第8話 あの子の行方
くだらない前置きは省くとして、とりあえず今の状況を端的に説明しよう。
林檎と入った店を抜け出し、興味本意で街を出た。
大きなバクライ市という所の壮大さに、感動した。
凄い人だと思った。
林檎にリンゴをプレゼントしようとした。が、資金不足で諦めた。
だから、店に帰ろうとした。
そこまでは、何の問題もない――――
そうだ、そこまでは何の問題もなく、大丈夫。
問題は、その直後に訪れた異変だった。
なんらかの罠にひっかかり、謎の男にさらわれたのだ。
これまでの経緯を振り返ることができた、ということは、まだ自分は殺されていない証拠だろうと、はるはもどかしく思う。
気を取り戻して、まずはるの目に入ったのは、炎で不気味に照らされた木の天井だ。それに、外の光は一切シャットアウトされた密封空間だ、ここは。
(ここ、どこよ……)
気になって、横になっていた体を動かそうとすると――――
「これ……」
自分は今、最悪で大変な状況にいる。はるは、運がついていないときは、とことん運がついてないのだと、頷かざる終えなかった。見れば手が後ろで拘束されている。グググと力を入れれば手首の辺りがヒリヒリする、嫌な痛みだった。
あの時――――男は私の腕を強く掴んできた。
気を失う寸前まであの大男を睨んでいたが、男は笑う訳でもなく、怒鳴る訳でもなく冷たい目でこっちを見ていた。それにも十分恐怖を感じてはいたのだが、はるは変な力の抜け方にも、恐怖を感じた。腕を掴まれた途端に全身から力が放出していくような違和感だ。
「誰か……誰かいるの!? 」
不安にかられて叫ぶはる。
なんだ――――誰もいない……
「おいおい、ここにいるんですけど? 」
「ぎゃあああああ! 」
ずっでーん!と、前のめりに顔から地面に激突するはる。
「失礼な女だ! 」
「……え?え? 」
はるはすっとんきょうな声を出す。いたのだ、自分の真後ろに。
黒い帽子をかぶった痩せ男は、軽々しく座っていた木のタルから地面に下りた。顔だけ見ると怖くもなんともないが、先に鋭い刃がついた槍を手にしているのを見て、総合的な恐怖が芽生える。
「人の顔を見るなりぎゃああああああって……俺の方が驚くって! 」
「ご、ごめんなさい」
とっさに謝るはる。残念なことに、手は後ろで縛られているため、謝るポーズができない。そのため、頭を地面に近づける格好になった。
「あの……あなたは誰なの?何でこんなことするの? 」
「はぁー、さてね」
とぼける痩せ男。
「質問に答えて! 」
強く言うと、今度は面白そうに痩せ男がクスクス笑う。何で笑うのか、まったく心当たりのないはるは一層眼前の男を睨む。
「おーっと!そんなに睨むなよ!可愛い顔が台無しだぜ? 」
「……」
「わあったわあった!俺はお前の見張り番頼まれてるだけだって」
「見張り番……」
あながち嘘をついているような目でもないが、はるはそんなことより早くここを出たかった。この男に、見逃せと言ったら、こっそり逃がしてくれるだろうか?
「早く仕事終わんないかなぁー」
「……」
なんか、判断がしずらい。
この男は街で腕を掴まれた男とはまるで違う。雰囲気や見た目もそうだが、それだけではなく……まとうオーラみたいなものもだ。
どうやったらここから逃げられるのか?
はるは疲れた思考でいろいろ頭を働かせ、まっとうな考えを導き出す。
(はむかってもダメなら――――)
「ここはバクライ市なんでしょ?」
暇そうな見張り役の男に聞く。
「あ?そうそう、ここはバクライ市のどこかの地下。……なんか、知りたそうな顔してんなぁ、あんた」
「え?そう?それより……」
「あんたは奴隷いきだとさぁ」
言葉を遮って突然事を伝えた痩せ男。これから些細な情報でも探り出そうという思惑は、呆気なく幕を閉じる。はるは、男の言葉の意味が理解できない。
奴隷。
奴隷?
奴隷って??
初めて聞く単語を脳内の薄っぺらい辞書で探すが、どの行にも奴隷の文字は浮かんでこない。はるが頭の上に見えないはてなを浮かばせていると、男が変に驚いた目でこう言った。
「あんた。奴隷の意味もわからないのか?……めでたい頭だなぁ」
めでたい?
どうしてめでたい?
はるは何度も疑問に思う。
「簡単に言うと、人間がお金で取引させられるって話」
それは、よく考えればとんでもない内容だ。人間をお金で買ったり売ったりする。そうだ、前にリンゴを買おうとしたあの時みたいに――――
想像するだけで、はるは気分が悪くなった。
「そんなこと、許されないわ」
静かにはるは言い返して、男の話を批判した。
「いずれわかるさ。人材が必要とされてるんだ。今の世の中は厳しいからねぇ……仕事のないような民衆は泣いて喜ぶ話だよ」
男は他人のことを知ったかぶっているようだった。
もし仕事がなくて、貧しくてボロボロの服を着ていたとしても、その人は自分で自分の行動を選択できる権利があるはずだ。その自由を強いて奪うことを、一体誰が喜ぶ話というのだろうか。
「そう言って、人をさらっているのね……」
奴隷を初めて理解したはるは、どうしても納得できない思いが渦巻いた。
「よく喋る女だねぇ」
「……」
迷惑そうに手をひらひらさせる男は、これ以上言い合うのは面倒くさそうに見えた。と、何を思ったのか、男は表情をがらりと変えて違うことを話しだした。
「本当は丈夫そうな体したやつが良かったんだけど……だって、肉体労働が多いじゃん?奴隷って」
ぞわり、とはるは恐怖を感じた。今、全身をじろりと見られた。
「あれ?あんた怪我してんじゃん」
男は軽い口調で、そんなことを言った。
***
一日で、夜が訪れる時間はあっという間だ。
太陽は誰の言うことも聞かずして、沈んでいく。
「……」
外の空色はだんだんと暗くなり変っていき、完全に日没がやってきた。
「……」
イライライライライライライライライライラ……
待ちくたびれた林檎は、さっきからずっと貧乏揺すりをしてソファから動こうとしない。もちろんその理由をわかっている師匠と足利は、そんな彼を気づかわしげに見守っていた。この何でもない時間は、もう結構な時間を食ってしまっていた。
とうとう見かねた師匠は、静かに沈黙を破った。
「林檎、もう約束の時間だが」
「わかってる」
考え事をしているのか、林檎の言葉には覇気が感じられない。すると、ガチャガチャガラス瓶を動かす雑音の方向から、声が聞こえた。
「その女の子……はると言ったか? 」
今更確認をする足利。目は興味津津だ。
「ああ」
足利は薬品棚の整理をする手を休ませて、林檎の方を振り向いた。赤い髪に隠れていた顔がゆっくり持ち上がって、林檎は鋭い目つきで返事を返す。
「もしや、お前から逃げ出したんではないか? 」
「……」
明らかに、はぁ?と言いたげな表情をした林檎は、苛立ちを通りこして呆れた声を漏らす。
「あいつがかぁ? 」
林檎ははると出会って数日のことを振り返り、頭をひねらせた。
道中は出来る限りはるの怪我のことを視野にいれて、過酷な場所は選ばずに道を進んだり、自ら川魚をとって分け与えたりと、どうでもいい気遣いをしてはいたはずだ。それらの中に何か彼女の気に入らないことがあり、何も言わずに抜け出したというのか?
「……」
お金も食料も持っていない少女が、ましてや初めて村を出た不安な土地で自殺行為みたいなことをするだろうか。逃げるなら逃げるで、もっと早く逃げられたはずだ。確かにはるのことを知っているか、と言われれば頷ける話ではない。つい最近顔を知って、彼女の重要な人生の分岐点に関わったまでのことだ。
だから、林檎は足利の意見を無視した。
「……わし、何か気に障ることでもいったかのぉ……」
しばしの沈黙が、足利に小言を言わせた。そんな足利のわびも頭には無く、林檎は溜息を漏らしたくなるのを抑えてやっと立ちあがった。
「逃げたんなら別にいい。そういう奴だったって思えばいいからな」
「決めつけるのは早いぞ、林檎。最悪の場合……何か、事件に巻き込まれたやもしれん」
「……」
林檎は立ち止まって、そのままだった。しかし、誰にも見えないように拳をにぎりしめた後、ぼそりと言葉を吐く。
「何だろうと、俺の仲間に弱い奴はいらねぇ……」
足利の店を足早に出た林檎は、約束した通りに東部のあの家に向かっていた。最初とは違い、足取りはだいぶ遅かった。
(……口では言わないが、心配しているのか)
長年こうして共に歩んで来た師匠は、林檎の感情の変動が手に取るようにわかる。これは嘘ではなくて、行動そのものからしても、大抵の考えていることは想像がつくからだ。これから行く依頼も、はるの治療代やら服代やらにあてるために受けた依頼なのだ。肝心のはるが姿を消した今、林檎の目的はただの依頼でしかなくなっている。本来なら「こんな依頼いちいちやってられるか! 」と言って途中放棄でもしそうなものだったが、しないのは約束をしてしまったからだろう。
とにかく、今の林檎は猛烈に機嫌が悪い。
「いらいらいらいら」
夜の街を歩き、そこにかすかに響く林檎の声。
「……大人げないぞ、林檎」
素っ気なく師匠は言葉を切ると、林檎は「あー!なんなんだよこの気持ちはぁ!! 」と頭を掻きまくった。男は同時に1つのことを考えることが苦手だ。恐らく、林檎も今その状況にいる。
「落ち着け。口に出していらいらしていても始まらん。まずは依頼を片づけることが優先ではないか」
「わかってる! 」
子供みたいに威勢のいい言葉を即座に返す林檎。
本当に分かっているのかは疑問だが、ここで念をおしておかないと、後で戦いの妨げになるのはこちらとしても迷惑だ。勝てると自分を過信していると、痛い目にあうのはお決まりだからだ。それは、プライドの高い林檎になど、何度言っても無駄なことだとわかっていた。
林檎がバクライ市を練り歩く中、街はだんだんと夜の気配を漂わせてきた。子供はすっかり姿を消し、夜の街には若者から年配の層までがうろうろしている。中には、肩にぶつかっただけで殺されそうなオーラを醸し出す、屈強な大男までいた。
しかし、林檎はそんな光景になど目も向けず、無心で歩く。
背中に2本の長剣(双剣)を背負った赤髪の男。周囲の者は皆、挑戦的な視線で林檎を見たり、面白そうに眺める物好きな者もいた。歩くだけで、相当林檎は目立っていた。まず、ここらの地域にはまったく馴染めていない異国的な格好。そして、一番大きいのは髪の色が見事なまでの紅蓮であること。最終的に、武器まで背負っているのだから、二度見されることは毎度のことだった。
歩くこと数十分。
日暮れ前に一回訪れた家につき、中では依頼主の男の弟が出迎えた。
「林檎さん!よく来てくれました……私、もうすっかり依頼のこと忘れられていたのかと思って。でも、また来てくれたということは、覚えてくださったんですね? 」
「……」
長ったらしい前置きはスルーして、林檎は部屋を見渡す。
「俺を案内しろ」
「あれ?何か雰囲気変わりましたか?林檎さん……まぁいいや、今案内しますから、ついてきて下さい!! 」
男に言われるまま林檎はついていくと、案内されたのは、家裏の鉄格子がはめられている怪しい場所だった。いかにも、という危険な雰囲気は林檎にも直感でわかった。
「魔物の気配がするな……」
「そうと分かれば行くぜ、さっそく」
短く答えた林檎に、男は「今何か言いました?」と首をかしげていた。