「私より大きくなったらね」と言った幼なじみを追い越したので、約束の返事をもらいに行く
高校に入って最初の身体測定で、俺の身長は百八十センチになった。
「朝倉、百八十ぴったり」
「マジで?」
「動くな。縮むぞ」
「それ測定じゃなくて呪いじゃないすか」
養護教諭に頭を押さえつけられながら、俺は身長計の目盛りを横目で確認した。
百八十。
靴下しか履いていない足の裏から、頭のてっぺんまで。盛ってもいなければ、四捨五入もしていない。文句なしの百八十センチだ。
「朝倉、でっか。入学したとき百七十八じゃなかった?」
測定を終えたクラスメイトが、後ろから俺の肩へ腕を回してくる。
「中学の卒業式が百七十八。高校入って一週間で二センチ伸びた」
「一週間で伸びるわけねえだろ。前に測ったやつが適当だっただけだわ」
「細かいこと気にしてると伸びねえぞ」
「お前、身長高いだけで偉そうだな」
そいつの腕を外しながら、俺はもう一度、身長計を見た。
ようやくだ。
十年前、俺は近所の公園で、一つ年上の女の子に告白した。
結婚してほしい、と。
当時五歳だった俺は、好きな相手とは結婚するものだと信じていたし、そうすれば毎日一緒に遊べると思っていた。
白いワンピースを着たその子は、困ったように眉を下げた。
『蓮は、まだちっちゃいからなあ』
『ちっちゃくない!』
『私よりちっちゃいじゃん』
『すぐおおきくなる!』
俺が必死に背伸びすると、彼女は少し考えてから俺の頭を撫でた。
『じゃあ、私より大きくなったらね』
子どもの口約束だと言われれば、それまでだ。
それでも俺は忘れなかった。
中学に入る頃には彼女の身長を追い越していたが、すぐに返事を求めるのは格好悪い。中学生の恋愛と高校生の恋愛は違う。たぶん。
だから高校生になるまで待った。百八十という数字に特別な意味はない。きりがよかっただけだ。
スマートフォンを取り出し、短いメッセージを送る。
『放課後、話ある』
既読はすぐについた。
『急に何』
『大事な話』
『こわ』
『取って食ったりしねえよ』
『その身長で言われると若干こわいんだけど』
『駅前の公園で待ってる』
『拒否権なくない?』
『来なかったら家まで迎えに行く』
『はいはい』
最後に、猫のキャラクターが面倒そうに前足を上げているスタンプが届いた。
水瀬莉奈。俺の一つ上の幼なじみで、あのときの女の子だ。
俺が知る限り、一番長く好きでいる相手でもある。
◇
「莉奈、朝倉くん来てるよ」
放課後、二年生の教室を覗いた俺を見つけ、窓際の女子が教室の奥へ声をかけた。
何人かの視線が俺に集まる。俺の学年にはもう顔見知りも多いが、二年生の教室はさすがにアウェーだ。
その真ん中で、明るい茶色の髪が揺れた。
「え、もう来たの?」
莉奈は友達と机を囲んでいた。膝上まで折ったスカートに紺色のカーディガン。左耳では、小さなシルバーのイヤーカフが光っている。
「もうって、放課後に待ってるって送っただろ」
「言ってたけど、教室まで来ると思わないじゃん。普通、昇降口とかで待たない?」
「いつ出てくるか分かんねえし」
「あんた、昔からせっかちすぎ」
莉奈は椅子の背に提げていたトートバッグへ手を伸ばした。生成りの帆布に小さな花の刺繍が入り、片方の持ち手が付け根からほつれている。
「あ、それ莉奈が壊したやつ」
「壊したんじゃなくて、勝手に取れたの」
「さっき両手で引っ張ってなかった?」
「耐久テストしただけだし」
「壊した人の言い分なんよ」
莉奈を囲む女子二人が笑う。一人は高い位置で長い髪を結び、もう一人は黒髪のボブで、頬杖をついたまま眠たそうにやり取りを眺めていた。
「それ貸して」
俺はトートバッグを受け取り、鞄から裁縫セットを出した。
「なんで持ってんの、それ」
「朝、ジャージの裾がほつれたから」
「自分で直したの?」
「他に誰がいんだよ」
「朝倉くん、見た目より家庭的じゃん」
長い髪の女子が、俺の手元を覗き込む。
「料理もできますよ」
「え、マジ? 莉奈より女子力高くない?」
「比較対象が莉奈なら、だいたい勝てそう」
黒髪ボブの女子が、頬杖をついたまま呟いた。
「ちょ、澪まで何言ってんの?」
「事実」
「即答すんのやめてくれる?」
長い髪の女子が机を叩いて笑う。
ほつれた持ち手を元の位置へ重ね、厚い生地へ針を通す。何度か往復させて裏側で糸を結べば、普段使いには問題ない。
「はい」
「ありがと。てか、ほんと器用だね」
「普通じゃね?」
「裁縫セット持ち歩いてる男子、高校にそんな何人もいないから」
「で、水瀬さんを借りてもいいですか」
「どうぞどうぞ」
長い髪の女子が、待ってましたとばかりに両手を広げる。
「ちょっと二人で話したいんで」
「二人で?」
二人の視線が莉奈へ集まった。
「ちょっと。なんで余計なこと言うの」
「余計じゃねえだろ。実際、二人で話すんだし」
「この空気で言う必要ないじゃん」
「なに、ついに年下の幼なじみとデート?」
「違うし。ちょっと話すだけ」
「そのわりに朝から鏡見てたじゃん」
「いつも見てるから」
「昼から『蓮から変なメッセ来た』って三回も言ってたし」
「二回だし、紗季は話盛るのやめて」
莉奈に睨まれても、紗季は長い髪を揺らして笑っている。その隣で澪が欠伸を噛み殺した。
「回数の問題ではない気がする」
「澪はどっちの味方なの?」
「眠いから、強いて言えば帰宅の味方」
「聞いた私が悪かったわ」
莉奈はトートバッグを肩へ掛け、俺の背中を教室の外へ押す。体格差を考えれば抵抗できるが、そのまま廊下へ出た。
「また明日ね、莉奈。朝倉くんも頑張って」
「何をですか」
「そりゃもちろん二人のお・は・な・し」
「紗季、声でかいって!」
莉奈が教室の引き戸を閉めた。扉の向こうから、まだ紗季の笑い声が聞こえる。
「友達、おもしれえな」
「他人事だと思って。あの二人、マジで好き勝手言うから」
「仲いいんだな」
「まあね」
莉奈の声が少しだけ柔らかくなった。
昔の莉奈は、もっと大人しかった。長い黒髪に白いワンピースが似合い、遊具へ登る俺を危ないから降りなさいと叱っていた。
今では髪を明るく染め、爪には薄いピンクのネイルを塗っている。
変わった。でも、トートバッグを直したときの笑い方は、たぶん昔と同じだった。
「何見てんの?」
「髪。根元、ちょっと黒くなってんな」
「最悪。そういうの普通言う?」
「見えたから」
「デリカシー終わってる。で、大事な話ってそれ?」
「違う」
俺が笑うと、莉奈は露骨にうんざりした顔をした。
俺たちは昇降口で靴を履き替え、駅前の公園へ向かった。
◇
駅前の公園は、俺たちが子どもの頃より狭く見えた。滑り台もブランコも小さくなってはいない。俺たちの目線だけが高くなったのだ。
「うわ、懐かし。蓮、中学に入ってからもここでバスケしてたよね」
「見てたのかよ」
「通りかかっただけ。男子の集団に混ざるの無理だし」
莉奈は空いたベンチへトートバッグを置き、俺が直した持ち手を指で確かめた。
「で、なんでここ?」
「覚えてない?」
「何を?」
「俺がここで告白したの。五歳のとき」
「ああ……」
思い出したらしい。莉奈は気まずそうに視線を逸らし、耳の横の髪を指へ巻いた。
「覚えてたんだ」
「そりゃな」
「普通、忘れるでしょ。何年前だと思ってんの」
「十年」
「即答こわ」
「毎日数えてたわけじゃねえよ」
俺は莉奈の前へ立った。前置きも考えていたのに、向かい合うと全部面倒になった。
「俺、お前より大きくなった」
「いや、見れば分かるけど」
「百八十」
「わざわざ正式な記録までありがと」
「莉奈、一六一だっけ?」
「二。勝手に一センチ削んな」
「じゃあ十八センチ差」
莉奈が何度か瞬きをする。普段なら本題を急かすはずなのに、今日は黙って俺の次の言葉を待っていた。
「条件、達成したから。昔の告白の返事、聞かせて」
公園の外を電車が通り過ぎる。風に揺れた莉奈の髪が横顔へかかった。
呆れながら笑われると思っていた。どんな返事でも、冗談にはされないと思っていた。
莉奈は笑わなかった。
「蓮、それ本気で言ってる?」
「こんなことで嘘つく意味ある?」
「でも、小さいときの話じゃん」
「小さいときでも約束は約束だろ」
「約束っていうか、あれは……」
莉奈は言葉を飲み込んだ。泣き虫だった俺を傷つけないための、ただの断り文句だったのだろう。
「別に、お前が適当に言ったのは分かってる。それでも俺は本気だった」
莉奈の指から髪がほどける。
「今も?」
「今も」
「でもさ。今の私、昔と全然違うじゃん」
「髪とか?」
「それもだけど。服とか、メイクとか。昔の私、もっと地味だったし」
「清楚だった」
「今、結構ギャルっぽいでしょ」
「っぽいな」
「何その軽い返事」
「ギャルになったの、昨日今日じゃねえだろ」
「そうだけど」
風が木の枝を揺らす。滑り台の子どもが駆け下り、母親に呼ばれて出口へ走っていった。
「蓮が好きだったのって、昔の私でしょ」
「は?」
「昔の告白の返事を聞かせてって言ったじゃん。約束した頃の私が好きで、その続きで今もそう思ってるだけじゃないの?」
「昔のお前も今のお前も、お前だろ」
「そういうことじゃなくて。今の私が学校で誰といて、何が好きで、何してるか知ってる?」
「さっきの二人。黒髪が澪で、髪結んでた方が紗季」
「それ、今日知っただけじゃん」
「じゃあ何だよ」
「そういうのも知らないくせに、今も好きって言われてもさ」
答えが出ない。
朝が苦手なこと。トマトが嫌いなこと。ホラー映画を見るときだけ音量を下げること。緊張すると髪へ触ること。
俺の知っている莉奈はいくつもいる。
けれど、中学に入って学年が分かれ、俺は部活が忙しくなり、莉奈には新しい友達ができた。家が近いから顔は合わせた。それだけで、離れていないつもりになっていた。
「じゃあ何。今の俺は、お前のこと好きじゃないって?」
「そこまでは言ってない。ただ、昔の約束だけで付き合うのは、なんか違くない?」
「今さらそれ言う?」
「今だから言ってんの」
莉奈も引かなかった。俺よりずっと小さいのに、昔、危ないことをした俺を叱ったときと同じ顔で見上げてくる。
「そもそも、あのときの『大きくなったら』だって、身長だけの話じゃなかったし」
「初耳なんだけど」
「五歳児にそこまで説明すると思う?」
「説明しろよ。こっちは十年信じてたんだぞ」
「重っ。普通忘れるって」
「忘れなかったんだから仕方ねえだろ」
声が大きくなり、莉奈の肩がわずかに動いた。
言いたいことはまだあった。けれど続ければ、約束を守れと駄々をこねるだけになる。それはさすがにダサい。
「分かった。返事は聞いた」
「待って。別に嫌いとかじゃなくて」
「それ、振った相手に言うと一番面倒なやつ」
「だから、振るとかじゃなくて」
「付き合わねえなら同じだろ」
ベンチのトートバッグが風で揺れている。さっき直した持ち手を見ると、余計に惨めになりそうだった。
「じゃあな」
莉奈の返事を待たず、俺は公園を出た。
◇
翌日の放課後。
「朝倉、今日動き雑じゃね?」
「三本中二本入れてんだけど」
「いつも全部入れるやつが言うと嫌味だわ」
練習前の体育館でシュートを繰り返す。集中できていない自覚はあったが、次の一本はリングへ吸い込まれた。
「ほら」
「ムカつく」
友人が笑いながらボールを拾う。体育館の入口から女子の声がした。
「あ、いた」
莉奈が立っていた。その隣には澪がいる。
「莉奈、あれでしょ」
「分かってるし」
「じゃ、私委員会行くから。トート直してくれたお礼言っといて」
「自分で言えばよくない?」
「知らない陽キャの集団こわい」
「蓮も一応その集団なんだけど」
「だから任せた」
「何を?」
「会話」
澪は片手を上げ、廊下の向こうへ歩いていった。
練習開始まで、まだ十五分ある。俺は友人へボールを投げた。
「ちょっと外す」
「幼なじみ?」
「そう」
「美人じゃん。紹介して」
「自分で行け」
「冷たっ」
体育館の外へ出ると、莉奈は俺を上から下まで眺めた。
「何」
「バスケ、うまいんだなって」
「小学生の頃からやってるだろ」
「知ってるけど、ちゃんと見たことなかったし。あと、結構人気あるんだね」
「何が?」
「外で女子が見てた」
「見学じゃね?」
「知らないけど」
莉奈は体育館から目を逸らし、缶のスポーツドリンクを差し出した。
「トート直してくれたお礼。澪の教科書も入ってたから」
「別にいいのに」
「こういうのはちゃんとしとかないと」
冷たい缶を受け取る。昔から、莉奈はこういうところだけ妙に律儀だ。
「なあ。お前も、今の俺のこと全然知らねえじゃん」
莉奈の動きが止まった。
「昔は何しても莉奈の後ろについてたし、服が破れたら直してって持ってってた。でも今は自分で直せる。バスケも、お前が思ってるよりできる」
「……うん」
「俺が今、誰とつるんでるか知ってる?」
「知らない」
「バスケ以外で何が好きかは?」
「知らない」
莉奈が視線を逸らす。
俺たちは幼なじみで、昔から知っている。だから、知らなくても知っていることにしていた。
「お互いさまじゃん」
「そうだね」
「昔の俺と今の俺、全然違うだろ」
「さっき見て、結構思った」
「だろ?」
「そういうドヤ顔は昔と変わってないけど」
「うるせえ」
莉奈が小さく笑った。昨日、公園で別れてから初めて見る笑顔だった。
「お前、今日部活は?」
「入ってない。澪の委員会の用事に付き合ってただけ」
「じゃあ、ちょっと待ってて。昨日の訂正がある」
俺は部活のグループへ少し遅れると送り、莉奈を体育館の裏へ連れていった。
日陰の壁に沿って、運動部の備品が積まれている。グラウンドから野球部の声が聞こえた。
「返事なら変わんないよ」
「分かってる。あの約束、もういい」
「……何それ。諦めるってこと?」
「逆。昔の約束で付き合ってもらうのをやめるだけ」
「何が違うの」
「約束を守ったから付き合えって言うのと、お前に好きになってもらうのは違うだろ」
長い黒髪も、白いワンピースも、子どもの俺を守ってくれたことも覚えている。
髪が明るくなり、服や爪が変わっていくのも知っていた。それを嫌だと思ったことは一度もない。
「昔のお前も好きだった。でも今のお前が嫌なら、昨日告白してねえよ」
「今の私のこと、知らないくせに」
「だから、これから知る。お前も今の俺、知らなかっただろ」
「それは……そうだけど」
「だったら最初からやり直せばいいじゃん」
昨日までの俺は、約束を果たせば返事をもらえると思っていた。けれど、俺が達成したのは身長だけだ。百八十センチという数字は、恋愛の保証にはならない。
「今の俺を、お前に好きにさせる」
莉奈が目を丸くした。
「宣言すること、それ?」
「言っといた方がフェアだろ」
「何の勝負だと思ってんの」
「俺がお前を落とせるかどうか」
「うわ、言い方チャラ」
「お前にだけは言われたくねえ」
「私は見た目だけだし。蓮の方が女子に人気あるじゃん」
「気にしてた?」
「気にしてない。うざ」
莉奈が俺の腕を軽く叩く。昔なら頭だったが、今では普通に腕を伸ばした程度では届かない。
「部活、戻れば?」
「もういいの?」
「話、終わったんでしょ」
「まあ」
そう言いながら、莉奈は動かなかった。
「今の私、知るんでしょ」
「そのつもりだけど」
「だったら、まず一緒に帰る?」
「部活ある」
「何時に終わるの?」
「今日は遅くても六時半くらい」
「じゃあ待ってる。澪の委員会もそれくらいまでだし」
「一時間以上あるぞ」
「教室で課題やってる。嫌ならいいけど」
「誰も嫌って言ってねえだろ」
莉奈は口元だけで笑った。
「幼なじみとして一緒に帰るだけだからね」
「分かってる」
「昨日振られたばっかなんだから、調子乗んないでよ」
「そのうち乗らせる」
「そういうとこマジ陽キャ」
莉奈は俺へ背を向け、校舎へ戻ろうとする。
「莉奈、先に帰んなよ」
「それ、私が言おうと思ってたんだけど」
振り返った莉奈は、呆れたように笑った。
「蓮こそ、部活終わったらちゃんと迎えに来て」
「了解、先輩」
「急に後輩面すんの、普通にキモい」
「俺なりに一からやり直そうとしてんのに」
「六時半ね」
「おう」
昔は、莉奈が俺の手を引いて前を歩き、俺は置いていかれないように追いかけていた。
今はもう、追いつくために走る必要はない。それでも、隣に並んだだけでは足りないらしい。
莉奈を見送り、俺は体育館へ戻った。
十年の約束はあっけなく終わった。
だから今度は、約束なんかなくても、俺を選ばせる。
◇
翌日の昼休み。
「で、結局付き合ったわけ?」
紗季が長い髪を高い位置で結び直しながら聞いた。
「付き合ってない」
「じゃあ振った?」
「……まあ」
「なら終わりじゃん」
「それが何か、そうでもなくて」
「本人が分かってないパターン、一番めんどいやつだ」
「そばで見る分にはおもしろいけどね」
澪は机へ頬をつけたまま、目だけを莉奈へ向ける。
「澪まで楽しんでない?」
「楽しむほどの元気はない。でも、これは気になる」
「めっちゃ興味あるじゃん」
紗季が笑う。
莉奈は机の下でスマートフォンを握った。
昨日、蓮を振った。昔の約束だけで付き合うのは違うと思ったからだ。
蓮が好きなのは、黒髪でワンピースばかり着ていた昔の自分だと思った。
中学へ入って髪や服を変えた。最初は紗季に勧められただけだったのに、鏡の中の自分が少しずつ変わるのは、思ったより楽しかった。
蓮がそんな自分をどう思っているのか、少しだけ怖かった。
けれど蓮は、今の莉奈が嫌なら告白していないと言った。
言い方は雑だった。あの男は昔から、肝心なところだけ説明が足りない。
「莉奈、顔赤くない?」
「教室暑いだけ」
「窓開いてるけど」
「日当たりいいから」
「莉奈の席、日陰だけど」
「澪、いちいち細かい」
「ごめん」
「謝る気ないでしょ」
「うん」
スマートフォンが震えた。
『今日、部活休み』
蓮からだった。続けてもう一件届く。
『昨日の続きする?』
一緒に帰るだけなのに、書き方が無駄に意味深だ。
「誰から?」
紗季が身を乗り出す。高い位置で結んだ髪が、莉奈の肩へ触れそうになった。
莉奈は画面を伏せる。
「別に」
「その隠し方、絶対例の幼なじみじゃん」
「違うし」
「何が違うの?」
「まだ、ただの幼なじみだから」
言ってから、余計な言葉を足したことに気づいた。
「まだ?」
「今、まだって言ったよね」
「言ってない」
「言った」
「言ってないって」
莉奈は二人を無視し、スマートフォンを開いた。
『いいよ』では素直すぎる。『暇なら』は何となく偉そうだ。
少し迷った末、短いメッセージを送る。
『先に帰ったら許さない』
すぐに既読がついた。
『了解、先輩』
「こいつ……」
画面を睨み、それから少しだけ口元を緩める。
昔よりずっと大きくなった幼なじみが、どこまで追いついてくるのか。
それを確かめるくらいなら、悪くない。
少なくとも今日も一緒に帰ってやろうと、莉奈は思った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本作は短編として完結していますが、ご好評をいただけましたら、蓮が宣言どおり莉奈を振り向かせるまでを描く連載版も検討しています。
面白かったと感じていただけましたら、評価や感想で応援していただけると嬉しいです。




