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林檎放浪記  作者: 櫻井月光丸
第2章 途上の章
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第9話 できる人ほど決定的な何かが違う

なんて、暗い場所なんだ。

 光の侵入を拒む地下は、ほとんど何も視界に入らないも同然だ。

 依頼人の男に案内された場所は、街の地下に張り巡らされた迷路の様な下水道だった。

 第1歩を地下に踏み入れた途端、あまりの異臭に林檎はむせる。

 「ごほっごほっ……」

 「大丈夫ですか? 」

 気遣わしげに男は聞き、手に持っていた松明の炎の灯で林檎の顔を照らしだす。

 「お前は平気なんだな……」

 息を整えながら、林檎は顔色1つ変えない男に囁いた。

 「えっ、まぁ……兄の代わりに仕事を受けたこともありましたから。あっ、仕事と言っても人に嫌われる地味な仕事なんですけど」

 「そうか。んにしても相当広い地下だよな、ここ。……魔物なら俺で十分だから、上で待っていてもよかったんだぞ?」

 すると、男は申し訳なさそうに首を振った。

 「私もついて行きます!足手まといにならなければ」

 「……」

 目を輝かせる自分よりも歳上の男に、林檎は何て言ったらいいのか、適切な言葉が思い当たらない。

 もしも魔物と戦うことになったとして、この男になにかあったら面倒だからだ。かと言って、ついて来る気満々の彼を無理にとめるのも気が引けるというものだ。

 (まっ、どうせいんのは雑魚共だろうからな……)

 林檎には、そのくらいの魔物なら、片手でも掃討できる自信があった。師匠は先ほどから全然話しかけてこないが、間を入れずに話してくる依頼人のせいだろうか。なんにしても、師匠の声は依頼人には聞こえないのだ。何故かといえば、それは師匠セビルが自ら言葉の念を送る相手を選べるからだ。簡単に言えば、3人いたとして、その場でたった1人の個人に話しかけることが可能という訳だ。

 「俺について来るなら、自分の命くらいは自分で守ってくれよ。お守りだけは御免だからな」

 「もちろん! 」

 そう言って、男は腰に下げた短刀を見せつける。やや頼りない武器ではあるが、まずこの男が襲われる可能性は低いと見た。

 理由は簡単だ。

 俺の周囲にいれば、まず雑魚の魔物は瞬殺できるからな。

 強気な林檎の態度を悟った男が、今度は燃える松明を持って、さっそく歩き始めた。

 「林檎」

 「なんだ」

 「えっ?どうしました? 」

 「はっ……」

 こっちを振り向く男。

 林檎は何でもないふうに目をすかさず逸らす。

 林檎は、危うく普通に師匠と会話しそうになっていたことに今、気付いた。目の前にいる男に師匠の言葉はまったく聞こえていないのに、なんだか怪しまれた気がして今度こそ無言で歩く。

 (あいつ……)

 師匠が首にぶら下がっているため、好都合だと言わんばかりに、林檎は一発目玉を殴った。

 「残念ながら、我に感覚はない。故に、叩かれようと殴られようと、刺されようと、痛くもかゆくもないのだ」

 (あっそ)

 ふて腐れそうになった林檎は、言い返せないことに多少苛立った。

 ちなみに例え林檎が心の中で師匠に話しかけても、意味のないことだ。今はとにかく一方的に師匠の言葉を聞くしかないのだ。後でこの状況から解放されたら、好きなだけ言い返そうと林檎は考えた。

 「人を喰ったことのある魔物の気配が奥からむんむんしているな。そういう魔物は極めて強力になっているやもしれん。決して気を抜いてはならんぞ」

 師匠の言葉を、林檎は顔を歪めて聞いていた。

 人を喰ったことのある魔物は凶暴になりやすく、危険な存在なのは知識として林檎も知っていた。もし、この先にいるとすれば、依頼人の兄を喰ったのも、その魔物ということで違いないはずだ。どうせ雑魚共だろう、という考えはこれでなくなってしまった。

 しかし、林檎の気持ちは何1つ変わらない。雑魚を瞬殺できない代わりに、その親玉をぶった切ればいいだけの話だ。うん、問題ないなと林檎は頷く。

 「林檎さん……聞いていいですかね? 」

 ふいに先頭を進んでいた男が尋ねる。

 「言っておくけどなぁ、俺はくだらない質問は答えたくないからな! 」

 こんな時にまで会話を盛り込んでくる彼の顔は、何故か明るかった。

 「くだらないかは分かりませんが、林檎さんはどうしてこんな汚い所にまで足を運んでくれたのかなーって」

 「……」

 どんな質問がくるかと思えば、とんでもなくどうでもいい、くだらない話だった。今自分は確かに前置きでくだらない質問に答えたくない、と言ったはずだ。この男の耳の穴は、一体どうなっているのか、林檎は疑問を密かに抱いた。

 「あれ……今くだらない質問してしまいましたか?林檎さん? 」

 不安にかられた男は、松明の炎に顔を照らして迫って来た。

 「……」

 「林檎さん?」

 黙っている林檎。

 「……」

 「あの……」

 何十秒もの間口を開けなかったが、それはそれで疲れるだけだと林檎は学んだ。余程の心配性に違いない男に、林檎はようやく口を開いて言葉をぶっきらぼうに吐く。

 「さっきから聞いてれば、汚いとか地味とか……んなのどうだっていいんだよ」

 突然叫んだ林檎に圧倒されたのか、男は目を丸くしてこくこく頷いた。

 (こやつ、それ程までに林檎の顔が怖いのか。可哀そうにな)

 今、どこかで悲哀の言葉が聞こえた気がしたが、林檎はそれを一切無視する。

 「皆が皆、自分の好きなことばっかやってたら、綺麗な街なんて一生できないと思うぜ、俺は」

 すぐ横に溜まった汚水の面を見ながら、林檎は落ち着いてそう言い切った。

 「……そうかもしれませんね」

 静かに呟くと、男は林檎のセリフに感心していた。

 「俺みたいな旅人もいれば、お前の兄貴みたいに人が好んでやる仕事じゃないことを、率先してやる奴もいるんだ。そっちの方が立派に誇れるもんじゃねぇのか? 」

 あながちはずれでもないと思い、男は薄く微笑む。

 「いいえ、旅人だって……私達凡人が率先して務める役柄でもないでしょう?それに、カッコいいじゃないですか」

 「カッコいい? 」

 一瞬言葉の意味を見失った林檎は、よく考えてからありえないと首を横に振った。

 「こうして何でもない私なんかのために、働いてくれていますからね。いくら私が報酬を支払ったとしても、助けてくれることに変わりありませんよ」

 嬉しそうににっこり笑う男は、さらに歩きながら目を合わせてきた。褒め言葉を連発されて、思わず林檎はいつもの調子を崩しそうになった。かろうじてその視線から逃れると、ゆっくりこう言った。

 「……それでも、俺は金のために付き合ってやってるだけなんだぞ? 」

 何て嫌なことを言っているのだろうか。林檎は自分自身でも呆れながら、即座に返って来た純粋な男の言葉を耳にした。

 「はい」

 「……」

 いくら何を言っても、この男の概念とやらを折り曲げるのは難しいらしく、返事のひとつひとつを聞くたびに林檎は面倒な話になるだけだと思った。不思議なことに、言っていることは正義感丸出しで、まるで誠心誠意努力する努力家のように見えてくる。

 「さぁ、行きましょう」

 「お……おう」

 再び勇気を漲らせ、全身して行く林檎と男。松明のぼんやりとした篝火だけ、が2人の影を揺らす。

地上の入口はもうずっと後ろの方にあって、歩くたびにその形は薄れて行く。どんどん奥深くまで進んでいるようだ。すると、今までの足音が堅い石壁を踏んでいるような音だったのに対して、今度はベチャッという気味悪い音を響かせた。

「なんだこれ……」

 立ち止まって、さっそく林檎は地べたの音の正体を確かめる。指で軽く床を触ると、ベトッとしたぬるぬるの液体がまとわりつく。しかも、光に照らされた液体は紫色にも思える奇妙な色をしている。

魔物の体液か。

数多くの魔物を殺してきた林檎にとって、見ただけで情報処理できるだけの知識をみにつけていたのは幸いだった。となりの男を覗くと、少し動揺した様子でこちらを見ていた。

「林檎さん……」

「なんだよ、これくらいで情けない声出しやがって。いいか?何かあったらその短刀でも何でもいいから命守れよ? 」

再確認の意を込めて呼びかけると、男はおずおずと頷いた。

 これで一応はいいだろう。ただし、この先にいるのはどんな魔物なのか。それだけは師匠にも、林檎にもまだ検討のつかないことだった。林檎は汚れた指先を気にも留めないで、真っすぐ暗闇の先を見つめる。

「近くなって来たぞ! 」

突然師匠が叫び、林檎には緊張が走った。目つきを変えた林檎に遅く気が付いた男も、一瞬の判断で松明を前に構える。

「……」

音。

何かが地を這う音が聞こえる。

どこだ。

お前は今、どこにいる!!

その時だった。事態は急な展開を見せた。

「うわぁ!! 」

 男の叫び声が耳元で聞こえ、林檎が振り向く。

「おい!」

この一瞬で、何が起こったのか、すぐに理解することとなる。

男は何か長い触手で足をもっていかれてそのまま溝の中に引きずまれて行ったのだ。ドボーン!という激しい水のはねる音が聞こえ、次には唯一の光であった松明の篝火さえも、煙をたてて消えた。

水中水面では、激しく気味悪い幾つもの触手が男を飲み込もうとしている。

「たす……けて!!うごふっ……あぷっ」

「待ってろ!今助ける……っ」

必死に叫ぶと、林檎は完全の暗闇のなかで、2本のけんを持って構えたのだ。一気に気を高め、集中すると、しばらくして異変が起こり始めた。

剣が発光し始めたのだ。

眩しく、そして鈍く輝きを増して行く2本の剣……

「野郎!! 」

このままでは溺れてしまう。己の意思の中でそれが頭に浮かんだ林檎は、閃光の如く剣で触手を切り裂いた。

ズシャァァァァッァァァァァ――――

「手を出せ! 」

水面から僅かに顔を覗かせた男は、必死に延ばされた林檎の手をつかみかけ――――

「ぶはっぁ!! 」

ぱしっとその手を握ることができた。

ぐいっと物凄い腕力で自ら引き上げられ、男はなんとか無事に生還したのだ。

「助かった……よかった、よかった……!! 」

死ぬ思い、とはまさにこのことだった。ぐったり肩を下げて尻をつく男は、落ち着いてから林檎に感謝の言葉を述べる。

「ありがとうございます!本当に――――」

「いちいちいいんだよ!」

「……」

怒っているのか、林檎は一切男の顔を見ようとはしなかった。流石に落ち込んだらしく、彼は林檎の様子をうかがいながら囁く。

「魔法も、使えたんですね」

「……」

「あ、あの……短刀水の中に落としてしまったようです。これじゃあ戦えないですよね……あぁ、何て弱いんだ!私は……」

無視をしていると、嘆き喚く五月蠅い男の声だけが地下に響いていた。いい加減にして欲しい、そう思った林檎は遮るように言葉を吐いた。

「騒ぐなって!ここはもう魔物の生息エリアだ。きっとここの魔物は温度を感知できるらしい。あの松明の温度に反応して襲ってきたんだろうな」

「そんな……」

「それと、俺達も体温をもった生き物だ。また奴らは襲ってくる」

厄介そうに触手の残骸を眺める林檎は、まだ光る剣を手に持ちながら言った。これも、林檎が習得した魔術の1つである。光の民なら誰もが生まれながらにもっているという光源、すなわち元々は微細な能力だ。それの、さらに強力な力で行使しているのが、林檎という実体だ。

心底林檎の威勢良さに頼りがいを感じた男は、何もない手を強く握った。林檎がその剣を手放さない限り、自分には強みができた気がしたからだ。

「……魔物はどうして人を襲うんでしょうね」

男は言いながら、濡れた服から水を絞り出す。たっぷりと水気を吸い込んだ服は、同時にたくさんの水を下に垂らす。全身汚水まみれになった男から少し離れつつ、林檎は鼻を鳴らした。

「そんなの魔物本人に聞けばいいだろう? 」

確かにその通りだが、そんなの冗談に決まっている。男は、魔物に本人と呼ぶのはおかしいと思いながら考えた。

「うーん……それができたら苦労しないんですけどね」

「そうか」

軽く返事をしながら、魔物の死骸を跨いで次に進んでいく林檎。それにしても、何て迷いの無い目で歩いているのだろうか。少なからず、男にとって、こんなに真っすぐ前を見つめる者を前にするのは初めてかもしれない。水に引き込まれ、死を覚悟したあの瞬間でさえも、彼は一切余計なことを考えずに救い出してくれた。勇敢と言うには似合いすぎである。それに引き換え、自分の意識は凡人の考え方であるとも認識していた。私の、前に進むと彼の前に進むは、きっと、言葉は同じでも中身は全然違うのだ。

 自分から一緒に同行させてくれと頼んだのだ。これ以上彼に迷惑はかけられないと、自分の弱さを身にしみながら、男は反省した。

「お前はこっち歩け」

「はい」

指定されたのは、水道からほんの少し離れた左側だった。

――――こんな時までも、私の身を案じてくれるのか……この人は。

若干感心しつつ、男は素直に林檎の左側に並んで歩く。

「ったく、武器が無いんじゃあ自分のことも守れないのか、お前は」

怒っている口調ではないと見えるが、どうだろうか。

「え?林檎さんは武器が無くても戦えるんですか」

「は?」

すぐに帰って来た声は、驚きに満ち溢れている。そして、次に胸を張って林檎はこう答える。

「この俺を、誰だと思ってんだ?俺は武器なんてなくたって敵を殺せんだよ」

一瞬、背筋がびくっと震えた。

正体は不明だが、明らかに……林檎の言葉に恐怖を抱いた気がする。嘘か真か……そんなことではない。恐らく、彼の纏う「気迫」だ。それが極端に今、重さを増したのだ。そんな林檎を横目で見ながら、男は出だしをミスして言葉を繰り出した。

「で、ですよね。林檎さん強いですから」

「なんだよその言い草……」

林檎は褒められているのに、ちっとも嬉しそうではなかった。この状況が俄然そうさせたのか、それとも元々の性格がそうなのか、詳しくはわからない。

「とにかく、とっとと俺はここの親玉を潰すだけだ! 」

吠えるように言いきった林檎は、先に広がる暗闇へと前進して行った。


***


今、確かに命の保証はない。

どう考えても、ここから逃げ出すことは至難の業だ。

ちょっと街を見に抜けだしただけなのに、こんなことになるとは。

 何度思ったかしれない思いを、はるは再度心中で悩み続けていた。自分が奴隷というものに売られるらしい、と見張り番の男から聞かされた時はかなり動揺をしたが、時間をおくと、だんだんと冷静になって物事を考えることができた。

ここは恐らくバクライ市の地下だと、男は言っていた。時間の経過とともに、はるは体力も限界が近いと薄々感じとっていた。傷はまだ激しく痛み、今はそれに仕方なくじっと耐えている形だ。一瞬、林檎がまたあの時みたいに助けにきてくれるのではないのか、という考えが頭をよぎったが、確信たる自信はどこにもない。それどころか林檎たちは、私が逃げ出したと思い込んで、見捨てていそうではないか?

(それは……ないよね?いや、ないで欲しい)

誤解したまま去ったのでは、どう考えても気分の悪い終わり方だ。旅早々、こんなことになって申し訳ないと、はるはつくづく思った。

「ほら、お腹空いたなら食べな」

コテ、と目の前に置かれた一枚のお皿に目がいく。こんな時に見張り番の男は、食事なんて提供してきたのだ。皿上にのっていたのは穀類をすり潰したようなドロッとした液体のかかったパン1つだ。食欲が増すどころか、減退しそうな料理だ。

「なにこれ……」

「んー、ご飯と芋を練ったやつだと思うよ?こっちだって飢え死にさせたら商売が成り立たないからね、ちゃんと食べてくれよ」

「……」

何て酷い理由だろうか。自分が奴隷候補の女であるとは既に知らされていたが、こんな扱いを受けるくらいならこの皿の料理もろとも目前の男に投げつけてやりたいと思った。でも、両手は使えない今、どうやって食べろというのだろうか。それ以前の問題だろうと、はるは皿を足で蹴った。

パリーン!と、軽い音が響いた。

「あぁあぁあぁ!なんてことすんだ……っ! 」

男は両手を頭にやって嘆いた。

「おいおい……せっかく持ってきてやったっていうのに、酷いだろう」

文句を言いながら、男は転がった皿と零れ落ちた料理を残念そうにながめた。腕さえ自由なら、確実に勝利の兆しはありそうだが……足2本だけとは頼りない。

「縄をほどきなさい」

「だって、逃げるだろう? 」

「……」

真っすぐに飛んできたごもっともな質問に、はるは口を閉じた。それに付け加えて、はるはどうしても理不尽な気分がぬぐえなかった。

「ん?」

挑戦的な目でこちらを見てくる男は、目を細めていた。

「勝手……」

「何が、勝手なんだよ? 」

男はさらに尋ねた。

「勝手よ……あなたたちは。こんなことをして、心から喜んでくれる人がいるはずないわ。お金が欲しいの?お金が欲しいのなら、畑仕事や家畜業をやればいいわ。あなたの今している仕事は仕事じゃな……うっ!」

 はるは途中で言葉を遮られた。男が、槍の切っ先をはるの傷口に数ミリ程度刺したのだ。完全に塞がっていない傷口が、この瞬間で開き、ドッと血が滲み出して滴る。これまで心の読めなかった男の顔が、この時になって冷徹なものに変わったのだ。男はまだ槍を引こうとせずに、無表情のままはるのことを見つめていた。その冷たい目にはるは、視線を離すことができなかった。手が使えず、はるは槍の力で床に押された状態である。これ以上男の力が強くなれば――――確実に深い所まで刺されると覚悟した。

「……ぐ」

何て、何て恐ろしい表情なんだろうか……?

こんな怖い顔をした人間を、はるはまだ見たことが無かった。林檎の表情とは、どう考えても根本的に違う。林檎は話している時にはたまに笑うが、男の笑顔には「作り」が入っている気がしていたのだ。作られた笑顔……だから、違和感を感じていたのかもしれない。

 男は静まったこの状況で、槍を持つ手を緩めずにそっと口を開いた。

「くるしいだろ」

「……っ」

その時、傷に鋭い痛みが強まってきた。

(だめ……このままじゃ殺される!! )

 はるは痛みの限界に顔を歪め、身体を捻らせ素早く槍を蹴り飛ばした。

「……このっ」

「きゃっ……」

しかし、槍はまた襲ってきた。こんどは首――――

はるは咄嗟にその一撃をかわす間際、顎を床に付けたと同時に手を縛っていた縄の部分を槍の切っ先に当てた。

「何!? 」

男ははるのとった行動に、目を丸くした。

その瞬間、はるの手の縄が切り裂かれ、ついに解けた。

そこからはもう、早かった。

 完全に自由の身となったはるは、勢いよく跳ね起きて、男の足元に自らの足を引っ掛け、横からすくった。あまりにもあっという間の攻撃に、男は体勢を崩し――――転倒した。

間髪入れずに、今度は男の後ろ首に素早い蹴りを入れる。攻撃をくらった直後、男はもう地面に伏したままぴくりとも動かなくなった。

――――そんなことがこの数秒の時間で起こって、はるは呆気なさを感じていた。

「はぁ……はぁ……」

拳を堅く握ったまま、はるは乱れた息をしばらく整えた。

(なんて弱いの……)

 あんなに偉そうな口を叩いていたのに、男は首に衝撃を与えられただけで気を失ってしまった。つくづく人間というのは弱い生き物だと、痛感するのだ。自分も含めて。しばらく地面に伏したまま動かない男を見て立ち尽くしていたが、このままでは状況的にまずいと直感した。今倒した男が見張り番の人間ということは、仲間の人間がいつ来てもおかしくない。

 つまり、早々にこの場から脱出した方がいい。

(林檎……私、頑張るから)

 こんな時だからこそ、心の中で頼れる人物が浮かんできたのは幸いだった。

はるは落ちていた男の槍を手に持ち、力強く、次の目的の達成へと踏み出した。


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