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選択はいつも唐突だ。
自称普通女子代表の日比谷 幸に悩みを与えた人物の横顔が一瞬歪んだかと思うと、時間差で頬の辺りを血液がゆっくりと地面に滴り落ちた。
校舎裏中庭の物陰からチラリとそれを目撃した幸は自分の事のように顔を思わず歪め「どうしよう」と自分に問うように小さく呟いた。
「着飾ってんじゃねぇぞブスがッ!!」
鈍い音が断続的に響く。
3人に囲まれ暴力を受けながらも這いつくばり、丸まった体から弱さを吐き出さない人物に幸の右脚が引っ込んでしまい「どうしよう」とまたどうしようもない独り言が口から出る。
「ッテメェ!!」
目を離した隙に動きがあったのか丸まっていた人物と1人の女が取っ組み合いをしている。
反撃に出た人物の顔をその時はっきりと視認した幸はそれが学園のアイドル的女子である雅姫香だと気付き、驚きと同時に前に出していた左脚を引っ込めてしまう。
「大人しく反省するなら許してやったのによ!」「もう、死刑でよくねそいつ」「そうだよ、後がめんどいから殺そ殺そ」「そ、そうだな…」「なに、びびってんのよリン。そのブスがアンタの彼氏寝取ったんでしょ」「そうだよ、そんなヤリマン生かしてたらこの学園の秩序が掻き乱されちゃうって!」「だよな!」「そうだ!」「そうだそうだ!」
「て、訳でお前死刑で」
首を垂れていた雅の髪を掴むと仲間からリンと呼ばれていた女子が不恰好に笑った。
「アンタさ今までの人生で一つでも自分で選択した瞬間ないでしょ、可哀想にーー」
諭すように喋り一瞬歯を見せた雅の顔がリンの拳により痛々しく上書きされる。
「調子乗ってんじゃねぇぞブスがよ!!」
リンが叫ぶよりも先に集団へと脚をめちゃくちゃに動かしていた幸は案の定、物陰からド派手に転んだ。
面白くはないが、その明らかに目立つはずの幸に誰1人目を向けることなく事態は進行し、罵声を吐きながらリンが振り上げたカッターナイフの刃が雅の肉厚な太腿にゾクリと突き刺さった。
「だっめー!!」
幸の制止が届いたのか場の空気が一瞬止まる。
場を瞬間切り取りはしたが無様に転がる幸がこれ以上の支配者になれるはずもなく、「そんな酷いことはダメですよ、ダメ、です」と目線を上げずに地面に向けて呟いた。
頼りない幸はさておき、この場の空気を止めた張本をそろそろ紹介したい。
「そこの不良行為を働く者達、今すぐにその娘を解放しない。いいですか、これはお願いではなく、命令です」
「はぁ!? 誰ですかアナタ?」
リンの右隣にいたマスク女子が眉を寄せた。
幸の後方に仁王立ちしていたその人物はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに芝居がかった顔で不敵に笑うと、着ていた黒いガウンを脱ぎ捨て言った。
「デスマッチ部、部長の上米良魔技と言います。以後お見知りを」陸上部顔負けの際どいコスチュームに身を包み全身痛々しい程の傷跡を見せつけた上米良に不審な目を向けていたリンと取り巻き2人だったが、リンが「もしかしてデスマッチ実行委員会と異世界見届け委員をやってるあの上米良さん?」と問われた返答に上米良が「そうそう、詳しいね」と元気に頷いたことでリンと取り巻きの間に一瞬で不安な表情が広がる。
「私のこと知ってるなら話が早いよね。悪いけど、その娘に少し用があるから退いて欲しいんだけど」
上米良がゆっくりとした動作で足を踏み出す。
リンが上米良に恐れながらも仲間に素早く目配りをして、上米良の進行を塞ぐ形で3人が横に並ぶ。
「なんだい?」
「その、えーと…上米良さん。ちなみに用事っていうのはーー」リンが目線をチラチラ上にあげ、オドオドしながら聞く。
「まぁ、大したことじゃないよ。その娘はデスマッチ部に勧誘しようと思ってさ」
「そ、そうなんですね! なんだ。そういうことでしたか。は、早く言って頂ければいいのに! えーと」リンは雅の近くにしゃがみ込むと、雅の血に染まる太腿に手を置き強く握りながら上米良に向けて笑顔で喋る「実は私達ーーこの雅さんが現世はとても苦しいので異世界に行きたいと漏らしまして…それから自殺をするぐらいなら友達の手で行かせてくれと頼まれたので手伝っていたんです」
「なるほど、それは素晴らしい友情だねーー何だ、それじゃあ私は無駄足だったて訳だ」
「は、はい! 上米良さんには申し訳ないですが、彼女の死にたい決意は硬いらしいので…」と言ってリンが微笑み、続けて取り巻きが相槌を打った。
3人の作られた笑いが広がる中、幸の声が「嘘です!!」とそれに対して意義を唱えるように中庭に強く響き渡った。
「あぁ!? 誰だお前?」
マスク越しに幸は睨まれたが怯まず立ち上がると、痛みで顔を歪める雅の元へと駆け寄り、リンの手を上から払った。ーー払った拍子にリンの怒りを買いグーパンで頬を殴られ吹き飛んだ幸だったが「嘘です!! 彼女は嘘を言ってます!!」とほぼ絶叫に近い証言を挙げた。
幸の言動に動揺したのかリンの取り巻きが幸の元へと向かうが上米良が割って入り進行が止まる。
「と、その娘が言ってるけど? どうなの? ピンクちゃん?」
ピンクちゃんとは雅姫香のことであり、問われた雅は歯を食いしばり立ち上がると「ええ、彼女の言う通り、異世界へ行く為に協力して貰っていたのよ」と幸ではなくリンの肩を持った。
「そ、そんなの嘘ですよ! だってーー」
「さっきから、ごちゃごちゃとうるさいのよ! 半端な行為で救った気分にでもなってるつもり? 気持ち悪いのよ! クソチビが!」
クソチビとは無論日比谷幸のことであり雅に罵倒された彼女は深く傷付いたのだが、傷付いた理由は身長ではなく別の理由だった。
「へー世間知らずなお姫様もようやく腹を決めたって訳だね。感心したわ」リンがアゴを軽くしゃくった。
「何を勘違いしてんの。異世界に行くのは私じゃなくてアンタたちーー」
セリフを吐きながら先程まで自身に刺さっていたカッターをカタカタと鳴らし前方の固まりへと突進した雅だったが、先刻受けた怪我が災いしたのか、動きを簡単に読まれ取り巻きの1人に足払いで無様に転ばされると、その上から顔面を容赦なく二つの足で踏み潰された。
「て、ことで上米良さん? 上米良さんには悪いけれど、この子、私達の手で責任持って殺っていいよね?」 リンが雅の顔を蹴りながら上米良に問う。
「うむ」上米良が腕を組み眉間を寄せていたが、「しょうがないかぁ…」と頭を掻き呟くと続けて「一応聞いとくけど修復士は必要か? 必要であれば呼ぶが?」
「んなもん無しに決まってんだろ!!」リンがもう上米良など見ずに無様な顔に変わりつつある雅の顔を土が舞う程に強く蹴り上げた。
「まぁどっちでもいいか…」
急速に興味が薄れたのか落ち込んだ顔でその場を去ろうとした上米良の脚をがっしりと掴んだのは先程まで深く沈んでいた日比谷幸だった。
上米良が幸を見下げ鬱陶しそうに脚を払うが幸は万力のようにガッチリと手を離さない。今、離してしまうと内から沸いた思いが簡単に消えてしまいそうで離せなかった。
「何か?」
「助けてください。彼女を!」
「私も初めは彼女を必要で来たんだけど、残念ながら彼女がそれを望んでないので」
「そんなのあんまりです! あんな多数で寄ってたかって暴力をする行為が! あんな、そんな…救うだなんて…」
泣いた所で今の現状が好転するはずないと頭では分かっていたが、幸は目から出る涙を止めることはできなかった。
パンッ! と乾いた音が鳴り幸は自分が上米良からビンタされたのだと気づく。ーーひりつく頬をさすり腰を下ろした上米良を見るとにっこりと微笑まれた。
「ごめんね、つい癖で。ーーおチビちゃんさ、助けたいんだよね彼女を」
「は、はい!」
「ならさ、キミがあそこに乱入しなよ」上米良は立ち上がり続けて「それが物事の基本であり、それがプロレス魂ってもんでしょ」
「プロレス魂? ですか?」
「とにかく、キミが動かないと何一つ世界は変わらないってこと、少しは頭を使いなあたまをさ」
上米良は上から幸の頭をワシワシと撫で回すと、言いたいことは伝えたと言わんばかりに、背を向けさっさと歩き出してしまう。
幸は上米良と雅を交互に見比べ何度も何度も何度も何度も頭を振り、痛いほどに手を丸め立ち上がり、無言で雅の元へと走り出した。
ーー怖い。そんなの当たり前だ。
ーー逃げたい。当然だ。
ーーでも。それでも。
ーー彼女を助けたい!
がむしゃらに敵の背中へと突っ込み敵と一緒に崩れた幸は、背中越しに敵の後頭部へと自身の頭を振り下ろした。
ガッツッッ!!
鈍い音が鳴り、幸はあまりの痛さに体制が崩れる。
異常に気付いた敵の片割れであるマスクが幸を背後から羽交締めにするが、幸が暴れ回りマスクの鼻に頭が命中。
ご愁傷様でこの時、マスクの鼻が折れ血が吹く。
流れに乗り出した幸だったが、それを上回る勢いでアドレナリンが出ていたであろう、リンのミドルキックにより幸は崩れーー。
顔前に拳が来たと認識した瞬間に幸の体は後方に飛んだ。
地面に仰向けに転がる幸の頭上に割れたコンクリートを両手で持つリンが笑いーー。
「あ、」
コンクリートが振り下ろされ幸の顔面がスイカ割りのように砕けた。
ーー視界が赤い。
ーーあれ、頭あれ。
ーーああ、死ぬんだわたし。
死を意識し途端に幸の思考が高速で回転し出し走馬灯の用に断片的に映像が流れ出す。
頭の中に流れる大量のゴミの山から唯一神々しく光り輝く物に意識が止まる。
年代や時期など忘れてしまったが、それがボヤけた雅姫香で彼女が口を動かし言った。
「ぼーとしてると、また狩られるよアンタ」
ーー雅さん、私まだ、わたし、まだちゃんとお礼を…。
現実と空想が入り混じり意識が途絶えようとしている最中、幸は体を激しく揺さぶられた。
それにより安らぎに満たされつつあった幸の思考が激しい痛みで中断される。
揺さぶられ、痛みで叫び、えずき、視野がボヤボヤとした者をとらえる。
「まやわら? はいり?6893)¥??&&?」
幸はその人物から大声で叫ばれ、嫌と言う程に何度も揺さぶられる。
ーー痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
「まやわら? はいり?6893)¥??&&?」
ーー痛い痛い痛いやめて痛い。
意味も状況も読めぬ最中、幸はもう、辞めてくれという意思表示を表すように、首を動かす。ーーその瞬間、幸を揺らしていた者の動きが止まり、幸の頭の中に脳内麻薬が注入され、幸の意識がブラックアウトした。
最後まで読んで頂けると幸いです