ソナー、感あり
1945年の7月。
潜水艦伊78の艦長、井上幸三は、四国東部の豊後水道を航行していた。
目指す海域は沖縄近海。
敵艦を1隻沈めたところで、何も変わるまい。
井上は任務を受けた日を思い出す。
「伊78は出港後、沖縄近海に展開。敵艦を1隻でも多く撃沈せよ。」
広島の軍港で井上は上官から指令を受けた。
上官の指令は絶対だが、井上はどうしても腑に落ちない。
今から出港したところで、もはや日本海軍には、戦える軍艦など数えるほどしかない。
それも燃料がなく、浮き砲台になっている。
世界一の大きさを誇った戦艦大和ですら、先の坊の岬沖海戦で沈没した。
井上は、これから出港して敵艦を1隻沈めたところでどうなるのだと言いそうになったが、ぐっとこらえた。
「伊78の出港準備が終わり次第出港、敵艦を1隻でも多く撃沈します。」
上官に敬礼後、井上はすぐに部屋を後にした。
ここに戻ってくることはないだろうと思いながら。
「もうすぐこの国も負けるというのに、司令官も命令を出すのは大変でしょうな。」
伊78の副艦長尾長茂は、トゲのある言葉を井上に投げかける。
「どうにもなるまい。司令部は全国民を動員すれば米軍の本土上陸も防げると考えている。潜水艦の1隻を失うくらい、なんてことはないだろう。」
「我々には何も期待されてないんですね。」
井上も、あきらめ顔で返事をするのがやっとだった。
部下は伊78の出港準備に追われ、井上も尾長も本音で話す最後のチャンスだった。
出港してから艦内でこんな会話をしたら、士気に影響が出るのはお互い言わなくてもわかっていた。
そして、7月29日、伊78は出港した。
「艦長より全乗員に告ぐ。本艦はこれより豊後水道を抜け、沖縄近海に展開する。展開後は米艦を1隻でも多く撃沈する。諸君の奮闘を期待する。」
艦内の内線で、井上は告げた。
その隣には尾長も立っている。
豊後水道を抜けた後は、太平洋だ。
だが太平洋に出ても、沖縄沖までは米軍の駆逐艦も展開している。
司令部は、伊78に敵戦艦か空母の撃沈を期待している。
たった1隻で何ができるのか。
貧乏くじを引いたみたいだ。
井上は心の中でぼやいた。
尾長をちらりと見たが、まっすぐ前を向いていた。
尾長も同じことを考えているだろうと信じて、井上は発令所を後にした。
ザー・・ザー・・・
水測員の田中守は、わずかな音も聞き逃さまいとヘッドホンを耳に押し当てていた。
潜水艦は、水測員が聞く音だけが外部を知る唯一の手段になる。
20歳で徴兵され、実戦は初めての田中にとって、ソナーのノイズの音は恐怖の音に聞こえた。
まだ、敵艦のスクリュー音は聞こえないが、いつ聞こえてもおかしくない。
ここはもう敵戦地。
「ソナー、ちゃんと聞こえているか?」
尾長が声をかける。
この若い水測員も、自分と同じく日本のために一緒に乗っている。
尾長は今年で51歳になり、サブマリナーとしての経験を積んできたが、田中はまだ20歳で実戦は初めて。
帰ることはできない戦いになるかもしれないが、田中はどう思っているか。
「ソナー、正常です。スクリュー音なし。」
田中は答える。
緊張はしているが、若者にしては堂々としたはっきりとした声である。
尾長もその声を聞き、自分もこの戦いで最後になるかもしれないという思いで、気が引き締められた。
「ソナーより発令所、スクリュー音探知。方位211、距離6,000、向かってきます。」
田中の報告により、発令所はあわただしくなる。
太平洋に出て1週間。
初めての会敵。
「ソナー、艦は1隻だけか?」
「1隻だけです。」
井上は確認後、うーむとうなる。
戦艦が1隻だけ航行しているのは考えづらい。
となると、駆逐艦の可能性が高い。
直ちに敵艦の進行方向と直角の向きで離脱するか。
…カーン。
伊78に甲高い音が響く。
「ソナー、今の音は。」
井上はうすうす気づいていたが、田中に確認する。
甲高い音はおそらく…
「アクティブソナーです。方位、距離かわらず。」
敵艦に補足された。
アクティブソナーは、駆逐艦が発する潜水艦探知用のソナー。
反射音で潜水艦の場所を特定できる。
伊78を補足した以上、敵艦はおそらくこちらに向かってくる。
「副長、これより魚雷戦を行う。」
「は!」
「進路031、全速前進、魚雷戦用意。」
「了解。魚雷戦用意!」
尾長の指示が航海長、水雷長に響く。
敵艦が向かってくる以上、潜ってかわすか、先手を打つしかない。
井上は賭けに出た。
「艦長、魚雷発射準備が終わりました。」
尾長は報告する。
伊78は敵駆逐艦と相対している。
潜望鏡深度まで伊78は浮上し、敵艦の方位を確認する。
「魚雷発射!」
井上が告げると、伊78から魚雷が3本発射された。
おそらく敵艦はまっすぐこちらにむかってくる。
魚雷の散布角は、駆逐艦がまっすぐ進む前提で調整している。
敵艦が回避する時間はない。
「艦長、敵艦回頭します。面舵をとっている模様。」
田中の報告を聞いて、井上はバカな、と内心つぶやく。
こちらの魚雷発射と同時の転舵。
井上は絶望に包まれるしかなかった。
「ソナーより発令所。敵潜水艦補足。方位031、距離6,000。」
駆逐艦ミリー艦長ターナー・グレインはふむとあごに手をあてる。
「副長、日本の潜水艦だ。爆雷投下準備。」
ミリー副艦長のジョン・ルーラーはイエッサーと答え、航海長に潜水艦に向けて進路をとるように指示を出す。
「艦長、敵潜水艦がこちらにむかってきます。方位かわらず、距離5,800。」
水測員からの報告を受け、ターナーはあごにあてていた手をそのままにして、ジョンに尋ねる。
「副長、普通ならば日本の潜水艦は圧壊深度手前まで潜ってやり過ごすものだと思っていたが、こちらに向かってくるとは勇敢だな。」
「は、体当たりでもする気でしょうか。」
それはない、とターナーは思うが体当たりでなければこれは攻撃準備だ。
ターナーは即座に激をとばす。
「魚雷が来るぞ!全速前進、面舵一杯!」
ターナーの命令後、水測員が悲鳴をあげる。
「艦長、敵艦からスクリュー音1。こちらにむかってきます。おそらく魚雷です!」
間に合った。
ターナーは自分の勘もまだ捨てたものでないと確信した。
ミリーはすでに、魚雷の回避コースに入っていた。
ミリーが回頭を終えた後、伊78から発射された魚雷はミリーの後方を通過した。
「艦長、敵艦面舵をとっています。敵艦の方位029。」
ミリーの水測員が告げる。
攻撃に失敗した潜水艦がとれる方法は一つだけ。
こちらの死角に入って逃げるしかない。
「爆雷投下準備急げ。」
「了解。舵戻せ。敵潜水艦を追うぞ。」
ターナーはこれからはこちらの攻撃の番だ、と確信した。
「全速前進、艦このまま。」
井上は、自分が冷や汗をかいているのに気づく。
魚雷攻撃に失敗した以上、敵艦は間違いなく伊78を追いかけてくる。
「敵艦、方位231、距離2,000。」
田中もヘッドホンから聞こえるスクリュー音とアクティブソナーの音が大きくなるにつれ、自分の声の緊張がさらに増してきている。
「敵艦、距離1,000。」
その時、田中はヘッドホンから爆発音が聞こえ、思わずヘッドホンを外す。
「艦長、爆雷が爆発しています。」
もう田中の報告は必要なかった。
艦の後方から、爆雷の爆圧が伊78を大きく揺さぶった。
敵艦が伊78の真上にくるのも時間の問題。
だが井上はそこが勝負だと思っていた。
駆逐艦のアクティブソナーは、自身の艦の真下は死角になる。
「敵艦、距離200。」
「転舵。面舵一杯!」
伊78は大きく右に進路をとる。
その直後に、爆雷の衝撃が伊78をおそう。
「電気室浸水!」
「魚雷発射管室浸水!」
発令所に艦内各所の報告が上がる。
井上の頭にも、発令所のパイプからの水しぶきがふりそそぐ。
井上はマイクを握りしめて、命令を出す。
「重油放出。」
潜水艦から重油を放出することによって、水面に油の幕が広がると潜水艦が沈没したと考える駆逐艦乗りは多い。
井上は、何とかだまされてくれと願いながら、自身も水漏れと格闘した。
「艦長、重油が漏れているようです。敵艦を沈めたのでは?」
ジョンはターナーに尋ねる。
爆雷を投下して、敵艦にかなりのダメージを与えたはずだ。
「ソナー、敵艦の位置は補足できるか?」
「艦長、だめです。気泡だらけで音が拾えません。」
ソナーが回復するまでは、この海域を出るわけにはいかない。
「艦回頭。敵艦の沈没を確認するまではこの海域からは出るな。」
ソナーが回復すれば、また攻撃をしかけるまで。
その時、ジョンが大急ぎで紙切れを片手にターナーに詰め寄る。
「なんだ、今は戦闘中だ。入電の報告は後にしてくれ。」
「それが緊急の入電なのですが。」
ジョンがもっていた紙切れをとった。
ターナーは紙切れをみると思わず驚き、ジョンを見る。
ジョンは大きくうなづくだけだった。
「艦長、応急処置ができました。ただ、モーターがやられて速力が5ノットしかでません。」
機関室から報告があがる。
井上は、敵艦からの爆雷攻撃がひとまず終わって安堵していたが、これから再び爆雷攻撃を仕掛けてくるだろうと予想していた。
しかし、伊78は速力がもう出ない。
もう一度攻撃を受けたら、かわし切れない。
だが、敵艦からのアクティブソナーの甲高い音が聞こえない。
「ソナー、大丈夫か?」
田中も全身水だらけになりながら、ヘッドホンを耳に当てていた。
「艦長、大丈夫です。敵艦は位置不明。スクリュー音も聞こえません。」
井上は疑問を感じる。
戦闘中の駆逐艦であれば、つねに動いているからスクリュー音が聞こえないことはない。
海域を離脱するにしても、この短時間では離脱できない。
「艦長、潜望鏡で確認してみては?」
「副長、確認するにしても危険が大きすぎる。敵艦も血眼になってこっちを探している。潜望鏡なんか出したらすぐ魚雷が飛んでくるぞ。」
「だからです。敵艦の動きがあやしい。何かあったのかもしれません。ソナー、敵艦の音は全く聞こえないか?」
「はい。何も聞こえません。」
井上は少し腑に落ちない気持ちを隠しながら、尾長の案に乗ってみるしかなかった。
「速力5ノット、アップトリム一杯、潜望鏡深度につけ。」
伊78は、浸水が止まらず重たい船体のまま、浮上を始めた。
「潜望鏡上げ。」
潜望鏡が上がると井上は、直ちに周りを360度確認した。
すると方位200度あたりで、駆逐艦を発見した。
「攻撃準備」と言おうとした途中、駆逐艦の周りで小さい何かが動いているのを見た。
「(小型船…?)」
よく見ると、駆逐艦の周りに2隻の小型ボートが浮いている。
「副長、ちょっと見てくれないか?」
尾長が交代し潜望鏡をのぞくと、困惑した声を出した。
「駆逐艦の周りに…なんですかこれは。ボートが動いてますな。」
駆逐艦に魚雷が命中して救助しているなら、ボートを出す理由もわかるが、駆逐艦は一切被弾していないはず。
「副長、浮上しよう。もう本艦で戦闘を行うことは不可能だ。状況を確認したい。」
「艦長、いいのですか?このまま捕虜になるかもしれませんぞ?」
「もうしょうがあるまい。これ以上犠牲は出したくない。」
「艦長がそうおっしゃるなら。」
浮上せよ、と井上は命令を出す。
伊78は、完全に浮上した。
それは、この戦闘の終結を意味していた。
伊78が浮上した後、1隻のボートが伊78目掛けて走ってきた。
ボートが伊78まで来ると、ボートの乗組員が伊78に乗り込んできた。
敵駆逐艦からの来艦者。
その身なりからしておそらく士官クラスだろうと、井上は思った。
そして、その士官は井上に告げた。
「I am Turner, commanding officer of the U.S. Navy destroyer Milly.
As of today, the war has ended.
All vessels are to cease hostilities and promptly return to Japan.
(私はアメリカ海軍駆逐艦ミリー艦長のターナーだ。
本日、戦争は終結した。
帰艦は戦闘をやめ、速やかに日本へ帰投すること。)」
井上は、久しぶりに聞いた英語をすべて理解したわけではない。
しかし、相手が駆逐艦の艦長であること、そしてこの戦争が終わったことは理解できた。
井上は、ターナーに「OK.I understand. 」と片言の英語で答え、ターナーを見送った。
「各乗員に告ぐ。この戦争は終わった。これより本艦は母港へ帰投する。」
井上は、全乗員へ語りかけたが、これで全員が理解するわけではないだろうと予測していた。
日本が負けるはずはないと思っている者もいるだろう。
だが、井上にとってもう命の奪い合いの命令はしなくていい。
尾長も、出航前よりはすっきりとした顔をこちらに向ける。
尾長は田中が泣いているのに気づく。
「田中、初めての戦闘だったが立派な水測員だった。よくやった。」
田中は泣きながらやっと声を出す。
「副長、この戦争は終わったのでしょうか?」
「ああ、終わった。田中も日本に帰ったらもう戦わなくていいんだぞ。もう好きなように生きればいい。」
尾長も日本が負けたことをすぐに受け入れられたわけではないが、この若者には未来がある。
「なあ、田中。日本に帰ったら何かやりたいことはあるか?」
田中は、尾長から目をそらした後、尾長へはっきりと告げた。
「私はもうこの戦争がおきないように、未来へ語り継いでいきたい。そのためにも教員になりたい。」
ちなみに、教員資格をとる最中に徴兵された、という話も尾長はこの時初めて聞いた。
田中みたいな青年が日本にいるなら、この国はこれからも大丈夫だ。
そして、自分も無駄に生きてきたわけじゃない。
それを確認できただけでも良かった。
伊78は各員の思いを乗せ、日本への帰路へついた。
完




