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第六話 兆し

「用っていうか、もう一度しゃべってみたいなと思っただけだよ」

「……もう一度?」

「やっぱり覚えてないんだ。わたしたち、会ったことあるよ」

「えっ?」

 ひよりの目が、驚きに見開かれた。こんなに印象的な子、会ったら絶対に忘れないだろうに。一体どこで。

 その答えは、すぐにいちの口から与えられた。

「初めてあなたが、MagiAに来た日に」

 必死に記憶を辿る。

 どうしよう、全然覚えてない。あの日は、本当にたくさんの人と出会ったから。それに、その直後にはレオの事もあったから、そのせいで記憶から飛んで――。

「――あ」

「思い出してくれた?」

「司令室から出た時、会った……?」

「そうだよ。良かった、思い出してくれて」

 だが、それだけだ。一言二言挨拶を交わしただけ。それだけ、だったはずだ。自分たちの関係は。

 現に今日こうして会うまで思い出しもしなかった。それなのに、どうして。

「……どうして、もう一度喋りたいと思ったの?」

「ひよりを知りたいと思ったから」

「わたしを……?」

「あのとわのが助けたのはどんな子だったのかな、って」

「っ……」

 脳裏に瞬いたのは、ぼろぼろの体で自分の頬に触れたとわのの、あの笑顔だった。申し訳なさと、諦めと、悟りと。それからほんの少しの喜びを混ぜたあの顔が、あまりにも鮮明に蘇って。

 息が、詰まる。

「ひより」

 ひゅ、と喉が鳴る。

 これが狙いだったのか。きっと彼女もまた、レオのファンだったのだろう。だから、こうやって遠まわしに、友好的な振りをして、こっそり刃を向けてきたんだ。

 次はなんだ、何を言われる?

 ぐっと拳を握りしめたひよりを、がらんどうの[[rb:洞穴>ほらあな]]みたいな目が見つめる。

 薄い唇が、動いた。 

「ひよりは、何が好き?」

「……え?」

「好きな食べ物、飲み物、場所、映画。なんでもいいの」

 予想外の質問に一瞬ぽかんとした顔が、すぐにまたキッと険しくなる。今のひよりには、どうせ嫌がらせに使うつもりだろうとしか思えなくなっていた。

「そんな顔しないで。言ったでしょ、知りたいの。とわのが助けて、その意志を繋ごうとたった一人で必死なあなたのこと」

 ひよりの肩が跳ねる。

 それはまるで、レオの継承者であるひよりではなくて、ひより自身を見たいと言っているように聞こえたからだ。

「……あなた、何者なの」

 こぼれたのは、自分なんかに取り入ってどうしようというのか、という、煮詰められた黒い感情だった。

 けれども、いちには全く違うように聞こえたらしい。

「ああ、人の事を聞く前に自分からってこと? うん、いいよ。」

 違う、と咄嗟に口にしかけたひよりよりも先に、いちのくちびるが言葉をつむぐ。

「わたしは毒嶌いち。秘蔵っ子の魔法少女、オヒューカスだよ」

「おひゅ……?」

 それは、耳馴染みのない言葉だった。どこかで聞いた単語のような気もするけれど、と思い出そうとするひよりの前で、いちがこくりと頷いた。

「蛇使い座の魔法少女ってこと」

「蛇使い座の魔法少女?!」

 思い出した、オヒューカスは英語で蛇遣い座を指す言葉だ。だけど。蛇遣い座は十三星座の方だ。

 魔法少女は十二星座の名を冠する十二人の少女たちのことだ。魔法少女ファン歴に自信のあるひよりには、自分が聞いたこともない魔法少女の存在も、実は十二星座ではなくて十三星座の名を冠しているなんて話も、到底信じられるものではなかった。

 それに、だ。彼女は最初に自分がMagiAでの自己紹介をした場には呼ばれていなかった。本当に魔法少女なら、既に内部の人間になった自分の前に姿を現してもいいはずだ。なのに、どうして。

「信じられない?」

「あ、いや……」

 とっさの否定に、いちはまた頷いた。

「そうだよね。だって、いちの存在はトップシークレットだから」

「トップシークレット……?」

「わたしはね、何もできない魔法少女なの」

「……どういうこと?」

 真意を測りかねるひよりに、いちは微笑んだ。

「言葉の通り。私は武器も出せないし、技も使えない。変身だけが出来る魔法少女なの」

「変身だけが出来る魔法少女……?」

「見せてあげる。特別だよ」

 そう言うと、いちはおもむろに手をポケットに突っ込んだ。

「……それは」

 魔法少女は、シルバーのパッケージのリップを持っている。もここも、いおなも、とわのもあまねもみかも、まことも。どんな歴代魔法少女もそうだった。

 だけど。

「これ? うん。みんなのと違うんだよね」

 いちが手に持っているのは、ツヤもない、いっそ禍々しささえ感じさせるような、真っ黒なパッケージのリップだった。

 キャップが外されても、その黒さは変わらない。

 光が少ない場所だからだろうか。リップとパッケージの境目さえわからなくなるほどの、たじろぐような純黒。

「『変身』」

 それが、いちの唇を、なぞった。

「っ……!」

 途端にぶわりと広がる、闇と錯覚するような黒。それがいちの白くて細い肢体にまとわりつき、からみつき、形を成していく。

 腕のものはロンググローブに。足のものはパンプスに。頭のものはティアラに。体にまとわりついたものは、漆黒のウェディングドレスのように。

 どんな魔法少女のそれとも違う。黒で埋め尽くされた、いっそ恐ろしいほどに美しいその姿に、ひよりは。

「これが魔法少女オヒューカスの姿。他のみんなと違って動きにくそうでしょ。ちゃんと動きにくいよ」

 重いんだよね、とくるくると回ってみせるいちの前で、完全に圧倒されてしまっていた。

「……いちちゃんは、どうして変身できることに気が付いたの?」

 絞り出した疑問で間を繋ぐ。

 心臓が嫌な意味でドキドキして、息が詰まる。

 ただ変身しただけ。ただそこに立っているだけ。敵意は全く感じない。それなのに、空気をビリビリと震わせるほどの威圧感が消えない。

「覚えてない。気付いた時にはリップを持ってたし……」

「……そう、なんだ」

 ぷつりと会話が途切れて、頭がどうしようしか考えられなくなる。

 巨大オドロを前にした時と同じくらい、あるいはそれ以上の恐怖。

 けれど。その隙間に、確かに魔法少女ファンとしての好奇心が息づいていることを、自覚してもいた。 

「でもよかった」

 いちの声にはっとすると、彼女はもう変身を解いていた。

「良かった? 何が?」

 慌てて返事をすると、いちが笑う。

「ひより、少し元気になったみたいだから」

「えっ?」

「だって、もう泣いてない」

「あ……え?」

 泣いていないのは色々警戒したり驚いたりしたせい、なのだが。それはさておいて。

「そ、そのために……?」

 そのためだけに、変身まで。

「うん。わたし、魔法少女のみんなには笑っていて欲しいの。そのためなら、おとうさんに約束を破って怒られても構わないよ」

「約束?」

「ナイショなの、わたしが魔法少女なこと。まだ、ひよりにはナイショにしておく約束だったの」

「……えっ?!」

 それは、結構重大な約束を破ってしまったのでは。

 とんでもないことの共犯になってしまったのではと冷や汗をかくひよりの前で、いちが何でもないことのように続ける。

「いつもそうなの。その魔法少女が、何年も魔法少女を続けられる人材だって判断されない限り、十三人目の魔法少女の存在は言っちゃいけないの。なんでかはわからないけど」

「じゃ、じゃあ、本当にまずかったんじゃ……!」

「うん。でも、ひよりは魔法少女が好きだって聞いたから。新しい魔法少女の存在を知ったらわくわくしてくれるかなって」

 ひよりの顔に、鮮明に驚きの色が浮かんで、それから。

「……いちちゃん」

 しばらくぶりに、ほころんだ。


「……、良かった」

 それを遠くからこっそり見ている人物がいた。先ほどひよりに話を盗み聞きされていたまことだった。

 そうとは知らないまことだが、突然感じた強い魔力に慌てて駆けつけ、同じように魔力を感知して駆けつけていちを取り押さえようとしていた魔法少女やMagiA職員を止めていたのだ。

「流石にこれだけ人が集まってしまうと、お咎めなしとはいかないだろうけど……でも、少しでも軽くできるように尽力させてもらうよ。ありがとう、あまね」

「私は何も……全部あの子の意思だし……それに」

 隣に立つあまねが、遠くで楽しげな妹を見る。

「いちが父との約束を破ってまでやりたいことを見つけさせてくれたのは、貴方のチームのひよりよ。お礼を言うのは私の方」

「それこそ、僕は何も」

 まことが見つめる先で、ひよりが笑っている。

 初めて見る、ずっと望んだ表情。

 きっとこれからどんどん良くなっていくという確信が、まことの中に芽生えた。

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