第3話 「三百年ぶりに、未来が楽しみだ」
浴場の清掃を始めて三日目。
ガルドは頭を抱えていた。
浴槽は清掃した。剥がれたタイルも補修した。配管も確認し、詰まりも取り除いた。
だが、肝心の源泉が見つからない。
「おかしい……」
浴場の奥、配管の末端を覗き込む。確かにここから温泉が引き込まれていた痕跡がある。しかし、今は一滴の水も流れてこない。
ガルドは手帳を開いた。昨日、区長から借りた古い温泉街の地図だ。
「雲泉楼の源泉は……裏山、か」
地図には、宿の裏手にある小さな山に印がついていた。三十年前の記録では、そこから温泉を引いていたらしい。
「行くしかないな」
♢ ♢ ♢
裏山は、思っていたより険しかった。
獣道すら消えかけており、蔦や雑草が鬱蒼と茂っている。ガルドは鎌で草を払いながら、ゆっくりと登っていく。
魔族の身体能力があるとはいえ、三百年以上生きた体だ。若い頃のようにはいかない。
それでも、一歩ずつ前に進む。
「あった」
息を荒げたまま、表情が明らむ。
山の中腹、岩場の隙間から細い配管が見えた。明らかに人工物。
その配管を辿っていくと、小さな泉。
岩の隙間から、透明な湯が湧き出している。しかし、流量は極めて少ない。
「この量じゃ、宿まで届かないはずだ」
ガルドは周囲を調べた。
泉の上部、大きな岩が崩れて源泉を塞いでいる。三十年の間に起きた地滑りの跡だろう。
「なるほど……岩が原因か」
ガルドは腕まくりをした。
魔族の力を込めて、岩を押す。重い。だが、少しずつ動く。
全身の筋肉を使い、じりじりと岩をずらしていく。
額に汗が滲む。呼吸が荒くなる。それでも、手を止めない。
「動け……!」
最後の力を振り絞って押すと、岩が転がり落ちた。
その瞬間——
ごぽ、ごぽ、と音を立てて、湯が溢れ出した。
透明で、僅かに硫黄の香りがする温泉。流量は先ほどの十倍以上だ。
「成功、したか……」
ガルドは荒い息を整えながら、泉を見つめた。
試しに、手を浸してみる。
「……!」
温度は完璧だ。熱すぎず、ぬるすぎず。肌に優しく染み込んでくるような、心地よい温かさ。
「これなら……客を呼べる」
ガルドの心に希望が灯った。
♢ ♢ ♢
山を下り、配管を確認する。
三十年の放置で、配管のあちこちが破損していた。ガルドは一つ一つ丁寧に修理していく。
継ぎ手を交換し、穴を塞ぎ、詰まりを取り除く。
日が暮れる頃、ようやく最後の修理が終わった。
「よし……」
ガルドは浴場に戻り、栓を開ける。
最初は空気が抜ける音だけだった。
しばらくして——ごぽごぽと音を立てて、浴槽に湯が流れ込み始めた。
透明な温泉が、ゆっくりと浴槽を満たしていく。
硫黄の香りが浴場に広がる。
「……ああ」
ガルドは作業着を脱ぎ、浴槽に足を踏み入れた。
全身を湯に沈める。
疲労が溶けていく。肩の凝りが消えていく。心まで、穏やかになっていく。
ガルドは目を閉じた。
魔王城で、戦場で、書類の山に埋もれて——三百年間、一度も休むことなく働き続けた。
そんな自分が、今、温泉に浸かっている。
「……魔王様」
ガルドは静かにつぶやいた。
「あなたが言っていた通りでした。これは……悪くない」
夕闇の中、ガルドは一人、温泉に浸かり続けた。
♢ ♢ ♢
「源泉を復活させた!?」
翌朝、区長は驚いて目を見開いた。
「本当か! 三十年も枯れていたのに……!」
「岩が塞いでいただけだ。配管も修理した。営業の目途が立ちそうだ」
「それは素晴らしい!」
区長は感心したように頷いた。
ガルドは小さくはにかむ。
噂を聞きつけた村人たちが、次々とガルドを褒めそやす。
「すげぇよアンタ!」
「あの岩を取り除いたのか!」
「三十年ぶりの温泉! 楽しみだぜ!」
「営業開始したら絶対行くわ!」
宿に戻る道すがら、ガルドは空を見上げた。
青い空。白い雲。温泉の湯煙。
三百年ぶりに、未来が楽しみだと思った。




