CHAPTER 18
少女は深い悲しみに暮れていた。突然目の前に現れた少年ソル。彼は彼女と同じだった。戦争のために作り出された兵器。だが、ほとんど活躍する事が出来ずにいた兵器。アイデンティティーを求め戦いをするために地球にやって来た兵器。彼は陽太を人質にルナを脅迫してきた。自分の元へ来なければ彼の命は無いと。
そんなの、聞き入れない訳にはいかない。彼女にとって選択肢など無いのである。この家を……出ていくしかない。
「……どうかした?」
居間。彼女はついつい陽太の横顔を見つめていた。助けて。ルナは彼にそう言いたかった。だけど言った所でどうしようもない事はわかっていた。カミヤ達の時とは状況が違う。彼をソルの前へ連れて行った所ですぐに殺されるだけに決まっている。それだけは何があっても避けたかった。陽太だけはどうしても守りたかった。
「……ううん、何でもない」
嘘だ。助けて。助けて陽太。前やったみたいに、私をどうにかして助けて。
「……もしかして、怪しい奴に声をかけられた……とか?」
心配そうに彼は聞いてくる。そういえばこの間もそんな事を尋ねてきた。もしかしたら陽太の元にもすでにソルが……いや、協力者がいる様な事を彼は言っていた。そのいずれかが一度迫ったのかもしれない。彼は心配をかけまいと、彼女には何も話さないだけで。
「……うん、実はそうなんだ」
「! それって……」
「今日バイト中にね、いきなり手を触られて、君可愛いねって……」
「……な……」
陽太の声から少し気が抜けた。
「ナンパって言うのかな……されちゃった」
「……そっ、それで! 君は何て!?」
「別に何も言ってないよ。ありがとうございますって」
「そ……そっか……はは……ならいいんだ……」
嘘。ほんとはそんな事起こってない。私と同じ兵器の男の子が店に来たの。それで、私を脅してきた……自分の所に来ないと、君を殺すって……。
ねえ、助けて陽太。
「……お風呂入ってくるね」
助けてよ。
「ああ、うん」
…………助けて……。
ルナに残された時間はもう長くなかった。明日には那倉家を出て行かなければならない。今夜がこの家で過ごす最後の時間なのだ。
選択肢など元から無いのだ。
湯船に浸かり彼女は膝を抱いていた。助けを求めた所でどうしようもない。ソルの元へ行くしかない。そこで自分はどうなるのだろうか。
……決まっている。人を殺させられるのだ。彼女自身が望まなくても、そんな事関係無い。大量殺戮兵器に逆戻りだ。陽太達と触れ合う中で、やっと、やっと生きている苦しみが少しずつ小さくなってきたのに。それなのに。やはり、兵器は兵器なのだろうか。どんなに頑張っても人にはなれない宿命なのだろうか。これが私への罰なのか。
……そんなの、嫌だ。そんな事をまたするぐらいなら死んだ方がましだ。そうだ、死んでしまった方がましなのだ。なら……するべき事はひとつではないか。
自分に道を示してくれた彼のためにも、その誓いを裏切る訳にはいかない。ならば、愛しい彼を守るためにも、自分がなすべき事はたったひとつしか無いのではないか。
……愛しい……? 愛しいとは何なのだ。守りたい? なぜ守りたいのか。大切な人だからだ。なぜ大切なのか。自分に生きる勇気を与えてくれたからだ。
私はどうなのだろうか。私は彼に何かしてあげられたのだろうか。私が彼の隣で安心する様に、彼も私の隣で安心出来ているのだろうか。
「陽太」
ルナはその名前を口にした。
「私、少しでも変われたかな」
私、人の温かさを知ったよ。君が隣にいてくれたおかげで。君が喜んでくれるのなら、可愛い服だって何着も着たくなっちゃう。君が笑ってくれるのなら、それで私も笑えちゃう。私、変わったかな。きっと変わったよ。こんな気持ち、今まで感じた事無かったもの。それでね、変わっていく私がわかるのが嬉しかったんだ。君と出会ったから。君が私を変えてくれたから。私はそう思う。君から見たらどうなのかな。変わった様に見えるのかな。
そんな君ともう会えなくなるのが、私、今凄く辛い。でも、こうするしかないんだよ。あの時とおんなじ。誰かに命令された訳ではなく、私が私の意思で決めた事だから。
ああ、そうか。彼女は胸に手を当てた。とても温かい。心臓の奥の奥の奥が。とても。燃える様に。実際、動力炉が発している熱なのかもしれない。それでも、これほどまでに強い熱を帯びた事は無い。
「私、恋をしている」
そして、就寝時。相も変わらず同じ部屋でルナがひとり布団に入り陽太はその隣で雑魚寝をしているのだが、彼女にとってこれは最後の夜だ。もう一度あの映画の時の様に彼に触れていたかった。その身で感じていたかった。だから。
「ねえ陽太……起きてる?」
「……何?」
「……その……」
あれ……おかしいな……少女は戸惑った。およそ半年前は簡単に言えたのに、今はなかなか言い出せない……。
「?」
「……隣……おいでよ」
「……え……ど、どうしたの急に……」
そう話す陽太には困惑した様子が窺えた。
「……駄目……?」
「え……えーっと……そ、その……それはまだ早いかなーとか思ったりして……」
「じゃあ、私が隣に行っていい?」
「ええっ!? ……そ、それも……」
「……お願い」
「……!」
彼女は意図的に甘い声で陽太を誘惑した。まただ。また戦闘時でもないのに動力炉が激しく燃えている。
「わ……わかったよ……じゃ、じゃあ俺がそっちに行くから」
「うん……」
彼は納得して起き上がると、そろそろと彼女が寝ている布団へと近付いて来た。
「……じゃあ、お邪魔します」
「うん……おいで」
陽太に背を向けたままルナは答えた。布団が少しだけ捲れたのがわかり、もぞもぞと彼が入ってきた。背中合わせの様である。
「ど、どどどうしたの、いきなり……」
やや早口で彼は喋っていた。
「……」
何も言わずに彼女は身を反転させ、陽太の体に手を回す。
「!!! なっ!」
びっくりして彼は声を裏返らせた。それがルナには少しだけ可愛く感じられた。
「陽太の隣、安心出来るの」
「そ、そそそそーなんだ……! な、ならよかった……!」
「ねえ、もっとくっついていい?」
「へ? もっとって、もうくっついてるじゃん!」
「……ふふ」
ほとんど息の様な声を吐いて彼女はぎゅっと豊満な胸を彼の背中に押し付ける。これは少女の本能的な行動だった。
「ふ……ふえっ!?」
「……近いのは嫌?」
「…………い……嫌じゃ……ないよ……!」
「こうして陽太に触れてると、もっと安心出来る」
「……!」
「陽太は……?」
「え……」
「陽太は、どうなの? 私に触れて、安心するの?」
「そっ……そりゃあもう……!」
「……じゃあ……触る……?」
「さ、触るって、何を……?」
「私の体」
「! な、なな何を言ってるのさ、突然……!?」
「……ねえ、触ってよ」
「……え……?」
「触って」
ルナは艶めかしく囁いた。陽太はしばらく黙った後に、ぼそりとまた声を出す。
「……い、いいの……?」
「うん。触って」
彼は先ほどのルナと同じく、布団の中で体をぐるりと回すと彼女と向き合った。そうして彼女の肩に触れた彼の手は小刻みに震えていた。
「……服越しじゃ駄目だよ。ちゃんと、私の肌に触れて。顔じゃ駄目。いつもは隠してる所……触って」
「……じゃ、じゃあ……ぬ、脱がすよ……!」
「うん……」
ルナの声も自然と震えてきた。今のこのふたりの空間は、どんな戦場よりも緊張する。ただ肌に触れられようとしているだけなのに、少しだけ怖い。
「……っ!」
陽太にされるがまま、彼女は決して抵抗する事無くシャツを脱がされた。しかしまだ彼女の体を締め付ける物がひとつ残っている。
「……こ……これも外すよ……!」
「……うん」
陽太の手は優しかった。まるでとても高価な物にでも触れる時の様に、壊してしまわない様に、ほとんど音を立てずに彼女の肌を、胸部を包む下着のラインに沿ってするすると撫でていった。この時少女は自分が大切に扱われている気がして嬉しくなった。その手が背中へと辿り着くまで、ぞくぞくとした、快楽とも言える感覚が彼女の体を走っていた。ん……と堪えられずに意図しない声が口から出てしまう。恥ずかしい。
そして、抑え付けていた物が外されると大きく膨らんだ彼女の胸部が露わになる。それを目の前で好きな人に見られている……恥ずかしい。
「……ごくり……」
陽太が生唾を飲み込む音が聞こえてきた。恥ずかしい。
「……あ、あんまり見ないで……」
なぜだろう、ついこの間までは裸体を見られた所で何とも思わなかったのに。今は凄く恥ずかしい。でも、でも、見ないでなんて言ってるけど、ほんとはもっと見て欲しい。
「……」
彼は無言のまま一旦引いた手を再びルナの体へと伸ばしてくる……もうすぐ、その柔らかい指先が、私の肌を包み込む。それから、どうなるんだろう。ここ以外にも、もっといっぱい、色んな所を触ってもらうのだろうか。それとも次は、私が陽太の体を……。
「………………や……やっぱり……駄目っ!!!」
だが、もう少しという所で彼女は顔を真っ赤にして彼の手を弾き返した。あまりの唐突さに陽太は言葉を失っていた。
「あ……ごめん……」
自分から誘っておいて何をやっているのだ私は、とルナは思った。
「……い……いや……俺の方こそ、ごめん……」
「……どうして陽太が謝るの?」
「何となく……怖がらせちゃったかなって思って……その……こ、こんなの初めてだったから」
「そんな事無いよ! ……ううん、ほんとは少しだけ怖かった……けど、それ以上に楽しみでもあったんだ」
「……楽しみ?」
「何でもない。ごめん、やっぱり向こう向いてて。恥ずかしくなってきちゃった」
「あ、うん……」
陽太がまた反対側を向くと、ルナは彼が外してくれた下着を後ろ手で着用してからもう一度その背中に抱き付いた。
「! ……ルナ……?」
「今日は、このまま寝させて」
「……! う、うん、わかった……!」
ルナは少年の温もりを細い腕から伝い全身に行き渡らせていた。動力炉は依然として燃えている。激しく。そのまま燃え尽きてしまいそうなほどに。いっそこのまま、灰になってしまっても構わない。
……いや、それは駄目だ。私にはまだやる事があるのだから。
陽太……。
好きだよ。
翌日、彼女は誰にも告げずにひっそりとこの家を出て行った。
もう二度と、帰って来る事は無い。
CHAPTER 18:「私、恋をしている。」