目の中に入れても痛くないくらい可愛い
「そんな風に思って可愛がっていた私の息子なんですが、本当に私の目の中に入ってしまってですね……。ことわざの通り痛みはないんですが、何日も目の中から出てこなくて困っているんです」
とある眼科の診察室。症状を訴える父親に対し、院長はなるほどと頷き、とりあえず目の中を見てみましょうと提案する。院長は父親の顔を固定し、ライトを当てて父親の右目の中を確認してみる。すると確かに目の中には小学生一年生くらいの小さな男の子の姿が見えた。男の子は何もない目の中で横になっていたが、院長の視線に気がつくとハッと顔をあげ、慌てて起き上がり院長からは見えない奥の方へと隠れてしまった。
確かにお子さんが目の中に入ってますね。院長はレーザーをポケットにしまいながら呟いた。
「まず命の危険が差し迫っているというわけではないので、安心してください。ただですね、目の中というのは狭くてジメジメした場所ですから、人が長時間快適に過ごせる場所ではありません。それにお父様の動きに合わせて中が揺れたりするので、転んで怪我をしてしまう危険はあります。ちょっと待ってくださいね。より詳細にお子さんの状態を確認できるような機械を準備しますので」
院長は父親を別室へ移動させ、ベッドに横たわらせる。そして院長は看護師に指示を出し、奥から大掛かりな機械を運び出してくる。眼の手術でよく使用しているのですが、これを使うと、モニタでリアルタイムに目の中を確認できるんです。院長は説明しながら機械の準備を進めていく。準備が終わると、院長は父親の右目を指でこじ開け、カメラ付きのライトで中にいる子供の姿を詳細に観察してみた。
「昨日から何も食べていないからかちょっとげっそりしてますね。それに……なんとまあ、身体中があざだらけじゃないですか! これはあんまりよろしくないですね。お子さんが目に入ってから激しい運動でもしましたか?」
「特に激しい運動はしてないです。いつも通りに仕事をしてたくらいで」
「お子様が目の中にいるので、できればもっと気をつけてもらった方がよかったかもしれないですね。まだ小さいお子様だからいっそう転びやすいのかもしれませんし。とにかく、普段は子供が自分から目の中から出てくることを待つことも多いのですが、これ以上怪我をさせてあざを増やすわけにもいかないので、なんとか出てもらうことにしましょう」
「手術を行うんでしょうか?」
「いえ、それは最終手段です。一番いいのは息子さんから自主的に出てきてもらうことなんですが……観察している限りでは出てくる気配がありませんね。お父さん、ちょっと荒療治になってしまうんですが、問題ないでしょうか?」
院長が尋ねると、父親は問題ないですと頷く。院長はお礼を言い、後ろの看護師から釣竿のようなものを受け取った。お子さんの好きなものはなんでしょうと院長が唐突に父親に尋ねる。父親は戸惑いながらも「よく知らないですが……いつもゲームばかりやっています」と答える。
「それはよかったです! もっと変わったものだったら看護師の誰かに買いに行ってもらわないといけないですからね!」
院長が釣竿のリールをぐるぐると回しながら言う。少しすると後ろから看護師が携帯ゲーム機を持って現れた。院長はお礼を言って看護師からゲーム機を受け取り、釣竿の先へ器用に結びつけていく。
「ちょっと嫌な感じがするかもしれないですが、可愛い息子さんのためだと思って我慢してくださいね」
院長は父親の返事を聞くより前に父親の頭を固定する。そのまま院長は持っていた釣竿の先をゆっくりと父親の目の中へ垂らしていく。先についたゲーム機が少しずつ父親の目の中に入っていくと同時に、モニタに映されていた父親の目の中の空間の上部から釣り糸で吊り下げられたゲーム機が現れる。
子供が突然現れたゲーム機に気がつく。手を伸ばせば手が届きそうな高さで止まったゲーム機に近づき、子供はどこか疑うような表情で観察する。院長はモニタを凝視し、息をひそめ、いつでも吊り上げられるようにと手はローターのハンドルを握りしめている。
みながモニタの中の子供を見つめていた。しかし、子供がゲーム機を手に取ろうと手を伸ばし、指先がゲーム機の端っこに触れたその瞬間、子供の手が止まる。子供は目を凝らしている。目線の先にはゲーム機に括り付けられた釣り糸があり、子供はそれをみてこれが罠であることを悟った。子供は目の前のゲーム機から手を離し、再びその場でしゃがみ込んでしまった。
「うーん、失敗ですね。警戒心の強いお子さんだ」
院長は父親の目の中に垂らしていたゲーム機を回収しながらため息をつく。それから院長は腕を組み、強引に引っ張り出すしかないかもしれないですねと独り言を呟く。そして、院長は釣竿を看護師に渡し、左腕の袖を捲り始める。父親は院長のその動きを見て、何をするつもりなんですか?と眉を顰めながら尋ねる。言葉の通り、引っ張り出すんですと院長は答えた。
「いいですか、お父さん。顔を絶対に動かさないでくださいね」
院長が父親の顔のすぐそばへ腰掛ける。そして、袖を捲った方の腕をえいやと父親の左目へと突っ込んだ。モニタの中に院長の左腕が現れる。それを見た子供は驚きのあまり飛び上がった。院長はモニタを見ながら腕を動かし、子供を追いかけ始める。
「モニタを見ながらだと、これがまた難しいんですよね……。それにしても、ちょこちょこ動き回ってなかなか捕まえられない。……これでどうだ! よし、腕を捕まえた!」
モニタの中。逃げ回っているうちに子供がころんと転んでしまった隙を見逃さず、院長の左手が子供の左腕を掴む。そのまま院長は勢いよく目の外へと引っ張り出そうと力を込めた。しかし、その瞬間、このままだと引きづり出されると思った子供は、自分の腕を掴んでいる院長の左手の手首に、思いっきり噛みついた。
「ぎゃーーーー!」
院長が痛みのあまり叫び、力が緩んだ瞬間を見逃さなかった子供が左手を振り切り、奥の方へと逃げていく。院長は涙目になりながら腕を目の中から引き上げ、噛まれた跡をさすりながら失敗ですと父親に告げた。
「大抵の子供はこれで引っ張り出せるんですけどね……。よっぽど目の中から出てきたくないようです。ですが、こうなったら私のプライドにかけて、絶対に引きづり出してみますよ。佐々木さん、裏からありったけの洗浄液と浮き輪をとってきてください」
院長の言葉に、看護師が顔を顰める。
「院長、確かにその方法を使えば引っ張り出せるかもしれませんが、子供がかわいそうじゃないですか?」
「君の言っていることもわかるよ。でも、あのたくさんのあざを見たまえ。このまま放ったらかしにしてるのもかわいそうじゃないか。お父さん、ちょっと荒療治になってしまうのですが、大丈夫でしょうか? お子さんを目の中から出すにはもうこの方法しかないんです」
院長が父親に確認し、父親はわかりましたと首を縦に振った。
「ここまで頑なに目の中から出てこない息子が悪いんですから。ちょっとくらいの荒療治は大丈夫です」
院長はお礼を言う。看護師は納得いかない表情を浮かべながらも、部屋の裏へと行き、指示された洗浄液と浮き輪を手にして戻ってくる。院長はまず含ませた浮き輪を父親の目の中へと放り込む。突然上から降ってきた浮き輪を見て、子供は上を警戒しながら近づいていく。そして、ゲーム機と同じように釣り糸が結ばれていないことを確認してからようやく手に取った。そのタイミングで、院長は準備していた洗浄液を父親の目の中に入れていく。
子供がいる目の中に洗浄液が流れ込んでいく。子供が溺れないように量を調整しながらではあるが、目の中の空間の水位が上がっていく。子供はそこで初めて浮き輪を投げ込まれた意味を察知し、両腕でしっかりと浮き輪を抱き寄せた。院長はそれを確認し、洗浄液を流す勢いを強くする。流れ込む洗浄液は滝となり、目の中にできた海に大きな波を生み出していく。子供は必死に浮き輪にしがみつき、波を必死に耐えている。
「院長! 勢いが強すぎます!」
看護師の悲鳴にも似た叫びをあげる。院長はそのタイミングで洗浄液を流し込む手を止め、すぐさま父親の身体を抱き起こした。父親の目から洗浄液が流れ出し、それに流されるように浮き輪と共に子供が飛び出してきた。
待っていた看護師が子供をすぐさま受け止める。洗浄液でずぶ濡れになった子供をタオルでくるんであげた。院長はとりあえず子供が無事であることを確認し、安堵と達成感の混じったため息を吐くのだった。
「無事にお子さんを目の中から引っ張り出すことができました。今後はいくら可愛いと言っても目の中に子供が入らないように気をつけてくださいね」
看護師が子供の濡れた身体を拭く様子を眺めながら院長が父親に話す。父親は深々と頭を下げ、感謝の言葉を告げた。
「大輔、 帰るぞ」
父親が子供に向かって言う。その時、意識がぼんやりしていた子供の意識が戻り、父親の方へと視線を向ける。そして、微笑みを浮かべる父親を見て、子供は叫んだ。
「嫌だ! 帰りたくない!!」
叫ぶと同時に子供が暴れ出す。身体を拭くために服を脱がせよとしていた看護師たちは困惑しながら、身体を取り押さえる。
「大丈夫です。いつものことですから」
困惑げに子供を見る院長に父親は呆れたように伝えた。そのタイミングでようやく看護師が子供のTシャツを脱がすことができた。そして子供の上半身を見て、院長と看護師はさらに困惑げに眉を顰めた。なぜならそこには、目の中で転倒したといい理由だけでは説明できないほど、たくさんのあざがあったからだった。そして院長と看護師に向け、父親が言った。
「子供を引きずり出してくださって本当にありがとうございました。家に帰ったら沢山可愛がってやろうと思います」