第2話 最初はだれだってこわい
昼、森林の隙間からはおだやかな陽光と、心地よい風が差し込んでいた。そんな新緑の風景には似合わない赤い真っ赤な髪色の少年は、2本の刀を背に鳥のさえずりの心地よい道を歩いていた。身長の半分もある刀は鋭く鈍い輝きを放っていた。
「おい林檎」
歩いているのは林檎だけだ。だが、どこからともなく彼を呼ぶ声が耳元で聞こえた。
「聞こえているなら返事をせぬか、林檎!」
脳みそ内部まで響く音量で、それが叱り声のような声を発した。
「うるせぇ!聞こえてんだよ」
林檎は即座に吠えた。いつもの手順だった。
声は林檎の胸元から響いている。年老いた男のような声だが、どこか温厚な声色でもある。外部から見れば一見林檎が一人で喋りながら歩いている、という奇妙な光景である。幸い、ここは人気のない山林なので、気にすることもなかった。
「んで?」
何かもの思いにふけていたのか、機嫌の悪そうな目つきで聞く林檎。
「まったく呑気なものだ……お主、それでよく旅などしていられるな。少しはあてを探せ」
呆れた口調が響き、林檎は面倒くさそうにそっぽを向いた。
「はぁ?あてって何だよ、あてって。旅の仲間を探せとか言うんじゃないよな?」
極端に嫌そうな顔つきで林檎はしかめっ面をしていた。
すると、胸元の声はおせっかい丸出しで言葉を繰り出す。
「あてはまらぬ。闇の貴族の気配じゃ。そもそもお前が仲間などとつるむ柄でもなかろう」
「わかってんなら言うなよ。俺は1人でいいんだよ……つうか俺は気配も臭いもわからないんだ、師匠が嗅ぎつけてくれなくちゃ俺が困る」
また胸元にそう呼びかけた。林檎がそれに師匠と言ったのには、この両者には深い関係があるからだ。しかし、会話だけではその関係性は謎めいていた。
「我の助けなしでは息詰まりとは……修行が足りんな。剣技だけではこの先苦労するに決まっているであろう。ここは1つ、術式の訓練や知識を身につけてみるのも悪くはないと思うがな」
師匠が林檎に上手い具合に提案した……のだが、肝心の林檎は完全に否定的な態度で一切受け付けない、といった表情をしていた。
「うー」
師匠には彼の表情はぼやけて映ったが、どうやら苦い顔をしているに違いないと思った。
「まったく情けん。我が言ったのはどれも戦いの基礎、基本であろうが……」
どこかで項垂れたくなった師匠は、足取りの重たくなった林檎に呆れた。
「俺に魔法を使えってことだろう。……ったく、俺はペンとか筆持ったり紙の文字読むの苦手なんだよ……座禅して勉強なんて絶対にお断りだ。この剣があれば、今は……十分だろ」
林檎は背に2本の剣を背負っていた。名前などない、ただの双剣ではあるが、林檎にとっては片時も手放せない相棒だった。まるで剣術に自信があるようなセリフに、師匠は静かに言い返す。
「……しかし、いつかは覚えてもらおう」
「嫌だ」
「覚えるのだ、馬鹿者」
「嫌だ」
「絶対……」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だって言ってんの……聞こえないのかぁ!!」
ついに林檎は吹っ切れた。それにしても、そんなに嫌なのか。
(逆上しおって……)
師匠はもう呆れる他無かった。
ぶすっとふて腐れた林檎は、ポッケットに手を突っ込んで歩き始めた。心なしか、さっきよりもその速度は速かった。なんて分かりやすい性格なのだろうか……
しかし、ここらの森林は平和過ぎる気がしてならない。普通なら、幾つかの凶暴な魔物と遭遇してもおかしくないというのに。今の時点では、気配を察することすら難しい。それどころか、道を行く林檎に警戒心はまったくないような気がした。
ところが突然、師匠は違和感を察知した。
「生憎なものだ、闇の貴族の気配が近づいてきておる」
真剣に事実を伝えると、彼の足が瞬時に止まった。
「師匠!本当か?どっちだ、こっちか?」
林檎は気合を入れた目つきで辺りを見渡した。こんな所でくだらない言い争いなどしたところで、いらない時間をくうだけである。それをわかっているのか、林檎の顔はもうふて腐れてはいなかった。
光の民である林檎は、訳あって闇の貴族の行方を追っている。光の民に貴族や王家があるように、闇にも民や貴族があるのだ。その中でも、もっとも危険で過激とされているのが闇の貴族なのだ。自分の事情が何であろうとも、いずれは戦わなければならない光の民の宿敵だ。
「この先に平原谷という谷がある。その向こうからだ」
師匠のかけ声に林檎は凛と答えた。
「居場所がつかめれば速い。行くぞ!」
師匠に言われた通り平原谷を超え、林檎は周辺の雑木林を歩いた。
「なんだ……焦げ臭いな」
畑のわらを焼く臭いでもないし、誰かがたき火をしている臭いでもない。進むにつれて、その臭いはだんだんと強さを増していった。林檎はよく嗅いだことのある、嫌な臭いだった。
「……なあ」
自然と口が開く。師匠は「何だ」とだけ一拍おいて尋ねた。
「この先は人里か」
「……うむ、できればそうでないと思いたい」
師匠は言葉を濁らせていた。これは明らかに危険な臭いだ。
いくら慣れていても、臭いそのものに態勢があるというわけではない。ただ、何度も嗅いだことのある臭いだということだ。林檎は、腕の裾で鼻や口といった場所を覆った。一見普通の雑木林に見えるが、どこか生気のない空気で満ちている。普通の森や森林なら、動物や虫や魔物がたくさんいる。なのに、このエリアに足を踏み入れた途端、ものけのからだった。せめて、1匹くらいいたっていいのに。
少し不審に思った林檎は、目を細めながらこう言った。
「何かあったとしか思えねぇ、なぁ」
「……」
「なぁって」
「…………」
「なあって!聞いてんのか!?」
「……」
(ったく、まだ根に持ってんのか)
相変わらず返事の返ってこない師匠に、林檎はむっすりした。こんな時に返事がないと1人で喋っているのが格好悪い。
「一足遅かったようだ」
「……何!?」
師匠の一言で林檎はハッとなった。
ここまで進めていた足をぴたっと止めて、その光景を目の当たりにした時、林檎は臭いの正体もろともすぐに察することができた。あの臭い、この空気……
「畜生……これも、闇の貴族の仕業なのか?」
「間違いない、奴らだ」
視界が開け、そこに広がっていたのは、すっかりぼろぼろな状態になってしまった村だった。畑にあった野菜は炭へ変わり、焼け焦げた人間の躯……女子供関係なく、無残な状態であった。炎を放たれたのか、もはや家があった痕跡すら怪しかった。
「ったくよぉ……やることがいちいちむごいんだよっあいつらは……!」
林檎はグーにした拳をすぐ横の気にぶつけた。その振動で木の草がぱらぱらと落ちた。
「貴族の手下だろう。この状態であれば、昨日の晩に襲撃されたらしい。恐らく我が感じ取ったのは、ここに残った気配だったのだろう」
渋々師匠はそう林檎に結論付けた。ところが林檎の目は怒りで満ちていた。
「俺は納得できねぇ。もう少し探ろう」
「……ああ」
その時の林檎の目は、真剣そのものであった。悪臭が立ち込めるなか、林檎は無言で村を歩きまわった。ひたすら歩きまわり、何か手掛かりを探したが、決定的なものはどれも望めなかった。もしそれを掴みたければ、面と向かい合って戦うしかないだろう。その時はその時だ。
「これは……」
「髪結いの金具だろう」
林檎は落ちていたくすんだ髪結い道具を見つめていた。女性が使っていた物なのか、今は輝きを失っている風にも見えた。
「どうした、林檎」
燃えくずに紛れた遺品に、何故か林檎は吸い寄せられるように動けなくなった。
「……うっ!」
突然、何かが頭をよぎり、林檎は呻いた。その正体は言葉にも表せない、何か、だった。膝を折り曲げてその場にしゃがみこむと、少しは落ち着いた。今日が初めてという訳でもない。時々米神の辺りが雷光の走ったみたいにうずく時が、林檎にはあった。フラッシュバックではない。なのに昔に見た様な記憶が脳裏に浮かぶのだ。しかし、そのほとんどはほんの一瞬だった。
「しっかりするのだ、林檎。また頭が痛むのか?」
師匠が昏倒しそうになった林檎に呼びかけた。
「……あぁ。まただ、気分悪い」
すっと立ちあがって林檎は唾を呑んだ。
「今日は、タイミングが悪かった……だけなんだ。奴らがいなくちゃどうしようもない。師匠!……あとは、頼む」
泥だらけになった服を気にせず、林檎はそっと言った。もうこれ以上の長居は無用だった。
林檎が告げた途端、師匠はよく通る声で唱えた。
「透化浄明」
一声唱えると、ここ周辺が眩く輝きだした。青白い光の粒が、林檎のことも包みこみ、林檎は空を見上げた後、目を閉じた。清めていくこの光は、光の民にしか出せない呪文。そして、透化浄明というのは強い力を持った者にしかできない、鎮魂歌の呪文だ。
再び目を開けると、そこは神聖な空気に満ちていた。
「いつかこの術もお前が使えなくてはならんぞ」
「なっ、なんとかなる……そんなもん!」
慌ててかぶりをふる林檎。
「そんなもんとはどんなもんだ、林檎。これは死にゆく者の魂を沈める鎮魂歌。すなわちお前には欠かせんものだ」
「あー!わかったわかった!」
鼻を鳴らして軽くあしらう林檎に、師匠は溜息をつきそうになった。
「よーし、師匠。帰るか。とりあえず川に出ようぜ。喉が渇いた」
この村を後にしようとまっすぐ進んで行くと、遠くに丘が見えた。あそこに行けば、ここ周辺を一気に見渡せるに違いない。そう考えた林檎は重い足をその方向に向かわせた。
***
「こいつ、死んでんのか?」
――だ、れ……?そこにいるのは誰、なの?
「いや、死んではおらぬ。きっと村の娘だろう……林檎よ、助けるか?」
――おと……このこ?
「悪いが、俺は……」
お母さん、どこなの?
コウシロウ、大丈夫なの?
村のみんなは?
私は……どうなってしまったの
「……ごほっごほっ!」
溺れる間隔で意識が戻り、むせて飛び起きると、口の中からは水が溢れた。しばらく咳が止まらなかったが、息をするうちにだんだんと意識が戻り始めた。
気持ちの整理がままならぬ中、はるは満月の夜空を見ていた。
ここが川辺の場所であることは隣を緩やかに流れる大河を見て理解できた。問題は、自分が生きていることだった。あの時、私は確かに殺されそうになって……
1人飛びかかって行ったあの時あの瞬間、火炎球を一回は避けたものの、その避けた球が後ろにいた母親とコウシロウに行ったことに気を取られて背後から思い切り何かに突きさされたのだ。
――はる!!
まだ母親の叫びが脳裏にこびり付いていた。
「そっか……助かったんだ、私」
ぼんやり実感が湧いてきて、鼻がつーんとなった。喜べるはずもなかった。後になって腹の痛みがずきずき体中に蹂躙しているようだ。
「痛っ!」
思わず声を上げて自分の腹部を見ると、そこには白い布がぐるぐる巻かれていた。そして、もともと自分が身につけている服の上に、もう一枚服が被さっていた。黒く、赤いラインの少し大きめのはおいものだった。明らかに他人の上着だった。村でこんな異国の人間が着るような服、見たことが無い。
「仇だなんだって、考えないほうが身のためだぜ」
「誰!」
全身の毛が一気に逆立った。
急いで岩陰に隠れたはるは、声のした方に激しく吠えた。すると、男の声は何秒か途絶えた。
(誰なの……!?もしかしてっまたあいつら?私が生きていたのをわかって殺しに来たの?)
激しく困惑する様子のはるに、その男はこう行った。
「まだ腹の傷、治ってないんだろ。俺が治してや……」
「きゃあ!!」
「のあ!!?」
岩陰を覗こうとした少年と思い切り視線が合い、はるはひっくり返った。コウシロウのあの細い目とはまるで作りが違う、大きくて鋭いライオンみたいな目だった。月明かりに照らされて見えたのは、赤毛の少年だった。はるは腹を手で押さえながらも、その少年に顔面キックを間髪いれず繰り出そうとした。
「危ねっ!」
林檎は間一髪避ける。
「あんたも闇の民ね!許さない!」
「おい、俺は闇の民なんかじゃねぇぞ!」
驚いた林檎は気に喰わぬふうに、即答した。
重傷を負っているのにも関わらず、正確な蹴りをするはるは、怒りに満ちていた。ところが、そんな一撃は彼に当たりもしなかった。
「……うぅっ!」
ふいに、はるは苦悶の声を漏らした。
「?」
6発目の蹴りを繰り出そうとした所で、はるはばたりと倒れ込んだ。急いで彼女の体を支えると、少年はそのままはるを岩に寄り掛からせた。
「あなた……誰なの?」
不安の色が浮かぶはるの顔は、月の光で余計に青白かった。
「って、お前は相手が誰なのかも解らないで攻撃してきたのか」
呆れるほどでもないが、驚いた。
「もしかして……あなた、りんごとかいう人?」
ぼんやりとした意識のなかで聞いた、あの会話の声主だと気がついた。
「あぁ、俺の名は戸光林檎」
「我はセビル。林檎と共に旅路を歩く者だ」
2人しかいないのに、もう1人の声が聞こえた。
「え?どこにいるの……」
不意に聞こえた第3者の声に驚いたはるは、思わず聞き返していた。
「師匠!勝手に話に出てくんな!」
どうやら眼前の少年は自分の胸元に話しかけているらしく、そこに何かの意思らしきものがあるらしい。変なやりとりをする眼前の少年に、りんごはまだ不審そうな疑惑をぬぐえなかった。
「よかった……闇の民じゃないんなら、よかった……」
二回も同様の言葉を繰り返したはるは、ほっと息を吐いた。
「お前……」
少女の声はもちろん、相当に疲れ切っていた。
「あなたが助けてくれたんだよね、ありがとう。私は格闘家の父の娘、はる」
「格闘家だって?」
(どうりでただ者じゃねぇ蹴りだった訳だ)
「村がいきなり襲われて……どうしたらいいのかわからない」
よく知りもしない少年なのに、はるはついそんな言葉を囁いてしまった。
「安心しな……お前の村は浄化して魂を沈めてやったから」
聞いてすぐ、はるは目を大きく見開いた。
「村に行ったの!?」
身を乗り出して聞いてくるはるに、林檎は目をすぐに逸らした。人とまっすぐ目を合わせることは嫌いだ。
「死者を沈めるのも我々の仕事のうちさ」
「そういうことだ」
セビルの言葉に上乗せした林檎は、嫌でも先刻の村の光景を思い出した。あの時、丘から眺めていると、川に浮かんでいたのがはるだった訳だ。
「私、村に行かなきゃ……会いたい人がいるの……」
はるは悲しい思いを押しとどめ、何かの概念に囚われたかのような口ぶりで呟いた。ところが、林檎はまっすぐ谷の方角を見つめたまま、切実にこう言った。
「会うって誰に。村人は皆……殺されてたぜ」
林檎の声はとてつもなく冷徹で、現実そのものを告げるかのように刺々しかった。はるはまさか村人全員が殺されているだなんて、思ってもいなかった。だから、それが他人によって知らされることも悔しかった。
「……じゃあお母さんも……死んだんだね」
「……」
落ち込んでいるようにしか思えない少女に、林檎は何を声かけたらいいのか、全然わからなかった。でも、わかる。人が死ぬ恐怖や怒り、悲しみだけは林檎にもわかる。
下を向いて今にも泣きだしそうな少女に、林檎は叫ぶ。
「うだうだ泣くんじゃねぇよ!少しつきあってやるよ……夜が明けたらもう一度村にお前と行ってやる」
「えっ……」
林檎の言葉にははるも、セビルでさえも驚いた。仲間をもちたくない、と言っていたのに妙に積極的に人助けを行うこと自体、珍しいのだ……林檎という男は。
「ひとまず寝るぞ。明日になればその傷も治ってらぁ」
「……うん」
突然現れた男に、はるは警戒心をほんの少し解いた。
こうしてはるは、戸光林檎という少年に命救われた身となった。