愛人がやってきた
エレクトラはビミョーな微笑みで来客に茶を勧める。
「ここは狭いのに、見事なお庭ですのね」
少々厚めの化粧をした貴婦人は茶器を傾けながら言った。
彼女も、アポなしである。失礼どころか無礼である。
この発言も失礼ではあるが、事実ではあるし、悪意を持って言っているわけではないのはわかっているのでエレクトラは気にしない。
態度や発言は気にはしないが、他に気になることは、ある。
「何の御用でしょうか」
「いつお帰りになるのかと」
「私の荷物は全て引き揚げておりますのでそちらへ向かう予定はありません」
エレクトラの言葉に、彼女の目にみるみる涙がたまる。
彼女は、元夫(手続中)の恋人である。
エレクトラは彼女を愛人だと思ったことはない。
婚姻前からの関係だったことと、元夫(手続中)がエレクトラと関係を構築しようとしなかったためである。
元夫(手続中)は脳の発達自体を危ぶむほどお勉強ができなかった。
貴族名鑑すら読めなかったし、算術も覚束ない。
周りに優秀な側近がいればいい話なのだろう。本当にクレクティス候の息子なのかと何度も心の中で呟いた。
まあ、今まで身を持ち崩さずにいられただけでも幸運なのだろう。「運がいい」ということは重要である。場合によっては頭脳や体力より重要である。
そして、図らずも、彼女を恋人に選んだことも「運が良かった」。
彼女は、普通の貴族令嬢だった。
エレクトラが苦手なダンスも社交も刺繍も上手だった。
巷で囁かれる「阿婆擦れ女の娘」のイメージと少々違い、根は素直な令嬢だった。
三日に一度「ごあいさつ」と称して押し掛けるので、自己紹介がてら、魔法陣を作らせてみた。
縦横の合計が同じになるように数字を並べるパズルである。
興味津々の、きらきらした瞳があまりにも綺麗なので、つい、算術を教えてみた。話のタネが尽きても帰らないので。
まさに、土に水がしみこむように面白いくらい、教えたことを吸収する。
思いついて、簿記を教え、家令に帳簿を見せるように指示してみた。
小さな計算ミスを幾つか発見するくらいのレベルになった。
今は、会計学を教えている。
エレクトラがいないと家令たちを質問攻めにするらしく、帰ってきた時は彼らがぐったりしているのが常だった。
愛人にしておくには勿体ないと思う。
「阿婆擦れの娘」と言われながら社交もできて、帳簿も読めるなんてなかなかいない。
あの家で一番のアホは次期侯爵だと思う。
「私が、いなくなれば、戻ってくれますか?」
意味がわからないことを言い出した。
「――ええと。事情を聞いてない?」
「私のせいでしょう?」
「違います」
きょとんとただでさえ大きな綺麗な目を瞠る。
「もともと、『行かず後家』って言われたくないから結婚しただけです。子爵様には個人的な感情はありません。子爵様より貴女の方が話しやすいですし」
ふう、と肩をすくめて見せる。
「侯爵様も、貴女が正妻におさまることをお望みですしね」
「そんなことは!」
「侯爵様って、貴女と貴女のお母様のこと、すっごく愛してらっしゃると思いますよ?」
「でも、」
「お酒の席でちょっとお話きいたのですけれど、貴女のお母様、婚家ではあまり幸せじゃなかったそうです。あの、ディアヌス公爵家ですしね。貴女の腹違いの兄弟たちもすっごく評判悪いですよ?」
「でも、不貞が」
「あの侯爵様が赦すと思いますか?本当に不貞なんかしていたら。貴女だってそうです。『阿婆擦れの娘』と陰口を叩かれたって、ちゃんとマダム達と社交できてるじゃないですか。それに、貴女、ディアヌス公爵家の現当主の伯母君にそっくりですよ」
とうとう、涙があふれ出す。
エレクトラは苦笑いしながら手巾で彼女の涙を押さえる。
「私、だって、私…」
「侯爵様、わかりにくいんですよね。今度、お茶しましょうか。ちゃんとお話ししたことないでしょう?」
小さく頷く客人に笑いかける。
「もちろん、子爵様抜きでね?」
客人はつい、笑ってしまう。
エレクトラも、笑いかける。
「ああ、お茶が冷めてしまったわ。淹れなおしますわ。私、最近バウムクーヘンにはまってますの」
いつの間にか現れた侍女が茶器を下げ、茶菓子を持ってきた。
彼女はしげしげと木の年輪のような模様を描く菓子を見つめる。
「どうぞ、お召しになって?」
淹れたての紅茶を置かれ、客人は目を輝かせ茶器を傾け、珍しげに見ていた菓子を口に運び、微笑んだ。