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第八話 足元

ひよりが目を覚ますと、そこは病院だった。

戦闘中に倒れてしまったことを思い出したひよりは、それを酷く悔やむが──

 目を開くと、見知らぬ天井が広がっていた。

 白い、天井。よく分からない、グレーの線のようなものが入っているそれは、知らないけれどもどこかで見た事のあるものだった。

 ひとまず身体を起こそうと思ったが、酷く気だるい。

「うぅ……」

 まだ、眠っていたい。小さくうなってからもう一度目を閉じようとした時、ふいに。こぼれんばかりに見開かれた琥珀色の目と、かちあった。

「……おねー、ちゃん……?」

 あれ、あかりだ。声が、ひどく震えている。

 どうしたの、と聞こうとしたのに、実際に口から出たのは「がっ……」だった。

「ま、待ってておねーちゃん! すぐ……えっと、そうだ、先生! 先生呼んでくる! おとーさん! おかーさん! 先生! 先生呼んで! おねーちゃんが起きた!」

 ばたばたと足音が遠ざかっていく。

 まったく、いくつになっても子どもっぽさが抜けないんだから。と思いながら。ひよりは、今ひとつ状況が呑み込めずにいた。

 まず、ここはどこなんだろう。

 視線をうろつかせると、まず、自分に掛けられている布団が真っ白な事に気が付いた。更に見ていくと、カーテンまでもが真っ白だ。唯一白くなかったのは、棚らしきものだ。それだけは茶色だった。

 棚らしきものの中段にはテレビが置かれていて……。

 ……あれ。これ、どこかで見たような。

「……ぁ゛」

 そうだ、病院だ。

 大体どこの病院にでも置かれている、あれだ。

 今度こそ体を起こそうと力を入れると、視界の端で何かが揺れた。

 管だ。

 それは点滴のバッグに繋がっていて、今も一滴ずつぽたぽたと垂れる液体を運んでいる。

 どこに。

 はっとして布団をめくってみると、患者衣を着せられた自分の腕に針が刺さっているのをひよりは見た。

 なるほど、どうやらここが病院で間違いないらしいことは分かった。だけど、何で病院に。

 その思考は、両親とあかりと共にやってきた看護師によって遮られた。

「陽田さん、聞こえますか?」

 高く、やさしく、やわらかく、おだやかで。耳当たりの良い声に導かれるように、言葉が漏れる。

「……ぁ、はい……」

「お名前、言えますか?」

「陽田、ひよりです……」

「ここ、どこだと思いますか?」

「……病院、ですよね」

「はい、そうですよ。すぐ先生来ますからね、安心してくださいね」

 優しく微笑みかけた看護師が、ベッドから少し離れた位置に立つ家族にも笑いかける。

「今、意識は戻りました。すぐに先生が来ますから、落ち着いてお待ちくださいね」

「あぁ、ひより……良かった……!」

 ひよりの位置からは顔が見えないが、それでも母が泣いているというのは十二分に分かった。

 よく分からないけど、心配、かけちゃったな。

 ぽたりと垂れたそれは、胸の中に波紋を描いて広がっていく。

 水の中に一滴、墨汁でも垂らしたかのように。

 その後にやってきた医師からもいくつか質問を受けた後。個室の病室には、ひよりと家族だけになった。

「ひより、辛かったらすぐに言うんだぞ。ナースコールも遠慮せずに押しなさい、ひよりはすぐに我慢しちゃうからな」

 椅子に座るあかりと母の後ろから、父が言う。

 うなずきながら、ひよりの気持ちはまた一段沈んでいった。

 そっか、家族だけじゃなく、お医者さんや看護師さんにも迷惑かかっただろうし、退院するまではかけることになっちゃうよね。……情けない、なぁ。

 レオなら、こうはならなかったんだろうなぁ。

「……ひより、今あんたなんて言ったの」

「えっ」

「なんであんたは、こんな時までっ……!」

「えっ、な、何……」

 混乱するひよりの前で、家族全員の顔が悲しげに歪んでいく。母に至ってはとうとう泣き出してしまった。

「お、お母さん……?」

「おねーちゃん、なんでいつもレオならこうするとか、レオならこうしたって言うの……?」

「あかり……?」

 もしかして、口から出ていたのか。と、ひよりはこの時になってようやく気付いた。

 けれど、気付いたところで、もう、遅かった。

「おねーちゃんが前のレオ……とわのさんの事大好きなのは知ってるよ! とわのさんみたいになりたいって思ってるのも知ってる! 一番近くで見てきたもん! だけど、だけど……!」

 声が、急速に潤んでいく。

 どうしよう、泣かせてしまった。どうしたら良い。どうしたら、泣き止んでくれる。

「もうこれ以上、とわのさんになろうとしないで……!」

 焦って加熱しきった脳みそに、それは。冷え切った鉄にも似た温度をもって、深々と突き刺さった。

 頭が真っ白になって、二の句をつげなくなってしまったひよりの前で、あかりは涙ながらに訴え続ける。

「このままじゃおねーちゃん、本当に死んじゃうよ……! それに、おねーちゃんがとわのさんになっちゃったら、本当のおねーちゃんはどこに行っちゃうの?! それもおねーちゃんが死んじゃうってことじゃないの?! 嫌だよ……そんなの、嫌だ……!」

 か細く、上擦り、かすれた、ひどく不格好な妹の声が。ひよりの、黒く濁り、焦げ付き、固まった心に次々と刺さっていく。

 けれどもひよりには、自分にあかりを抱きしめる資格さえないような気がして。

「おねーちゃんに何かあったら、あたし、耐えられない……!」

 父に肩を抱かれながら泣く妹を、ただ見ていることしか出来なかった。


 面会時間が終わり、すっかり静かになった病室で。ひよりは一人、ぼんやりと天井を見上げていた。

 家族同席で受けた説明によると、どうやら過労が原因、らしい。

 心当たりはありませんか、と聞かれて、ひよりはただ「あー……」としか言えなかった。心当たりしか、無かったからだ。

 その反応を見た家族は、また悲しそうな顔をしていた。

『おねーちゃんに何かあったら、あたし、耐えられない……!』

 あかりの涙声が、何度も何度も心臓を貫く。

「……何やってるんだろう、わたし」

 ただ、レオに。憧れの人に、少しでも近付きたかっただけのはずなのに。気付いたら、こんなことになっていた。

 自分を傷付けて、追い詰めて。挙句の果てには倒れて。心配も迷惑も沢山かけて。

 こんなのが、自分が憧れの末路か。

「……違う」

 わたしがレオから貰ったのは、もっと美しくて、自分の人生を神々しく照らしてくれる、光り輝く希望だった。

 自分に自信をなくしてうつむいてしまいそうな時に、顔を上げれば必ずそこにあった理想だった。

 こんな、自分も、家族も、仲間も。みんなみんな傷付けてしまうような、凶器じゃなかった。

「わたしはただ……レオみたいに、みんなに希望をって、それだけだったのに……!」

 けれども。ひよりの前に立ちふさがった現実は。妹の、家族の涙だった。

 何が希望だ。何が理想だ。何がレオになるだ。

 レオになろうとすることが、一番レオから遠ざかることじゃないか。

 わたしは、一体何をしていたんだろう。

 ひよりの胸を、深い後悔の糸が締め上げる。きつく、きつく。幾重にも巻き付いて。ずきずきと胸が痛くて、視界が涙の膜でいっぱいに覆われていく。

 表面張力でゆらゆらと揺れていたそれが。ぽろり。落ちていく。

 一滴、二滴、三滴。次から次へととめどなく流れ落ちたそれは、どれもこれも大粒で。ベッドに寝そべったままのひよりの頬を。枕を。ぼろぼろと濡らしていく。

 悔しくて、悲しくて、辛くて、痛くて、仕方がなかった。

「いつからだろう……どこからわたし、間違っちゃったんだろう……!」

 何度自分自身に問いかけてみても、明確な答えは出てこない。それほど前から間違えてしまったという事実が、また涙腺を刺激する。

 それでもひよりは、自分自身に対する問いかけをやめることが出来ずにいた。

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