CHAPTER 17
またひとり客が入店してきたので食器を下げていたルナは入口に向かって愛想のある声を出した。
「いらっしゃいませー」
珍しい事に、訪れたのは十才ほどの少年だった。保護者が同伴している様子も無く、ひとりで来た様だ。黒い髪に赤い瞳、肌は褐色。日本人には見えない。彼は彼女の方を見ると不意打ちの如くその名前を呼んできた。
「やあ、LUNA」
「え?」
ルナの動きは一瞬固まってしまう。見知らぬ少年から突然自分の名を呼ばれたのだ。じっくりと彼の顔を眺めるが、やはり見覚えは無い。
「あの……申し訳ございませんがどちら様でしょうか」
「僕も君と一緒だよ。名前はSOL」
「……え?」
「これだけ言えばわかるだろう? 話があるんだ」
「……」
ルナは思考を巡らせた。彼は自分と一緒……と言った。一緒……どういう事だろうか…………まさか、そういう事なのだろうか……?
そう考えた時、思わず体ががたがたと震え出す。その勢いで手に持っていた食器を床に落としてしまった。皿やカップはガシャンと音を立てて割れた。その音に対して、店内にいた客は皆一様に驚く素振りを見せる。
「あ……」
「大丈夫ルナちゃん!?」
慌てたおばさん―――彼女が世話になっているこの喫茶店の主人の妻、陽太の母の友人である―――が彼女を心配して駆け寄ってくる。食器を割った事などルナが働き始めて一度も無かった。
「あ……はい」
「……顔色悪いわよ。具合よくないの?」
「え……」
顔から血の気が引いていた。それほど彼女は激しく動揺していた。
「だ……大丈夫です」
声を上ずらせながらルナは少年に向き直った。
「……話ならもう少し後にして頂けませんか。今は就労中ですので」
「……ああそう、わかったよ」
少年は納得してくれた様で、勤務が終わる時刻をルナが伝えると去って行った。おばさんはなおも心配そうな顔つきで彼女に尋ねてくる。
「大丈夫なの? さっきの子」
「……はい、大丈夫です。ちょっとした知り合いですから」
CHAPTER 17:「君だってそうだろ。」
仕事を終えてルナが店から出た時、そこにはきちんと、先ほどのソルと名乗った少年が彼女を待っていた。
「やあ、お仕事お疲れ様」
「……どうも」
「それじゃあ早速話に入ろうか」
「ちょっと待って。ここから離れた所でお願い出来る?」
「わかったよ」
ふたりは無言で暮れなずむ街の中へと歩き始めた。徐々に周囲が騒がしくなっていき、気が付けばすっかり雑踏の中へと溶け込んでいた。
「……あなたは何者なの」
ルナから話を切り出した。
「言っただろ? 君と同じだって」
「……どういう意味で同じなの」
「人じゃないって事さ」
「……!」
悪い予感は的中した……やはり……そうなのか……この子も私と同じ……。
「よっと」
ソルはぴょんとその場にあったベンチに跳び乗ると、無邪気な顔で彼女に微笑みかける。
「改めまして、よろしく、LUNA。僕はSOL。君の弟みたいなもんかな」
「……弟……という事は……」
「うん。もうひとつの.さ」
「……完成していたのね」
「ほとんど末期にね。ほっ」
彼はまた軽く跳ね、着地した後再び歩き出した。
「私を連れ戻しに来たの……?」
「いいや? そもそも僕も処分されるし。そんなのは嫌だと思ってここに派遣された隊の艦にちゃっかり紛れ込んだのさ」
カミヤ達の事だろうか。ならばルナと同じく、およそ半年前には彼はこの星に来ていた事になる。
「大体、平和になったあの星に僕はちっとも興味は無いし」
彼女はぴくりと反応した。
「……この星で何をするつもりなの?」
「戦争」
「!」
「当たり前じゃん。兵器なんだから僕は。君だってそうだろ?」
「……私は……」
「君が上手く人間社会に紛れ込んだ様に、僕も一応取り引きみたいなのを交わしてさ。で、いい加減君を迎えに行ってもいいかなと思って」
「……迎えに?」
「うん」
前を歩く少年はくるりと振り返り、変わらず無垢な表情で言った。
「僕と一緒に人を殺そう、LUNA」
「……嫌」
「……? どうして?」
「私はもう……戦うのは嫌だから」
「えぇ? ……何それ」
ソルは素っ頓狂な声を上げる。
「何の冗談?」
「冗談じゃない……ソル、私は人になりたいの」
「人に? ……はは」
「君から見たら馬鹿馬鹿しいかもしれないけど。私はもう、兵器の自分が嫌になったの……君もそうしようよ。楽しいよ」
「やだ」
彼は即答した。
「だって僕、全然人を殺してないもん」
「……! いいんだよ、殺さなくて……!」
「やだ。君はたくさん殺したから満足したんだ。僕が出来上がった頃にはもう戦争はほとんど終わりかけてた。おかげで僕は試運転程度にしか動けなかったんだ」
ああ……この時ルナは眼前の少年を憐れむ目で見ていた。私も少し前まではこうだったのだ。兵器として作り出されたが故に、自らの存在証明のために人を殺す。ただ、それだけだったのだ。
「……たくさん殺したからわかるんだよ。そんな事を続けたって、いつか必ず空しくなるだけだって」
「だから?」
「え?」
「だから何なの? 殺しが楽しければそれでいいんだよ」
「……ソル……君はきっと私と同じくらいに人に近い心を持ってるはず……ううん、私以上に持ってるかもしれない」
「それで? どうせ僕は兵器だ」
「ソル……!」
「LUNA。僕のとこに来なよ」
「……嫌だ」
「……ナクラヨウタ、って言ったっけ……」
「! 陽太に何するつもり!?」
「言わなくてもわかるだろ?」
「……っ!」
ずきん、とルナの左の胸が痛んだ。
「LUNA、これはお願いじゃない。脅迫なんだよ」
彼の声はどこまでも純粋だった。その大きな瞳は一点の曇りも無く、美しく澄み切っていた。
「僕らはひとつになる存在……そうだろ?」
「……!」
諭す様に彼は続けた。この時少女の心の中に、どうしようもない気持ちが歪みと共に侵食してきた。今彼女は、絶望の前に立っていた。