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トキマ伝

 昔々、深き森の山間に小さな寒村があった。竹を焼き炭を作り、その炭で別の木の炭を作る。そうして作られた上質な炭は寒村の特産品として屈強な若者が山裾の宿場町に下りて売られる。またその辺りで採れる上質な粘土層の土は、非常によい焼き物用の土となるので、寒村には多くの陶芸家が居を構えていた。炭作りの煙と焼き物作りの煙は絶える事がなく、故に誰とも知れずこの村は煙間村と名づけられた。

 この村が寒村である理由は、決して山間という場所が交通に不便だからだという理由だけではない。よく売れる特産品が二つもあってなおこの村が寒村たる所以はこの村の近辺に鬼が棲むと言われているからだ。

 鬼の名前をトキマという。

 髪の生え際、額の真中に鴇色の角を持つ。身体は痩せ細り、表情に愁いが強いせいか非常に弱々しく見える。長髪は結われることなく後ろで纏められ、藁色の着物は草臥れて胸元がはだけており、裸の足には猛禽のような爪がある。瞳は暗がりで猫のように光り、片手には常に薙刀のような長槍を携えている。

 トキマは剛力無双で周りに怖れを振りまいているのではない。痩せ細った身体を見て、携える長槍を十全に振り回せると見る者はいない。トキマの真髄はその虚弱を補うに余りある呪術を用いるとことにあった。傍からみれば奇怪な呪術である。ある時トキマに発見された人間は、その瞬間に頭と胴体とが別離する。人間が今際の際にトキマの姿を目にすることがあれば、そこには人間の血に染まる長槍を確認できただろう。またある時トキマに気付かれることなく偶然見つけた人間は、次の瞬間にはトキマが全く見当もつかないところに現れるのを目撃するだろう。

 この奇怪な現象こそトキマの鬼として怖れられる理由である。そしてその原因は、トキマが時の間を操れることによる。人間はトキマを「鴇色の角を額に生やす魔の者(鬼)」として名づけた。しかしトキマは自らを「時の間を移動する者」と称した。


 トキマは元は人間である。煙間村出身の女性と外からやって来た陶芸家との間に生まれた。気立ての良い女と気は難しいが腕は良い男の結婚は村にとっても歓迎された。男の気難しさは腕の良さとは別に商売を困らせるものであったが、そこに気立てのよい女の仲介が入ったことによって、男は女に雑事を任せることにより益々陶芸に磨きがかかり、陶器を買い付ける行商人は気難し屋に神経をすり減らす必要がなくなり、陶器はより売れるようになった。物が売れるということは村が栄えるという事だ。

 結婚して二年ほどたち、女の腹に第一子を授かった。結婚して二年もの間子どもを授からないという事態は珍しいことではあったが、それはあの気難しい男の事と村民も納得していたことだ。そこで第一子の報告は村も総出で喜ばしいものであった。しかし生まれた子どもは不幸を呼び込む鬼子であった。この鬼子こそトキマである。

 鬼子とは歯が生えた状態で生まれる子の事を言う。しかしトキマの場合、頭に角が生えた状態で生まれた。頭の角は生まれてくるときから既に大人の中指ほどの大きさであった。その角は母親の胎をズタズタに引き裂き、そのあまりの痛みと内臓の損傷は女を死に至らしめた。母親の死と共に生まれた鬼のような角を持つ子どもに、出産に立ち会った誰もが気味悪さを感じた。

「この子は生まれてきただけで村に災いを齎す」

 その禍々しさにあてられた村長は、産湯に浸かる鬼子を父親と共に見、その後ろで事切れている子どもの母親だった物とを見て、誰もが寸で飲み込んだ言葉を口にした。その言葉に狂ったのは父親であった。本来その子を育てるのは男のはずである。しかし、陶芸以外の雑事を疎む程の男に子どもを育てられるはずがない。況して当の子どもは女を殺した鬼子である。その晩は子どもを産所に残し、男を帰らせた。鬼子の看護役に産婆を一人残し、他の者もその場を後にした。

 鬼子は全てを理解していた。理解していることを周りに理解させる手段が無かったに過ぎない。自分を産んだ母親が自分のせいで死に、自分を見て誰もが恐怖した。最も恐怖し、そして狼狽し、最後に憤怒の表情を自分に向けた者こそ自分の父親であることも、そしてこのままここにいればまず自分は殺されるであろう事も、全て理解していた。


 ――生き残るためには、逃げなければならない。


 解決策は単純である。しかし実行に移す為には自分の姿が邪魔をする。対処を考える頭に身体が追いつかないのだ。身体が邪魔なのだ。このままでは殺される!

 その時、鬼子の身体に衝撃が走った。何らかのエネルギーの塊が鬼子の対内に侵入したような衝撃だった。その後急激な目眩に襲われる。衝撃と目眩の中で、鬼子は何かがカチカチと音を立てているのを聞き、その音が自分の身体をミシミシと軋ませていた。軋む激痛に耐えられず、意識を失うように鬼子は寝た。

 次に起きたのは夜が開け切る前であった。身体に変化が起こっていることはすぐに理解できた。ゆっくりと起き上がり、それから自分の足で立ち上がると、多少ふらつきはしたものの自分の足で立つことが出来る。目の前で両手を握ったり緩めたりすると、それが随意に行われていることが理解できる。自らの望んだ、というにはいささか弱々しいが、それでもここから脱出して逃げることは出来そうだ。

 小さく咳払いをして声が出せるかどうかを確認する。問題はない。もっとも今後言葉というものを必要とするかどうかは鬼子には分からなかったが。髪が伸びていて、それが視界をいちぶさえぎっているので、角を境に後にかき上げて邪魔にならないところに持っていく。視界は重要だ、特にこのような暗がりの中には。

 そっと足を運ぶと家屋の床が軋んだ。寝息を立てていた産婆が軋む音に驚いて目を覚ます。暗がりのなかで産婆の目が見開かれるのが鬼子にも分かった。それから声か悲鳴をあげようと口を開ける。鬼子にはそれがまるでコマ送りのように見えた。

 瞬間、チリチリと額の角の付け根に痒みに似た痛みが起こった。顔をしかめて目を閉じてから、後悔した。痛みに表情を歪める前にやるべき事がある。産婆に誰かを呼ばれたとして、声を聞きつけた村人が来る前に逃げなければならない……!

 痛み痒みを振り切るようにして産所を飛び出した鬼子は、そこでようやく産婆の声が聞こえなかったことに気付いた。東の空は薄明るく、反対側には半月が浮かんでいる。村の外の草木は夜露を湛え、空高くにいる鳥はまるで止まっているように優雅だった。実に静かである。静か過ぎるほど……。

 そこで鬼子は気付いた。空を飛ぶ鳥が「全く動いていない」ことに。自分が踏みしめる土の音、僅かな呼吸音、確かな心音の他に「音が全くない」ということに。そこで、恐る恐る飛び出してきた産所を覗いて見ると、先程――角の付け根に痒みに似た痛みを感じた瞬間――と全く変わらぬ姿表情の産婆がいた。

 再び、額の角の付け根に痛みが走った。鬼子は産所の入り口で、産婆が誰かに助けを求めるように大声を上げて、それから目の前に誰もいないことに更に驚いて、辺りを探す仕草をするところまで見て、今度こそとその場を離れた。陶器を焼く煙が空にたなびいて、大空を舞う鳥は優雅そのものであった。一部の星はチカチカと瞬いて、微風に草木は夜露を滴らせた。誰に言われるまでもなく、鬼子はこちらの方が正しいのだと理解した。

 それから鬼子は誰に見つかることもなく村を去り、近くに見つけた清水の湧き出る洞穴で身体を休めることにした。



 鬼子騒動から三月と十日が過ぎた。その頃には鬼子の噂は麓の町まで及んでおり、煙間村は徐々に人足が滞るようになった。頭を抱えたのは村長である。村の外には人の物とは思えぬ鬼子がいつ現れるとも知らず、村の内には鬼子の父親が狂ったように焼き物を作っては片端からそれを壊していく。自分のものだけならばまだ良いが、たまに家から出ると他人が作った焼き物もまた目に入ったものから壊していったので、鬼子の父親もまた狂人となったのだ、鬼子の父親が外に出たときは、焼き物を外に置かないようにとの村掟ができたほどだった。

 村の外の鬼子は決して村に現れることはなかった。しかし時折洞穴から外に出て、食べ物を探すようで、ある時は山道外れの森の中に、ある時は山を流れる清流の対岸に、ある時は山頂の鎮守の杜に、と煙間村周辺で目撃され、そして気味悪がられた。鬼子はいつの間にか着物を着ていた。その着物が村長の家から盗み出されたものであったが、村長がそれに気付くには、さらに半年を過ぎて盗まれた着物が必要になる季節を迎えなければならなかった。

 三月と十日の間に、村の子どもの一部が鬼子と接触するようなことが一度だけあった。子ども達は水浴びを、鬼子は岩魚を目的に清流に来ていたときのことだ。

 子ども達はきょとんとした目で鬼子を見ていた。鬼子もまた、子どもというものが珍しいかのように見ていた。それから子ども達は鬼子に近づいて

「何でそんなに大きいの?」

「ねえ、その頭についてるのなぁに?」

「私たちと一緒に遊ぼうよ」

 と、思い思いに鬼子の手を引いて川遊びの輪に加えた。川で石を組み上げたり、見つけた魚を手づかみしようとしたり、水の流れに身を任せたり、背の高い岩から川の深いところに飛び込んで勇気を示したりしていると、鬼子はまるで自分が子どもに戻ったように感じた。それから鬼子は、自作の釣竿で子ども達に自分の釣りの技術を披露した。面白いように魚が釣れるので、子ども達は「すごい、すごい」と感動する。釣った魚は川岸に石を組み上げ、掘って深さをつけた簡易生簀の中に入れられた。太陽が真上に来る頃には集まった子ども達全員分に余りある程の魚が釣れたので、そこで潅木を集めて火を熾すと釣った魚を焼き、焚き火を囲むように座って食べた。照りかえる太陽と、焚き火の熱とで誰もが汗だくになると、食べ終わった者から川に飛び込んだ。

 子ども達が村に帰る時間になった。

「じゃあ、帰ろうよ」

 誰かが鬼子に言った。鬼子は悲しそうな顔をして「今日は楽しかったよ」とだけ告げると、まるで最初からそこにいなかったかのように子ども達の前から消えた。燻ぶっていた焚き火には水かかけられており、飛び込み岩に立てかけられていた釣竿は消えていた。

 その夜のうちに大人たちは子どもを川へ近づけるのを禁止し、それから子どもの証言をもって鬼子を「鴇色の角を持つ鬼」、鴇魔と名づけた。

 鬼子騒動から半年が経ち、煙間村にいよいよ人足が途絶えた。どうにかして鬼子を退けなければならない。しかし外界が煙間村に冷たくなったために、村の内のことをするだけで精一杯となってしまい、退けるだけの精強な男が足りなくなった。そこで村長は、村の若い男を一人連れて麓の町に共に下り、一枚の触書を立てた。


 煙間村周辺に現れる鴇色の角を持つ鬼を倒した者に賞金○○○


 こうして鴇魔が生まれた。



 トキマの持つ薙刀のような長槍は、触書に最初に申し出た武芸者の物であった。武芸者は我流の道場を開くための資金を集めるために流浪する者であった。独特の動きは槍術と棒術を兼ね備えたものであり、長槍は刀工に特注したそれ一本で攻守に長ける優れた得物である。その特殊な動きと得物から名が知れ渡りつつあった武芸者であった。もしトキマと関わらなければ、流派の一つとして名を残していただろう。

 村長も武芸者の隆々たる筋骨と気概の頑健さに、この者ならば易々とトキマを討ち取るものと信じた。そこで村長は、その武芸者に子ども達による人相と出会った場所、そしてトキマに纏わる奇怪な現象とを伝えた。武芸者は奇怪な現象の方には耳を傾けなかった。当時においては呪術の類もまた信じられていたが、武芸者はそれを一顧だにしなかったのだ。己の肉体が強力であればこそ、そのような呪術の類を信じずとも簡単に討ち取れる、と信じたからである。

 そして武芸者はいとも簡単に消息を絶った。

 意気揚々と村をでて一週間、武芸者は帰ってこなかった。正確には、武芸者の身体は帰ってこなかった。一週間が過ぎた翌日早朝、村の入り口に武芸者のものだった衣服が丁寧に畳まれて置いてあったのだ。衣服には血糊が錆色の染みとなって残っていた。また、武芸者の持っていた長槍だけがどこを探してもなかった。

 これには村人が全員戦慄した。これから名を馳せたかもしれない屈強な武芸者を退け、逆に武器を奪っただろう鴇魔というものに。もはや並大抵の人間では太刀打ちが出来ないであろう、という恐怖に。

 それから何人かの腕自慢が現れた。ある者は武芸者の衣服を見ると、それがかつて勇名を馳せていた者のであると気付いて怖気づき逃げ出し、ある者は無謀と無策を重ねて村入り口に衣服として畳まれ、ある者は法力を用いて魔の者を討ち取ると宣言して偽物の角を持ち帰り、ある者は呪術によって鴇魔を改心させると意気込み、そして村入り口に衣服が畳まれた。つまり誰一人として鴇魔を討ち取ることなど出来なかったのである。

 鬼子騒動から一年と半年が経ち、煙間村はとうとう鴇魔を村に災厄齎す邪神の現れとして認識しだした。そこに鴇魔の噂を聞きつけた高僧がやってきて、その認識にお墨付きを与えた。曰く「額に角を生やして生まれたものは、生まれながらにして災厄と共にあり、輪廻転生する災厄の知識を有している。その中には古の呪術の類も含まれており、鴇魔が起こす奇怪な現象は古の呪術によるものである。これを打ち倒そうと考えてはいけない。幸いにして、災厄の角を持つものは短命であり、十数年のうちに消えるだろう。それまでは生贄を捧げて、鴇魔を鎮めなければならない」と。

 邪神を鎮めるには、それに最も近しいものを生贄に捧げなければならない。鴇魔にとってそれは何か。それは子ども達であった。高僧曰く「かつて鴇魔と遊んだという子どもから、娘を一人生贄に捧げよ。そうすれば鴇魔は災厄を鎮め、村には平和が訪れるだろう」。

 大人は子ども達の中から一人の娘を選んだ。娘の親は一度は反対したが、村長と高僧の説得により、それで村の窮状が救えるのならば、とようやく観念した。両親が観念するまでには三日を要し、娘の母親の方はその三日の間に見る影も無く衰えた。

 娘に事情を説明するのは村長と高僧のはずであったが、二者はそれを放棄し、何も知らないままに子どもに封書を渡して鴇魔の棲むと思われる洞穴近くまで共に行き、そこでしばらく待っているように、と言った。

 娘は腰掛けるのに手ごろな石を見つけると、そこに座って待ち続けた。何を待つのかは娘には分からなかったが待ち続けた。手が少しかじかむと、息を吹きかけた。陽が傾いて、満月には少し足りないくらいの月が見え隠れし始めた頃、娘の目の前に突然影がさした。顔をあげると、そこにはかつて一緒に遊んだ、額に角を生やした子どもがいた。娘はそこでようやく「待っているように」というのが、この子を待っているように、という事なのだと理解した。

 娘は目の前の子が、口元をもごもごしているのを見て、カラカラと笑った。

「どうしたの?何か喋りたいの?」

 娘が目の前の子に言うと、目の前の子は「ねえ、君はどうしてここにいるんだい?」と逆に聞き返してきた。そこで娘は村長が娘の着物に忍ばせた封書を取り出した。

「これ、村長さんから」

 その封書に何が書いてあるのかを娘は知らなかった。だから、目の前の子がそれを受け取って読む間に、表情が怒りから悲しみ、そして諦めと変化する理由もまた分からなかった。


 武芸者から始まる鬼子退治は否応無しにトキマを戦いへと追い込んだ。いつ現れるかもしれない暗殺者に怯えて生活する中に身体と精神は磨り減り、深い闇の洞穴に月光が差し込むだけでも恐怖した。然る一方で、トキマに降りかかる人災は、結果としてトキマの呪術とも言える能力をその身に馴染ませるだけであった。いつしか額の角の生え際に生じていた痛みは消え、任意に自分以外の時間を止められるようになった。最初の武芸者の持っていた長槍は悪戯に返り血を浴びるのを拒むため、出来るだけ自分から離れたところに人間の死があってほしいと願うために用いられた。最初は、時を止めてから相手の心臓を一突きしたが、それでは相手に醜く苦しむ時間を与えた。悲鳴とも怨嗟とも知れぬ声と、見開いた目から徐々に失われる生気を目の当たりにしたトキマは、これは良い方法ではないと確信した。何度かの試行錯誤の結果、時を止めてから相手の首を刎ね、一呼吸の隙も与えず殺すことが最も負担のかからない方法だという結論を得た。

 時の止め方の他に、止めた時を再び進める瞬間も操れるようになった。それまでは、時がいつ正常に戻るようになるかは額の角に任せるしかなかった。時間を止めると世界から自分以外の音が消える。この消えた音が聞こえたという事実が、時が正常に戻ったことの合図だった。それが精神と身体の磨り減る生活の中で、身に染み込むように自然に正常に戻せるようになった。そこでようやくトキマは身体と精神の苛酷から解放されるようになる。精神の安寧は時を止めた世界に保障され、身体は安全という揺り篭の中の睡眠によって健康を取り戻した。

 そうした自己防衛が村の人間には奇怪な災厄とみなされたようだ。災厄の名を鴇魔と知った当人は、カラカラと笑う娘の目線まで腰を降ろして頭を近づけて問う。

「ねえ、これは何色に見える」

 額に生える角を指差すと、娘は「薄暗くて分からない」と言った。

「でも、前に遊んだときにイチエの兄ちゃんが“トキイロ”って言ってたよ」

 イチエが誰なのかはトキマには分からなかったが、遊んだときというのなら、あの川遊びの時の誰かなのだろう。鴇色の角を確認するように、眉を上げ額を見ようとするも無駄な行為だった。娘は「あっ」とトキマの角に何かを発見した。

「ギザギザの黄色があるよ、ここだけ色が違うね」

 夜が迫ってきていた。寒さが木々の隙間から襲ってきて、娘がくしゃみをするとトキマは娘を洞穴に入るように促す。

「こんな所に住んでるの、寒くない?え、秘密なの?分かった!」

 洞穴の奥に入り、取り留め無い話をしていると、やがて娘に眠気が襲ってきた。松明を一つだけ燈したまま二人は寝ることにした。娘は寒いからと、何の抵抗も無くトキマに身を寄せてくる。

「おとぉ……」

 寝言を聞いてトキマは起き上がり、それから時間を止めた中で眠った。娘の寝姿はあまりに無防備で、恐らく村に住む誰もがこのような無防備を夜の中に晒しているのだろうと想像すると、なんと幸せなのだろうと羨まずにはいられなかった。

 この娘は明日の昼に村へ帰そう、娘と自分とでは住む世界が違うのだから。それから娘を寄越した村長と高僧とやらを脅して、二度と生贄などという発想を起こさないように釘を刺さなければならない。



 鬼子騒動から二年が過ぎた。トキマが送り帰した娘は、その三日後に、首と衣服がトキマと娘の出遭った場所に置かれていた。災厄は模倣を好んだのだ、という人間の勝手な理屈が、トキマの自己防衛と呼応して村人の手で娘を殺させたのだ。トキマはそんな村人の事情など知らず、送り帰したがために娘を殺してしまったのだと後悔した。いよいよトキマの精神は峭刻となり、人目につかぬようにあるいは人と交じり合わないように過ごさねばならなかった。そうしなければ村人は鴇魔として怖れる。トキマは村人に対する怒りを抑えきれない。それでも村の近くの洞穴を離れられなかった理由が何なのかはトキマにも分からなかった。

 鴇魔の父親は徐々に正気を取り戻していった。人々に恐怖を与える鴇魔の親ということで村八分となっていたことは、人間に交わるのを苦手とするかつての気難し屋の性分には何の意味も成さなかった。本来ならば村から追い出されていても仕方ない筈であったが、正気の父親が生み出す焼き物は一年弱の狂気の中で深みを増していた。作った焼き物の用途に沿うように芸術性が加味され、やがて朝廷の目に留まるようになるのだが、それはまた別の将来の話。

 麓の町に立てた触書が風雨に蝕まれ内容も読めなくなる頃になって、一人の不思議な格好をした男がその触書を夜の内に音も無く燃やした。それから煙間村へと続く夜の山道を誰に咎められることも、野生の獣に襲われることも無く進んでいった。

 煙間村が見えたところで周囲を探索し、トキマの住む洞穴を見つけると臆面も無くそこへ踏み入った。

 ここで説明しなければならない。トキマは洞穴の入口に何者かの気配を感じたので、時を止めてそれが何者かを確かめようとした。松明の明かりは炎の揺らめきをそのままに停止しており、染み込ませた油のパチパチと爆ぜる音は時間の中に留まっている。トキマが悠々と入口の何者かを確認にいくのを誰が咎められただろう。男はトキマの止めた時間の中で止まらなかったのだ。

 入口の何者かは、トキマを容易く観とめると片手をあげて「やあ」と挨拶した。トキマは驚き、なお時間の止まっていることを確認し、では目の前の男は一体何なのかと訝った。男はトキマの様子など一顧だにせず、止まった時の中で敵意の無い事を示した。

「残念ながらと言うべきか喜ばしいことにと言うべきか、僕も君のように時間軸を平行移動できる。君と煙間村との確執も見ているので、それについてお話しようじゃないか」

 男はその場に座った。トキマも男に促されるままに座る。男の着ている不思議な衣服は男が煙間村周辺の出身ではないと理解させるには十分であり、また、時を止めた世界で動けるこの男が、もしかしたら自分と同じように人々から災厄と称される類の者なのではないかと警戒したからである。注意の視線にようやく気付いた男は、カラカラと喉を鳴らすように笑った。

「既に分かってるだろうけど、敵意はないよ。まずはどの辺から話そうか。そうだな……娘が村人によって殺された顛末から話そう」

 トキマはその経緯を黙って聞く事にした。

「手紙にあった通り、その娘は鴇魔を災厄と村人が認めたためにその生贄として捧げられたものだ。でも鴇魔はそれを翌日には村へと送り帰した。それどころかご丁寧に村長の前に現れて、二度と生贄などもって来るなと脅迫までした。既に村を出ていた高僧に対しても鴇魔は目の前に現れて村長に言ったように脅迫したね。高僧は慌てて村へと戻り、娘が両親と感動の再会をしているのを見てから村長の家に入る。災厄は娘を気に入らなかったのだ、と高僧は誤解した。これが第二の誤りだ。

 第一の誤りは何かって?それは勿論、鴇魔などという災厄はこの世に存在しない、という事だ。君も分かっているだろう。君は自己防衛をしたに過ぎない。角を持って生まれたために母親を殺してしまったのは事故だ。しかし人は普通、頭に角を生やして生まれるものではない。“得体の知れないもの”への恐怖は、人を奇行に走らせる。鬼子と言って区別する。殺されると君が思ったのは正しいよ。だから村から逃げるという行為もまた自己防衛だ。角をもって生まれた者が次の瞬間には元服を迎えた男ほどに成長する、というのもまた人間にとっては“得体の知れないもの”だったんだね。村人、とりわけその村を治める長は“得体の知れないもの”に恐怖した。集団を治めるものは、危機に敏感で無ければ務まらない。その意味では確かに村長は村長だったと言えるだろう。言ってしまえば、君の得体の知れなさが鴇魔という架空の災厄を生んだということになる。だって君は村に悪行をした訳ではないのだからね。

 さて、それで村長と高僧の第二の誤りにより、それでは災厄はどうしたら生贄を納得の中に治めることが出来るだろうと考えた結果、これまでの君の自己防衛を模倣することにした。娘を気に入らなかったのは、これまで触書によって鴇魔を討伐に来た者達のような姿になっていない事が、災厄に対する村の服従を表していなかったのだと村長と高僧は信じたのだ。そして、娘は殺される。殺された娘は鴇魔の棲む洞穴の近くに奉納。激昂するトキマ。しかし娘のために村を襲うことには何の意味も無い。トキマは、死んだ者のために生きている者に同じように死を与えることを拒んだ。それはトキマが普通の人間に対して圧倒できるだけの能力を持っており、殺そうと思えばいくらでも殺せるという優位性を持っていたことと、生者に死という罰を与えることが本当に罰なのかと疑問に思ったからかな?とりあえず、あっけなく殺さなかったことで村人は恐怖の中に生きることになったのだから、それを罰と言ってしまえば良いのだろうけど。

 トキマはなぜ村人を殺さなかったのか、煙間村から離れようとしなかったのか。これは僕の想像だけど、鴇色の角に支配されていない未発達の自我の部分、つまりまだ名もつけられていない“陶芸家の男と気立ての良い女の間に産まれた子”の部分が親を求めていたからじゃないかな。高僧の鴇魔に対する説明は正しかったというわけだ。但し、それに続く対策が誤っていたために、災厄を災厄たらしめるという結果になってしまった訳だけどね。

 一つ質問させてもらおうか。トキマは、娘を村に返したことを後悔しているのかい?」

 トキマは少し考えて、それから首を横に振った。

「手紙を受け取った時、君が――トキマが鴇魔として、娘を生贄として迎え共に生きるだけならば、娘は死なずに済んだかも知れないのにも拘らず、君は後悔しないと言うんだね?」

「後悔しても仕方ないから」トキマはしばらく目を左右に泳がせながら、一言一言確かめるように、踏みしめるように言った。

「娘が両親に笑顔と涙で迎えられれば、その時はそれで良い。僕は災厄ではないから、生贄など必要ない。それは村長にも高僧にも告げた通りだ。それを勘違いしたのは二人で、トキマが例え彼らにとって“得体の知れないもの”だろうと、それで村の娘を殺すのならば、トキマはそちらの方が狂気だと判断する」

 その言葉は、自らの意見なのに自らを励ますようであった。

「なるほど確かに君の言うとおりだ。異質への恐怖に支配されて狂気のうちに娘を殺したのは他でもない村の人間たちである。でもね、ここの人たちはそうして異質を排除しなければ生きられないんだよ。鴇魔がここにいる限り、彼らは安寧を得られない。さっき言ったように、君がそれを生者への罰だと肯定的に受け容れるならばそれでも構わないけど、君はそうして生者と同じように不幸の坩堝に入る必要はない、と僕は思うのだけど」

「それは、ここを去れ、と言っているの?」

「簡単に言うとそういう事だ。君は残念ながらこの世界から排除されるべき異質と看做されている。“陶芸家の男と気立ての良い女の間に産まれた子”がそれを拒んでも、もはや鴇魔である以上、親の下に戻ることは出来ない。はっきり言おう、それはもう出来ないことなんだ。だから、これ以上ここにいて、誰もが不幸になることを僕は良しとしない」

 男は立ち上がって、一際大きな動作で拍手を一つ打った。すると、今までトキマが止めていた時間が、拍手の音を中心に波のように広がって再び動き出した。洞穴の奥の方では松明の小さく爆ぜる音が聞こえた。

「君は、君の力が時間を止めるだけだと思っているだろうけどそうじゃない。時間を止めるということは、一旦自分を並行する別の時間軸に置いて、再び同じ時間軸に戻ってくるという行為だ。三次元を任意に動くだけでなく、時間を軸に任意に移動できる、という事は多元世界の中を自分の自由に動くことであり、任意の世界線には当然トキマの生まれなかった世界もあるし“陶芸家の男と気立ての良い女の間に産まれた子”に角がない世界もある。娘のいない世界、煙間村の無い世界、あるいは人間がいない世界にだって行ける。もちろん、今の世界と全然違う、遠い世界に行こうとするならば、歩いて遠くへ行くのと同じように、それだけ疲れる訳だけど」

「それで、自分の理想の世界へ行け、と言うのか」

「自分の理想の世界に行きたかったらそれはそれで構わない。ただし、それは遥かに遠い世界どころか届くことのない蜃気楼かもしれないが。それよりも、僕と一緒に来ないか。僕は君をスカウトしに来たんだ」

 トキマは立ち上がった。男の隣に立つと、男は自分よりもかなり背が低いことに気付いた。先程までは、その得体の知れなさに男の体躯など何も気にしなかったというのに。

「君のその呪術と怖れられていた力を存分に振るえる場所がある。そこは全く自分の思い通りにいくような世界ではなく、神がサイコロを振るような世界だ。君が君であること以外、何一つ確かなことはない。偶然に勝ち、数奇に負ける。そんな世界でトキマとして生きてみないか?」

「一つだけ、教えて欲しいことがある」トキマは男に問う。

「そこは、理不尽な世界なのかな?」

「理不尽ではないよ。確率に平等なだけだ」

 トキマにはその言葉の真意を理解できなかった。それでも、理不尽でなければそれで良い、と思った。理不尽の坩堝で己を不幸にするくらいなら、その「確率に平等」な世界に生きる方が、健康的なのだ。

「これ以上、誰かを不幸と恐怖に留まらせておくのは、本意ではないから」

「それじゃあ、一緒に来てくれるのかな」

 トキマは首を縦に振った。そこで男は満面の笑みを浮かべて、それからトキマを抱きしめた。傍から見ると子が大人にじゃれつく様であったが、静かに目から涙を流したのは大人の役に見えるトキマの方だった。誰かに抱きしめられるのはこれが初めてだった。それでようやく、“陶芸家の男と気立ての良い女の間に産まれた子”が誰かの愛に飢えていたことにトキマは気付いたのだった。

「じゃあ、一緒に行こう。付いて来て」



 鴇魔が突然に姿を消したという事実を村人が受け容れるまでに一年を要し、かつての災厄の棲家に鎮護の祠が建てられて、ようやく人々の思い出から災厄への恐怖が薄れるまでに、五年を要した。祠の奥には、トキマの作った小さく不器用な手作りの祠があり、そこには娘の頭蓋骨が埋められて、誰も見たことのない不思議な質感の枯れない花が添えられていた。

 読んでくださりありがとうございます。

 この小説は、ニコニコ動画のとある生放送主によって行われる「サイコロバトル」という企画における一キャラクターとして僕が登録した選手に、勝手に設定を生やそう(作ったのは自分だから設定を生やすのに勝手もクソもないのだけれども)という考えの元、創作されたものです。

 「サイコロバトル」に興味を持たれた方は、ぜひgoogle等検索サイトで、「サイコロバトル」と検索していただければと思います。そうです、ステマを装いました。これでステルスじゃないですね。

 後半に現れて物語の顛末を解説する男役にはサイコロバトル内で戦った人を元ネタとしております。第4回サイコロバトルを知っている方の中には、その元ネタが分かる方がいらっしゃるかも知れません。そうです、トキマと全く同じ能力を有していらっしゃったあの方です。

 内部設定では、男の名前を「大越光」と言います。余計な事でしたね。

 さて、これからまたステマです。

 第6回サイコロバトルが間もなく開催するにあたり、今回の設定を用いて「小説版―鴇魔―」として、僕もサイコロバトルに参加予定であります。もしこの小説を読んで、サイコロバトルに興味を持った方がいらっしゃいましたら、是非とも観戦するなり、参加するなりしていただけたら、大変嬉しいです。


 実に蛇足な後書きではありましたが、それでは。

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