CHAPTER 15
二学期が始まり数日が経った。少年少女の夏休みボケはようやく解消されつつあるが、暑さはまだしばらくは残りそうであった。そんなある放課後。
いつもの様に珠希と剣と三人で下校しようとしていた陽太は、校門を出た時に突然誰かから声をかけられた。
「那倉陽太さん……ですね」
「?」
彼を呼び止めたのは丸眼鏡をかけたスーツ姿の男だった。髪は綺麗に整えられており、清潔さを感じさせる。年は……四十代から五十代……といった所だろうか。
「はい、そうですけど……」
「突然で大変恐縮なのですが、少しだけお時間を頂けないでしょうか」
「は? 誰ですかあなた」
「……月について、あなたと少々語らいをしたいと思いましてね……」
彼は笑みを見せた。だがそれにどの様な意図があるのかはわからない。ただ、陽太にはそれが作り物にしか見えなかった。
「何言ってるのかさっぱり……!」
男の誘いを断ろうとした陽太だったが、ふと思い当たる物があり言葉を途中で切る。
「……何者なんですか、あなた」
「自己紹介は後ほど致します」
「……わかりました」
「陽君!?」
「悪いんだけど、ふたりで帰っててくれないか」
「えっ!? ……いいけど、知り合い?」
「……わかった。行くぞ古川」
「え? あ、うん……」
「……ご友人には悪い事をしてしまいましたね」
男は遠ざかっていく珠希達の後ろ姿を見ながら言った。
「適当な喫茶店とか、ファミレスとかでいいですよね?」
「ええ、それはもちろん」
CHAPTER 15:「あんた何者なんだよ。」
陽太と男は近くのファミリーレストランへと場所を移した。席に着くと男はお金は自分が出すから好きな物を頼んでいいと言ってきたが、見ず知らずの者にそんな事をされても戸惑うだけなので彼はとりあえずドリンクバーだけ注文する事にした。男もそうした。
「では入れてきましょう。何を飲まれますか?」
「いやいや、いいですよ。そういうのは年下の俺の方の仕事ですから」
「いえいえ。大事な商談相手ですから」
「……じゃあ、コーラでお願いします」
「わかりました」
……嫌な言葉が聞こえてきた。陽太が男の誘いに乗ったのは、彼が「月」というキーワードを口にしたからだ。月……ローマ神話の月の女神の名は、ルナ……。
「いやあ、最近のファミレスのコーヒーも侮ってはいけませんねえ」
戻って来た男はカップに一口付けるとゆっくりとコーヒーを味わっていた。陽太もストローから少しだけコーラを喉へ通した。
「で、あなたは何者なんですか」
もういいだろうかと思い立ち彼は男の素性を尋ねる。
「はい。自己紹介大変申し遅れました。私は香具山と申します」
「香具山さん……何で俺の事を……いや……それだけじゃないみたいですね。どうして知ってるんですか」
「それは、まあ、とある筋から情報を入手しまして」
「それは……追って来た人達ですか」
陽太はカミヤ達の事を思い出していた。だが、あれからまだ半年も経っていない。いくら何でも早過ぎる気がする。それとも、何らかの事情で彼がルナを見過ごした事が上層部にバレてしまったのか。あるいは彼らとはまた別の存在がルナを捜しているのか。
「いえ、まあ、そうではありません」
香具山は言葉を濁していた。
「もうお気付きの様ですね。いや、初めから……ですかな。それならば話が早いです」
「……」
「よろしければ……あなたが所有しているLUNAを、ぜひ私共の方で引き取らせて頂けないかと思いまして」
……やっぱりか。陽太のグラスを持つ手に力が入った。
「……どうするつもりなんですか?」
「ぜひ、一度詳しく調べさせて頂きたいと思いまして」
「なら別にあなたの所に定期的に通わせたりすればいいじゃないですか。それに……ルナを調べて、そのデータをどうするつもりなんですか」
「ああああもちろん仰る通りだと思います。彼女は実に興味深い。その中身を調べる事によって、私達の社会に何かしらの発展を与える事が出来るかもしれないと我々は考えておりまして」
陽太の心の機微を察したのか、香具山がおだてる様な口調になった。
「それから一時的に預かるのではなく、永続的に引き取らせて欲しいという理由なのですが、彼女をあなたの家の様ないち一般家庭に置いておくのは危険だと思いまして。万が一の事があった時など」
「万が一ってどんな事ですか」
「それは……何らかの理由で暴走してしまった時などです」
声を潜めて香具山は続けた。
「……! そんな事ありません」
「どうしてそう言い切れますか」
「ルナは……そんな事、絶対にしないって知ってるからです」
「ですが、物事に絶対などという事はあり得ません。それは我が子に対する親の感情の様な物です。我々ならば厳重に管理する事が出来ますし、もしもの事が起こっても、少なくとも那倉さんのお宅よりはしっかりとした対応が取れると思っております」
「だから、あんた何者なんだよ!」
陽太の語気が荒くなる。
「スーツ着てるくせに、名乗ったのは自分の名前だけで名刺も出さない! あんた達どっかの会社か何かなのかよ! それとも研究所!?」
「それは……申し訳ございませんが、お伝えする事が出来ません」
「ふざけんなよ!」
「はい……仰る通りだと私も思います」
なだめる様に香具山は詫びの表情を作った。常に陽太の態度を窺いながら反応を返す……本当に、どこまでも人を不愉快にさせる男だ。
「その……もちろん無償でとは言いません。相応の額を……」
「いい加減にしろ!」
ダン、と彼はテーブルを拳で叩いた。
「……お願いだから、放っておいてくれませんか」
静かにそう告げると陽太は立ち上がる。
「ルナは……あなた達が思ってる様な物じゃないんです……彼女は、普通の女の子なんです……人なんです……俺や、あんたと同じ……だから……頼むから俺達を放っておいて下さい……」
「……た、大変失礼致しました!」
香具山は頭を伏せて謝った。だが、本心ではどう思っているのかわからない。この男はどこまでも自分を演じている。
「……コーラ、ごちそう様でした」
カバンを手に取ると陽太は俯きながら店を出た。
中東のとある国。褐色の肌の幼い少年がひとり、戦場と化した荒れ地の真ん中に突っ立っていた。彼の周りには無数の兵士達が血を流して倒れ込んでいる。誰ひとりとして動く事は無い。
「……はは、はははは……!」
彼は空に嗤った。
「はははは……! ……あ~あ、つまんないな……」
巨大なライフル銃に変形した彼の右腕が、ふらふらと標的を探す。
「次は地雷撤去でもしようかな~……」
そして地面のある一点に、彼は狙いを定めた。
「あ~あ、楽しいなあ……殺しって」
.はふたつある。だから:なのだ。