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第1章 夜の迷走 7

 周囲のイルミネーションが流体のように長く尾を引いて、次々と後方に飛び去っていく。

 桜木瑪留、通称メルは自慢の金髪のロングヘア−を黒いヘルメットの中にたくしこんで、東京郊外のバイパスをバイクで疾走していた。夜明けも近いこの時刻、さすがに車の姿はほとんど見えない。

 やがて市の中心部から側道に入り、しばらく行くと周囲は田園地帯になる。そして、さらに走るとあたかも海原にぽっかりと浮き出た島のように、そこだけに文明のエキスを凝縮したような広大な商業地帯が現れる。

 メルはそのひとつの建物の脇道を入ると、回り込むようにPの文字がある方向に進んだ。

 そこは近頃流行りの総合アミューズメントビルだったが、営業は深夜二時まで、当然明け方のこの時刻にはパーキングは閉鎖され、入口は頑丈な鉄の鎖で塞がれているはずだった。だが、今や鎖は解かれ、メルは当然のごとく屋上にあるパーキングに向かって傾斜のきつい誘導路をバイクを駆っていく。

 一旦屋上に出、百八十度ターンをして周囲を見渡す。だだっ広い屋上はしんと静まり返っている。やがて、真っ暗な建物の陰からチカチカと明滅する合図のライトが見えた。

 バイクでゆっくりその方角に近付くと、数人の男達がたむろしているのが見えた。

 メルはエンジンを切ってバイクを降り、ヘルメットを脱ぐ。夜目にもあざやかな金色の髪が夜風になびく。

「おめえ、一人か?」

 髪をツンツン尖らせた目つきの怪しい男が訊く。肩には十字のタトゥーが彫り込んであり、手で何かをカチャカチャと弄んでいる。おそらくバタフライナイフか何かだろう。

「勇気あんな……」

「そんなことより、妙子は無事なんだろね」

 男はニヤリと口の端を歪め、後の男たちに合図をする。男の手下らしい二人が、背後の鉄の扉を開いて建物の中へと入り、暫くして後ろ手に縛られた女を連れて来た。

 涙と殴られたらしい痕跡で、顔はぐちゃぐちゃになっている。

「メル……ごめん……」

「いいんだよ、それより、あんた大丈夫?」

 妙子は悔しそうに腫れた唇を噛み締めた。それだけでメルには何があったのか想像することが出来た。

「とりあえず、キー預かっとこうか……」

 男は相変わらずニヤニヤとしながら、

「この女と交換だ。二人してバックレられちゃかなわんからな」

「わかった」

 手下の一人が妙子の紐をほどいて近付いて来る。メルは妙子の腕をつかみ、代わりにその男にバイクのキーを投げて渡した。妙子の背中を優しく撫でながら、

「これで、タクシーでも拾って、先に帰ってな」

 数枚の千円札と携帯電話を握らせ、そのまま背中を押す。妙子は一旦立ち止まって、何かを言いかけたが、メルに目で促されると、一目散に駆けていった。

「さてと……」

 男がパンと手を打ち鳴らした。

「盗んだ例のものを返してもらおうか」

 メルはバイクスーツのジッパーを少しさげ、胸許から白い粉の入った小さな袋を取り出した。だが、男が近付いて来て手をさしだすと、いきなり引っ込めそのまま親指を深く袋にめり込ませた。ぐるぐる振り回すと、中の粉が面白いようにサラサラと流れ出し、中空に飛散する。

「あっ、てっ、てめえ、何やってんのかわかってんのか?」

 だが、メルは無表情のまま粉をまき散らし続けた。

「約束を破ると、どういう目にあうか知らねーわけじゃねえだろな」

「最初に約束を破ったのはそっちだろ」

「何?」

「妙子には一切手出しをしないって約束だよ。忘れたとは言わせないよ。どうせ、ヤクを渡した後だって、アタシをすんなり解放するつもりなんか微塵もないんだろう」

「この、アマ、嘗めやがって──」

 男はバタフライナイフを構え、後ろの三人の男に合図を送った。男達はメルの退路を断つかのように左右に散り周囲を囲んだ。

「嬲りもんにしてやるぜ!」

 男が赤い舌を出して、ナイフの刃先をペロリと嘗める。メルは次第に後ずさり、バイクを背にすると、マフラーのあたりに隠してあった鉄パイプを取り出して構えた。

 男たちはそれぞれに手にした得物をクルクル回したり、カチャカチャいわせたりして、じりじりと距離を縮めてくる。その唇は陰惨な笑いをこらえきれずに醜く歪んでいる。

 やがて、横にいた太っちょの男がチェーンを振り回しながら突進しようとした時、それまで建物の陰にいた男がいきなり姿を現した。

「ねえちゃん、いい度胸してんな──」

 メルはぞっとした。その男の存在に今まで全く気付かなかったのだ。だが、ぞっとしたのはそのせいだけではない。今までに数限りなく会って来たどんなワルにもない、危険な気配を感じたからである。

 チェーンを持った男はたたらを踏んでから、慌てて後ずさった。

「あっ、桐生さん。すんません──この女にはきっちりケジメとらせますから」

 バタフライナイフの男が言う。ニヤニヤ笑いはすっかり陰を潜め、むしろ怯えた表情になっている。

「別にいいよ、あんな薬の一個や二個。何だか面白くねえから、もう止めようや」

「いや、そっちが良くても、こっちにもメンツっちゅうもんがありますから」

「何だと──」

 桐生と呼ばれた男が前に出て来た。柄物のシャツに黒いスーツ姿が、細いが鉄の芯を鋳込んだような硬質な肉体によく似合っている。すっとポケットに手を入れ、煙草を取り出した。

「ツヨシ。今の言葉もう一回言ってみろよ。……ん?」

「あっ。いや、す、すんません……」

 男達が一斉に包囲の輪を解いて、桐生の顔色を伺っている。

「失せろ……」

「へっ?」

 先程までバタフライナイフを振り回して粋がっていたツヨシは真っ青になり、額に汗が流れている。

「ちとこの女に話があるから、おまえら失せろって言ってんだよ」

「あっ? そういう事で……」

 ツヨシは追従笑いを浮かべてから、桐生に挨拶をし、他の連中と一緒に建物の裏側に姿を消した。ほどなく一台の車と二台のバイクがその方角から飛び出し、ガラガラの駐車場を斜めに突っ切り、けたたましいエンジン音を響かせながら誘導路へと消えていった。

「どういう魂胆だか知らないけど、あたしは何でも黙って言いなりになるような手緩い女じゃないからね」

 メルは改めて鉄パイプを握り直した。

「知ってるよ、メル……久しぶりだな」

 桐生はニヤリと笑った。

「俺だよ。……と言ってもわからんだろうな。カズと言えば思い出すか」

「カズ? あのカズ兄ちゃん?」

「ああ、そうだ」

 メルの脳裏に子ども時代の思い出が一気に沸き起こる。

 スポーツ万能、勉強はトップクラス、しかも人望が厚くいつも大勢の仲間に取り囲まれ、慕われていたカズ兄ちゃん。困っている時、いつも黙って手をさしのべてくれたカズ兄ちゃん。

 ──それがどうしてこんな世界に。

「まあ、俺もいろいろあってな……」

 まるでメルの気持ちを見透かしたように、指に挟んでいた煙草に火を付けると、

「ところで、ちょうどよかった。これも何かの縁だろう。ちょっとばかし手伝ってもらいたいことがあるんだが……何、ちょっとした儲け話さ。もちろんお前にもわけまえはたっぷりやる」

「まさか、ヤクの売人?」

「つまんねえよ、そんなハナクソみてえな話。ま、今詳しく言うことはできねえが、ざっと十億の大口だ」

 メルは桐生の目の奥に、一瞬冷たい光がよぎったのを見た気がした。


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