教師(予定)がやってきた
「そなたが、元侯爵夫人か」
王宮の奥、後宮の手前の庭園に、天使はいた。
王太子、テオドール王子である。
ふわふわの明るい金色の巻き毛に桃色の頬。
ぷっくりとした可愛らしい唇から少年らしい高い声が発せられる。
エレクトラは深く頭を下げる。
「手続き中ではありますが、エレクトラ・ルマティカと申します」
「ふむ。面を上げよ」
七歳ではあるが、なかなかの貫禄がある。天使だが。
「宰相殿の推薦と聞いたが仲が良いのか?」
「いえまったく」
つい、眉間に皺を寄せ、即答してしまう。
天使は面食らった顔をした。
「どうぞこちらへ」
天使の側仕えらしい騎士が四阿へ案内してくれる。
四阿の中の椅子に座る。
「――確かに、変わった人材のようだ」
「ありがとうございます」
「褒め言葉と思うたか」
「貶されたとしてもお礼を申し上げますよ?」
「私が王族だからか?」
「というより、正当な評価なので」
「というと?」
「学術都市で働いている我が国出身の女性は数人しかおりません」
「なるほど。なかなかに直截な物言いをする」
目を細めて口角を上げる表情は、「食えない笑顔」に見えるが、とても可愛らしい。
「王太子殿下は、このお話に納得なさっておいでですか?」
「女になど教わりたくないと思うようなクズだと思うか?」
可愛らしい外見ではあるが、なかなかに穿った物言いをする、とエレクトラは内心感心する。
「いいえ。ただ、公正ではない何らかの意図があるのかと」
「あったとして、拒むか?」
「辞退できるのであれば」
「……ふむ。確かに陛下は宰相殿に及び腰ではある。だがけして私情だけに走る方ではないと思う」
「御意」
「やはりそなたは面白い。宰相殿は、嫌いか?」
「ノーコメントで」
天使は護衛に視線を投げる。護衛は頷き少し離れた。
「宰相殿を嫌う女人に会ったは初めてだ。詳しく話せ」
エレクトラは内心呻く。
男の子なのにゴシップ好きなのかと。
「宰相殿が嫌いな食べ物を教えてやる」
話さないわけにはいかなくなった。
「――苦労してるな、そなた」
教育に著しく悪影響を及ぼしそうなことはぼやかしていきさつを話せば、七歳であられる王太子は年に見合わない憂い顔で同情してくれた。
「殿下はあんな大人にならないでくださいね?」
「勿論だとも。父上とて涙目になることがある。あいつが王宮で一番の悪だ」
でしょうともでしょうとも、とエレクトラは同意する。
何故か宰相の愚痴と批評で王太子殿下と意気投合してしまった。
「楽しそうだな」
「父上!」
いきなりの声に、エレクトラは硬直し、王太子は先ほどよりトーンの高い声で呼びかけた。
慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「良い。面を上げよ。そなたが、エレクトラ・ルマティカ男爵令嬢か」
「さようでございます」
「――かわいそうに」
ぼそ、と聞こえた言葉が、不穏だった。
同情されている。
初対面の国王陛下に!
エレクトラはショックを隠しきれず、俯く。
「ああ、すまない。気にしないでくれ」
するわっ!とつい、ツッコミを入れかける。
あの宰相の上に立つには少々天然ではないのかと危ぶんでしまう。
絵姿の通り、筋骨隆々とした偉丈夫なのに。
雄々しい髭があっても、宰相には勝てないんだろうなあ、とぼんやりと思う。
「父上、先ほどまで、宰相殿の話で盛り上がっていたのですよ」
「ほう?アレには、余も…いや、ああ見えて案外イイ奴なんだが」
後半の声が裏返った。
イヤな予感がしてエレクトラは顔を上げ、周囲を見回す。
――居た。
金属めいた銀色の髪の、宰相が。
満面の笑みで来る。やって来る。
王族さえ、腰が引けちゃう宰相ってどうなの、大丈夫なの、とエレクトラは嘆く。心の中で。
テリトリーでなら大声で叫ぶが、ここは王宮、目の前には偉い人。
勘弁してください。
「我が君。勝手に抜け出さないでください」
国王陛下の広い肩がびくぅ、と震える。
「お久しぶりですね、我が女神」
優雅に流れるように、エレクトラの前に片膝を付く。
見事にエレクトラの頬が引きつるのを王太子と国王は目撃した。
目撃して、虚ろな瞳で流れる雲を見上げた。役立たず、と心の中で罵るくらいひどい対応である。
そっと遠ざかるエレクトラの手をとって、手袋の上から爪に口づける。
少し潤んだ瞳で見上げる。
秀麗な面で、そんなことされれば大概の女性はのぼせるだろう。
エレクトラは、恐怖した。
次に何をされるかがわからないのだ。
いかがわしいことをされるか、そのまま放してくれるかさえ、わからない。
好きとか嫌いではない。得体の知れないところが怖いのだ。
「物憂げな表情も素敵ですね」
すっと立ち上がる様も優雅だが、何故踏み込んでくるのかと問いたい。問えば、想定外の答えがきそうでいやだが。
一歩後ずさり、愛想笑いを浮かべる。
「宰相様、お仕事は大丈夫ですか?陛下をお迎えに来られたのでは?」
「私など、どうでもよい存在ですから。陛下さえ仕事をしてくだされば」
「「「それはないっ!」」」
三人の声が見事に重なった。
思わず三人が顔を見合わせる。
「――かなり仲良くなったんですねえ…?」
普段より低い声に、エレクトラだけでなく王と王太子もびくつく。
「いや、そんなことないぞ?抜け出して悪かった、戻ろうか」
「エレクトラ嬢、送ろう」
「――私がお送りしますので、殿下、陛下をお願いします」
エレクトラはつい、縋るような視線を七つの少年に向けてしまった。
血色が良かった少年の頬から血の気が引いていく。
視線だけで、謝られた。
その元凶だろう宰相の顔など、恐ろしくて見れない。
「わかった。陛下、執務室に戻りましょうか」
少年はそっとエレクトラから目を逸らし、王を追い立てる。
「おうちまでお送りします」
恐怖に慄きながらも宰相の心底嬉しげな笑顔に見とれ、エレクトラはなすがまま、手を取られ、腕に絡ませられてしまった。