人だって言うから……陽太が……」
彼女は足を止めた。
「……ねえ、ガルダ……何か、地球に来た時からずっと、変なもやもやした感じがするの。もしかして、動作環境に向いてないのかな」
「……ドンナ環境ニモ適応スル様ニ作ラレテルハズダゾ、オ前ハ。アイツノ口カラ変ナモンデモ入レラレタカ?」
「口?」
「アア、アイツニオ前ヲ再起動シテモラッタンダ。呼気デナ」
「ああ……そういえば、そうだったんだ」
LUNAは一定量の酸素を肺にあたる器官に送り込む事で起動する。
「……陽太……陽太……」
「アイツガドウカシタノカ?」
「……わかんない……夜中に、陽太に変な事言われたから」
「変ナ事?」
「うん。私にね……」
「ルナ!」
「!」
誰かが彼女の名前を呼んだ。声のした方を振り向くと、そこには肩で息をする陽太の姿があった。どうしてここに……。
「……陽……太……」
「捜したよ、ルナ」
「……どうして?」
「どうしてって……君が心配だったから……どこに行くんだよ」
「……わからない」
「家が嫌になったの?」
「……ううん。陽太も、陽太のお母さんも、とってもよくしてくれたから」
「……だったら何で」
「わかんないよ」
「……」
「夜中に陽太が変な事言ったからだよ。私が、私が……」
「お姉ちゃん」
話の途中でルナのジーンズがぐいと引っ張られた。彼女は腰の辺りを見ると、小さな女の子がひとり彼女に身を寄せていた。
「……どうしたの?」
ルナは女の子に優しく声をかける。やはり母性があるのだろうか、とその様子を見ていた陽太は思った。
「あのね、シュウイチ君があそこの木に登って下りられなくなったの」
「え?」
女の子が指差した方をルナは見ると、遊歩道から外れた川の畔に大きな木があり、地面から五、六メートルほどの高さの所にある枝にひとり、男の子がちょこんと座っていた。
「なっ……何であんな所に」
陽太も男の子を見て不思議がる。木の根元にはその男の子の物と思われる黒いランドセルが置かれていた。
「ユリカとシュウイチ君ね、一緒に学校行ってたの。そしたらシュウイチ君がいきなりあの木に登れるぞ、って言ってね」
「……そしたら下りられなくなったってか……ベタな」
呆れた様に彼は首をふるふると左右に振った。
「よし、じゃあお兄ちゃんが助けてやるよ」
そう言うと陽太は木まで近付く。生い茂るその葉の下に来てみると、先ほど遊歩道から見ていたよりもずいぶんと大きく感じられる。
「……よーし……!」
ぐるりと幹に手を回し、足を地から離す……が、登ろうにも滑ってしまいなかなか上手く出来ない。
「あっ……あいつどうやって登ったんだよ……!」
「大丈夫? 陽太」
見兼ねてルナもやって来る。
「私がやろうか」
「え? 俺だって苦戦してんのに、ルナが出来る訳……」
彼が言い終えるのを待たずに彼女は背中からいびつな形の鉄の塊の様な物を生やした。
「……え? 何それ」
「翼だよ、一応」
ルナはとっと跳ね、ふわりと宙に浮いた。
「……飛べるんだ、君……」
もう何を見ても陽太はそれほど驚かなかった。
彼女はゆっくりと上昇していき、十秒も経たない内に男の子が乗っている枝の前に着いた。
「君、大丈夫?」
「うわっ!」
陽太とは対照的に、男の子はびっくりしている。
そっと手を伸ばし、彼を抱き抱えるとルナは静かに降下していき、着地した。
「危ないからもうしちゃ駄目だよ?」
男の子を地面に立たせると―――。
「うっ……うぐっ……!」
彼は突然顔を歪ませ泣き始めた。
「ど、どうしたの? どこか怪我した?」
心配して彼の頭を撫でようとするルナ。しかしそんな彼女に対し彼は……。
「ひっ!」
またも怯えた表情を見せる。
「ばっ、化け物っ……!」
「え……」
「う……うわあああああっ!」
泣き叫びながら彼はユリカという女の子の元へ行き、ふたりはそそくさと遊歩道を走り去っていった。
大樹の下には陽太とルナだけが取り残された。
「……」
何も言わずに立ち尽くしていた少女は、やがて糸が切れた様に、突然がばっと陽太の胸に飛び込んで来るのであった。
「陽太っ!」
「! ル、ルナ……?」
彼の胸に顔を埋める少女。陽太は途端にその胸が温かくなるのがわかる……いや、でも、冷たい。
「どうしてだろう……私、今、凄く悲しい……! さっきは怖がられても何とも思わなかったのに、今あの子に怖がられた時、私すっごく悲しくなった! ねえ陽太どうして!? どうして悲しいの!?」
「ルナ……」
「やっぱり、心なんていらない! 心なんて無かったら、こんな気持ちにならずに済んだのに! うあ、うああああああああああっ!!」
ルナは子供の様に泣きじゃくっていた。彼女の瞳から溢れ出る滴が陽太の胸を濡らしていく。
「陽太っ! 陽太っ! 私っ! わかんないよ! 私、どうしたいのか……うあ、うあああああああっ! 陽太! ねえ陽太! えぐっ、えぐっ……うっ、ううっ……! うあっ、うああああああああん!」
「……ルナ……」
「私、私……!」
「落ち着いてルナ」
「私っ! わたしぃっ! うっ! うううううううっっ!! 人に……人になりたいっ!」
「……え?」
「私、兵器の自分がやだよおっ! もうっ! 人を殺すのはやだよおっ! なれるかなあ? ねえ陽太、兵器の私でも、人になれるかなあっ!」
少女の口から吐き出された思い。夜中は否定的な事を言っていたが、あれからずっと悩んでいたに違いない。彼女は、見知らぬこの星で、その小さな胸の内で、体が壊れてしまうほど心を震わせながら、必死に戦っていたのだ。
「……なれるさ」
そんな彼女の頭に手を乗せて、あやす様に陽太は言った。
「……ほんと?」
「ああ……なれるさ、きっと。だって、君は今、あの男の子をその手で助けたんだから」
「……え?」
「兵器は人の命を奪っても、決して人を救ったりはしない。でも今、君は直接あの子を助けたんだ。だから、君はきっと人になれるよ」
「……ほんとに? …………ほんとに?」
「ああ。俺が手伝うから。だから頑張って、人になろうよ、ルナ」
「……うんっ……! うんっ……!」
無邪気な泣き顔の少女を見ると、何だかつられて陽太の目からも涙が出てきた。そのさらさらの空色の髪を、優しい手つきでぐしゃぐしゃに撫で回して胸が張り裂けそうなこの思いをぶつけた。彼女の体温に触れ、その艶やかな声を聞く度に彼はこう思うのだ。ああ、こんなにも、こんなにも……。
こんなにも、君は愛しい女の子じゃないか。