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第七話 一歩

 MagiA本部前。ひよりは、もう随分と聞きなれてしまった声に呼び止められて足を止めた。

「ひより、おはよう」

「おはようございます、サジタリウス」

 目の前の人物の、ぶどう色の瞳がわざとらしく細められるのを見て、ひよりは慌てて頭を振った。

「じゃなかった、まことさん」

「うん、おはよう」

 満足そうに笑うまことの前で、ひよりはほっと胸を撫で下ろす。

 仲間なんだから、名前で呼んで欲しい。そう言われてから早数日。努力はしているが、長年この顔の人物をサジタリウスと呼んできたひよりはすぐには適応ができず、度々このやり取りを繰り返していた。

「今日は少し、顔色が良さそうだね。きちんと眠れたかい?」

「おかげさまで。うなされてることもかなり減ったみたいです」

 少し前の自分が見たら「なんて悠長な」と怒りそうだな、と内心苦笑を漏らしながら、ひよりはまこととのなんてことのない雑談を楽しみながら自動ドアをくぐる。

 無論、悠長だと思う気持ちが完全に消えたわけではない。心の片隅で、今でも叫んでいる。

 けれど。いちに励まされたあの夜から。ひよりは、少しずつ変わってみようと思い始めていた。

 その一歩が、周囲とのコミュニケーションを取る事、だった。

「あ……」

「……」

 乗り込もうとしたエレベーターから、羊毛のような赤茶色のくせっ毛が現れる。一瞬見開かれた同じ色の瞳が、すぐに力を持ってひよりを睨んだ。

「おはよう、もここ」

 まことがにこやかに声をかけるも、視線はじっとひよりを突き刺したまま。

 あまりの居心地の悪さに身じろいでいると、もここが口を開く。

「おはようなのです、まこと」

 刺々しさを孕んだ挨拶に、場の空気がズンと重くなるのが分かった。

 ――金森もここと獅子帝宮とわのは仲が良かった、という話は、ほんの少しだけまことから聞いていた。

 もここだけではない。他のどの魔法少女とも、とわのは仲が良かった、と。

 胸がずきんと痛む。

 自分が、この人たちから友人であり、仲間であり、リーダーであった人を奪ってしまった。そのせいで、一体どれほど傷付いたのだろう。

 否。今も、傷付き続けている。きっと。[[rb:陽田ひより>わたし]]を、見るだけで。

 それでも。当代の魔法少女レオはひよりで、ひよりはどれをどうしても譲りたくはなくて。だから、この場でひよりに出来ることは、ひとつだけだった。

「お、はよう、ございます、金森さん」

 つっかえつっかえのつたない挨拶を、なんとか口から押し出す。それを聞いたもここは。

「……おはようなのです」

 それだけ返して、さっさと行ってしまった。

「ぁ……」

 思わず漏れた声を聞いて、まことが太くて短い眉尻を下げる。

「ごめんね、本当はいい子なんだけど」

「……知ってます」

 魔法少女ファンとして、見てきたのだ。ほんの一側面の話かもしれないが。それでも、確かに。

 ひよりの硬い表情を見たまことがますます眉尻を下げているのに気付いて、ひよりは慌てて笑顔を作った。

「行きましょう、今日は何を教えてくれるんでしたっけ」

 薄紫の眉がぐっと寄り、それから。紫色の瞳が、静かに閉じられる。

 1秒にも満たないわずかな間姿を隠したそれは、二度、三度と空中を彷徨い。そして。ひよりを見て、細められた。

「今日は魔力を操る練習だよ。今の戦い方だと、すぐにガス欠になってしまうからね」

 ぐっと上げられたまことの口角に合わせるように、ひよりも一層口角に力を込める。

 ぎこちなさは、拭えない。それを情けなく思う夜もある。けれども同時に、一歩を踏み出した、という実感もあった。

 少しずつ、焦らないようにしよう。そうして進んだ先で、少しでも心を開いてもらえたら。……それはきっと、とても嬉しいことだと思う。

 その前に、まずは自分が心を開け、と言われたら、ぐうの音もでないのだけれど。

 それでも、いちに励ましてもらう以前に比べれば、ずっと開けたのではないかと思う。

「もっと魔力を集約して! 散ってるよ!」

「はい!」

 以前のままだったなら、きっと、こうして訓練ブースでまことに教えを乞うこともなかった。

 進んでいる。それはとてもゆっくりとした歩みかもしれないけれど。確実に。

「訓練中に考え事をしない! 集中!」

「はいっ!」

 普段の様子から想像していたよりもずっとスパルタなまことの指導を受けながら、それでもひよりの顔には笑みが浮かんでいた。

「……今日はここまでにしようか、疲れただろう」

 今日は出撃がなかったから、たっぷり数時間練習して。まことはひよりに微笑んだ。

「いえ、もう少しだけお願いします!」

「やる気があるのはいい事だけれど、無理は禁物だよ。特にひよりは自分のキャパシティを多めに見積もるクセがついてしまっているんだから」

「でも、このくらいなら大丈夫です! お願いします、まことさん!」

 まことの顎に手が添えられ、数秒、考え込む。

 それから、ひよりの顔を見やって、ふう、とため息をついた。

「……仕方がないな、もう少しだけだよ」

「はいっ!」

 そうして、追加で三十分の練習を終えて、まことと別れた後。ひよりの姿は、再びブースにあった。

「……もう少しだけなら、問題ない、よね」

 あと少しが、十分になり、二十分になり。一時間になった頃。

「えっ、もうこんな時間……!」

 慌てて荷物を片手にブースを飛び出す。長居をしていたと知れれば、まことに怒られてしまう。本気で怒られたことは無いが、ああいうタイプは怒らせたら怖いと相場が決まっている。

 どうかバレませんように。

 そう祈りながらエレベーターホールでボタンを押す。

 本当は、良くない事だとは分かっていた。

 ただでさえオーバーワーク癖のついてしまった、疲れ切ったこの体。一時期はひどく不安定な姿を見せてしまったせいで、まことにひどく心配をかけてしまったのだろうことは想像できる。

 だから、止められている。

 頭では理解している。だけど、心の方がどうしても追いつかないままでいた。

 役に立たないと。戦わないと。強くならないと。

 もっと、もっと、もっと。

 焦りが、脳を支配する。

「やっぱり、もうちょっとだけ……」

 まことの指示を無視してきびすを返し、シミュレーションの中の敵と対峙する。

 そんな生活がすっかり日常になった頃だった。

「――出動要請だ」

 訓練を見てもらっている最中に鳴り響いたアラート。近場にいる魔法少女は、ちょうどチームブレイズの三人だけ。

「行けるかい、ひより」

「はいっ!」

 勢いよく立ち上がると、一瞬だけ視界がくぁんと揺れる。

 大丈夫、このくらいなら行ける。前の時は、もっと酷い状態でも行ってたんだから。

 心の中で自分に言い聞かせて、ひよりはまことと共に駆けだした。

 万が一にもオーバーワーク由来の不調がある、なんてバレてしまえば、怒られることは必至だったから。

 現場で暴れていたのは、通常サイズの人型のオドロが五体程度だった。

「いつも通り、アリエスをレオと僕でサポートする形で行こう」

「了解なのです、すぐに終わらせてやるですよ」

「了解です!」

 訓練の通りに魔力を収束し、武器を形作っていく。

「うまくなったじゃないか、レオ」

「っありがとうございます!」

 サジタリウスがすれ違いざまに微笑んで、建物の屋根を陣取りに跳んでいく。

 自分も早くいいポジションを探そう。サジタリウスとは反対側のほうがアリエスを多角的にサポートできるかもしれない。そうなると……。

「わたしが行くべきは、アリエスの背中側……!」

 ここからなら、ダイヤモンド・レインを放ってもアリエスを巻き込むこともないはずだ。

 サジタリウスはきっと、そこまで考えて位置取りを決めたのだろう。

「敵わないなぁ……!」

 流石は歴戦の魔法少女。あの背中に追いつけるように頑張ろう。

 そう思いながら位置について、魔力を集約していく。

 複数本の矢、その一本一本の先端まで漲らせるイメージで。

「イメージは出来るだけ具体的に……!」

 現実とイメージがぴったりハマる瞬間。それが。

「打ち時……! 【ダイヤモンド・レイン】!」

「良いイメージだ、レオ! 【サンダーボルト】!」

 レオの矢の雨に合わせて、無数の雷撃がオドロたちに襲い掛かる。多くのオドロがダメージを受けて動きが遅くなる中、まだ無事に動き回り、自分に攻撃してこようとするオドロに対して。

「【フレイムピアース】!」

 真紅の槍が、その身を貫いた。

「今だ、畳みかけよう!」

 アリエスが槍を持ち直し、サジタリウスが矢をつがえる。その中で。

「――レオ!!」

 レオの体が、ぐらりと傾いた。

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