第2話 「元副官の修繕スキル、なめるなよ」
翌朝、ガルドは日の出と共に目を覚ました。
宿の二階、唯一まともに眠れそうだった部屋に寝袋を敷いて一晩過ごした。窓の隙間から冷たい風が入り込み、何度か目が覚めたが、三百年の軍人生活に比べれば快適なものだった。
「さて」
ガルドは立ち上がり、腰に手を当てて全身を伸ばした。関節が小気味よく鳴る。
懐から小さな手帳を取り出した。修繕部位を書き留めたメモだ。
【修繕優先順位】
1. 屋根の補修
2. 窓ガラスの交換
3. 床の補強
4. 浴場の清掃と配管確認
5. 厨房の整備
6. 客室の清掃と内装
——屋根の補修。
「まずは道具だな」
ガルドは街の中心部へ向かった。
♢ ♢ ♢
湯煙の里の雑貨屋は、温泉街の入口近くにあった。
「いらっしゃい」
店主は初老の男性だった。
「修繕用の道具が必要なんだが。金槌、鋸、釘、それから丈夫なロープと滑車。あと板材。屋根に使える茅もほしい」
店主は興味深そうにガルドを見た。魔族だと気づくと、一瞬だけ表情が硬くなったが、すぐに商売人の顔に戻った。
「茅は裏の倉庫に少しあるが……一人でやるつもりかい?」
「ああ」
「雲泉楼の修繕だろう? 相当傷んでる。人を雇った方がいい」
「金がない」
ガルドは正直に答えた。
「それに、急ぐ必要もない。ゆっくりやるさ」
店主は肩をすくめた。
「まあ、あんたの勝手だが。道具は全部で銀貨二十枚だ」
支払いを済ませ、道具を担いで宿へ戻る。魔族の膂力があれば、この程度の荷物は軽い。
♢ ♢ ♢
最初の作業は屋根だった。
ガルドは梯子を修理し、三階の屋根に登る。瓦は半分以上割れ、茅葺部分は腐って穴が開いていた。
「これは……思ったより酷いな」
それでも、手を動かすしかない。
まずは腐った茅を全て取り除く。使える部材は残し、ダメなものは地面に投げ捨てる。作業着の袖をまくり上げ、黙々と手を動かす。
昼過ぎ、下から声がした。
「おーい、大丈夫かい?」
区長だった。心配そうに見上げている。
「問題ない」
「無理するなよ。屋根から落ちたら洒落にならんぞ」
「三百年、戦場を生き延びた。この程度で死にはしない」
区長は苦笑した。
「変わった魔族だな、あんた」
「そうか?」
「普通、魔族ってもっと……荒っぽいイメージがあるんだが」
ガルドは手を止めず答えた。
「俺は副官だ。戦うのは兵士の仕事。俺は事務方だ」
「なるほどな」
区長は何か納得したように頷く。
♢ ♢ ♢
日が暮れる頃、ガルドは屋根の四分の一ほどを葺き替えていた。
全身汗まみれ、埃まみれ。それでも、確実に進んでいる。
夕食は街の食堂で質素な麦粥を食べ、宿に戻って寝袋に潜り込む。体は疲れていたが、心地よい疲労だった。
「……悪くない」
誰かに命令されるわけでもなく、誰かのために働くわけでもなく。
自分のために、自分の手で、何かを作り上げる。
こんな感覚は、三百年ぶりだった。
♢ ♢ ♢
翌日は窓ガラスの交換と床の補強だ。
ガルドは黙々と作業を続けた。
割れたガラスを外し、新しいガラスをはめ込む。隙間には粘土を詰めて密閉する。
床の補強では、腐った板を剥がし、新しい板材を打ち付ける。魔王軍で培った正確な測量技術が役立った。一ミリの狂いもなく、板はぴたりとはまる。
街の人々は最初、遠巻きに見ていた。
「魔族が一人で、あんな大きな宿を?」
「無理だろう」
しかし、日に日に宿が変わっていく様子を見て、評価が変わり始めた。
「あの魔族、本気だ」
「しかも、仕事が丁寧だ」
一週間後、ガルドが材木を運んでいると、街の大工が声をかけてきた。
「なあ、あんた。柱の補強、手伝ってやろうか?」
「……いいのか?」
「ああ。職人として、あんたの仕事ぶりに感心したんだ」
ガルドは初めて、心から笑った。
「ありがたい。助かる」
こうして、一人だった修繕作業に、少しずつ協力者が現れ始めた。
♢ ♢ ♢
一週間後。
屋根の葺き替えが完了し、窓ガラスも全て交換された。床も補強され、歩いても軋まなくなった。
まだ内装は手つかずだが、建物の骨格は完全に修復された。
ガルドは宿の前に立ち、腕を組んで自分の仕事を眺めた。
「……ふむ。まずまずだな」
夕陽が、修復された雲泉楼を照らしていた。
まだ道のりは長い。だが、確実に前に進んでいる。
ガルドは再び袖をまくり上げた。
「次は浴場だな」
元副官の、第二の人生は、まだ始まったばかりだった。




