CHAPTER 10
陽太は無我夢中で自転車を漕ぎ続けた。時折後ろに目をやり、ルナがきちんとそこに座っているのかを確認する。彼女のさらさらとした髪が風でなびいている。綺麗だ。必死で逃げているという状況にも関わらず、陽太はそんな事を考えてしまった。
「陽太、前!」
「え!?」
彼女の声にびっくりして顔を正面に戻すとそこには赤信号の横断歩道があった。一行が今いるのは大通りで、すでに朝の通勤時間帯になっており、車はたくさん走っていた。
「ぬおっ!」
彼は急いでブレーキをかける。車道ギリギリの所で自転車は止まった。
「……! えーい!」
ゆっくりと信号待ちしている場合ではない。くるりとハンドルを操作し方向を変えると、陽太はまたすぐにペダルを踏み込んだ。
CHAPTER 10:「俺は死んでも認めねえ。」
先ほどから行く先行く先に軍服を着た男達が立ち塞がっている。彼らを見付けては方向を変え、また見付けては方向を変え……陽太達はかなりの広範囲で包囲されつつあった。
「ちっくしょ~~~~! どんだけいるんだよ! ……はあ……! はあ……!」
「大丈夫? 陽太」
「え? ああ、大丈夫大丈夫……!」
もう三十分以上全力で自転車を漕ぎ続けていた。全身から汗が噴き出し、止まらない。日は高くなっていくため暑くなる一方だ。
「代わろうか?」
「おっ、女の子にそんな事……! ぜえ、ぜえ……!」
「ルナガオ前ヲ抱イテ飛ンダ方ガ早インジャネーノカ?」
「そっ、そんな目立つ事出来るか!」
その時、パン! と大きな破裂音がした。陽太が驚いたのも束の間、突如運転操作が不安定になる。自転車はコントロールが利かずにふらふらと蛇行を始めた。
「げっ! パンクしやがった!」
「きゃっ!」
バランスを保てないままぐらりと横に倒れ、ふたりは歩道に叩き付けられた。
「いってー! ……大丈夫、ルナ?」
「私は大丈夫……それより、早くこっちに!」
「え?」
ルナは陽太の手を取ると素早く立ち上がり、路地へと入っていく。
「さっきの、多分狙撃だよ」
「……は!?」
陽太達から少し離れたビルの屋上。カミヤの部下のひとりが腹這いの姿勢でヘッドセットに付けられたマイクに話しかける。
「大佐。目標狙撃成功しました」
〈了解。ガキに怪我はさせてねーか?〉
「はい。予定通り、ポイントに向かっています」
〈わかった。ご苦労〉
一行は廃工場へと辿り着いた。自転車を手放した後もやはり彼らの前にはカミヤの部下が次々と現れてきた。追い詰められているのはわかりつつも逃げるしか道は無かった。逃げた所でどうしようもないのかもしれないが、それでもやっぱりそうするしかなかったのだ。
この廃工場は陽太が生まれる前からこの街に存在していた。二十年前の火事で半壊状態になっており、天井や壁は一部が無くなっている。どうやら二階建てらしいが、上階の床が抜けている箇所もあった。長らく立ち入り禁止となっている場所だ。建物内部には入口を始め至る所に工機や、積み立てられた木箱、ドラム缶など操業時の物がそのまま放置されていた。
「オイ、コレ確実に万事休スジャネーカ」
「そっ、そんな事言われても……! だってあんなどんどん道塞がれてったら……!」
「最初ニオ前ノ家ノ前デルナガ全員殺シトケバ早カッタンダヨ」
「そんな事言うなよ! そんな事……!」
「愛の逃避行、ってか」
「!」
陽太とガルダが言い合いをしている所にカミヤが十数人の部下を伴って工場の入口に現れた。彼以外の全員が機関銃を手に持ち、整えられた横一列の並びでこちらを見据えている。
「もうどこにも逃げ場はねーぞ。大人しくそれをこっちに渡せ。さもねーとおめえも撃つぞ」
「さっき撃ってきたくせに」
「馬鹿か? あれは狙って自転車の前輪を撃ったんだよ。可能な限りこの星に害を出すなと命令が出てるんだ。まあ、意図的に邪魔をするなら話は別だがな」
カミヤは銜えていた煙草を指で取り一息煙を吐くと、床に落として足で火を消した。
「何度も言わせるな。それを寄越せ」
「……ルナを物みたいに呼ぶな」
「あ? お前こそ何言ってんだ? それは兵器なんだよ。俺達が作り出した殺戮兵器だ」
「違う!」
陽太は声を荒げた。
「何が違う?」
「ルナは……人だ!」
「……人?」
「……そうだ! ルナはただの女の子なんだよ! ただ、ちょっと変わった生まれ方をしただけで……! あんた達こそ、ルナの事を何にもわかってないだろ! この娘は自分自身の事で崩れるくらいに悩んで、悲しんで……人の優しさを受け止めて、同じ様に誰にでも優しくて……誰よりも、人間らしいんだ!」
「……陽太……!」
ルナはつい胸に手を当てていた。拳に力が入り、シャツをぎゅっと強く握った。
「……はっ! わかってないのはお前だ! それが俺達の星で何をしたのか! 殺したんだよ! 人を! 数え切れないほどにな! この街の住人なんてどころじゃねえ! この国の奴ら、それ以上の人間を! 殺していったんだよ!」
激昂したカミヤは喚く。
「それは! 殺したんだよ! 俺の姉貴を!」
「! ……え……?」
「俺の姉貴はそれの戦闘に巻き込まれて死んだんだ! 義兄と、3才の姪と一緒に! 軍職でも何でもねえ! ただの一般市民だ! 避難が遅れて……いや! 避難する間も無くあっさりと! それが殺したんだよ!」
彼の声は自然と上擦っていた。
「何が人だ! ふざけんじゃねえ! あんなの人間がやる事じゃねえ! それが人間だなんて、俺は死んでも認めねえ! 笑わせんじゃねえよ! 兵器は所詮兵器なんだよ!」
カミヤはホルスターから拳銃を引き抜くと怒りに震える手で即座に構えた。
「!」
そして、乾いた銃声が一発、建物内に木霊した。
「! ……うああっ! ああっ!」
激痛に耐えられず陽太は呻きながら床に倒れ込んだ。ワイシャツがじわじわと赤く染まっていく。押さえていた左手がべったりとした嫌な感触に包まれる。
「ああっ! ああああああああああっ!」
「陽太っ!」
ルナは身を屈めて彼に声をかけた。
カミヤの銃弾はルナを狙っていた。陽太はとっさに彼女の前に出て身を挺して守ったのだった。弾は彼の右肩を掠めた。
「陽太っ! 陽太っ!」
「オイ! 何ヤッテンダ馬鹿野郎!」
「しっかりして! 陽太あっ!」
「……ヒーローのつもりか、馬鹿があっ!」
予想外の展開に戸惑っているのか、カミヤが震える声で叫んだ。
「……それに懲りたらもう余計な事はするな!」
「……」
急に黙り込んだ後、ルナは静かに立ち上がった。その雰囲気は陽太が彼女と出会ってから一度も感じた事の無い物。怒りだ。次にルナが何をしようとするのか彼にはすぐにわかった。
これから、戦闘が始まるのだ。
「だ……駄目だ、ルナ……!」
彼は声を振り絞って言った。
「! どうして……陽太」
自分の行動を止められて、ルナの顔には狼狽の色が表れる。
「君は、もう……兵器じゃないんだ……! だから……戦うのは駄目だ……!」
「……でも、陽太が撃たれたんだよ!? それに、この人達殺さないと、どうしようもないよ!」
「俺が撃たれて怒ってくれて……ありがとう……! でも、人殺しはもう駄目だ……! 言ってたじゃないか、人を殺すのが嫌だって……! そんな事したら、君はまた傷付く……!」
「でも、さっき陽太が言ったんだよ! 簡単に生きるのを諦めるなって! 私は人になりたいの! 人になりたいから殺すんだよ!」
「違うんだよ、ルナ……! それは違うんだ……!」
陽太の声はかすれていた。
「……わかんないよ……! だったら私はどうすればいいの!?」
「悩ンデル場合ジャネーダロ! 陽太ノ言ウ事ナンテ聞カズニサッサト殺ッチマエ!」
「……………………!」
ルナの右腕がマシンガンへと変貌を遂げる。
「……全員! 構ええっ!」
カミヤは後退すると合図を出した。部隊は一斉に同じく機関銃を構える。
「……駄目だ! ルナアッ!」
そして、工場内に再び銃声が鳴り響いた。