悪夢だったら。
希望に満ちた春が来た。
寒々しい季節を乗り越え、多くの花が綺麗に咲き始める。
これまでの寂しい景色が嘘のように、世界は色鮮やかで美しい。
幸せの花が咲く。
二十五年の歳月を経て、ようやく咲いた一輪の花。
名前の由来でもある三月に、私・弥生は結婚する。
新しい家族と、幸せな家庭を築いていくのだ。
弥生は夫婦仲が悪い家庭に生まれ、喧嘩する姿を見て育った。
父母共に、私には優しくしてくれたが、みんなで仲良く過ごした時間は皆無に等しい。
一人っ子だった私は、両親が生み出す不満のエネルギーを、全て受け止めなければならなかった。
これ以上、家族が壊れないように、神経をすり減らしながら、その場の最適解を探し続ける。どちらかが悪者にならないように気を配りながら上手く立ち回って、外では仲睦まじい家族を演じて過ごした。
経済的には安定した生活を送れたが、精神的には不安定な日々。それが、私の学生時代。
社会人になってからは、一人暮らしを始めた。
あの環境から逃れられる開放感と、新生活への期待が私の心を癒してくれた。
今まで出来なかった事に挑戦したり、一人の時間を楽しんだり。
最初のうちは、毎日が楽しかった。
でも長くは続かない。
慣れてしまったのだ。
良くも悪くも刺激が無い毎日に、何も問題が起こらない安定した生活に、心は物足りなさを感じてしまう。
でも、後になって気づいた。
あの生活が恋しくなった訳じゃない。
単に寂しくなったのだと。
友人関係はそれなりに築けていたが、異性との交流は全くなかった。
今思えば、誰かに恋をする時間すらなかったのだろう。
毎日、上手く生きることに必死で、新しい幸せを探しにいく余力なんて無かった。
でも今は違う。
社会人になって、一人暮らしを始めた。
私を縛る環境なんてどこにも存在しない。
今なら遠慮することなく、恋愛を楽しむことも出来るはずだ。
とはいえ、まともに恋愛をしないまま大人になった私には、基礎が出来ていない。
恋愛において基礎を求めてしまう時点でおかしな話なのかもしれないが、真面目で臆病な私はその選択を最初にしてしまう。
何も知らない私は、SNSを駆使して恋愛について学び続けた。
どれが正解なのかは分からなくても、選択肢が増えていれば、未来の自分を救うことになる。
恋愛小説や話題のドラマを積極的に見るようにして、ときめきの感覚を養った。
周りの男性に興味の目を向けるようにして、自分の身なりにも気を遣うようになった。
少しずつ変化を続けた結果、弥生は初めての恋に辿り着く。
相手は、友人の紹介で知り合った年下の男性。
最初は弱々しくて頼りない印象が強かったが、交流を深めるうちに、穏やかで優しい人なのだと気づく。
年下ということもあり、可愛く見えてからは全てを受け入れられるようになった。
母性が働いてしまい、いつからか彼を愛するようになっていった。
そして、交際を初めて一年。
彼からプロポーズされた。
結婚を考えるには少し早い気もしたが、それ以上に彼と過ごす日々を手放したくは無かった。
それに、年齢的にも決断の頃合いだったと思う。
弥生は迷うことなく、結婚の道を選んだ。
そして、希望に満ちた春を迎えた。
これまで暮らしたアパートを出て、四月から新居で彼と暮らし始める。
婚姻届も同じ頃に、次の街で提出するつもりだ。
人生三回目の引越しを前に、弥生は部屋の片付けを進める。
そんなある日、自宅のインターフォンが鳴った。
「はーい」
ダンボールが並ぶ部屋に明るい声を響かせて、弥生は玄関へと向かう。
そして、ドアを開けた。
玄関前に立っていたのは、運送業者の人ではなかった。
友人や職場の人でもなく、全く知らない男性。
マスクと帽子で顔はよく分からないが、服装や立ち姿は綺麗で、好印象を与えてくれる。
「突然すみません。隣に引っ越してきた者です。今どき、こういった挨拶はしない方がいいかと思ったんですけど、母に強く言われてまして……」
どこか申し訳なさそうに話す男性に、弥生も表情を緩める。
「大丈夫ですよ。あ、でもごめんなさい。せっかくご挨拶頂いたんですけど、私そろそろ引っ越すんですよ。なので、あと一ヶ月くらいしかお隣さんで居られないんですけど」
「そうなんですね。でも、これも何かの縁なので、こちらだけお渡しさせてください」
男性が手渡してきたのは、紙袋に入った小さめの箱だった。
「タオルセットです。日用品の方が良いと教わりまして。必要なければ捨ててください」
「いえ、新居での生活も始まるので助かります。ご丁寧にありがとうございます」
弥生が頭を下げると、男性も一礼した。
「ご挨拶に来ただけですので僕はこれで。急にお呼びだてしてすみませんでした。では、失礼します」
男性が隣の部屋へと戻っていくのを見て、弥生も玄関の戸を閉める。
そして、貰ったタオルセットの箱をダンボールにしまい、紙袋を畳んだ。
もうすぐ彼氏が帰ってくる時間。
少しでも片付けを進めておこう。
弥生は、中断していた作業を再開した。
桜が咲き始め、春色の世界が輝きを増す。
別の町へと引っ越し、無事に婚姻届を提出した弥生は、新居のマンションで荷物を整理する日々を過ごしていた。
彼氏、改め夫は予め転職を済ませていたが、弥生はこれから仕事を見つける予定だ。
自宅近くで募集しているパートの中から、続けられそうな仕事を選ぶつもりでいる。
新生活を始める拠点に選んだのは、故郷から離れた中規模都市。
三月まで住んでいた町からも距離があり、全て0から始められる場所にした。
これまでの交友関係に縛られず、親のことや故郷での記憶を思い出さなくていい環境に身を置きたかったのだ。
ここなら、本当の意味で新しい人生を送ることが出来るだろう。
そして、明日は夫の誕生日だ。
サプライズで祝うために、ネットでプレゼントを購入しておいた。
もうすぐ届く時間だろう。
新居のレイアウトを進めていると、指定した時刻よりも早くインターフォンが鳴った。
「はーい」
呑気な声を響かせ、弥生は玄関へと向かう。
無事に届いた荷物を受け取るためにドアを開けると、玄関前には誰も居なかった。
「あれ……?」
当たりを見渡すと、隣の部屋の玄関前に荷物が置かれていた。
家を出て置かれた荷物の宛名を見てみると、知らない名前が書かれている。
配達員のミスを疑ったが、弥生が間違って隣の家のインターフォンに反応してしまっただけのようだ。恥ずかしい。
荷物が届くのを楽しみにし過ぎて、早とちりしすぎた。
自分の失態を笑いながら、自宅へと戻る。
家の中に入ると、知らない靴が置かれていた。
一瞬、間違って別の部屋に入ったかと思い、弥生は慌てて部屋の番号を確認する。
間違っていなかった。
ここは紛れもなく、弥生の新居だ。
固唾を飲み、弥生は知らない靴が置かれた自宅へと戻る。
警戒しながら進んでいくと、
リビングのテーブルの上に一枚の紙が置かれていた。
手に取って見ると、あるSNSの投稿をスクショした画像が貼られていた。
その投稿に目を向ける。
﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋
○○弥生は、四月から
□□県△△△市××四丁目 メイナトア666 !号室 に引っ越しました。
詳しくは下記のリンクから
https://misyuka.fanbox.cc/posts/8595473
﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋
「……なにこれ」
SNSに公開されているその投稿には、百を超える いいね が押されていた。
「嘘……え……嘘」
スマホを手に取り、弥生は画像のアカウントを調べてみる。
その投稿は、更に拡散されていた。
自分の個人情報が拡散されてしまっている事実に驚きを隠せず、弥生は動揺してしまう。
「……えっ、なんで……」
でも、一番怖かったのは。
その投稿をしたアカウントのアイコンが『新居で立ち尽くす今の弥生の後ろ姿の写真』になっていたことだ。
恐る恐る後ろを振り向こうとした時。
突然、背後から誰かに抱きしめられた。
「タオルセット。ご使用頂けましたか?」
悲鳴すら出てこなかった。
声を失ってしまい、恐怖に震えることしか出来ない。
「ただのお隣さんじゃないんです。あなたとは他人じゃありません」
弥生の耳元で、男は囁くように話す。
「僕はずっと家族を探していたんです。本当の父さんと母さんはすぐに見つけられたのに、肝心のお姉ちゃんが見つけられなかった」
何を言っているのか分からなかった。
混乱する弥生を男は力強く抱きしめる。
「でも、ようやく見つけた。会いたかったよ、お姉ちゃん」
「……え」
「同じ母さんから生まれたんだから、育った環境は違くても姉弟でしょ?」
「ち、ちがっ」
「違くねぇよ」
鋭利な声が心を切り裂く。
「知らねーの? お前の両親が喧嘩してた理由。あれ、母さんの浮気が原因なんだぞ」
さっきまでの爽やかな声とは一転、男は冷たい口調で話を続ける。
「堅物な昭和男児の父、浮気性で男の見る目がない母。それがお前の両親。んで、その見る目がない母親を誑かして俺を産ませた男が俺の父さん。お前は俺の異父姉弟。分かったか?」
心は何も受け入れてくれない。
男の話も、今の状況も。
「ずっと寂しかったんだろ? なぁ? 俺も寂しかったよ。環境は違えど境遇は同じだ。だから、俺はどこにいるかも分からないお姉ちゃんを探し続けた。好青年を演じて、お前だけを探し続けてきた。なのにお前は俺の事すら知らず、呑気に男と結婚かよ。ふざけじゃねぇ!」
怒号を浴びせたあと、男は狂ったように笑い始める。
そして、冷えきった声で囁く。
「お前に待ってんのは、旦那との幸せな未来じゃねぇ。ずっと放置してきた弟の世話だ」
「……嫌です」
「この状況で断んのか?」
「嫌だ。だって、私はようやく幸せに……」
「俺が代わりに幸せにしてやるよ」
「嫌だ、私はそんなの、望んで……」
「拒否権はねぇよ。黙って従え」
「で、でも私は結婚して、これから……」
「あっそ」
男は弥生から離れると、誰かに電話をかけ始めた。
この隙に逃げればいいのに、足がすくんで動けない。
「悪いな仕事中」
通話が始まると、男はスピーカーモードにして音声を弥生に聞かせる。
『そっちは上手くいったか?』
「駄々こねて苦労してるところだ。だから、お前が現実を教えてやれ」
『嫌な役回りをさせるなよ……これでも一年は一緒に暮らしてきたんだぞ』
やめて。
お願い、やめて。
それ以上は聞きたくない。
『弥生。結婚生活を夢見る日々は、楽しかったか? 俺もお前の人生を狂わせる準備を進める日々は最高に楽しかった』
ねぇ、嘘でしょ。
悪夢なら覚めてよ。
私、これ以上は耐えきれないって。
『もう分かるよな? 結婚する未来なんてどこにもない。だって俺は、俗に言う結婚詐欺師だから』
夫の声が遠のいていく。
夫だと思っていたのは、彼氏だと思っていたのは、私だけ――
新婚生活を夢見て、幸せな未来に進めると信じていたのは私だけだったのだ。
男は電話を切ると、弥生のことを再び抱きしめる。
「弥生。愛してる」
両親にも、彼氏にも言われたことがない。
その一言が、傷ついた心に重く響き渡る。
溢れ出した涙が、新居の床を叩く。
幸せな未来を見失い、弥生は絶望の淵に立たされた。
枯れ果てた花畑に、涙の雨が降り注ぐ。
どんなに水を与えても、幸せの花が咲くことは無い。
もう弥生に春は訪れないから。
弥生を苦しめる悪夢は、現実に姿を変えていく――
《 読者の皆様へ 》
お楽しみ頂けましたか?
美珠夏/misyuka 初のバットエンド作品。
『悪夢だったら。』
とある企画の際に、お題を貰って書いた短編小説なんです。
バットエンド作品は書くどころか、読んだ経験も無かったので、書くのに戸惑いました。
少しでも、作品として形になっていたら嬉しいです!
今回は怖い物語でしたが、美珠夏/misyukaは綺麗な景色と優しい物語をメインに描いています*॰ॱ✍
是非、他の作品も読んでみてくださいね(*´꒳`*)
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美珠夏/misyukaの宮本でした ˙ᵕ˙ )ノ゛