第五話 余波
「――困ったなぁ……」
MagiA本部、訓練スペースの近くにある休憩所。テーブル二つに椅子四脚が置かれたその場所に設置されている自販機の前で、お金を入れたまことは、ボタンを押すでもなくはぁ、とため息をついた。
チームブレイズは、もはや同じチームに所属しているだけの他人と化していた。
ひよりは相変わらず虚ろな瞳で神格化したとわのの幻影を追いかけ続けているし、もここはひよりを気遣うどころではないし。
「せめて総隊長の任を解いてあげられるといいんだけど……」
口にして、思う。総隊長から解放したくらいで好転するほど事態は単純ではない、と。むしろ、忙しいことがもここの救いになっている面もあるのかもしれない、と。
とはいえ、就任直後から直面している問題が多すぎる。あれでは、いつ救いが災いに転じるか……。
「……はぁ」
「悩んでるねぇ」
「うわ」
ピッ、と。後ろから伸びた腕が、点きっぱなしだったボタンを押した。
ガコン、と落ちた品物を取り出すためにその人物がしゃがむ。深海色の髪が、視界に入った。
「みかさん!」
「お疲れ、まこっちゃん。はい、あげる」
「いやそれ僕のお金……」
「細かいことは気にしない気にしない、皺できちゃうよ」
ほれ。と立ち上がりながら差し出されたのは、まことがいつも好んで飲んでいるジンジャーエールの缶だった。
「……ありがとう、ございます……?」
「他人行儀だなぁ、昔みたいにお姉ちゃん♡♡ って呼んでくれても良いんだよ?」
「何年前の話をしているんですか……!」
もう、と言いながら、まことがプシッ、とプルタブを引き上げる。
「大変だったね、まこっちゃん」
スマートフォンを自販機にかざしながら彼女が呟いて、まことは傾けようと唇に当てていた缶をそっと離した。
「とわのちゃんのこと、聞いたよ。今のブレイズのことも」
「あ……」
「あたしはもう最前線は退いた身だけどさ。だからこそ話せることもあるんじゃない?」
ガコン、と取り出し口に飲み物が落ちた。
「お姉さんに、ちょっと話してごらんなさいよ」
ブラックコーヒー片手に、深い青色のボブを揺らしていたずらっぽく笑うその姿は、彼女が魔法少女スコルピオだった頃と何も変わっていなくて。
ああ、この人にとっての自分は、現役魔法少女最年長のサジタリウスではなくて、最年少魔法少女サジタリウスだったころの矢野まことのままなんだと。
張り詰めていた糸が否応なしに緩んで、胸からじわりと熱が込み上げてくる。
「……参ったな。僕、結構強くなったつもりだったんですけど」
「お姉さんにとってはまだまだ子どもって事よ」
楽しげに笑うみかの前で、缶を見つめる紫の瞳が、揺れた。
「……僕は、どうしたら良いのかなぁ、って。考えてました」
「うん」
みかがおもむろに椅子に腰かけたのにならい、まことも同じテーブルの椅子に座る。
「ブレイズはチームとしての機能を果たしていません。もちろん、最善は尽くしているつもりですが……うまく、行かなくて」
「うん」
「ひよりは……どうしたらいいか、本当に分からなくて。せめてもここはって思ったのに、うまく出来なくて、感情的になってしまって。……泣かせて、しまいました」
思い出すのは、昨日の泣きじゃくっているもここの姿だ。
必死にこらえていたもここの、ギリギリ張り詰めていた糸を切ったのは、自分だ。
情けない。どうしてもっとうまく出来なかったんだ。そんな気持ちが、膝の上で握りこぶしを作らせる。
「ダメですね。支えるべき立場なのに」
言葉が、床を転がった。
ころころころころ転がったその先で、拾い上げたのはみかだった。
「まこっちゃん。一人じゃないよ」
「……え」
「みんながいるよ、まこっちゃん。あたしもそうだし、もここちゃんも、ひよりちゃんも。他のみんなだって、いるんだよ」
「……みかさん」
「一人で全部何とかしようとしなくていいんだよ。ブレイズの中で解決できないなら、他のチームの子を頼ったっていいの。みんなでやろうよ」
缶コーヒーをテーブルに置いたみかが立ち上がり、まことの前に跪き、握りこぶしを両手で包む。さっきまで缶コーヒーを握っていた手は、あたたかかった。
「大丈夫。一人じゃないよ」
まことの目から、涙が零れ落ちた。
そんな二人の会話を、影で聞いている者がいた。
彼女は何も言わず、何も買わず、ただホワイトベージュの髪を翻して、元来た道を辿っていった。
「みんな、か」
みんなって、誰だろう。ひとり廊下を歩きながら、ひよりは考える。
家族だろうか。同じブレイズの二人だろうか。他の魔法少女たちだろうか。
浮かぶ顔はいくつかあれど、その誰もを頼ってはいけない気がする。
「レオなら、どうしてたかな」
具体的なことはわからないけれど、きっともっとうまくやっていたはずだ。うまく周りを頼って、完璧に問題を解決して見せたはずだ。だって、レオはレオなのだから。
だけど、わたしにはうまく出来ない。わたしは、レオになれない。レオたり得ない。
「……レオ、譲ったら良かったのかな」
お前じゃない、お前じゃない。電子の世界に溢れかえる匿名の声たちを思い出して、思わず足が止まる。
「……違う」
お前は相応しくない。そんなの、わたしが一番分かってる。
「うるさい」
先代だったらって。わたしが一番思ってる。
「うるさい、うるさいうるさい……!」
魔法少女が交代するたびに毎回出る意見だ。いちいち気にしていたら身が持たないのはわかっている。それでも気になって仕方がないのは、きっと。
誰よりも、自分こそが。自分自身に対してその言葉を浴びせかけているからだ。
「……大丈夫、大丈夫……」
いつの間にか浅くなっていた呼吸を、意識して無理矢理深くする。
「大丈夫、わたしはやれる……大丈夫、大丈夫……」
自分自身に必死に言い聞かせる。もっと美しくなれば。もっと強くなれば。もっと、レオに近付ければ。このまま努力をしていたら、きっと大丈夫だと。
けれど、何度も何度も繰り返した大丈夫は。擦り切れて擦り切れて、まるで呪いの言葉のようで。
口にする度に、変えようのない、目を背けたい現実が、その姿を浮き彫りにさせていく。
レオならきっと、こんな風に自分を鼓舞する必要だってなかった。レオなら、もっと自信に満ち溢れていないと。もっともっと、レオに近付かないと。
引きずるように、足を一歩、また一歩前に進める。
レオになるには、まず強くならないと。強くなるには訓練を重ねるしかない。早くブースに入らなければ。
ずる、ずる、と進む足取りは、まるで枷をつけられた罪人のようだ。
あれだけ憧れていたのに。あれだけ譲りたくないと思っていたのに。
やめたい。
立ち止まってしまいたい。
全部諦めたい。
レオになんか、なれない。
それでも、やらなきゃ。
知らず、涙が床に痕跡を残していく。
「……ひより?」
聞こえたのは、あまり聞きなじみのない声だった。
ひよりの振り向いた先。薄暗い一本の廊下。
黒い髪、黒い瞳、白い肌の少女が、そこに立っていた。
「あなたは……」
「いちだよ。毒島いち」
「毒島……スコルピオの関係者?」
「うん、妹」
「スコルピオの妹が、なんで」
「スコルピオの妹じゃないよ」
「えっ」
「わたしの名前」
少女が小首をかしげると、さらりと黒い絹糸のような髪が動いた。
真っ黒な目が、三日月に細められる。
「いちって呼んで。ね」
口角を上げて、彼女は口を閉じた。
夜という時間か。それとも、彼女自身の持つ、独特の空気感か。妙な緊張が走る。
「……じゃあ、いち……ちゃん」
「ん?」
「わたしに、何の用……?」
ひよりの疑問に、いちは笑みを深めた。




