第6話 バクライ市にて
空を切り、鉛の剣が魔物を切り裂いた。
どかり、と鈍い音をたてて崩れおちる巨体……
はるは、進む先に出現する魔物を次々に退治していく林檎を、まるで魔物を見るような目で眺めていた。
呆気にとられるというのは、こういうことを示すのだろう。
これで倒したのが何匹目かは明確じゃないが、間違いなく自分の割り込む場所などなかった。
「うっし、街はあともうちょいか?」
剣についた生々しい血痕を薙ぎ払いながら、林檎は師匠に尋ねる。
「ああ。この先を行けば、バクライ市がある」
相変わらず彼の胸元から聞こえて来る威厳のある声に驚きつつ、はるはぽかんと口を開ける。この……確かセビルとかいう人?は遠い先が透視できる能力までもっているのだろうか?
「バクライ市……?」
はるは聞きなれない異国のような名前の土地を口にして、確かめるように囁いた。
「あぁ、バクライ市。結構有名な街だぜ。俺も何回か行ったことのある場所だし」
歩きながら、後ろをついてくるはるに言った。
「へぇー、それってすごい所なの?」
「何だその顔は?お前何も知らなそうな顔してんな」
そう言われて、思わず口を紡ぐ。
確かに、村の外の世界に飛び出したのは今回が初めてだ。この山林を超えた先にある、まだ見たことのない世界がはるには好奇心をそそるものだった。
「あなたは知っているの?」
真剣な眼差しで尋ねると、林檎は語尾を伸ばした。
「んー。俺は旅人だからなぁ……世界のことは結構知ってるつもりだ」
「そっか」
自然とはるは、林檎の髪の色をじっと見てしまう。
この明るい赤色の髪……どこか遠くからやってきた異人か種族の人間だったりして――――
「ん?さっきからなんだ、俺の頭ばっか見てんじゃねぇよ」
「え!?見てない見てない」
即座に首を横に振ったはる。
本人はあまり気づいていないようだが、林檎の目はたまに猛獣の如く鋭いものになるのだ。今だって、そんなふうに睨まれたら申し分ない気分にさせられる。
「バクライ市には優秀な術師がいる。その傷もすぐに治る」
「えっ……」
まだ、彼は私のことを心配してくれていたんだ。はるは、なんだか嬉しかった。そういえば、川岸で助けてくれた後の素早い処置能力も気の効いたものだった。単なる一般人には到底思えないからこそ、はるは頼りがいのある男だと思った。
ここ何日かは野宿をしたり、林檎おすすめの川魚を一緒に食べたり、とにかくひたすら歩いた。
彼らに遅れをとっていたことは自覚していたが、途中林檎は何度も休憩をとってくれたし、おいていくことだけはしなかった。
沢山山道を歩いた足はもうじんじん痛くなりつつあるが、林檎は初めて会った時から顔色ひとつ変えずに足を動かしている。さすがは旅人なのか、その体力はすさまじい。
「おっ、門が見えたぜ」
思ったよりも早く、街の門が見えた。しかし、遠目から見たらなんだか人気のない場所にも思える。
「誰もいないけど……」
「こっちは正門じゃない、西部側だからな」
さっそく豆知識みたく言うと、林檎は堂々と長い山林を抜けた。同じく山道から切り開いた平原に抜けたはるは、ほっと一安心したのがわかった。ここまでくれば、きっと魔物もこないはずだ。
静かな所だとばかり思い込んで門に近づいて行くと、その大きな石造りの門の向こう側は何やら賑やかな音が聞こえてきた。
今までにない感覚に、はるは心をわくわくさせた。
「何者!」
「ひっ!」
突然横から飛んできた声に、はるは思わず声を上げる。
門の扉に手をかけようとした林檎たちに、門番らしき兵士が鉄の棒で立ちふさがった。
(び、びっくりしたぁ~)
「俺たちは光の旅人だ」
そう言って、林檎は威張る。
「なら通れ」
あっけなく、1人の兵士はこの場を通した。
(えー!?こんなセキュリティで大丈夫なの……ここ)
内心不安になりながら、はるは門に再び手をかけた林檎についていく。
「ここは……」
はるはこの瞬間、自分の目的を見失いかけた気がした。
初めて見る街並み。
初めて見るこんなに沢山の人……
「ボケェと突っ立ってないで、ちゃんと俺の後ろついてこいよ!」
「う、うん!」
とは言いつつ、林檎の後ろ姿を追いかけるよりも早く、街内部の光景に目がいってしまう。
まっすぐ伸びたレンガの街道。果物を売る亭主。駆けまわる犬や、テントの上でのんびり歩く猫。地下に続いていく不思議な通路。ラフな格好で荷物を運ぶ女性。道路でお絵かきする子供たち。「~ですわねぇ」「えぇ、そうですとも!」と世間話を繰り広げる主婦層の女性達……広場では、民族衣装をまとった男性女性が愉快げに楽器を演奏していた。
なんて華やかな所なんだろう……
ここが、バクライ市。
はるは、複雑な気持ちになってしまう。こんな素敵な場所があったことを知らなかった、たぶん同じ村の人々も知らなかった。こんな異国のような場所を知らずして、死んでいった……
途中で、いけない思考になり変っていることに気がついたはるは、目を細めるのをやめた。
林檎のあとをついていくと、華やかな繁華街とは違う、裏道に入り込んでしまった。
裏道は、たまに老人がゆっくりあるいているか、猫達がゴミ箱付近で遊んでいるような、簡素な道だった。どうやら賑わっているには、さっき歩いた繁華街か、メインストリートという訳になる。
気がつけば、林檎はもうドアに手をかけていた。
古びた木製のドアを開けて中に入ると、そこは薬品の臭いがぷんぷんする場所だった。
「くさ~」
思わず鼻をつまむポーズ。この臭いは、村でもたまにかぐ医薬品や漢方の臭い。
「いるか、足利!」
林檎はカウンターみたいなところから、首を伸ばして遠くの通路(廊下)の方に叫んだ。
……応答はない。
「おっかしぃな。どこいったんだアイツは?」
どっこいせ、と客人用でもない辺鄙なソファに腰掛けた林檎。
テーブルはあるものの、その上には資料やらガラス瓶が散乱し、基本的に落着かない室内だった。はるも合わせて向かいの椅子にちょこんと座る。
「やつが行く場所はきまっているだろう」
師匠はのんびり言う。
「んにしても店をあけっぱにしていくとは、不用心なこった」
どうやら、足利という人物がこの店の亭主らしい。
そして、2人はその人物をよく知っているみたいだ。
しかし、外を見れば看板も何もない殺風景な場所にあるが、内装も私室に近い感じがする……
「知り合いの店なの?」
「まあ」
短く返事を返す林檎。詳しく述べたのは、師匠の方だった。
「凄腕の医師というべきか……それともただの研究熱心な者なのか、我にはわかりかねぬ男だ。しかし、その腕を信じてはいる」
しかし、簡潔に言いきったのは林檎の方だった。
「足利は師匠の馴染みだ。だから俺は、仕方なく知人の中に入れてやってるだけだ」
気のせいか、林檎の態度は変に大きくなった。
「セビルさんの友人なのね……」
と、言ったって形が無い者に呼びかけているのは変な気分だ。前々から気にかかっていたことを、はるは尋ねてみることにした。
「ね、ねぇ……あなたの体からどうしてセビルさんの声が聞こえるの?」
「……」
頭をかき、林檎は師匠に聞く。
「師匠、いいのか?」
何が、いいのだろうか。
「かまわん。知ったところで変化はないだろう」
そうは言ったが、林檎はしばらく下を向いたままだ。なにかまずいことでも聞いたのか、自分の話した経緯を振り返ろうとすると、遮るように林檎が言った。
「師匠はここにいんだ」
「え……」
じゃら……と鎖の音をたてて林檎は、首に二重にかけていたアクセサリーのようなものを取り出した。そこにぶら下がっていたのは……
「きゃっ!!」
はるは思わず叫んでしまった。
何故なら、林檎が首につけていたのは、鎖につながった1つ目だったからだ。
そう、これが師匠セビルの正体だったのだ。
「驚かせてしまったか、無理もないだろう……普通の人間ならば腰を抜かしてもおかしくない」
冷静沈着に言う師匠。やはり、声はその1つ目から届いていた。
「ごめんなさい……いきなりで驚いただけよ」
「だろうな。こんな目玉いきなり見せられたら正気でいられる方がおかしい」
しんみり言う林檎に、師匠はむむむ……と唸る。
「まぁ、我は訳あって林檎と共に旅をしていると言っただろう」
そう言われて、はるはいくらか前の会話を思い出して、頷いた。
「我は、林檎の行く末を見届けねばならんのだ」
突然、聞いていた林檎が席を立った。
「ちょっと……どこに行くの?」
「いいだろ、すぐ戻るから……そこで待ってろ」
ガチャン。
林檎は出て行ってしまった。明らかに話から逃れた行動だろう。
はるは気になった。
セビルが林檎の行く末を見届ける――――そんな意味を。
***
「どうしたのだ、いきなり席を立ちおって」
街の裏道を歩く林檎は、師匠の言葉すら今はうっとおしく感じていた。
「関係ねぇだろ」
「あの娘を1人にしていていいのか」
「……」
ふいに立ち止まりたくなったが、かろうじてしなかった。
「金だ、金。まず何するにも金集めないといけないんだよ」
「しかしお前、あの子にすぐ戻ると言っただろう」
「……」
いちいち付きまとってくる師匠の言葉に、林檎は面くらう。
しかし、師匠はこの鎖でつながっている以上、離れ離れになることはできない。
つまり、決して1人になることは許されないのだ。
「あー!!師匠!」
「な、なんだ……」
突然叫ぶ林檎に師匠は声を小さくする。
「ちょっと静かにしてくれ」
「ふむ」
それは無理だろうな、と林檎はわかっていた。
なにしろ喋るのが好きなのだ……師匠は。
「そなたは何もわかっておらんな」
「だー!!」
さっそく忠告を無視して話す師匠に、林檎は苛立ちの声を上げる。
「短気なのは相変わらずだが、少しは焦る気持ちを抑えられないのか?」
今、林檎が焦っているのは見え見えだった。いくら心の読めない師匠にも、そのくらいの推理は簡単だった。
闇の貴族に、あと一歩のところで逃げられ、その上村を救えなかった。あんな娘につらい体験をさせてしまった。それが闇の貴族の行いのせいだとしても、林檎の性格上、少なくとも責任感があった。
それに、罪滅ぼしに村の娘を仲間に引き入れた――――娘のためになるかはわからない……
ざっと、こんなものだろう。
とにかく、今の林檎には目に見えて余裕が覗えない。
「焦る?俺は焦ってなんかいねぇよ……」
と、その時……林檎の目に1枚の貼り紙が目にとまった。だいぶ雨風にさらされてくしゃくしゃにはされているが、文字だけは濃く残っていた。
「……」
そこには「魔物退治の依頼」と簡単に書かれてあり、その下に説明文と項目が書かれてあった。
(なになに……)
<魔物退治の依頼>依頼人:バクライ市東部のスダより。夜中に出現する魔物の退治。報酬は結果によって検討するが、失敗してしまった場合は何もなし――――
「これいいじゃねぇか!!」
(随分と抵抗せずに決めおるな……)
師匠は、これ以上なにか気に障ることを言ったら、また林檎になんと言われるかわからなかったため、仕方なく心の中で呟いた。と言っても師匠は目玉なので、口はない。
「ただ魔物を倒すだけでがっぽがっぽの仕事なら手っ取り早い。早めに済ませるか」
概要には夜中が魔物の出現する時間帯らしい。だから、とりあえずは今依頼主に直接会って話を聞いてみる方がいいだろう。
確かに、「戦う」「倒す」「お金をもらう」の手順は彼にとって一番分かり易いやり方だ。いや、馬鹿でもわかるだろうと、師匠は思った。
バクライ市の東部は、現在地の西部から少し先だ。
林檎は短い時間で地図の位置を把握して、目的に向かって歩きだした。
これでお金を手に入れて、少しでも治療費の足しになればいい。林檎はそんなことを考えていた。