thought
「人はいさ、心も知らず」
そう詠んだ公に、随分と気が抜けてらっしゃるなどと思った私に、私は胸の内で小突くことに留めた。公がこうしてゆるりと目の力を抜くなど。
「……ふるさとは、花ぞむかしの香に」
「詠むな、……続きは詠まなくていい」
梅の季節はとうに終わり、築城からすぐの仙台城には米沢城で爛々と咲いていた紅花の種が植えられた庭がある。ゆるめた目はいつのまにか痛みを湛えて松の木の根本に咲いている紅花を見つめていた。
ここは私が与えられた室の庭ではなく、今は都にあらっしゃる御膳様のための庭だ。お戻りになられない御膳様のため、公が源氏物語になぞらえた四季の花々が植えるよう庭師に託けたと聴いている。
そんな庭の紅花が見頃だからと誘われてきてみれば、公が詠んだのは古今和歌集で。
「愛と、文のやりとりは?」
「たまに。いつもこちらのことを気遣ってくださっています」
「そうか」
咲いた紅花の花弁を指で遊んだまま、公は黙り込んでしまった。
御二方が揃って居る場を私は見たことがない。ただ、お膳様から送られてくる文のそのほとんどが公や私ども親子の心身の健やかさを祈るもので、私の嫁いだ先が公のところで良かったと、輿入れから間もない頃に思ったものだ。
時折、伊達藩で作られる味噌を送るようにしている。お膳様がこちらの味噌が恋しいと里心を珍しくしたためられたことがあり、出過ぎた真似と思いつつお膳様を慕う気持ちが伝わればいいと送ったことが始まりだ。
この紅花もお膳様の里心を慰め、きっとお喜びになるだろう。公は摘みとる前に私に見せてくださったのかと思ったが、花弁を遊ぶばかりで摘み取る気配がない。初夏の風が葉を揺らすばかりだ。
「俺には、言わないからな」
ポツリと溢す公の言葉を聞き返したいが、続きを探すような公の素振りを感じて黙することにする。
「愛は、俺に対して、正室という域をでない。俺よりお前の方がよほど……」
「……お膳様は、公を、伊達藩を気にされております」
「どうだろうな」
「恐れながら、それこそがお膳様の想いだと、私は思いまする。お膳様が室の域にあらっしゃるからこそ、公も動きやすく」
「睦子には何もかもお見通しか」
「そのようなことは……!ただ、お膳様が私めにお送りくださる文の言、ひとつひとつが伊達藩を、ひいては公を想ってらっしゃると思うたまでにございます。それを公がそのようにおっしゃるのはあまりにもお膳様が、報われないと」
「俺のところに、文はこない。いや、報告なら来るがな」
そう言葉を重ねられる公の横顔が好きな玩具を取り上げられた稚児のようで呆れてしまう。
「……拗ねてらっしゃるのですか。公ともあろうお方が」
「どうだろうな」
「お膳様に文は送られているのです?」
「つごもりには必ず」
「清書はされているのですか?」
「……いや」
思わず息を吐いてしまいそうになる。
公は筆まめでいらっしゃるが、思いのままにしたため、そのまま送る癖がある。長年伊達に仕えている家臣の者たちは慣れたものだが、私とて最初は随分戸惑った。輿入れが決まり、互いに文のやりとりに慣れ始めた頃には、美しい字で書かれた文は二尺ほどの長さである。それに対して中身は思うがまま、話題はあちらこちらへと移ろい、どう返事を書けば良いか困ったものだ。
恐らくお膳様にお送りしている文はもっと長く、日々の徒然をお書きになっているだろう。それをお膳様がすべてをお読みになって、返事を書くとなると五尺ほどになるのは想像に難しくない。
「公、歌をひとつと、花を送りましょう」
「今更、後朝の文でも送れと?」
「違いまする。公の文は些か長うございます。生真面目なお膳様ならば、すべてお読みになってから返事を丁寧に書かれるかと。私めの浅慮ではございますが、お膳様のお返事の文の前に公からの文が届くのではないでしょうか?」
「……なるほどな」
指先で弄んでいた紅花をひとつ手折ると公は少し憂いた貌をされる。
「未だ気掛かりでも?」
「いや、やはり俺より睦子の方が愛のことをわかっているようだ」
「……公、それは悋気にございますか」
「そうだな。悋気だ」
「公」
「くくッ、すまない。……しかし、面白くないのは事実だ。睦子は俺より愛と仲が良いだろう?愛も俺より睦子への文を送ってばかりいたからな」
「……女には女しかわからぬ苦界もありますれば。殿方に見せられぬものもありますゆえ、何卒ご容赦を」
「ふむ、やはり睦子は鋭いな」
試されていると、思った。
あの拗ねた横顔も言葉も嘘ではない。嘘ではないが、伊達当主として今一度、手駒の思惑を探っていたのだろう。私とお膳様の距離が近づきすぎることを公は「面白くない」とおっしゃったのだ。私がお膳様を庇い、報われないと口に出した時、公は何を思ったのだろうか。気掛かりを潰すためにあのような貌を、一芝居をされたのか。
築城を終え、人を抱え直した仙台城の基盤を盤石なものとするために私は試されたのだ。
そのことに気付けば、遅れて血の気が引いていく。咄嗟に脚を折り、貌を伏せ公の言葉を待つ。
「今まで通り、愛には味噌でもなんでも送ってやれ。咎める気は最初からないのでな」
「はい」
「それと、悪かったな。怖がらせて」
「いえ、そのようなことは」
「俺に文の助言をしたあたりからお前にその気はないのはわかっていた。だがな、お前たちを利用しようとするものもいる。用心しろ」
「はい」
振ってくる公の声は弓弦のようだった。一瞥の気配に私は反応せず貌を伏せ臣下として時が過ぎるのを待つ。地面の砂を踏み締める足音が聞こえなくなるまで、私は重ねた手を握りしめていた。
頬を撫ぜる夏の風に貌をあげれば、公の姿は見えなくなっていた。
「空蝉の、」
「……いいえ、まだ蝉は鳴いていないわ」
人としてお膳様からの言葉を欲し、人として私を睦子と呼び、駒として私やお膳様を動かす公を空蝉のようだと思ってしまった。どこまでが から かわからない。
この松の木にもいずれたくさんの空蝉がつくのだろう。どの空蝉が鳴いているかなど、どの空蝉の から なのかと、わかるはずもない。
私なぞが知ろうとするものではないのだろう。
室とは公の手駒であり、時に隙にもなりうる。気が抜けているのは私の方であったのだ。
ひとつ息を吐いて思考を振り切る。紅花の匂いを背に、私は真新しい庭を後にした。
1605〜1606年頃の仙台城にて。
本格的に生活基盤を仙台城に移した伊達政宗です。翌年には二人目を出産しますから、於山の方も随分砕けてきたころだと思います。
前回の話しの続きですが、天守閣がない仙台城が完成したのち、徳川家や仙台藩近くの領主への自己プロデュースをする政宗は余裕がなかったのではないかと思っています。身近な者に面と向かって忠告をする行為自体、彼にとって甘えであるという側面もあります。
そして、初めて宮城県に現地に取材に行った際、政宗の書状の綺麗さや花押の繊細さに感銘を受け、どうしても筆まめな政宗を書きたくて今回のお話しのプロットは10年以上前からネタ帳にあったものです。書いてて楽しかったです。